102.300年前を知る男
ロラン・ヴィーダーが王城に呼び出された日、グレース・ガンドールは仲間の冒険者と共に「ボクスルート山地」から戻ってきていた。サル型魔獣の討伐のために出かけてから、実に10日ぶりの帰還であった。
アドイックから「ボクスルート山地」までは馬車を使えば日帰りで行き来できる距離だ。それが10日もかかったのには大きく二つの理由がある。
一つが、王国の南に位置する商業都市マッコイで起きた、十二番頭ゲンティアン・アラウンズ暗殺に端を発する一連の事件である。ちょうどグレースらが「ボクスルート山地」での「クエスト」を受領した日に起きたこの事件は、街を治める十二番頭の一人が暗殺されたこともさることながら、巨大な魔獣が町中に突如として出現し「戦の神殿」を破壊したことも、王国中に大きな衝撃を与えた。
この事件により王国中の街道が交通規制を受け、ちょうど「ボクスルート温泉郷」にいたグレースらは足止めを食らうことになる。
この規制は3日ほどで解けたのだが、ちょうどその日に今度は王家への反逆を企てた罪で捕縛された「戦の神殿」の大祭司親子が、王都への護送中に暗殺されるという事件が発生、結局交通規制は解かれず継続となった。
結局こちらの規制は解除までに5日がかかり、実に8日間の足止めとなったのである。
「ボクスルート山地」での「クエスト」を請け負った冒険者の多くは、この8日目の規制解除でアドイックへと戻って行った。だが、グレースのパーティはそうはいかず、出発するのに更に2日の時を要した。
それが第二の理由で――グレースはテーブルをはさんで斜向かいに座る青年を見やる。細身だが、がっしりした体格の青年は出された鶏肉の山賊焼きを旨そうに頬張っていた。
彼は、ヒロキ・ヤマダ。「温泉郷」に侵入した巨大魔獣カシラマシラを棒一本で倒した、300年前の勇者その人である。少なくとも本人はそう自称している。
このヒロキをアドイックに連れてくるのに、2日も余計に足踏みすることになった。
「気が付いたら自分の世界からやってきていた」というヒロキには、当然冒険者登録はない。冒険者登録がないということは、アドイックの街に入るのに審査が必要になる。しかも現在の社会情勢を鑑みるに、その審査が厳しくなっていることは容易に想像がつく。
その旨を説明すると「面倒くさいことになってるンスねえ……」とヒロキは肩をすくめた。
(俺を召喚したヤツがどっかにいると思うんで、それを探すためにも、できたら街に行きたかったンスけど……)
別の方法探します、とがっかりした様子のヒロキを「いい方法があるぜ」と呼び止めたのが、グレースと同じパーティの探索士・クサンだった。
(俺らを指名して『クエスト』を出すんだよ。どこかの街に連れて行けっていう護衛の『クエスト』をよぉ……)
身分のはっきりしている冒険者が同道していれば、ヒロキも街道を行き来することができる。クサンの提案は、ヒロキが別の街へ移動するのに「いい方法」であった。問題は「クエスト」を出す費用であるが、それはクサンが「貸してやる」という。
(なぁに、金のことなら気にすんな。お前が考えなくちゃならねぇのは、その召喚したヤツの手がかりだぜ? 勇者さんよぉ、あんたをもう一回呼びそうなのって心当たりはないのか?)
