126.望まれぬ帰還
あの襲撃の夜、ヤーマディス候ドルフ・アドニアは街中に拡声魔法で呼びかけた後、自らも剣を手に取り押し寄せる造魔獣と戦っていた。
造魔獣は同種が倒された方向に集まる性質がある。このことは、先のバックストリア襲撃の折に確認された習性で、ドルフもこれを承知していた。
一匹でも多く倒し、屋敷に魔獣を引き付ける。その隙に、街の人々が逃げる時間を稼ぐ。それがドルフの立てた算段だった。
恐らく、街中でもバルトロ・ガンドール辺りがそういう作戦を立てて、大通りの一つに魔獣を引き付けていることだろうが、すべての大通りが交わる円形の街の中央である領主屋敷ならば、その役割はより効果的に果たせる、とドルフは踏んでいた。
とりわけ、ここは堅牢にできている。この屋敷を建てた300年前の勇者、ヒロキ・ヤマダがそうさせたと伝わっている。即席の砦としては上等だ。
ドルフは最初は屋敷の下に降り、街の中央区の警護を担当する衛兵隊らと共に、長槍を持った魔獣――ブキミノアンヤと戦いを繰り広げていた。
しかし、空を飛べる小型のエビのような魔獣――ササヤクヤミや、バックストリアを襲ったブキミノヨルが、頭上を飛び越えて屋敷の中に侵入してくるため、地上は衛兵隊に任せて、単身二階の防衛にあたることにした。
二階からの侵入を押さえれば、下はしばらくは安泰だろう。屋敷内部の階段を駆け上がり、廊下にたむろする造魔獣を見据えて、ドルフは考える。
近くにいた一体が、手にした槍を投げた。ドルフは瞬時に魔法で迎撃し、距離を詰めて斬り捨てる。返す刀で、集ってきたササヤクヤミを正確に叩き落した。
まだ腕は衰えていないな。とはいえ、油断は禁物だ。ササヤクヤミの尻尾から放たれる冷凍光線を飛び退ってかわし、錬魔していた魔法を解き放つ。
「白光発射!」
アドニス王家は伝統的に光属性の使い手が多い。これは初代王アドニアが、光属性を司る「豊穣の女神」の加護を受けていたことに由来するという。
魔道灯の明かりが失せた廊下に白い光が閃き、ササヤクヤミを撃ち落とした。
「本気で行くぞ、どんどんかかってこい!」
ドルフは愛刀の刀身を撫でた。刃が白い光をまとう。錬魔なしに光招来の錬成式を発動できる、冒険者時代からの愛刀だ。
光に吸い寄せられるように、数十匹もの造魔獣たちが殺到する。その数に臆することなく、ドルフは剣を振るった。
「ふー……」
最後の一体を壁際に追い詰めて斬り倒し、ドルフは一つ息をついた。
廊下にたむろしていた造魔獣はすべて倒され、床に転がった核だけがここにいた脅威を物語っている。
ドルフは大きく崩れたバルコニーを見やる。二階の廊下から張り出したバルコニーは二つあるが、この崩れた方は魔法性結界が不具合を起こしていたらしい。ここの窓を破って造魔獣が侵入してきていた。
なので、ドルフはバルコニーそのものを破壊し、その経路を塞いだのだが……。
「後で怒られるよな、これ……」
やれやれ、と肩をすくめたその時、ドルフの背後に駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「ドルフ様!」
振り向いたドルフの目の前に立っていたのは、メイド長――ダナであった。
戦いが始まると同時に、領主屋敷に勤める使用人たちはすべて屋敷から退避させている。非戦闘員の彼らを逃がす意味もあったが、もう一つ、街の人々の避難誘導に当たらせるためでもあった。
「ご無事で何よりです! 御身が心配で戻って参りました――!」
感極まった様子で、ダナは両腕を開いて抱き着こうと駆け寄ってくる。
そのダナに、ドルフは躊躇なく剣を振り下ろした。
「うぉっと!?」
ダナは、白刃をすんでのところでかわす。不意に口をついて出たその声は、ダナのものではなかった。
「おい、正体を現せ」
突き付けられた切っ先を前に、歪んだ笑みを浮かべたダナの顔が溶けるように落ちた。
「ちっ、何でバレんだよ!」
舌打ちと共に姿を現したのは、白い髪に黒い強膜の女――「オドネルの民」の「欲望の三|姉妹弟」が一人、ベギーアデであった。
