116.炎上都市(6)
「オドネルの民」の攻撃を受け、燃えるヤーマディスの街。その中で、襲い来る魔獣の群れと戦っていた冒険者らの前に、最大の障害が立ち塞がっていた。
巨大造魔獣・ヒカリノムフチ。
硬質な鱗に覆われた頭部と半液状の下半身、そして何百本もの触腕を持つ異形の魔獣だ。
古代の「邪法」である石化の霧を常に吐き出し近づくことは難しい。その身は常に万能魔法結界極光紗羅に守られている。大樹か巨岩のように聳えるそれは移動できないが、逃げるものにはその長く素早い触腕で攻撃する。
冒険者らのいる「黄金通り」、その脱出路である「金の門」の前に陣取って、彼らに絶望的な持久戦を強いていた。
状況はいよいよ窮まってきている。バルトロは眉間のシワを深くする。
石化の霧に対しては、治癒士たちが集まって結界を張り対応している。この防御壁もいつまで保つのか定かではない。その上――。
「また来たぞ!」
「治癒士を守れ!」
結界が石化を妨げていることに気付いたのだろう、ヒカリノムフチは触腕による攻撃を始めていた。素早く力の強いそれらから、戦士や衛兵たちが文字通り体を張って治癒士たちを守っている。
幸い触腕には極光紗羅はかかっておらず、魔法は通用している。だが、それらをすべて吹き飛ばすのは不可能に思えた。
「クッ……。こんなもの、どうやって倒しゃいいんだよ!」
「バルトロ師! 何か策はないか!?」
極光紗羅はガンドール家の遺産だ。当然、バルトロは破り方を知っている。この場にいる者たちで、それを迅速に実行する方法も思いついている。
だが、それをやれるかと言えば別の話だ。
「知っているのなら言ってくれ」
「何かしなくちゃよぉ、ジリ貧だぜ!」
「このまま何もせずにいたってどうしようもないでしょ」
「頼みます、バルトロ師。どんな策でも、あなたの言うことならば皆従いましょう」
コンラートが、エフタとマークスが、ロイドが、触腕を迎え撃ち打ち払いながら、バルトロに指示を仰いだ。
「極光紗羅は……」
逡巡しつつ、バルトロは重い口を開く。
「表面に浮かぶ属性が、絶えず揺らめいて変化する。表出した属性と相反する属性をぶつけていけば壊せるはずだ……」
そう語りながら、バルトロは「七色の魔道士」の不在を嘆く。七つの属性を矢継ぎ早に放てる彼女がいれば、極光紗羅も簡単に破れたはずだ。
だが、今は……。
足元の緑の霧と、頭上の赤い炎。その狭間に立つ冒険者たちの中から彼を――この計画を実行できる男の顔を見つけて、しかしバルトロは目を逸らした。
「何だよ、簡単じゃねえか……!」
その男は――クィントは不敵な笑みを浮かべた。
「俺に七種類、強化魔法をかけてくれりゃ、あんな結界すぐに殴り潰してきてやるぜ!」
「いや、だがそれは――」
言いかけたブレントの肩をつかみ、コンラートは静かに首を振った。
徒手空拳で戦うクィントがヒカリノムフチと戦うには、言うまでもなく治癒士たちが張った結界から出ねばならない。クィントが極光紗羅を破りにいくとは、石化の霧の中に飛び出して行くことに他ならない。
死ぬ気か、クィントよ。
しかし、バルトロもそれは口に出せなかった。クィント自身が、一番わかっていることだ。
その覚悟を買わねばならない。
「……頼んだぞ」
任せとけ、とクィントはまた笑った。気にするなよ、と言っているような、どこか気遣わしげな笑みであった。
「俺が切り開いてやる。だから、絶対倒せよな!」
言い置いて、クィントは結界を飛び出した。走りながら両手の平を広げる。人差し指と中指、薬指と小指をそれぞれくっつけた独特の指の形だ。
「結界、少し緩めます! クィントくんを援護する魔道士以外は下がって!」
オリヴィエの言葉を合図に、魔道士たちが前を行くクィントに強化魔法をかけていく。
「頼むぞ、炎招来!」
「氷招来」
クィントの左右の拳の小指側が、炎と氷の強化魔法をまとう。
「吸招来」
「光招来」
今度は拳の親指側に光が注いだ。これで左右に二つずつ、合計四つの属性をクィントはまとったことになる。
彼が四肢に別々の属性を宿せるのは生まれながらの体質だ。冒険者になってからそれを磨き、修行の末に拳に半分ずつ別々の属性を宿せるようになっていた。あの特徴的な指の形は、二つの属性を受け入れる予備動作である。
「疾風馳夫!」
「草原走鳥……!」
右足に風を、左足に大地の力を受けてクィントは加速する。
「最後、闇招来」
七属性目をまとい、クィントは巨大魔獣へ足を急がせた。
「行くぜ!」
石化の霧の中を真っ直ぐに駆けるクィントに、ヒカリノムフチが触腕を向けた。
「やらせるか! ビクトル!」
「ああ、準備は終わっている!」
結界の効果範囲の端に立った二人が渾身の攻撃を仕掛ける。
「旋風突破!」
「紅玉爆炎弾!」
螺旋に回転する風の刃と強烈な爆炎が触腕を吹き飛ばし道を切り開いた。
「援護ありがとよ!」
触腕をかいくぐり、瓦礫を飛び越して、クィントは揺らめく見えない壁――極光紗羅まで到達する。
油の浮いた水面のように、その表面には様々な色が現れては消え、波打っていた。
表出した色の属性と、相反するものをぶつける。バルトロの言葉を反芻し、クィントは拳を構えた。