ヒロキは少し考えてから、「一人だけ……」と人差し指を立てた。
(ダンケルス家、まだあるンスよね? あるなら、そこの末裔が呼んだと思うンスよね……)
交通規制が解けた日、ヒロキはクサンと共に「ボクスルート温泉郷」にある冒険者ギルドの出張所へ赴き、「クエスト」を依頼した。
出張所で依頼した「クエスト」は一端その本部に集められ、ギルドマスター代行の承認を得てから正式に布告される。「ボクスルート温泉郷」出張所の本部はアドイックの冒険者ギルドで、この書類の往復に2日かかった。
というわけで、10日間の足止めを経て、ようやく帰ってこれたのだが……。
「クサンくんはまだだろうか……」
グレースの隣に座るバジル・フォルマースは、ナイフとフォークを置いて口を拭った。
アドイックに戻ってくると、街の雰囲気がどうにも物々しい。あちらこちらに衛兵の姿が見え、その誰しもが妙に殺気立っている。
(気になるな……。ちょっと情報探ってくるわ。先に昼食っといてくれ)
そう言い置いて、クサンはグレースらを置いてどこかへ行ってしまった。
普段ならば冒険者ギルドの食堂を使うのだが、冒険者でないヒロキを伴っているので、ギルドからほど近い「風の実り亭」という食堂で昼食をとることになり、今その真っ最中というわけである。
「あんたが早食いすぎるのよ」
呆れたようにグレースは言った。クサンと別れてから、まだ四半刻(※30分)も経っていない。グレースも昼食を半分も食べ終わっていないし、ヒロキもまだ肉を残している。
「戦士たるもの素早く食事をするものさ」
そうだろう、とバジルはヒロキに話を振る。ヒロキは鶏肉を頬張っているが、咀嚼に苦労している。この10日ほど食事を共にしてきたが、どうにもあごの力が弱いらしい。
「確かに……、そうッスね……。俺も結構柔らかいものばっかり食べてたんだなって、食事のたびに思い知らされてるッスよ」
「異世界ではやわらかいものが多いのか?」
「ここに比べたらね。俺も慣れてるつもりだったけど、やっぱし調理法とか、飼育法とかも工夫されてたんだなあ、って……」
ほほう、と感心したようにバジルはうなずく。それを横目で見ながら、グレースはもやもやしたものを感じていた。
バジルもクサンも、ヒロキを異世界の人間として簡単に受け入れすぎている。そこにグレースは引っ掛かりを覚えていた。確かに湯を吐いていた彫像や、「温泉郷」の入り口に飾られた洗面器を手にした像と顔は似ているが、逆に言えばそれ以外のことは怪しい。
(彼の実力は本物だ。ここ何日かで手合わせしたが、タクト・ジンノとは明らかに違う。この感触を私は信じる)
「ボクスルート山地」で足止めを食らっていた時、グレースが「ヒロキの言うことを信じるのか」と問うた時、バジルはそう言い切った。正にバジルらしい反応で、「やっぱりか」とグレースは肩を落とす。
(ここまで信じられねぇようなことが、たくさん起きてるんだぜ? 勇者がもう一回来たって不思議じゃなかろうよ)
一方のクサンは同じ問いにこう答えた。慎重なクサンらしくもない。そもそも、ヒロキ・ヤマダは伝承では30歳でこの世を去ったことになっている。自分の世界に帰った、という話はついぞ聞いたことがなかった。
(ところが俺は聞いたことあるんだよなぁ。ほら、カタリナちゃんっていただろ? マッコイの出身の……。あの子が生きてた頃言ってたんだけどよ、『戦の神殿』じゃ勇者は死なずに『帰った』って言い伝えられてるらしいぜ)
カタリナと言えば、今やアドイックでは悪名高い人物となってしまっていた。タクト・ジンノのパーティメンバーであったこともさることながら、彼女の父である「戦の神殿」の大祭司が王家への反逆の罪で捕縛されたことで、いよいよその名誉の回復は難しくなっている。
だから、グレースとしてはその発言の真偽は疑わしいと思っている。カタリナの死にざまは気の毒なものではあったが、どういう考えからそんなことを言ったのか、今となってはわからないからだ。
(まあ、それ抜きにしてもよ、300年も経ってんだから言い伝えられてる情報の方が間違ってる可能性も高いと思うぜ)
そう言われては、グレースも引き下がらざるを得ない。
それに、グレース自身にも心当たりはある。彼女も関りを持ったバックストリア襲撃事件、あの事件の陰には「勇者の召喚」を目論んだ者たちがいた。
そういった連中が、再びヒロキ・ヤマダを呼んだとしたら?
