121.爪痕
一方、エッタ、スヴェン、クロエの三人は北の「白の門」からヤーマディスの街の中へ入っていた。
「白の門」から続く「白雪通り」も酷い有様であった。瓦礫の山や焦げ跡といった火災の痕跡に加えて、「烏羽通り」に比べると、より魔獣の被害が大きいようだ。
転がった造魔獣の核や足跡といった魔獣の痕跡は、西の方へ続いている。
「やはり、ブキミノヨルが使われたようですね」
スヴェンはねじくれた黒い角を拾い上げる。
「それも改良型のようです」
「わかるんですか?」
エッタの問いにスヴェンはうなずく。エッタは門をくぐる頃にはどうにか自力で立てるようになっていた。
「サイラス師の帳面では、『ブキミノアンヤ』という名前で書かれていました。そこの足跡が証拠です」
石畳が崩れ、露出した地面に残ったそれをスヴェンは指差した。
「飛行能力をなくし、陸上での戦闘に特化した形です。力が強く、白兵戦を得意としています」
十中八九「オドネルの民」にサイラス師が提供したのでしょう、とそこまで言って、スヴェンはエッタの表情が一層暗くなっていることに気付く。
「あ、失礼しました……!」
謝るスヴェンに、エッタは「いえいえ」と手を振った。
「やっぱりお義父さまは、深く『オドネルの民』に関与していたのですね……」
バックストリアでの一件以降、エッタが「オドネルの民」の事件に関わる目的は、サイラス師の真意を探ることである。
しかし、こうして義父の造ったものが、自分の第二の故郷とも言うべきヤーマディスを滅茶苦茶にしたという事実を思い知らされると、打ちのめされるような気持ちになる。
「少し、休みますか?」
「いえ、このまま西へ向かいましょう」
気遣わしげなスヴェンの言葉を、エッタは敢えて打ち消した。
「北西の『黄金通り』に冒険者ギルドがあります。事情が聞けるかもしれませんわ」
「そうですね、ではこのまま行けばよろしいので?」
はい、と応じて歩き出すエッタの声は、やけに明るいように聞こえる。自分を奮い立たせているのだろうか。
二人のやりとりを静観していたクロエは、フードを深くかぶり直しその後に続いた。
造魔獣の破壊と痕跡は、何かに導かれるようにまっすぐ「黄金通り」へ続いていた。
その「黄金通り」も酷い有様であった。特に通りの石畳の荒れ方が激しい。ここで激戦が行われたことが察せられる。
全焼や全壊した建物は少ないが、そんな中でも冒険者ギルドの無傷ぶりは異常にも映る。
「おや、あれは何でしょう?」
スヴェンはギルドの建物の傍に積まれた石の塊を指差す。
「はて、あんなものありましたっけ……?」
石像の手足が山と積まれたその一角を見て、エッタは首をかしげる。壊されたものだろうか。そんなにこの「黄金通り」に石像が立っていた記憶はないのだが……。
と、そこに冒険者ギルドの扉が開き、大柄な男が姿を見せた。
「ヘンリエッタ……」
「あら、コンラートじゃないですか」
知った顔を見て、エッタの表情も少し緩む。
「無事だったんですね」
明るく響いた声音にコンラートは口ごもった。
「無事とは言えない……」
俯いた大男の様子に、エッタは不穏なものを感じる。
「どういう、ことです?」
そう問われて、コンラートは絞り出すように言った。
「みんな、死んで、しまった……」
「……え?」
ちょっと意味が理解できない、と言うような様子で、エッタは少し笑ったような顔になる。
「いやいやいやいや、みんな死んだってあなた、みんながみんな死んだって、こと、です、か……?」
うなだれたままのコンラートを見たエッタの表情には、大きな影が落ちていくようだった。
「生き残りは、少ない……」
守れなかった……。コンラートの握りしめた拳の内側から、ぽたりと血が石畳の上に落ちた。
「ば、バルトロさんは……?」
エッタは「口うるさい」と敬遠しながらも、内心魔道の先達として敬意を持っていた「賢者」の名を呼んだ。
「死んだ……」
「クィントは……?」
お調子者で生活態度はだらしないが、自分を鍛え強さを追い求めることをやめない「魔拳士」の名を呼んだ。
「死んだ……」
「ユリアや、ラナちゃんも……?」
不器用で物騒で無愛想だがぶれない信念を持つ「血化粧の剣鬼」と、その相棒で心優しい治癒士の名を呼んだ。
コンラートは静かに首を横に振る。
「なら、ロイドやパティちゃん、マークスさんとか、エフタさんは?」
「賢者」の盾としてその腕を振るっていた実直な戦士の、ドースタムのスラムから見出されたはしっこい少女の、一見優男だが抜け目のない戦士の、小柄だが力が強く豪放な性格の戦士の名を呼んだ。
「ルーサーさんやビクトル、フィルくんは……?」
理屈っぽくも面倒見のいい魔道士の、情に厚く熱血漢の魔道士の、才能豊かな少年魔道士の名を呼んだ。
「キトリや、ノエル、オリヴィアさんも……?」