「まずはこいつだ、徴収拳打!」
癒属性は相反属性を持たないため同属性をぶつける、とバルトロから事前に聞いていた。属性の色を見極め、クィントが右拳を叩き込むと見えない壁が大きく揺らぐ。
極光紗羅の揺らぎは、離れたところにいる冒険者たちにも伝わる。
「これは……!」
「いけるぞ……!」
クィントも手応えを感じていた。右拳に見えない何かを割った感触が伝わっていた。
「次だ! 竜巻連脚!」
土属性の橙色に、右足の風属性を解放した連続蹴りを見舞う。
これも割った、次だ! クィントは大きく飛び退ると助走をつけ、風属性の緑へと左足で飛び蹴りを放った。
「金剛震脚!」
重い飛び蹴りに、極光紗羅の表面が激しく震えた。
これで三色片付けた……! 拳を構え直しながらクィントは体が重くなってきているのを感じていた。
強化魔法は微弱だが魔法への耐性を上げる。そのお陰でパティのようにすぐに石化せずに済んでいる。だが、それも時間の問題であろう。
|それまでにこの壁を破らねば《・・・・・・・・・・・・・》。
極光紗羅さえ破れれば、自分の身などどうなっても構わない。これさえ破れば、仲間たちが勝利を掴むのだ。それは、分の悪い賭けじゃない。
「氷襲手刀雨!」
炎属性の赤への左手刀の嵐。割れたと見るや、すぐさま右手を構える。
「火炎手刀乱!」
水属性の青への右の手刀の乱れ打ち。重たい感覚は腰のあたりまで上がってきていた。
「まだまだぁ!」
それを振り払うように、クィントは叫んだ。左の拳を握りしめ、引き絞るような構えをとる。
「閃光連打拳!」
闇属性の黒へ放たれる、高速の左拳打。揺らめく色を追いかけて、正確に打ち込まれていく。
「が、く……!」
魔法拳を放つたび、強化魔法は解き放たれクィントの体から抜けていく。それは石化の加速も意味していた。腰から駆けあがってきた灰色の呪いは、今や肩から上腕へと達しようとしていた。
最早蹴りどころか突きも放てない。だが、最後の一属性は腕にも足にも宿ってはいなかった。
「……こいつで終わりだ!」
まだ自由の利く背中を反らせ、クィントは今や一色となった極光沙羅目掛けてその頭を振り下ろした。
「暗天中殺槌!」
クィントの頭突きの一撃は、見えない壁に大きな亀裂を走らせた。遠目からも見えたそのひびは壁全体に広がり、大きな音を立てて砕け散った。
極光沙羅の破壊を、しかしその立役者であるクィントは目にすることはできなかった。頭突きを放った姿勢のまま、灰色の石像と化していたから。
下を向いたその表情をうかがい知ることはできなかったが――静かに笑っていた。
「極光沙羅の破壊を確認!」
「魔道士、攻撃班は前に出ろ! 戦士は突撃待機! 治癒士は結界を緩める時機を見誤るなよ!」
ロイドが手早く指示を飛ばし、冒険者らは事前に打ち合わせた通りに動き出す。
それを見守りながら、バルトロは心の中でつぶやく。
クィントよ、よくやった。
ドルフの引退以降、見込みのある若手とパーティを組み後進の育成に努め、実に30人以上の冒険者を育ててきたバルトロが、歴代の「教え子」たちの中で最も「才覚がある」としていたのが、クィントであった。
強化魔法を属性ごとに蓄えられる天性の体質もさることながら、バルトロが最も評価したのはその負けん気の強さと向上心だった。長所を活かし伸ばし、自ら先へ進もうとする探究心、それこそが冒険者として大切なことだとバルトロは考えていたから。
だが、その歩みもここで止まった。大勢を生き残らせるために、止めるしかなかった。ならばせめて、その続く先は生き残った者たちで刻んで行かねばなるまい。
「バルトロ師……!」
と、そこで治癒士のオリヴィアが声を掛けてくる。
「どうした?」
「石化の霧が、弱まってきているんです」
最前線で結界を張り続けていたオリヴィアは、不安げな口調であった。それに引っ掛かりを感じたバルトロは「詳しい話を」と続きを促す。
「極光沙羅をクィントくんが殴るたびに、霧が薄まってきたんです。それも、何ていうか潮が引いていくかのように……」
他の治癒士には、霧が薄まっていくのはクィントの活躍のためだと言われたが、「どうしても気になって」とオリヴィアは細い眉をしかめた。
「バルトロ、俺も気になることがある」
二人の会話が聞こえたのだろう、コンラートが近づいてきた。
「触腕の攻撃がさっきから止んでいる」
見ろ、とコンラートがヒカリノムフチを指した。錬魔を行う魔道士たちの向こうで、巨大な造魔獣が自らの体に触腕をしまっているところだった。
「コンラート、何をしている。魔道士たちの攻撃の後、すぐ突撃するのだぞ」
「待て、ブレント。嫌な予感がする」
潮が引くように霧が薄まっていく。触腕を体の中にしまう。
それはつまり、外に出していた力をすべて自分の体に戻しているということではないだろうか。となると、その次の行動は――。
「いかん、下がれ、下がれぇ!」
バルトロが声を上げたのと同時だった。
ヒカリノムフチの嘴状突起から強烈な暗緑色の光が発せられたのは。
不気味な光が「黄金通り」を照らし、闇夜に瞬いた。




