137.接敵――北
白くほのかに輝く白輝石の壁に挟まれた廊下を、ヒロキはエピテミアの後について歩いていた。「スミゾメ」は腰の鞘に納めてはいるが、エピテミアの背を見据える眼光は鋭く、警戒を怠ってはいなかった。
「そんなにも殺気を発さなくとも、騙し討ちは致しませんわ」
エピテミアは歩きながら振り返っておかしそうに笑った。
「こちらには招待したのです。でなければ、島に近づく前にあんな船、沈めていてよ?」
「まあ、そうなんだろうけど……。警戒するに越したことはないからな」
ヒロキはエピテミアの顔など見ていなかった。その手足や身のこなし、錬魔の気配に注意を払っている。再び魔法を放ってきた時に斬り返すためである。
「『お母様』ってのは何者だ? 俺に何の用がある?」
「会えばわかりますわ。用事は、お話したいとしか聞いていないわね」
「そういう『お使い』ってことか」
挑発的なヒロキの言葉にもエピテミアは動じなかった。
「そうですわ。子どもは親の言うことを聞くもの。命令に疑義を挟むべきではない」
エピテミアはそれだけ言って正面に向き直った。
長い廊下を何度か曲がって、しばらく直線が続いている。その突き当りがヒロキの目にも見えていた。
「あの扉の向こうにいるのか?」
「ええ。あの『六欲の間』に……」
六角形を基本とした幾何学模様の装飾がされた扉を前に、ヒロキは一つ息を吐いた。
さて、鬼が出るか蛇が出るか……。
◆ ◇ ◆
長い階段を下り、白輝石造りの壁が並ぶ廊下を抜けて、ザゴスら四人も巨大な扉の前に到達していた。
「六角形……、『欲望の邪神』の紋章だな。何かしら重要な部屋だろう」
装飾を見上げてクロエが推測を述べる。
「中でデジール辺りが待ち構えてるとか、そういうイベントがありそうですわね」
「何だよ、イベントって」
こっちの話です、とエッタはザゴスの突っ込みを流して扉にそっと触れた。
「……ふむ、今度はわたくしが壊して差し上げますわ」
「いや、テメェも壊すのかよ!」
「やめろ、地下だぞ!」
フィオがエッタの肩に手をかけた時、交わされる会話を聞きつけたかのように、扉が音を立てて右へと滑っていく。
「おや、開きましたわね」
「向こうも壊されちゃ敵わんのだろう」
「蛮族が二人も来るとは思ってもみるまい」
「まあ、ザゴスはともかくフィオのことをそんな風に言うなんて!」
「君だ」
ともあれ、ザゴスらは扉の向こうへ足を踏み入れた。
その部屋はおおよそ正方形に近い形をしていた。両側の壁は白輝石でほのかな輝きを放っている。
四人が部屋に入ったことを認めたかのように、背後で扉が閉まる音がした。
だが、誰もそれを気に留めなかった。
正面の壁の左端にはもう一枚の扉があった。その前を守るかのように立っている二つの人影に、ザゴスらの視線は釘付けになっていたからである。
「よお、いいね、こっちは当たりを引いたみたいだ」
「ベギーアデ……!」
白い髪を頭の後ろで二つに束ねた、かかとの高い靴を履いた女――ベギーアデを見据えて、クロエは棍を強く握りしめる。
「殺し損ねたヤツに、殺してェヤツ……。いいね、いいね、揃ってんじゃん!」
キャハハハ、と耳障りな笑い声を上げ、「そうだろう」ともう一つの影を振り返る。
「あんたも、ヒロキ以上にやり合いたかった相手がいるっしょ、なあ! フレディ!」
ベギーアデの背後にいたのは、赤毛に白い鎧の戦士であった。長い前髪で、腰に双剣を帯びた彼は、ベギーアデを守るようにその前へ出た。
「フレデリック・ダンケルス……!」
「やあ、随分と他人行儀じゃないか、フィオ」
赤毛の剣士――フレデリックはフィオに微笑みかけた。場違いな優し気な笑みで、直接向けられたわけではないザゴスも、少し怯んだ。
「昔のように、兄さんとは呼んでくれないのかい?」
