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148.この物語は未完結のまま300年以上の間、更新されていません

 

 

 「魔王の島」最奥部、「六欲の間」――。


 六角形をした白いこの部屋で、ヒロキ・ヤマダは「お母様」――レナ・ヴィーダーと対峙していた。


 彼女が語った自身の正体、それは300年前、コーガナの「戦の女神」の礼拝所で孤児の面倒を見ていた少女であり、そして――


「上田玲奈……? しかも、『健康の神』の召喚した、勇者……?」


 ヒロキの脳裏に、自分が召喚された際、あの「戦の女神」の礼拝所で神官・エイブラムから聞いた話が蘇る。


(1年ほど前、親交のある『健康の神』の神官が『異世界から勇者を召喚した』という『お告げ』を聞いた――)


「そうよ、ヒロキ。エイブラムさんが話していた、あなたより1年前に召喚された勇者というのが、このわたしよ」


 ヒロキの思考を読み取ったかのようにレナはそう告げる。


「そうか……、あんた話を聞いてたんだな……」


「ええ。あなたにお茶を出した後、ドアの向こうで聞き耳を立てていたわ。だって、あなたがわたしと同じ世界から召喚されてきたって、すぐにわかったもの。山田なんて名乗るし」


 自分だって上田じゃないか、と思ったが、ヒロキは口に出さなかった。


「だったらどうして、自分のことを明かし、一緒に戦おうって言わなかったんだ?」


 ヒロキの視線が鋭くなる。だが、その眼光をレナは一笑に付した。


「決まってるじゃない。嫌になったからよ」


「嫌に?」


 どういう意味だ、と続けようとしたヒロキの言葉が止まる。レナが懐から短剣を取り出したからだ。やる気か、と警戒するヒロキに微笑みかけると、レナはその短剣を自分の喉に突き刺した。


「な……!?」


 白い床に鮮血が飛び、レナはその中に倒れた。


 突然の自殺にヒロキは駆け寄ろうとする。が、その腕を横から掴んで止めたものがいた。


「ご心配なく、ヒロキ様」


 控えていたエピテミアであった。「お母様」の突然の行動にも驚いた様子には見えなかった。


「そう、心配ないのよヒロキ」


 短剣が喉に刺さったまま、何事もなかったかのようにレナは起き上がる。


「エピテミア、近いわ。離れて」


「はい」


 ヒロキの真後ろに立ち腕を掴んでいたエピテミアは、レナの言葉に素直に距離を取った。


「そうか……、『ゴッコーズ』か……」


「ええ。さすが、察しがよくて助かるわ」


 レナが短剣を引き抜くと、その傷は瞬く間に塞がっていく。服の裾で短剣の血を拭うと、ヒロキに再び微笑みかける。


「これがわたしの『ゴッコーズ』、『未完星譚(エターナルストーリー)』よ」


 「健康の神」のもたらした「ゴッコーズ」であるこの力は、どんな傷を負っても死なず、どんな病にもかからず、どれほど時がたっても老いないという不老不死の能力なのだ、とレナは語った。


「岩を抱いて入水自殺しても、水に入った場所にいつの間にか戻ってきちゃう。多分、ドラム缶にコンクリ詰めにされて海に沈められても、戻ってこれるわよ。単純な再生じゃなく、この世界に在り続ける。そういう力なの」


「なるほど、合点がいったよ……」


 コーガナ襲撃の際、孤児院のあった場所にヒロキが駆け付けた時、確かに彼女は瓦礫の下で死んでいたのだろう。その後、この力で蘇ったというだけで。あるいは、300年の時を経て当時の姿のままここにいるのも、この「ゴッコーズ」の力というわけだ。


「でしょう? だったらわかるわよね? わたしが嫌になった理由……」


「……死ねないからか」


 深く、レナはうなずいた。


「『健康の神』はわたしを召喚した時に言ったわ」


(恐れるな、その力があれば死ぬことはない。死ぬことはないのだから、何度も挑み続ければいつかは必ず魔王が倒せる。そういう意味では無敵の力なのだ――)


 「健康の神」は、禿頭に筋肉質な体を持つ大男だった、とレナは述懐する。


「いくら死なないからと言って、痛いのは変わらない。死んだ、っていう感覚もある」


 死はいつも、絶望的に暗い場所に叩き落されるような感覚がする。何度経験しても慣れない。死とは一回限りのものであるが故、慣れるようなものではないのかもしれない。


「そんなの、繰り返していられるわけないでしょ!」


 吐き捨ててレナはヒロキをまっすぐに見やる。


「だからわたしは身を潜めることにした。何せ、『健康の神』はこうも言っていたもの」


(父である『欲望の神』を止めるべく、我が妹『戦の女神』も動いている。早晩異世界召喚を行い、新たな『ゴッコーズ』の勇者も現れるやもしれん。その時は協力するように――)


