13.鏡映しの霧
目指す「ボクスルート山地」は、王都から13マルン(※1マルン=約1.5キロ、13マルンは約20キロ)程離れている。アドイックの城門を出たザゴスとフィオは、湯治場に向かう乗合馬車を使い、街道を東に向かった。
魔獣の被害で湯治客が減っているというのは本当らしく、10人以上が乗れるはずの馬車にはザゴスとフィオしか乗っていない。
「思ったより事態は深刻らしいな」
時折縦に激しく揺れる馬車の中で、フィオはそう口にする。
「狭っ苦しいぜ……揺れるしよ……」
首を縮め、何とか馬車の中に納まっているザゴスは、少し顔色が蒼い。酔ったのかもしれない。
「こんな縮こまってまで温泉に浸かりに行くなんて、俺にゃ信じらんねえぜ……」
「みんな貴殿ほど大柄ではないからな」
アドニス王国では、強化魔法を受けた馬を使った馬車が主流である。普通の馬車が1刻(※1刻は120分)で平均8マルン(※約12キロ、時速6キロ)走るのに対し、アドニス王国のものは10人乗りでも1刻平均15マルン(※約22.5キロ、時速11キロ以上)は出る。
1刻ほどで、馬車は何事もなく温泉街に到着した。
「銀の狐亭」はレンガ造りの四階建てで、周辺の温泉宿に比べると一つ飛び抜けて規模が大きい。加えて、最も「ボクスルート山地」へ入る山道に近い宿でもあった。
宿屋の前は道が均されており、丸いロータリー状になっている。ロータリーの中心にはヒロキ・ヤマダの像が建っていた。ここでの彼は「勇者」ではなく「湯治の開祖」とされており、よく知られた剣と盾を携え鎧兜に身を包んだものではなく、「ハッピ」と呼ばれる簡易な上着を羽織り桶を小脇に抱えた姿の銅像であるが。
ポーチで馬車を降り、玄関前にいたドアマンに「クエストチケット」を見せると、彼はすぐに奥へ走って行った。程なくして、支配人の男が顔を出す。狐にしちゃ丸い顔だな、とザゴスは内心でつぶやいた。
「遠いところ御足労いただき、ありがとうございます」
二人をロビーに通し、恭しくというより慇懃無礼に感じる所作で、丸顔の支配人は頭を下げる。
「我が『銀の狐亭』にも護衛の戦士はいますが、なにぶん魔獣は数が多く、対応は追いつかずで……。客足は遠のく一方ですし、ほとほと困っておりまして……」
「心中お察しいたします」
支配人への応対はフィオに任せ、ザゴスは広いロビーを見回す。普段がどれほど賑わっているのかは知らないが、確かに人影はまばらだ。
「宿の周囲は、我が宿の護衛たちが警護しております。冒険者のみなさんは、山にいる魔獣を叩いていただきたい」
既に、アドイックから来た何組かのパーティが山に入っているという。
「わかりました。行くぞ、ザゴス。山狩りだ」
「おう。まあ、大船に乗ったつもりで待ってろや」
二人は宿を出て、山道へと向かった。
霧が出てきやがったか。ザゴスは白んでいく周囲の様子を見て、舌打ちした。
ザゴスとフィオは「ボクスルート山」の5合目に差し掛かっていた。木の生い茂った山道から景色は変わり、ごつごつした岩場が目立つ。
ふもとの辺りでは宿の雇った戦士たちが追い散らしたのか、魔獣の姿を見かけることは少なかった。しかし、登るにつれて遭遇する数が増えている。
魔獣の種類はサルに似たものが多かった。この種は知能が高く、魔法を使うものもいる。魔法の才能のないザゴスにとっては、噴飯ものの相手だ。
それにしてもフィオは頼りになる。ザゴスは自分のすぐ後ろを歩く、新たなパーティメンバーのことを思う。クサンやイーフェスと組んでいた時とは、また一味違う感覚だ。
探索士のクサンは、やはり戦力として一歩劣る。イーフェスは魔法の腕はいいが、白兵戦が心もとない。どちらも戦闘となればザゴスのフォローは欠かせなかった。
