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108.行先、まだ途上

 

 

 エクセライ領「スアン高原」、アドニス王国の北限に建つスヴェンの研究棟の最上階で、ザゴスたちは一人の女と向き合っていた。


 彼女の名は、クロエ・カームベルト。マッコイの街の「戦の神殿」の大祭司代理であり、勇者の召喚とそれによる王国転覆を企てた人物だ。


 フィオを拘束し、ダンケルス家に伝わる「戦の女神像」を奪取、300年前の勇者ヒロキ・ヤマダの再召喚を試みるも「失敗」、そこに乱入した「オドネルの民」のデジールと戦うために、フィオの救出にやってきたザゴスとエッタと協力し、これを退ける。


 更に、デジールの呼び出した巨大魔獣フェートスの討伐にも参戦。すべてが片付いた後は、自らを司直の手に委ね護送されていった。


 そして護送の最中、「オドネルの民」の放った刺客によって、父である大神官セシル聖と共に命を落とした――はずだった。


「生きてたのか……」


 ため息のようなザゴスの言葉に、クロエは彼の方を向いた。


「よかったじゃねぇか……」


 そう言葉をかけられて、クロエは不機嫌そうな顔を少しだけ緩める。


「バカでお人よしの貴様なら、そう言うと思っていたよ」


 いちいち棘のあるやつだな、とザゴスは顔をしかめる。


「スヴェンさんが助けたんですか?」


 エッタに問われ、スヴェンはよくぞ聞いてくれたとばかりに「実はですね!」と語りだす。


「クロエさんとセシル聖が処刑されると聞いて、ちょっとそれは惜しいんじゃないかと思いまして、テオバルトさんに頼んで保護してもらおうと思っていたんですよ」


 護送の馬車を襲ってクロエとセシル聖を奪取しようという腹積もりだったらしい。


「王国の馬車を襲う気だったんですか!?」

「だってもったいないじゃないですか。ただただ処刑されてしまうなんて」


 しれっと言い放つスヴェンに、こいつ味方でいいのか、とザゴスは少し危ぶんだ。


「ちょうどそこに『オドネルの民』が襲ってきたので、結果的にはよかったわけですし」

「余計なことをしてくれたものだ……」


 クロエは吐き捨てるように言った。



  ◆ ◇ ◆



 あの日、霧深いマタ谷の底で「オドネルの民」の幹部が一人ベギーアデと対峙したクロエは、まさしく絶体絶命であった。


 腕には「殺魔石」の手錠、目の前には横転した馬車、周囲には衛兵たちの死体と、ベギーアデの投げつけてきた首――クロエの父・大祭司セシル聖の頭が転がっていた。


「まずは全身穴だらけにして、ちょっとずつ首を斬ってやる……」


 ベギーアデの両手の指の間に細く鋭い投剣が現れる。


 これまでか。クロエは唇を噛んだ。


 死ぬのは最早怖くない。この馬車に乗り込むことを決めた時点で、絞首台へ向かって走り出していたのだから。それだけのことをしたのだし、それだけの罪に問われるという対価もほしかった。


 だが何故だろう。横転した馬車、投げ出された自分自身、目の前にいる刺客。これらすべてを見渡した今、まだ生きていられるのではないか、と思い始めているのは。


 生きていれば先がある。


 姉が好いた男が言った言葉だ。わたしの先は既に託してきたはずだ。それでも、もしそれ以外にわたしの為すべき先があるとするならば?


 クロエはベギーアデの黒い強膜に縁どられた赤い瞳を見据えた。見据えたまま、ゆっくりと立ち上がる。


「なんだ、その目は……?」


 気に入らないねェ……。ベギーアデは唾を吐いた。


「その目、ぶち壊してやんよ!」


 獣じみた雄たけびと共にベギーアデは跳躍、両手の投剣を一斉に投げつけてくる。


 クロエはそれに背を向けて逃げた。街道脇の森の中へ、遮蔽物の多い森ならば逃げ切れる可能性がある。右足に鋭い痛みが走る。投剣がくるぶしをかすめたのだ。


「逃げんなコラァ!」


 ベギーアデは再び投剣を取り出すと、第二射をクロエの背中に向けて放つ。クロエは思い切って右前方へと転がった。姿勢を低くし、転がることで面積を狭めて命中する確率を下げたのだ。


