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その時のアドイックの冒険者たち(上)

 

 

 「ボクスルート山地」にサル型の魔獣が大量発生している。

 「天神武闘祭」の直前にも同様の現象があったが、あの時と同種の魔獣である。

 再びの対処を願いたい。



 アドニス王国の王都アドイックの冒険者ギルドに、こんな「クエスト」がもたらされた。依頼主は「ボクスルート温泉郷」一の旅館、「銀の狐亭」の支配人であった。


 「ボクスルート山地」のふもとには、王国中から湯治客の集まる温泉郷がある。依頼にもあるように、今年に入ってからサル型の魔獣にたびたび脅かされていた。


 温泉郷には用心棒として傭兵が雇われているが、それだけでは手が回らないようだ。


 この「クエスト」を受けて、十数名からなる冒険者の一団が「ボクスルート山地」へと出発した。




 慌ただしいわね、まったく。


 冒険者を乗せた馬車の中で、グレース・ガンドールはそうため息をついた。


 まだ暖かい季節だが、彼女の吐息はいつも白い。「氷の微笑」の異名を持つ美貌の女魔道士は、物憂げに馬車の中を見回した。


 グレースは、つい3日前まで学術都市バックストリアにいた。謎の魔獣に襲撃され、破壊された街の復興に手を貸し、帰って来たばかりである。


 まだ「修復魔法」を使う職人などはバックストリアに留まったままだが、力仕事や警邏要員の戦士や魔道士たちは一足先にアドイックに帰還していた。


 バックストリアの復興を手伝っていた時、グレースは厳密には冒険者ではなかった。先に行われた「天神武闘祭」に出場後、休職しそのままになっていた。


 休職という扱いであったが、あの時グレースは本当にそのまま冒険者を辞めるつもりだった。故郷であるバックストリアの大学に、研究員としての職を探しに戻っていたのだ。


 そこで魔獣襲撃という事件に巻き込まれ――そして、世間に知られていないその深遠に触れ――、復帰を決意したという格好だ。


 でも、それは表向きの理由でしかない。本当は――。


 グレースは隣の席に座る男に目をやる。精悍な顔立ちのこの男こそ、アドイック一の剣士とも謳われる冒険者、バジル・フォルマースである。


 グレースとバジルの付き合いは長い。グレースは魔道士養成所上がりのエリート、バジルは庶民の出の叩き上げと出自は違うが、共に駆け出しの頃から将来を嘱望された優秀な冒険者であった。


 だから、同期であった二人がパーティを組んだのは自然な流れだった。バジルの強さに対する実直さに、グレースが憧れ以上の感情を抱いたのと同じくらいに。


 だが、現実は厳しい。いや、冒険者稼業の話ではない。それよりも矮小な、しかし崩しがたい壁がグレースの前に立ちふさがった。


 バジルはグレースの気持ちにまったく気付かなかった。戦闘勘が異常に鋭い引き換えか、バジルは他のすべてに(なまくら)であった。


 それでも長い付き合いの中で、何とか気持ちを伝え、結婚の約束を取り付けたのが今年に入ってすぐの話、そこでバジルは「『天神武闘祭』で相応の結果を出したら身を固めよう」と約束した。


 そうしてやってきた「天神武闘祭」。準決勝で敗れはしたものの三位決定戦で騎士団のチームを破り、更に準優勝チームが失格になったことで実質的に「王国二位の戦士」という称号を手にした。


 相応の結果だろう。そう思っていたグレースに、バジルは「これではダメだ」と言った。


(君も見ただろう、勇者と呼ばれたあの少年の力を。それをも打ち破る力の存在を――)