「理由は三つだ、『オドネルの民』よ」
フィオ・ダンケルスらの報告と、王城への宣戦布告に現れた者の情報から、ドルフは即座に相手の正体を看破した。
「第一に、お前が化けていたメイド長は自分の仕事をほっぽり出して俺の下に戻ってくるようなヤツじゃない」
第二に、と口にしながらドルフは剣を振りかぶって踏み込む。ベギーアデは左に転がってそれをかわし、投剣を放つ。
「ダナに限らず、我が屋敷の使用人ならば俺を心配するなどあり得ない。みんな、俺の勝利を信じて疑わんからな」
簡単に投剣を叩き落し、ドルフは不敵にほほ笑む。
「そして最後。こういう姑息な真似をしてくる輩がいる、って事前に聞いていたんだよ――ベギーアデとやら」
名を呼ばれて、ベギーアデは憎々しげに吐き捨てる。
「まったく、忌々しいヤツだよアンタ……!」
「そう褒めてくれるなよ」
ニヤリと笑ったドルフに、しかし油断の色は見えない。
「さて、ベギーアデよ。覚悟はいいか? 俺の街を、民の家々を燃やした罪、その生命をもって贖ってもらうぞ!」
突きつけられたその剣は、その宣言通りベギーアデをたやすく斬り裂くだろう。
だが、その白刃を前にして、ベギーアデには焦りは見えなかった。
「やだね。あんたとやり合っちゃ、身がもたない」
だから、とベギーアデが言った時、ドルフは彼女の背後に気配を感じた。
「こいつを相手にしたらどうだい?」
もう一人いたのか! ベギーアデの後ろから現れた影は、稲妻の速さで距離を詰めると、閃く二本の刃を振り下ろした。咄嗟に飛び退らなければ、この一撃でやられていただろう。
速いな。ドルフは内心舌を巻く。炎に照らされた廊下、ベギーアデの前に立つそれはマントとフードで顔を隠している。
「何者だ?」
未知の造魔人がまだいるのか。ドルフは剣を構え直した。
「――私ですよ、ドルフ様」
ゆっくりと、その人物はマントとフードを脱ぎ放つ。
「な……!」
ドルフは大きな目を見開いた。体を覆っていた布、その下から現れたのは、長身に白い鎧をまとった戦士だった。炎に映える色の左目を隠すような長い前髪、その下の整った面立ち、手にした双剣。その姿はまさに……。
「フレディ……!」
10年前に死んだはずの、フレデリック・ダンケルスその人であった。
「お久しぶりです、ドルフ様」
生前と変わらぬ優しい声色で、フレデリックは微笑を浮かべた。
バカな、とドルフはその言葉を飲み込んだ。先程見せた素早い動きは、容姿以上に目の前にいるのがフレデリックであるとドルフに感じさせていたのだ。
「旧友の姿を真似て、俺の精神的動揺を誘おうっていうのか?」
ドルフは湧き上がる感情を抑え込み、ベギーアデをにらむ。
「真似る? そんな必要はないね。こいつは正真正銘、フレデリック・ダンケルスだ」
ベギーアデはフレデリックに腕を絡ませ、抱きつくような仕草を見せる。生前、街に住む子供に向けていた優しい眼差しで、フレデリックはベギーアデの頭を撫でる。
「142勝、143敗、22引き分け」
ポツリとつぶやいて、フレデリックはドルフを見据える。
「覚えておいでですね? あなたと私の対戦成績です」
「……ッッ!」
腕試しと訓練の名目で、ドルフは生前のフレデリックと何度も剣を交えている。その通算戦績を正確に言い当てられれば、さしものドルフも信じざるを得ない。
「私は蘇ったのです。『オドネルの民』の勇者として、『海の神玉』の力で……」
その名の通り、「海の神」の力が込められた「神玉」だ。「海の神」は海底にあるとされる死者の国を司る神でもある。すなわち、その「神玉」であれば死人の蘇りも可能であろう。それを「オドネルの民」が所有しているらしい、という情報はドルフも把握していた。
「私は勇者としての使命を果たさねばなりません。真にこの世を支配すべき『オドネル』の手に、世界を取り戻すのです」
ドルフは太い眉をしかめる。
「フレディ、お前は10年も眠っていたせいで、どうやらひどく寝ぼけちまってるらしい」
