今の秩序をかけて戦うものたち-5
やれやれ、この下にいるってのか?
ザゴスは暗い階段の下を覗き込む。
二階に荷物を運び、テオバルトと別れたザゴスは、領主屋敷一階の隅、地下に通じる階段の前にいた。
◆ ◇ ◆
「ザゴス、そう言えばあなたフィオには会って?」
勇んで買い物に出かけたと思いきや、エッタはすぐに戻ってきてそう尋ねてきた。
フィオとは、あの会議以来ゆっくり話す機会がなかった。
「オドネルの民」の宣戦布告の手紙が届いたことで、フィオはスヴェンやヒロキと共にアドイックへ向かった。そして、「夜明けの戦星団」の副団長として叙任を受け、ヤーマディスに戻ってきた。
それ以降、フィオはほとんど他の誰の前にも姿を見せていない。ヒロキやバジルらとの訓練に誘おうと思っても、どこにも見当たらなかった。
そう言うと、エッタは憮然として「呆れたゴリラですわね」と意味不明な罵倒を繰り出した。ゴリラって何だよ、という問いにエッタが答えていわく、転生する前にいた世界の大型の猿のような生き物のことらしい。
「あなた、今フィオがお兄さんのことで動揺しているの、知っているでしょう? どうしてそんなに鈍感でいられるんです!?」
別に鈍感でいたわけじゃねェだろ、と反駁したが、内心ではザゴスも気にはなっていた。
姿を見せない間、フィオは何をしているのだろうか。そもそも、どこにいるのか。エッタも行方は知らないらしい。
テメェも知らねェじゃねェか、と言うとエッタは憮然とする。
「わたくしにはやることがありますから。それに、今フィオが必要なのはわたくしよりもあなたですよ」
どういう意味だ、と尋ねてもエッタは答えなかった。
「ご自分でわからないようでは、先が思いやられますわね」
やれやれ、とわざとらしく何度もつぶやきながら行ってしまった。
言うだけ言って終わりかよ、と廊下を小走りにかけていくエッタの背中を見送り、ザゴスはうなじを撫でた。
必要だなんて言われても、本人がいないのだからどうしようもないだろ。そう思っていると、背後から不意に声がかかる。
「よぉーやく、フィオさんの行方を探す気になったか」
びくりとして振り返ると、クサンが立っていた。そう言えば、こいつもしばらく姿を見ていなかったな、とザゴスは思い当たる。どうでもよさ過ぎて放置していたが。
「どうでもいいとか言うなよ! 俺だってちゃんと修行してんだぞ!」
つい口に出てしまっていたらしい。クサンが反論してきた。
「まあ、ともかくだ。フィオさんがどこにいるかなら、この俺がちゃーんと把握してるぜ?」
お前が聞きにくるまで待ってたってのに、とクサンは舌打ちをする。
「待ってたって、お前も姿消してたじゃねェか!」
「しょーがねェだろ! スヴェンの野郎がくれた新しい魔道書の魔法の特訓で、街の端から端まで何往復もしてんだからよ」
どんな魔法だよ、とザゴスはいぶかしむ。普段のクサンは「特訓をしている」などと公言する性質ではない。特訓や努力、修行の類は誰にも見せないことを美学にしている節がある。そのクサンがこうも主張するとは、よほど自信があるのか、難しい魔法か……。
「まあ、そいつは? 見てからのお楽しみっつーか、何つーかさ! な!」
やたらと嬉しそうな、助平そうな顔でニヤニヤしている。なるほど、これが言いたいがために修行だの特訓だの言っていたわけか。ザゴスは納得した。
「ンなことよりフィオさんだろ」
「まあそうだな。テメェの話なんて誰も興味ねェ」
「ちょっとは興味持てよ! 寂しいだろうが!」
「どっちだよ!」
ともかくだ、とクサンは一つ咳払いをする。
「この館にはいくつか隠し部屋や通路がある。大方は脱出用だったり、倉庫だったりだが――、地下に大きめの空間があんだよ」
そこにいる、とクサンは断言した。探索士として館の構造は把握しているらしい。時折ではあるが、こういう意識と腕前の高さを見せるので侮れない。
「地下なんかで何やってんだよ?」
「そこまでは知るかよ」
だがな、とクサンは急に声を低くする。