 賭けには勝った。ベギーアデの投剣はすべて地面に突き刺さる。


 次は――身を起こそうとしたクロエの頭の上をかすめて投剣が飛んできた。乾いた音を立てて、投剣は背後の木に突き刺さる。


「おいかけっこはおしまいだ……」


 ゆっくりとした足取りでベギーアデが近づいてくる。


「ここからは的当ての時間だよ……。ヒヒッ!」


 満面に下卑た笑みを浮かべて、ベギーアデはみたび両手の指の間に投剣を出現させる。


「まずは膝だな……。次は肩。そんで腹に2本、胸にも2本ずつ。最後は首をギコギコじっくり斬ってやるよ」


 濃い紫の舌でベギーアデは上唇をなめた。


 こんな下品な舌なめずりをする三下に、わたしは殺されてしまうのか――。


「さあ、死になあ!」


 ベギーアデの投剣が投げつけられたその時だった。


 投剣の射線、すなわちクロエとベギーアデの間に巨大な石の壁が地面からせり出した。


「何ィッッ!?」


 これは、大地城壁(ガイア・ウォール)? 誰か助けが、と思った時クロエの体が宙に浮く。


「え、きゃっ……!?」


 縞のある巨大な猫のような魔獣がクロエのうなじを甘噛みして持ち上げたのだ。正に猫の子を運ぶようにして魔獣はクロエをくわえたまま、背中の翼で空に舞い上がる。


「チィィ! 野生の魔獣か!」


 ベギーアデは投剣を投げつけるが、猫の魔獣は高く飛んでそれをかわす。


「待て! そいつはあたしの獲も――!?」


 猫魔獣とクロエを追い、飛び上がろうとしたベギーアデの足元が揺らぐ。


「クソッ! こんな魔法まで……!」


 ベギーアデが飛びのいた後の地面が大きく隆起した。土属性の中級魔法、石塔隆起(ロック・リフトアップ)であった。その隙に、猫の魔獣はクロエをくわえて森の奥へと飛び去って行った。




 数分後、森の奥でベギーアデは猫魔獣の食事の跡を見つける。


 血だまりの中、体のほとんど部分を食い荒らされたクロエの死体が転がっていた。


「チッ、駄猫が……。あたしが殺りたかったのに……」


 まあいいか、とつぶやいて黒い貨幣をかみ砕いてベギーアデは霧の中に消えた。


「……よし、行ったな」


 その様子を見下ろして、マントをまとった男は一つ安どのため息をつく。


 魔獣の食事の跡を偽装した現場を見下ろす樹上、そこにクロエはいた。自分をくわえて飛んだ、あの猫の魔獣――造魔獣(キメラ)のニトの背の上に。


 マントの男――テオバルトはクロエの方を振り向いて言った。


「もう大丈夫だぞ」


 そう声をかけられても、クロエは安心できずにいた。何が何だかわからない、というのが正直な感想だった。


「あんたは助かったんだよ」


 クロエはそこでようやくテオバルトの方を見た。


「お前は、誰だ……?」


 テオバルトは自分の名を名乗ってからこう続けた。


「あんたとセシル聖を護送馬車から強奪するつもりだった者だよ」


 テオバルトによれば、眼下に転がっているクロエの死体は、護送馬車を襲撃した際にクロエとセシル聖が死んだことにするために用意していた偽物だという。都合よく使える場面ができてよかった、とテオバルトは苦笑いを浮かべる。