少し照れ屋で可愛らしいものが好きな魔道士の、普段は気怠げだが時に鋭いところを見せる魔道士の、ヤーマディスで一番の治癒士と言われる心優しい回復魔法の使い手の名を呼んだ。
「死んで、しまった……」
誰の名を呼んでも、帰ってくるのはその答えだけだった。
「主だった冒険者で、生き残っているのは、俺とブレントくらいだ……」
「ウソ、でしょ……?」
腰が抜けたように、エッタはふらふらとへたり込んだ。
「エッタさん、気を確かに!」
スヴェンが声をかけるが、エッタはそちらを見ることもできない。焦点の定まらない目で震えている。
「コンラートくん、どうした?」
外の話が聞こえたのだろうか、そこでまたギルドの扉が開き、戦士風の男が顔を見せる。
彼は座り込むエッタと、駆け寄ったスヴェン、俯くコンラートと、それらから一歩引いた場所にいるクロエを見回した。
「君たちは?」
「僕はスヴェン・エクセライと申します」
意外や、すんなりとスヴェンは素性を明かして続ける。
「『ニュース』の記事でお顔をお見かけしました。あなたは、バジル・フォルマースですね?」
「そうだが」とその戦士――バジルは認めた。
「アドイックの冒険者であるあなたが、何故ヤーマディスに?」
「『クエスト』だ。さる男を、フィオ・ダンケルスと会わせるという依頼でな」
馬車が止まっているので徒歩でここまでやってきたこと、昨夜襲撃の最中にたどり着いたことを付け加える。
「拠点であるヤーマディスまで案内してきたのだが、こんな状況だろう? 手も足りないようなので手伝っているのだ」
ところで、とバジルはスヴェンを見据える。
「スヴェン・エクセライ。グレースから名は聞いている。バックストリアの事件では活躍していたそうじゃないか」
「ええ、グレースさんもこちらに?」
うなずいて、バジルは尋ね返した。
「エクセライ家の君が何故ここに? フィオくんたちも一緒なのか?」
「はい。僕たちはデミトリ師の依頼でアドイックに向かうところでした。フィオさんたちとは途上で出会い、共に向かうところだったのです」
エクセライ家の秘匿事項である転送魔法の話は避け、スヴェンは最低限の情報だけを抜き出して応えた。
「『オドネルの民』ならば、直接アドイックを狙うかと推測していたのですが、まさかこんなことになるとは……」
スヴェンは未だ座り込んだままのエッタに、気遣うような視線を送る。
そこへ、新たな人影が駆け込んできた。
「た、大変だ!」
探索士のジェイであった。昨夜、街中を駆けずり回っていた彼は、今も他の生き残った探索士たちと連携し、街中で生存者を探すなど、救助に当たっている。
「ジェイくん、どうした?」
「領主屋敷の辺りにたくさんの魔獣が……」
「何だと!?」
ギルド前の空気がにわかに緊迫する。コンラートは険しい顔を上げ、バジルの視線は鋭くなり、スヴェンは表情を固くする。クロエだけは関心なさそうな態度を崩さず、腕を組んでいる。
その中で、座り込んでいたエッタが立ち上がった。
「エッタさん?」
スヴェンの呼びかけに応じず、エッタは領主屋敷の方角へまっすぐに走り出した。
「待て、エッタ!」
コンラートが呼び止めるも振り返らない。どんどんその後姿が小さくなっていく。
「エッタ、帰ってきたのか?」
「ああ……」
「危険だな……。彼女は冷静さを欠いているように見えた」
言ってバジルとコンラートは顔を見合わせうなずき合う。
「バジル、すまない……」
「わかっている。元より行くつもりだ」
戦士二人のやり取りを傍目に、スヴェンは我関せずといった態度のクロエに向き直る。
「あなたも行ってもらえますか?」
「ええ!? わたしですか!?」
急に声を掛けられたせいなのか、クロエは妙に高い声で、普段からは考えにくいきゃぴっとした反応を見せる。スヴェンもさすがに面食らった。
「彼女も戦えるのか?」
「ええ、僕の従者ですが、足手まといにはならないぐらいには戦えます……」
応じるスヴェンに、クロエが顔を寄せる。
「おい、わたしは貴様の従者などではないぞ!」
小さく、いつも通りの低めの声で抗議した。
「じゃあ死刑囚とでも言っておきますか?」
クロエは舌打ちをする。
「行ってもらえますね?」
「しょうがない。手のかかるやつだ……」
「ちなみに、さっきの返事は何ですか? 急に声が高くなって口調が変わる……」
「よそ行きのわたしだ」
「あ、はあ……」
半ば呆れたようなスヴェンに、クロエはまたよそ行きの自分を取り出す。
「では、行ってまいりますスヴェンさま! バジルさま、参りましょう!」
「うむ、頼りにしているよクロエくん」
「ええ、頑張ってください」
二人を見送って、スヴェンは「さて……」と残されたコンラートとジェイを見やる。
「コンラートさん、でしたね?」
「ああ……」
「襲撃の時にあなたも戦っておられたので?」
うなずいたコンラートに、スヴェンは重ねて尋ねる。
「その時のこと、詳しく教えていただけませんか?」