 それを聞いていたから、レナは「戦の女神」の礼拝所に身を寄せたという。


「希望だったわ、あなたは――」


 レナは自分の血の跡を踏み越えて、ヒロキに近づいた。


「あなたがいれば、わたしは戦わなくて済む。二度と死ななくて済む。他はあなたがやってくれるもの。だから、あなたが山田裕樹と名乗ったあの時、とっても嬉しかった――」


 レナは前方へ手を伸べた。握手を求めるように差し出されたそれを一瞥し、ヒロキはレナの顔を見据える。


「それはわかったよ」


 その視線は相変わらず鋭い。


「辛いことがいっぱいあったんだろうな。俺は死んだことないからさ、その苦しみみたいなのは全部わかるとは言えない。想像を絶するってやつさ」


 だけどさ、口調にも視線と同じものが混じる。


「俺が聞きたいのはその先の話なんだよ」


 先? とレナは首を傾げた。自然と、伸べた腕が引っ込んでいく。


「俺が召喚されて、魔王と戦ってる間、何してたんだ? 俺が魔王を倒した後は? ヴィーダー家なんてものを興して、『勇者の正妻』を名乗ったのはどういうつもりだ?」


 それ以上に。続けるヒロキの腕はだらりと垂れ下がっているが、次の瞬間には柄に手をかけ抜刀していてもおかしくないような、殺気をまとっていた。


「何なんだよ、『オドネルの民』ってのは。造魔人(ホムンクルス)造って、街襲わせて、何千人と殺すのが、あんたが異世界からやってきた意味だっていうのか!?」


 強い怒りのこもった言葉だった。背後で聞いていたエピテミアは思わず身構え、しかし割って入ることができない。この一人の青年の背中が発する迫力に、気圧されてしまっていた。


 それを正面から受けたレナ・ヴィーダーは――。


「――フフッ」


 こらえきれない、とばかりに噴き出した。笑い声を、心底愉快そうな哄笑を、この「六欲の間」に響き渡らせたのだ。


「何がおかしい?」


 それを貫くようなヒロキの問いかけに、レナはふと笑い止めた。


「何が、って……。とってもおかしいじゃない」


 だって、とレナは笑顔のまま続ける。


「こんな縁も所縁もない、野蛮で、遅れた世界の人間のために怒り出すなんて、滑稽にもほどがあるわ。そう思わない?」


「思わないさ……」


 ヒロキの左手が、腰の「スミゾメ」の鞘にかかる。


「縁も所縁もない? 何でそんなことが言えるんだ!? あの孤児院にいて、ジョゼやアイクやレオやニーナたちを、俺よりも長く見ていたはずだ! あの子たちの苦しみを間近で見てきたあんたが、どうして新たなあの子たちを生み出せるんだ!?」


「よそのガキのことなんて、別に興味ないし」


「興味、ない……?」


 レナを見つめるヒロキの目の色が変わった。糾弾する鋭さ、に疑念と少しの恐れが差した。


「わたしがね、興味関心を抱いているのはね、ヒロキ、あなただけよ?」


 そう、あなただけなのよ。一度下ろした腕は2本になって、抱擁を求めるようにヒロキに向けられた。


「『オドネルの民』を乗っ取ったのも、そこで異世界召喚を研究させたのも、ヴィーダー家という『勇者の正妻』の家を作ったのも、全部あなたのためなのよ?」


「ホント何言ってんだよ、あんた……! ワケわかんねェんだよ!」


 その抱擁を遠ざけるように、ヒロキの手元で金属音が鳴った。鯉口を切ったのだ。


「わからない? どうして? 全部あなたを再召喚するために決まっているじゃない」


 柄にかけたヒロキの右手が止まった。


「新しい魔王に相当する者が現れれば、あなたはもう一度やってくるはず。あるいは、召喚を繰り返していたら、いつかあなたを呼べるはず――」


「俺の、せいだって言うのか……?」


 「オドネルの民」がこれまで振りまいてきた破壊、悲劇。それらが、すべてヒロキをこの世界に呼び寄せるために起こされたことならば、それは自分の責任なのではないか。そんな思いが重しとなって、ヒロキの右手を止めたのだ。


 そんな彼の思いを汲むこともなく、レナは語り続ける。


「『勇者の正妻』の家を作ったのもそう。あなたがここに帰ってきたら、300年前に逸脱してしまった真実の道を、物語を用意しておかなくてはと思ったからなのよ?」


 そう、間違ってるのよ! 見開かれた目でレナは天に吠えた。


「どうして最初に出会ったわたしを差し置いて、こんな野蛮な世界の、しかも魔王に与していたのなんかとくっつくわけ? おかしいわよ、そんなの! わたしが一番じゃないの? 最初に出会ったわたしが、あなたと同じ世界から来たわたしが、あなたと結婚するべきじゃないの? それが正しい物語なのに、どうして――」


 何てヤツだ。ヒロキは奥歯を噛んだ。柄にかけた手が震えている。


 この女は、上田玲奈は壊れている。


 何故そうなってしまったのか、今のヒロキには見当もつかない。だが、すべての発端が自分にあるというのなら。


 震えは止まった。柄を改めて握り、その「カタナ」を抜き放ち――。


「そうよ、何であんなのとくっつくの! わたしこそが『勇者の正妻』にふさわしい! みんな思っていたはずよ! だからこそ、この物語は受け入れ――がぺっ!?」


 ヒロキが「スミゾメ」で斬りつける寸前であった。


 レナが奇声を上げ、「六欲の間」の奥、玉座のある場所まで吹き飛んでいったのは。


 今の魔法は? と思った時、こちらに近づいてくる気配を感じた。


「エピテミア……?」


 ヒロキの隣に並んだ長身の造魔人(ホムンクルス)は、「お母様」と呼び慕っていた女を真っすぐににらみつけていた。

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