110.長い夜の始まり
スヴェンの研究棟の地下一階、「転送の祠」周辺の魔素状況を観測する部屋に、一行は集まっていた。
「転送の祠」には、バックストリアにある「エクセライの研究塔」と同じく、周辺の魔素状況を観測する機能が備わっている。その情報は転送魔法の応用で随時「集積場」へと送られており、研究塔にいながらにしてアドニス王国中の魔素状況を把握することができるのだ。
「これは……。前例がないほどの急速な魔素枯渇ですね……」
観測部屋の壁の一角には16枚の魔鏡が貼られており、そこに各地の魔素状況が映し出されている。
魔素の濃い部分は赤く、薄い部分は青く表示されるのだが、ヤーマディスの状況を映し出す魔鏡だけが、画面全体が真っ青であった。他の15枚と見比べれば異常な状態だとザゴスにもわかった。
「かなりの大魔法が準備されているようですが……。映像とかないんですか?」
「さすがにそこまでは……」
スヴェンは後ろ頭をかいた。
「ここはどうなっている?」
クロエが魔鏡の一点を指した。よく見ると、真っ青な画面の中、小さな赤い点がともっている。
「ここに魔素が集中しているってことですか?」
「そうなりますね。ここに恐らく、魔素を集めている犯人がいるのでしょう」
「誰なんだよ、そいつは?」
「十中八九、『オドネルの民』だろ」
ザゴスの問いにテオバルトがそう応じた。
「何の魔法かとかわかんねぇのか?」
「そこまでは無理だな。よっぽど魔素を大量消費する魔法だとは思うが……」
「ならば我々で確かめに行けばいい」
魔鏡をにらんでいたフィオはスヴェンの方を振り向く。
「スヴェン、ヤーマディスまで転送してくれ」
「すみません、今はできません」
転送魔法には膨大な魔素が必要になる。枯渇を起こさないように、大気中からの魔素の取り込みは穏やかに行われている。そのこともあって、転送は一日に一度が限度であった。
「現状、転送装置内の残留魔素は9分ってとこだ」
テオバルトが部屋の片隅の制御盤を確認する。
「今から魔素の取り込みを加速させても、転送可能になるのは明け方頃でしょう」
「そんなには待てんぞ」
フィオの声には焦りがうかがえた。
「ボク一人でも行こう。一人分なら魔素は少なくて済むんじゃないのか?」
「四、五人程度なら、一人と大して変わりません。それに一人だけ先に送っても、後続を送れるようになるまで、また一日待つことになります」
「だったら――!」
「徒歩や造魔獣ですか? どちらもそれ以上はかかります」
先回りされたフィオは、ばつ悪そうに息を一つ吐いた。
「今、一番速いのが待つことなんです」
「おい、見ろ!」
クロエが魔鏡を指し、全員の視線が再びそちらに集まる。
「あの赤い点の辺りから……、何だこれは?」
先ほどクロエの指した点の辺りに赤みがかった楕円形がいくつも現れ、青い画面をまっすぐに進んでいく。まるで群れをなして泳ぐ魚のようだった。
「この円は魔獣の反応……」
なるほど転送か、とスヴェンは珍しく舌打ちした。
「転送? つまり魔素枯渇の原因は転送魔法を使ったからということですか?」
「恐らくは。そしてこの魔獣はどこかで生産していた造魔獣でしょう」
「こいつらの向かってる先って……」
魔鏡には簡易な地図も合わせて表示されている。赤みがかった楕円の群れは、程近いところにある白い線で描かれた大きな円へとまっすぐ向かっていた。
「ヤーマディスです……」
「この赤さ、この数……。まずいんじゃないか?」
魔鏡状に現れた色は、赤みが強ければ強いほどたくさんの魔素を含んでいる。すなわち、この赤い楕円は相当強い魔獣であることを示している。
「ヤーマディスを、墜としに来たということか……」
クロエは拳を握った。自分の街、マッコイのことを思い出しているのだろう。
「スヴェン、魔素の充填は急げないのか?」
「やってみましょう。テオバルトさん、手伝ってください」
スヴェンはうなずき、指示を受けてテオバルトも立ち上がる。
「魔素の吸収速度をなるたけ上げてみます」
「ボクらに手伝えることはないか?」
「休んでいてください。大きな戦いになるかもしれない」
そう言い置いて、スヴェンはテオバルトを伴って部屋を出て行った。
「だ、そうだ。わたしは自室で寝てくる。転送の準備が整ったら起こしてくれ」
二人に続いてクロエも部屋を出て行った。
「フィオ……」
険しい表情を浮かべるその横顔に、ザゴスは声をかける。今にも走っていきそうな気がして、その肩に手を置いた。
「わかっている……」
ザゴスの大きな手に触れて、フィオはまた長い息を吐いた。
「バルトロさんやみんながいます。今は信じて、充填を待ちましょう」
「そうだな……」
自分自身にも言い聞かせるようなエッタの言葉に、フィオは目を伏せてうなずいた。
◆ ◇ ◆
その夜、ヤーマディス北東の丘陵地帯に蠢くいくつもの人影があった。
街道が封鎖されている中、彼らはこの場所へ痩せた馬に引かせた荷車で乗り付けた。いずれも堅気には見えない、人相の悪い男たちであった。
それこそ山賊のような男たちは、荷台から何かの装置を下ろすと丘の上へと運び込んでいた。
「急げ! 人通りのない時間とはいえ、万一のことはある」
