139.彼女の名前
闘技台の上ではデジールが高速で飛び回っている。力比べではらちが明かないと見るや、模造・流星転舞を使った戦法に切り替えていた。
しかし。
「ハァッ!」
「甘い!」
背後から、両脇から、正面から、脳天から。どこからの攻撃もバジルに防がれ、デジールはいい加減に焦れてきていた。
模造・流星転舞の速度に目が追い付いている気配はなく、事実、先取りして動いてくることはない。また、フィオ・ダンケルスのように速度強化魔法で追ってくることもなかった。
だが、どこから攻撃が来るのか、その気配を察知して防ぐ。どれだけ虚を織り交ぜても、必ず実に反応して対処する。ここまでの実戦経験だけを頼りに。
「何て戦士だ……!」
アドイック一の剣士、その称号に偽りはないようだ。デジールは舌を巻いた。
ただ、決め手がないのはバジルも同じであった。
相手がどれだけ高速で動こうが、攻撃する気配はバジルには手に取るようにわかる。デジールの体は頑丈で鍛えられてはいるが、実戦経験に乏しく、それ故に読みやすいことも。
そして、防いでいるだけでは勝てないこともわかっていた。
「そろそろ、攻撃に転じたいが……」
デジールの背後からの一撃を弾き返し、バジルがつぶやいた時だった。
後方から別の気配が飛びかかってくる。その殺気の向きは、バジルに対してではなく――
「うわっ!?」
模造・流星転舞で飛び回っていたデジールを的確にとらえ、その気配は彼の巨体を弾き飛ばした。
「何だ……!?」
「おや、君か」
態勢を整えようとするデジールと、正面に構え直したバジル、その間に立ったのは黒く小さな影――メネスであった。小さい体で毛を逆立て、デジールを威嚇する。
「バジルさん。メネスが援護に回ります。存分に」
「かたじけない、スヴェンくん。これは心強いな」
皮肉でも何でもなく、素直な感想をバジルは口にした。
「随分と舐められたものだね。この僕と、人間一人と猫一匹で戦おうとは」
デジールはバジルの背後、スヴェンとクサンを睥睨する。
「その猫に軽く弾き飛ばされたようですが?」
「とっとと原形を現した方がいい、と言っているんだよ!」
拳を振り上げ、デジールはメネスに踊りかかった。突き出されたそれを受け止めたのは、バジルの刃ではなかった。
「何!?」
手の平だった。光に包まれた人影が不意に姿を現し、デジールの拳を防いだのだ。
「にゃっ!」
奇妙な掛け声をかけると、「それ」は流麗な動きでデジールの体を引き寄せ、その腹に強烈な拳の一撃を叩き込んだ。
「ぐわっ!?」
華奢な体に似合わぬ一撃に、デジールは思わず悲鳴を上げて吹き飛んだ。
人影を包んでいた光が晴れていく。それは5シャト(※約150センチ)程の身長の、小柄な少女であった。
「これは――、造魔人!?」
「猫京律令……。今回の戦いに備え実装した、メネスの新戦闘形態です」
猫京律令をとったメネスは、黒髪で金色の瞳をしていて、頭から猫の耳を生やしていた。尻から生えた尻尾を揺らし、にゃん、と一声鳴いて猫耳の少女は構えをとった。
「いや、趣味丸出しじゃねェか!」
「何のことですか? 今は戦闘中ですよ」
クサンのもっともな突っ込みに、スヴェンはあくまで平静な顔で応じる。
「クソッ、こんなことが……!」
デジールは悪態をつきながら立ち上がる。
「これだけではありませんよ」
ニヤリと笑って、スヴェンは錬魔を開始する。
「連鎖魔法・四……」
「そ、それは『七色の魔道士』の!?」
驚愕するデジールをスヴェンは鼻で笑う。
「エクセライ家の嫡男であるこの僕が、市井の魔道士風情が考えた程度の技術を使えないとでも?」
「エッタ様本人が聞いたら怒りそうだな……」
「だから内緒でお願いしますよ」
クサンにそう言い、スヴェンはメネスに向き直る。
「壱式・炎招来、弐式・土招来、参式・白波天馬、肆式・疾風馳夫……!」
メネスの右腕に炎の力が、左腕に大地の力が、右足に水の力が、そして左足に風の力が宿る。
「四肢にそれぞれ違う強化魔法を……!?」
「これはヤーマディスの冒険者だった、クィントという人の特異体質でしてね、再現できそうだったので盛り込んだ次第です」
スヴェンは石化破壊されたクィントの四肢を集め、その石の下にあった肉体器官と精神器官の関係を解析していた。更にバルトロ・ガンドールが遺していたクィントの研究記録を援用し、この猫京律令の完成にこぎつけたのである。
「では、ご覚悟を」
その言葉を合図に、メネスがデジールに飛びかかる。
両手の炎の力と大地の力を合わせ、振り下ろす。クィントの得意とした合成拳――噴火弾拳鎚である。
「くっ……! 模造・星雲障壁」
黒い光がデジールを取り巻き、噴火弾拳鎚を防ぐ。