(何にせよ、このヒロキをフィオさんたちに合わせた方がいいと俺は思ってる。現に、本人も『ダンケルス家の末裔に会いたい』って言ってるしな)
まあ、しょうがない。グレースは、サンドイッチを口にしながら思う。乗り掛かった船だ、付き合ってもいいだろう。
◆ ◇ ◆
「よう、遅くなった」
グレースが昼食を食べ終え、食後のお茶が運ばれてきたころ、クサンがようやく戻ってきた。
「何かわかったか?」
ああ、実はな……とうなずいてクサンはヒロキの隣に座り、低い声で続ける。
「ロラン・ヴィーダー、今日王城に呼び出されたらしいんだが、死んだようだ」
「えっ!?」
「何!?」
突然の大物貴族の死を告げられて、グレースとバジルは驚いて声を上げた。
「発表はまだだけどよ、王城の方はてんやわんやだぜ」
「死因は?」
バジルの問いにクサンは首を斬る動作をした。
「暗殺だ。どうやら、『オドネルの民』の仕業らしい……」
クサンはロラン・ヴィーダーが王城に呼び出された理由も、正確なところを調べ上げていた。ギーコット地方に「オドネルの民」の拠点が数多くあり、その点で疑いをもたれていたことなども説明した。
「まさか、『五大聖女』の末裔が……」
バジルはヒロキを見やった。クサンも、グレースも彼に視線を送る。一人話についていけておらずキョロキョロしていたヒロキは、三人の視線を集めていることに気づき首を傾げた。
「あの、何スか……?」
「いや、だからさ、お前の子孫がやらかした疑惑かけられて王様に呼び出された上に、その眼前で暗殺されてんだけど……どう思う?」
「子孫?」
ヒロキは眉を寄せた。
「いや、子孫って、誰……?」
「無論、ヴィーダー家だが」
「レナ・ヴィーダーって、あんたの正妻でしょ?」
「はぁあっ?」
食堂中の衆目を集めるほど大きな声を出し、ヒロキは「しまった」という顔をした。慌てて声を落とす。
「いやいやいや、誰だよレナって……。しかも、正妻……? その言い方じゃまるで、俺たくさん嫁さんいたみたいじゃん!」
「いただろ、五人も」
五人!? と驚いた様子でヒロキはクサンの方を向いた。
「五人って、誰と誰と誰と誰と誰よ?」
「『勇者の正妻』『聖女』レナ・ヴィーダー、『絶影』ジゼ・ゾックス、『拳仙』マーシャ・グレイプ、『マーガンの魔女』グリム・エクセライ、『深紅の雷槍』フリーデ・ダンケルス……」
指折り数えるクサンに、「待って、待ってくれ!」とヒロキは両手を広げた。
「いやいやいや、ワウスの王様じゃないんだから! そもそも、アドイックじゃ一夫多妻無理だろ!」
かつて王族のみ一夫多妻制が認められていた隣国ワウスの名を挙げつつ、ヒロキは続ける。
「ていうか知らないんだけど、レナとかゾゼとか……。マーシャとグリムは知ってるけど、そんな関係じゃないし……」
「じゃあ、フリーデは?」
もちろんそれは、とヒロキはグレースにうなずき返す。
「フリーデこそ俺のたった一人の妻だよ。この世界だけじゃなく、元の世界も含めて、俺が愛したのはフリーデ・ダンケルスだけだ」
はっきりとヒロキは言い切った。
いたく感じ入ったようにバジルはうなずき、グレースもこの言葉に嘘はなさそうだ、とそんな感想を持った。クサンだけは難しい顔をしている。
「……クサンさん、どうしたんだよ?」
「いや、やっぱ五人も奥さんもらうの、世界を救った勇者でも無理なのかって思ってよ……」
「そこ?」
もっと別に考えることあるでしょ、とグレースは呆れた。
「ともあれ、フィオくんとヒロキくんを会わせるのは、急いだ方がよさそうだな」
「そうね……。で、あの子たち今どこにいるの?」
バジルの言葉にうなずいて、グレースはクサンに尋ねる。
「他の街の探索士から聞いた話じゃ、どうやらスプライマンミに向かったらしい」
クサンが挙げた地名は、山深いフォーク地方の中でも特に奥めいた場所だった。
「そりゃえらく僻地にいるな……。里帰りでもしてんのかな?」
ダンケルス家の別邸は300年の昔からスプライマンミにある。ヒロキもそのことを覚えていたらしい。
「さあな。まあ、ヤーマディスに行くのが一番だろうよ。入れ違いになっても困るからな」
「ヤーマディス?」
ヒロキは怪訝な表情を浮かべた。
「いやいや、お前の街だろうが。ヤマダでヤーマディス、だろ? ドースタムの近くの……」
「は? え? あ、もしかしてスワイマル? 何でそんな名前になってんの!? 誰がつけたんだよ……」
俺が帰ってから好き勝手しすぎだろ、とヒロキは椅子にもたれてぼやいた。
「300年前のこと、あんまり正確に伝わってないみたいね」
「だな……」
300年前の勇者ヒロキ・ヤマダ。彼の持つ情報が、「オドネルの民」と戦うフィオたちの力になるかもしれない。グレースはそんなことを思った。
こうして、グレース、バジル、クサンの三人は、ヒロキ・ヤマダを伴いヤーマディスへと出発することになる。
しかし、彼らが街を発つのは更に2日の時を待たねばならなかった。
ロラン・ヴィーダー暗殺によって、再び交通規制が敷かれたためである。