厳つい男の一団を指揮するのは、やはり同じようなご面相の大男であった。
「お頭、終わりました!」
やがて、7シャト(※約2.1メートル)ほどの高さの円筒状の装置が8台、丘の上に一定の間隔で並べられた。
「よし、お前らもう帰っていいぞ」
お頭と呼ばれた大男は、部下たちを睥睨して言った。
「で、これはなんなんです?」
部下の一人がお頭に尋ねる。
「何でもいいだろうが! とっとと行け。俺は金を受け取ってから戻る」
「そうだ、余計な詮索すんな! 前金もらってるだろ!」
ほら帰るぞ、と一団の副首領的な立場であろう男が、部下たちを荷車へと追いやった。
部下たちが去った後、お頭は丘の下に呼びかけた。
「いいぞ、上がってこい」
声を合図に、一人の男が丘の上へと歩いてきた。外套を着こみ、顔には白い仮面をつけている。その肩には、荒縄で縛られ猿轡を噛まされた、大きな逞しい男を担いでいた。
仮面の男が肩の「荷物」を投げおろした。痛みに低く呻いたその顔は、丘の上にいたお頭とまったく同じ顔であった。
「よーお、お頭ァ」
丘の上にいたお頭が、縛られたお頭を見下ろして、女の声で言った。自分を見下ろす自分を見上げて、お頭は目を白黒させる。
「あんたの部下はきっちり働いてくれたよ。ま、ちゃんと金は払ってやるから安心しな」
そう言いながら丘の上にいた方のお頭の体が紐のようにほどけていく。見る間に、その姿は逞しい大男から、白い髪に灰色の肌という異相の少女へと変わる。
「オドネルの民」は「欲望の三姉妹弟」が次女、ベギーアデであった。
地面に寝かされた本物のお頭を蹴り転がして、ベギーアデは丘の上から南西を見据える。
この丘の上からは、円状の城壁に囲まれたヤーマディスの街がよく見える。街の中心から放射状に延びる8本の大通りには、色とりどりの魔導灯の光が列になって見えた。
「さて、ぶっ壊すか……」
ベギーアデは嗜虐的な笑みを浮かべると、懐から取り出した端末を操作する。
並んだ8台の円筒形の装置が低くうなり始める。周囲の魔素を集め、あらかじめ組み込まれていた錬成式を演算していく。
円筒の上面が一斉に開き、中から皿のようなものが天辺についた柱が立ち上がった。皿の表面から強烈な魔力が照射されると、暗い夜空にその空の色より尚黒いひびが入った。
よし、とベギーアデは空中で蜘蛛の巣上に広がっていくひびを見上げてうなずく。そして、地面に転がした哀れな盗賊団のお頭に視線を移した。
怯えた目で猿轡の下から必死にうなるお頭の頭をつかんで上体を起こさせると、その額を右手の人差し指で突いた。
「鏡よ鏡、呼び出し、エピテミア」
お頭の体が風船のように弾け血だまりとなった。その上にぼんやりとエピテミアの虚像が浮かび上がる。
「ベギーアデ、首尾は上々のようね」
通話先からも見えているのだろう、エピテミアの虚像は空に広がっていく八つのひび割れを見上げた。
「もちろん。造魔獣の配備、間に合った?」
「それこそ当然よ」
姉妹は顔を突き合わせて笑った。
「エピテミアもそこから見りゃあいい。これからヤーマディスが燃え落ちるのを」
「そうね、それまで通話がも――」
突然断ち切られたようにエピテミアの虚像が消えた。
「……チッ、その辺の盗賊の魔力程度じゃこんなもんか」
使えねぇ、とベギーアデは血だまりに残った頭蓋骨を蹴り飛ばす。
空のひびはいよいよ大きく広がり、卵が割れるような音を立てて穴が開いていく。
やがてガラスが砕け散るように、空に八つの大きな孔が開いた。夜空よりもなお暗いその奥から、巨大な魚のような何かがゆっくりと泳ぎ出てきた。
「ははっ! きたな、ホシコガスヒ!」
ベギーアデは八つの穴から次々に泳ぎ出てくる、体長40シャト(※12メートル)はあろうかという巨大造魔獣――ホシコガスヒを見上げ、笑みを浮かべた。
丘に並べられた円筒形の装置は小型の転送装置であった。アドニス王国内の製造工場から直接造魔獣をヤーマディスに送り込むために設置された。宣戦布告によりアドイックの防衛に目が向いている中、敢えて第二の都市であるヤーマディスを襲うのが今回の「オドネルの民」の狙いだった。
あのジジイの設計だってとこは気に入らないけど……、全部壊せるんなら何だっていいか。
「冒険者たちは――」
それまで何が起きても、ベギーアデが通信魔法のためにお頭を殺そうが、空が割れて巨大な造魔獣が街へと泳いでいこうが、その顔につけた仮面と同じように無表情に、無反応に立ち尽くしていた仮面の男が、ベギーアデの隣へ歩いてきた。
「街を守れるだろうか」
怪しい仮面に似つかわしくない優しげな声音であった。
「守れるわけがないさ。みじめに、むごたらしく死んでいくだけ」
ベギーアデは勝ち誇った様子で笑うと、仮面の男の腕をとった。恋人が甘えるかのようなしぐさで、体をこすりつけた。振り払うことはせず、仮面の男はベギーアデの頭を撫でる。
「それに、あんたもいるしね」
あたし達の勇者――。
ベギーアデはそう言って、仮面の男を見上げた。
仮面の男は何も言わない。白い面の奥の瞳で、ヤーマディスの街とそこへ飛んでいく造魔獣の群れを見つめている。