模造・星雲障壁に弾き飛ばされたような格好のメネスに対し、攻勢に転じようとしたデジールに、今度はバジルが斬りかかる。
「私を忘れてもらっては困るぞ、デジールくん!」
「そうだった……! 模造・流星転舞!」
バジルから高速移動で距離をとるが、メネスはそれにも追いすがってくる。
「にゃ……!」
風の刃をまとった蹴りを、デジールは体をひねってかわすが、刃がわき腹をかすめる。
「クソッ! こんなことが……!」
追い打ちをかけてきたバジルの剣を腕で受け止め、デジールは歯噛みする。
こうなったら、また使うしかないか。あの『ゴッコーズ』を――。
◆ ◇ ◆
「六欲の間」に通されたヒロキは、六角形の部屋の正面奥に位置する玉座を見上げていた。
そこに座していたのは、金色の長い髪をした少女であった。
エピテミアから「お母様」と聞かされて以降、ヒロキは頭の隅でその姿について想像を巡らしていた。
それはふくよかな老婆であったり、あるいはグロテスクな肉の塊であったり、かつての魔王のような異相の巨人であったりと、様々な像でヒロキの頭の中に現れていたが――。
こんな女の子とは、ホント想像もつかなかったな。
ヒロキのそんな考えをよそに、「お母様」が口を開く。
「久しぶりね、ヒロキ――」
親し気な口調に、ヒロキは目を見開く。まじまじと、お母様の顔を見やる。
「あんたは――」
二の句を継ごうとするヒロキに、「お母様」は玉座から少し身を乗り出した。
「誰だ?」
そう発した時、ヒロキには「六欲の間」の空気が凍り付いたように感じた。
え、という思わず漏れた言葉が二か所から聞こえた。一か所はヒロキの左斜め後方、そこに控えているエピテミアから。もう一か所は――。
「……え?」
はっきりと言いなおした。「お母様」と呼ばれる玉座の少女は、信じられないものを見たかのように、何度も瞬きを繰り返している。
「ヒロキ様、『お母様』です」
エピテミアが見かねたように口を挟んでくる。
「いや、それは流れでわかるけどさ……」
そうじゃなくて、とヒロキはエピテミアに手を振って見せる。
「久しぶりって言われたけど、こっちにしてみたら、初対面っていうか……」
「はぁあ!?」
頓狂な声が、静謐だった「六欲の間」に響く。
「ふざけないでくれる、ヒロキ!」
「お母様」と呼ばれる少女は玉座から降り、つかつかとヒロキに近づいてくる。
「お、お母様!」
「あんたは黙ってなさい、エピテミア!」
ぴしゃり、と怒鳴りつけてお母様はヒロキに向き直る。
「このわたしを忘れたっていうの? この世界に来たあなたと、最初に出会った女の子であるこのわたしを――!」
「さ、最初に出会った?」
「300年前! コーガナで会ったでしょう!」
目の前で怒鳴る少女は、最早秘密結社「オドネルの民」の謎の頭目ではなかった。久しぶりに再会した友達だと思っていた相手に、自分のことを忘れられて怒っている中学生だった。
「300年前、コーガナで、最初に……?」
ヒロキは記憶をたどっていく。
異世界転移した時、最初に会った「女の子」は当然「戦の女神」である。だが、女神と会ったのは真っ白な異空間で、当時の王都コーガナではない。
ならば異世界に来たその後だ。コーガナで最初に会ったのは新兵募集のところにいた兵士だが、あれは男性だった。
だったらその次、身元の保証を求めて「戦の女神」の礼拝所を訪ねて、それで――。
「あ――!」
「やーっと、思い出したみたいね」
もう、と少女はむくれた。
「ずーっと待ってたのよ、ヒロキ。最初に出会ったわたしを、迎えにやってきてくれるのを」
「いや、でも、君は――」
死んだはずじゃ。
この世界に来てヒロキが最初に出会った女の子、それは「戦の女神」の礼拝所に併設されていた孤児院で働いていた少女に違いない。神官エイブラムの不在を告げ、その後お茶を出してくれた、あの女の子だ。
記憶の中にある彼女と、目の前にいる「お母様」は確かにそっくりだった。
だが、あの彼女は魔王軍のコーガナ襲撃の折に死んだはずだ。崩れた瓦礫の下に、彼女がいつも身に着けていたエプロンが血まみれで落ちていたのだから。
「死んでないわ。だってわたし、死ぬことなんてないんだもの」
「どういう……?」
「ヒロキ、改めて自己紹介してあげる。あなたはあの時わたしを置いて行ってしまったから、知らないこともあるだろうしね」
「お母様」と呼ばれる少女は一歩後ろに下がって両腕を広げた。
「わたしはレナ・ヴィーダー。300年前、『戦の女神』の礼拝所に併設された孤児院で、孤児の世話をしていたわ」
「レナ、ヴィーダー……!?」
そして、と少女――レナはスカートの両端をつまんでお辞儀をして見せる。
「日本にいた頃の名前は上田玲奈。山田裕樹、あなたが召喚される前に『健康の神』によって召喚された、『ゴッコーズ』の勇者よ」