身のこなし、技のキレ、「海の神玉」、声音、容姿、記憶、眼差し……。目の前にあるすべての情報が、自分の感覚が、ここにいるのが蘇ったフレデリック・ダンケルス本人だと示している。
「俺の知るお前ならば、こんな連中に従ったりはしない。勇者だなんて祭り上げられたからって、ヤーマディスを燃やそうなんて、間違ったってするものか!」
それをすべて飲み込んで、事実だと判断して――しかしてドルフは意を決める。
「『オドネルの民』などに使われているお前を、これ以上見るに耐えん。故に、全力でお前を海の底へ送り返す!」
ドルフの力強い声が、外の炎に照らされる廊下に響き渡る。
空気を震わせる声を直接向けられたフレデリックは、やれやれと首を横に振った。
「そうでした……。昔から貴方は、私の言うことなど聞いてくれない方でしたね」
「そうだとも。俺はいつだって、この国に仇なすものには容赦せん! それが、かつての友だったとしても変わらんさ!」
いいえ、とまたフレデリックは首を振った。
「圧倒的に変わってしまわれました」
「何だと……?」
「衰えです」
フレデリックがため息のようにそう言った時だった。
ドルフの両腕両脚に鋭い痛みが走ったのは。
「ぬぅ……!?」
両上腕と腿の辺りから鮮血が吹き出し、ドルフは剣を取り落とし膝をついた。
「おや、斬り落としたつもりでしたが……。体は相変わらず丈夫ですね」
「な、何をした……?」
ドルフを見下ろすフレデリックの目は――見たことがないくらいに冷たい色をしていた。
「『ゴッコーズ』……」
「な、に……?」
異世界人にしか身につかないはずの神の力を、何故フレデリックが……? 勇者の血を引いているからか……?
それを考える暇はなかった。
「さようなら、ドルフ様」
フレデリックは双剣を一度納刀し、すぐさま抜き放つ。
雷獣咬合断。放電する刀身がバツ字に交差し、ドルフの体を斬り裂いた。
「これで対戦成績は五分……」
しかし、と双剣を鞘に納め、フレデリックは歳の離れた友の仰向けに倒れた骸を見下ろす。
「最後は、生き残った私の勝ちです」
剣を振り抜く時も斬り裂いた時も、今も。その眼差しの温度は酷薄なまま変わらなかった。
「やったな、フレディ!」
大袈裟に飛び跳ねて喜ぶベギーアデに苦笑し、フレデリックは廊下の柱、その内の一本に目を向けた。
「いるんだろう、カーヤ……」
そう呼びかけられ、少し逡巡するような間の後、くすんだ金髪の女が青い顔をして柱の陰から姿を見せた。
「ふ、フレディ……」
揺れる茶の瞳を見つめ、ゆっくりとフレデリックは彼女に――カーヤに近づく。
「一部始終を見ていたね?」
フレデリックの言葉通りであった。光の見えない道を選んで領主屋敷へやってきたカーヤは、メイドに化けたベギーアデがドルフに抱きつくところから今の今まで、ずっとこの柱の陰で見ていた。
本当は助けに来たのに、足が動かない。このフレデリックを前にしたせいだろうか。
もし彼が蘇ったなら、どんな状況であっても駆け寄って抱きしめたい。そう思っていたはずなのに――。
それどころか今や彼そのものが、光の届かない真の暗黒の化身のようにすら見えていた。
フレデリックが手を伸べると、カーヤはびくりと体を震わせた。後ずさろうとして腰が抜け、尻餅をついた彼女に、フレデリックはしゃがんで優しい口調で続ける。
「ここで見たことを余さず伝えてくれ、カーヤ。私の愚かでかわいい妹に――」
できるね、と微笑まれ、カーヤはほとんど自動的にうなずいていた。
「いい子だ、カーヤ。君はよく私の言うことを聞いてくれたものね……」
「なあ、フレディ。もう用はないだろ? 行こうぜ」
転移魔法の込められた黒い硬貨を手に、ベギーアデはフレデリックを急かす。
「そうだね。戻ろうか、私たちの家へ」
闇の煙の向こうへ去って行く彼を、カーヤはまた呼び止めることができなかった。
火災が照らす暗い廊下の中で、ドルフの遺体と共に、カーヤは静かに涙を流すばかりだった。