一方、魔法剣士であるフィオにその必要は少ない。前の二人が「助け合う仲間」ならば、フィオは「背中を預けられる相棒」といったところか。
霧は1歩進むごとに濃くなっていくかのようだった。戦闘は楽ではあるが、こういう場面に探索士の不在は痛い。
「離れんなよ。魔獣よりも遭難の方がきちぃ」
歩きながらそう声をかけたが、返事はない。
「おい、フィオ?」
呼びかけるがそれでも答えは返ってこない。
足を止め振り返ると、そこにはただ白いガスが広がるばかりだった。
はぐれたか。ザゴスは歯噛みする。ふもとはよく晴れていた。山の天気は変わりやすいとはいえ、霧がここまで濃くなるとは、想定外だ。
鼻腔をひくつかせ、ザゴスは「まじぃな」とつぶやいた。
ただの霧ではないようだ。濃くなってきてからわかるが、頭の天辺がひりつくこの感覚、魔法だ。
そう言えば、クサンから聞いたことがある。この「ボクスルート山地」には、霧状の魔獣がいると……。
「ザゴス」
背後から声が聞こえる。反響を伴っているが、フィオのものだ。
「テメェ、そっちにいやがっ……!」
違和感を覚え、ザゴスは振り向きざま咄嗟に得物を抜いた。斧の刃が、突き出された2本の剣を受け止めた。
「何しやがる!」
「ザゴス、ザゴス、ザゴス……」
名前ばかりをつぶやいて、フィオは剣を振り回す。
操られている? いや、違う。こいつこそ、クサンが言っていた魔獣だ。
「退けや!」
ザゴスは斧でフィオの体を薙いだ。水面のようにその姿は揺れて、ガスの中に霧散する。
やはり、カガミウツシか。
霧状の身体を持ち、吸い込んだものに幻覚を見せるという魔獣だ。映し出す幻覚が、必ず左右が逆になるためその名がついた。
「ザゴス」「ザゴス」「ザゴス」「ザゴス……」
ガスが揺らめき、フィオが無数に現れた。
なるほど、確かに鏡像だ。フィオは長い前髪で左目が隠れているが、現れた幻はみんなそれが右側だった。
「キザな前髪も、役に立つ時があるもんだな……」
ザゴスは斧を構える。幻をいくら振り払っても、カガミウツシ本体には届かない。それはわかっているが……。
「くっ!」
鏡像のフィオの繰り出す剣は、大した鋭さではない。型も無茶苦茶で雷の魔法も使ってこない。しかし、斬られれば傷を負うし血も流れる。カガミウツシの魔法を含んだ霧を吸い込むと、幻覚の攻撃を現実のものと誤認してしまうためだ。
攻撃を当てて形を崩せば消えるが、また別の鏡像が現れる。本体を叩かねば。ザゴスは襲いくる鏡像を、斧を振り回してかき消す。
クサンは確か、霧の中心に「核」とも呼ぶべき部分があり、それを攻撃すればいいとか言っていたか。
(ま、力ばっかのお前じゃ無理だがな。魔法とか浄化、それか魔除けの力でもなきゃ――)
あの野郎、思い出しても憎まれ口ばっかりだ。
それはともかく、今はフィオと合流するしかない。霧を吸い込み過ぎたせいか、どれが幻覚でどれが生き物の気配か、判別がつき辛い。
本物はどこにいやがる……!?
鏡像のフィオを薙ぎ払いながら、幻覚の中に左目を隠したそれが紛れていないかを探す。
その時、ザゴスの右前方、鏡像と鏡像の間からこちらに迫ってくる影が目に入った。剣を振り上げたその影は、鏡像をかき消しながら、一直線に突っ込んでくる。
「のわっ!?」
咄嗟に斧でザゴスはその身をかばう。だが、剣は振り下ろされる直前で止まった。互いにその顔を見て、同時に驚きの声を上げた。
「ザゴス殿!?」
「カタリナ!」
昨日、「ニギブの森」で出会った女剣士だ。
「これは重畳、幻ではないようだ」
カタリナはその身を反転させ、剣を構え直した。