「あの秘密結社の連中が先に仕掛けてるとはな……。侮ってたぜ」


 馬車が本来の行程を外れ、待ち伏せしていた場所を通らなかった。テオバルトは不審に思い、ニトに探させてようやくこのマタ谷へ駆けつけたのだという。


「間に合わなくて、セシル聖は助けられなかったがな」


 すまなかった、と言うテオバルトに、クロエは手錠をしたままの手でつかみかかる。


「貴様! 何が、何が『すまなかった』だ! 助かった? 助けられなかった? 何様のつもりだというのだ!」

「やめろ、暴れんな……!」


 クロエを押しのけて、テオバルトは「ったく……」と悪態をつく。


「何様って知るかよ。俺だって仕事でやってるだけだ」

「……仕事?」

「そうだよ。テメェら死刑囚親子を助けたいっていう奇特なヤツに頼まれてな」

「それは一体誰だ?」

「……スヴェン・エクセライ。あのエクセライ家のお坊ちゃんだよ」


 スヴェンという名には、クロエにも聞き覚えがあった。確か、フィオ・ダンケルスと「ヤードリー商会」の十二番頭イェンデル・リネンを繋ぐ名だ。ゲンティアン・アラウンズが暗殺された時、最初はイェンデルに依頼されたフィオの犯行だと思っていたが……。


「とりあえず連れてかせてもらうぜ。手錠はそっちで解いてやる」


 あんた暴れそうだからな。肩をすくめて、テオバルトはニトに飛ぶように命じた。



  ◆ ◇ ◆



「とまあ、そういう感じで……」


 救出のあらましを話し終え、スヴェンは「長話をしてごめんね」とばかりに、抱いた黒猫のメネスの喉をかいてやっている。


「助かってよかったな」


 フィオは改めてそう口にした。そのフィオを、クロエは憎々しげににらみつける。


 フィオとクロエは複雑な関係だと言っていい。


 クロエにしてみればフィオは、彼女らが「オドネルの民」から奪った勇者タクト・ジンノを「天神武闘祭」の決勝で下し、その計画をご破算にした張本人だ。加えて、ダンケルス家と「戦の神殿」の長きにわたる因縁もある。


 フィオにとっても、クロエは自分を拘束し、家宝である「戦の女神像」を奪い、拷問を加えて罵倒してきた相手である。


 ただ、それらを一度脇に置いて、「オドネルの民」と共に戦った戦友でもあるのだ。


「よかった? 残念だと思ったんじゃないのか、わたしが生きていて」


 クロエは自嘲気味な笑みを浮かべる。


「お前はわたしのことが憎いはずだ。違うか?」

「もし憎いなら、あのマッコイでの戦いに乗じて殺しているさ」


 物騒な会話だな、とザゴスは肝が冷える思いだった。


「あの時は、自分の無実を証言させるために生かしておく、なんて言っていたくせに……」

「そんなことも言ったかな」


 フン、ともう一度クロエは鼻を鳴らした。


「貴様の無実はもう証言する必要はなさそうだが――、それでもわたしが生きていたのは嬉しいと?」

「ああ、はいはい、もう……」


 訳知り顔でうなずきながら、エッタが二人の間に割って入った。


「フィオ、今のは喜んでくれるとは思わなかった、生きていて嬉しいって言ってくれてありがとう、という意味のツンデレ語なので、気にしないでくださいね」

「ツン……?」

「貴様何を勝手に!」


 フィオは首を傾げ、クロエは妙にむきになった様子でエッタをにらむ。その視線をいなすようにエッタは続ける。


「おやおや、図星なんですのね。あ、わたくしは『生きてたんですのね、驚きましたわ』以上の感情を持っていないので、あしからず」

「わたしもお前に喜んでほしいなどと思っていない」


 大きく舌打ちして、クロエはそっぽを向いた。素直じゃないんですからー、とエッタはにやりと笑う。


「えー、和やかな雰囲気になってきたところで……」

「どこがだよ!」


 クッソギスギスしとるわ、とザゴスは適当なことを抜かすスヴェンをにらむ。


「もうそういうことにしときましょうよ。収拾がつきません」


 スヴェンの腕の中でメネスが大きくあくびをした。


「今大事なのは、『オドネルの民』のことです」


 スヴェンはフィオ、エッタ、クロエの顔を見回した。


「まあ、そうですわね」

「先にも言った通りだ。連中とやり合うなら、力を貸すのもやぶさかではない」


 エッタとクロエの返事を聞き、フィオもうなずいた。


「スヴェン、状況は今大きく動き始めているというが――」

「はい。僕の把握している現況とこれからの予測についてお話ししましょう」

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