「『オドネルの民』に与し、ドルフ候を手にかけた貴様を、兄とはもう呼べまい……!」
残念だ、とフレデリックは少しもそう思っているようには見えない表情で言った。
「やはり、1対1で話す必要があるようだ……。いいかい、ベギーアデ?」
「もちろんさ、フレディ。残りのザコは、あたしがもてなしとくよ」
応じて、ベギーアデが指を鳴らした。部屋が微かに縦に揺れる。
がらがらと音を立てて天井から壁が下りてきた。
「下がれ!」
「きゃっ!?」
降りてくる真下にいたエッタをクロエが、引っ張って退避させる。
反射的に身を避けたザゴスとフィオ、エッタとクロエを分かつように白輝石の壁は勢いよく下りきる。
部屋は左右に分断された。
左側にはザゴスとフィオ、そしてフレデリックが。
右側にはエッタとクロエ、そして――
「ちっ、あのデカブツ余計なことしやがって……! フレディとフィオ・ダンケルスを二人っきりにするはずが……!」
悪態をつくベギーアデがいた。
「こちらにとっては好都合だ」
クロエは棍を構え、その切っ先をベギーアデに向ける。
「お前を血祭りに上げ、父やベルタ妹の敵を討つ!」
「わたくしも、『マーガン前哨跡』での借り、10倍にして返させていただきますわ」
クロエの背後で、エッタも帽子をかぶり直してベギーアデをにらむ。
「チッ! やれるもんならやってみなァ!」
ベギーアデも両手の指の間に投剣を挟んで構えた。
一方、左側の部屋ではフレデリックがフィオに語り掛ける。
「邪魔者はほとんどいなくなった。これで本当のことが話せるんじゃないか?」
「本当のこと、だと?」
フレデリックは少し首を傾けた。
「そうさ。君は考えているはずだ。この兄と共に『オドネルの民』として戦うことが、自分が真に生きる道だ、と……」
「何をバカなこと言ってやがる!」
無視すんなよ、とばかりにザゴスがフィオの前に立った。
「ンなこと考えるわけねェだろうが!」
ザゴスの啖呵をフレデリックは鼻で笑った。
「見かけ通りの短慮のようだ。真実は我が妹に聞いてみたまえ」
何を、とザゴスはフィオを振り返る。そして目を見開いた。
「フィオ、どうした……?」
フィオはじっとりと汗の浮かんだ顔で、ザゴスを仰いだ。呼吸が荒い、立っているのもやっとのように見えた。
「テメェ、何しやがった!?」
ザゴスは大きな目を見開き、噛みつかんばかりの形相でフレデリックをにらみつける。
「何もしていないさ。ただ、正直になれと声を掛けたにすぎない。フィオの中にあった本当の気持ちを、形にしてやったのさ」
「本当の気持ちだとォ?」
確かにフィオは、フレデリックと戦うことに対して気が進まない様子だった。それは理解できるし、あのヤーマディス領主館の地下で心情を吐露してくれた。
だが、だとしても「兄と共に『オドネルの民』として戦う」などということを考えているだろうか。そんなものはこちらを惑わそうとする妄言に過ぎない。
過ぎない、はずなのだ。
「フィオ、しっかりしろォ!」
震えるその身に喝を入れるように、ザゴスは叫んだ。
だが、フィオは視線を下げ肩で息をしているままだ。
「我が妹の気持ちを勝手に決めつけないでもらおう」
「それはテメェがやってんだろが……!」
ザゴスは斧を抜き放った。こうなったら、俺一人でやるしかねェ。
「フィオ、ちょっと待ってろ……。俺が片付けてやる」
「そんなことができるとでも?」
フレデリックも腰の双剣に手をかけた。
「この私が誰か、知らないのか君は」
剣を抜き放ち、フレデリックは名乗りを上げる。
「私こそは『オドネルの民』の勇者、フレ……」
「ゴチャゴチャうるせェんだよ!」
遮るようにザゴスは怒鳴り返す。
「テメェなんぞ、クソ野郎で十分だ!」
「下賤の輩め。水底で後悔するがいい……!」
両者得物を構え、にらみ合った。