「あのおっかないメイド長いるだろ? ダナさん」
ドルフが存命の頃に館で働いていた使用人たちは、ほとんどが自分の郷里などに避難しているが、何人かが居残り、「夜明けの戦星団」の世話を焼いてくれている。メイド長たるダナも、その一人だ。
「あの人が言うには、地下にはドルフ候の隠し部屋があるらしい。俺の見立てじゃ、フィオさんはそこだ」
隠し部屋が何に使われる部屋なのかまでは教えてくれなかったがな、と言ってクサンはニヤリとする。
「まあそこは用心深いよな。何てったって領主屋敷だしな」
「とにかく地下に行けばいいってことか」
ありがとよ、とザゴスは一階へ向かった。
◆ ◇ ◆
こうしてザゴスは地下へ続く階段の前へやってきたのだった。
「あら、あなたは確かザゴスさん」
よし行くか、と足を踏み出しかけたところで背後から声がかかる。振り返ると、件のメイド長・ダナであった。
「おう、あんたか……」
あの女好きのクサンが「おっかない」と形容するほどだ。ザゴスは少し緊張する。だが、裏腹に愛想よくダナは続けた。
「ザゴスさんも特訓ですか?」
「特訓?」
岩のような顔に縦の割れ目を走らせて、ザゴスは問い返す。
「ええ。この下にはドルフ様が使ってらした特訓場があるんです。フィオちゃんのようにそこに行かれるのでは?」
やはりフィオはこの地下にいるらしい。だが、一つ引っかかることがあってザゴスは尋ねる。
「この地下に何があるかって、秘密じゃなかったのかよ?」
「いいえ。どうして秘密にすることがあるんです?」
地下の特訓場は、二つあったワイン庫の内の一つを潰してドルフが作らせたものだ。その際、貯蔵されていた酒を市民に無償で振る舞ったこと、冒険者にも開放されていることなどから、ヤーマディスの街では有名な場所だったようだ。
「いや、クサンのヤツが、隠し部屋だって言っててよ」
クサン、という名を聞いてダナの表情がみるみる険しくなる。
「……もしかして、クサンの野郎、何かやらかしてる?」
「アレに声を掛けられて気味悪がっているメイドがたくさんいてね、ちょいと説教をね……」
なるほど、とザゴスの中で謎が解けた。クサンがダナを「おっかない」と言ったのは説教されたのが原因、地下に何があるか教えてもらえなかったのは不審がられているからだ。
「何か、すまねェな……」
「いやいや、ザゴスさんが謝ることじゃないよ!」
縮こまる大男の腕を、ダナは軽く叩いた。
「それより、フィオちゃんのことを頼むよ」
「フィオのヤツ、やっぱりへこんでやがるのか」
そりゃそうさー、とダナは今度はザゴスの腹を叩いた。
「フレデリック様が現れたんだろ? しかも、ドルフ様を手にかけた……」
こんな酷いことってないよ、とダナは沈んだ表情を見せる。古株のメイドである彼女は、フレデリックのこともよく知っている様子だった。
「どんな野郎だったんだ、フィオの兄貴は?」
「あたしもたくさんの冒険者を見てきたけど、あれほど立派な人はいないよ。真面目で情に厚くて責任感が強くて……、ドルフ様より領主っぽいところもあったりさ」
主人が生きていれば大笑いしたであろうことを、ダナは口にする。
「あの頃ヤーマディスにいた女の子は、みんな憧れたもんさ」
このわたしもね、とダナは遠くを見るような目をした。
「ザゴスさんも体格はいい線いってるけど、顔がまるっきり悪人だからね……」
「デッケェお世話だ!」
遠い目のままそう言われて、ザゴスは少し苦笑しながら言い返した。
「それでも、『天神武闘祭』でフィオちゃんと組んで優勝した、立派な冒険者だ。あんたがいてあげたら、フィオちゃんもどんなに心強いか」
それでも、というのが「悪人面でも」と聞こえて少し引っかかるが――だよな、とザゴスは首筋に手をやった。
「まあ、俺にできることは何でもやってやるさ」
「その意気だよ!」
今まで以上の力で、ダナはザゴスの背を叩いた。細腕からは考えられない、大男がよろける程の力で、ザゴスはじんじんとする痛みを背中に抱えながら階段を下りることになった。