 自分もその高みに立ちたい。バジルの心は最早、結婚の方に向いていなかった。


 それで自棄になって冒険者を辞めることにしたのだが……。


 因果よね、とまたグレースは溜息を吐いた。


 結果的に、彼女はまたバジルの隣に戻ってきていた。そのことに対して、バジルは取り立てて何も言わない。「またよろしく頼む」と、その一言だけだった。


 それはまだいい。そういう彼だからこそ、わたしは好きになったのだ。


 だが、納得できない存在がバジルを挟んだ向こう側に座っていた。


「……ケッ、付き合いのいいことだぜ、俺らもよォ」


 長い赤毛を後ろで束ねた、やや身長の低い探索士(スカウト)――クサンである。


「バックストリアから帰ってきたと思ったら、息つく間もなくまたお出かけとはなぁ……」


 馬車に乗りこんでいるのは、バックストリアの復興に協力した冒険者が主だった。当のクサンもその一人だ。


 このクサンと、バジルがパーティを組んだこと。そのことが、グレースを苛立たせていた。


 と言っても、クサンの技量に不満があるわけではない。そもそも、アドニス王国中の冒険者ギルドを巡っても、クサンほどの探索士(スカウト)はそういないだろう。機を読むに敏く、知識も豊富で、何よりも用心深い。戦闘に関してはやや劣るが、それを補って余りある実力の持ち主だ。


 相談なく勝手にパーティの人員を増やしたことにも異論はない。何せその頃のグレースは、冒険者を辞めるつもりだったのだから。そこで口を出せなかったからと言って怒るほど、グレースは子供ではない。


 問題はクサンの人間性にある。


「お、グレースちゃん。どうしたんだよ、色っぽい顔してよぉ」


 返事の代わりに、グレースはじろりと冷たい視線を送る。気温が下がったかと思うほどの冷たさであったが、クサンは「ひゅー」と嬉しそうに口笛を吹いた。


「いいねぇ、ぞくぞくするぜ!」


 そう、クサンは無類の女好きだった。病的とさえ言っていい。こと女性を前にすると、探索士(スカウト)として持ち合わせているはずの用心深さが蒸発してしまう。


 女性に声をかけるのが俺の人生の目的だと言わんばかりに、普段からナンパに励む。しかも、いくら手酷くフラれてもめげないので始末が悪い。そのため、女性冒険者からのウケはすこぶる悪かった。


 そんなクサンであるから、アドイックの女性冒険者は誰も彼と口をきかない。グレースもそれは同じだった。バックストリアで再会して向こう、一言も彼に言葉をかけたことはない。


 それでも事足りていた。街中での作業が多かったし、両者を仲介する者がいたからだ。


 だが、今日はその仲介者――イーフェスの姿がなかった。


 イーフェスは、クサンと組んで長い魔道士だ。人当たりが良く、女性に対してのぼせやすいクサンのなだめ役でもある。グレースとも、以前から魔道士仲間以上の付き合いがあった。


 彼の実家は「ヨークの手工業」というアドイックでも指折りの商家で、宝石の加工から販売までを一手に行なっている。この「ヨークの手工業」の宝飾品は品質が良く、貴族階級をはじめとした富裕層に人気があった。グレースもたびたびこの店の世話になっている。ある時などは、イーフェスを通じて新作を取り置きしてもらったことさえあった。


 攻撃魔法の名手とは思えない穏やかな性格と、太い実家。それこそモテそうなものなのだが、言い寄る者はほとんどいない。クサンとパーティを組んでいるから、というだけでなく、彼には既に許嫁がいるためだ。


 本人から直接聞いたことはないが、何でも商業都市マッコイの豪商の娘らしい。政略結婚の面が強いのだろう、とグレースは想像していた。よりつながりを強固にするために子供同士を結婚させ親戚となることは、貴族ならぬ商人の世界でもよくあることだ。


 そんなイーフェスがいれば、グレースの冷たい視線にクサンが歓びの口笛など吹こうものなら、「『クエスト』前なのだから自重してください」「パーティメンバーを性的な目で見ないように」「にらまれて嬉しそうって、どういう思考回路してるんですか」などとたしなめるのだが……。


 イーフェスの声が聞こえなかったことから、グレースは改めてその不在を感じる。バジルもそうなのだろう、グレースとクサンの間で少しきょろきょろとした。


「グレース。今日はイーフェスくんがいないから、君にかかる負担が大きいと思うが……」

「わかってるわ。ずっと二人でやって来たでしょう」


 バジルの気遣わしげな言葉に、「相変わらずズレてるわね」とグレースは内心で呟く。イーフェスの不在は、戦力的な負担よりも精神的なものの方が重たかった。


「あの野郎、実家の用って言ってたけどよぉ」


 何なんだろうな、とクサンは顎を撫でて首をかしげる。さすがの彼も心配げだった。


 ついさっきまで、イーフェスも今回の「クエスト」に参加するはずだった。集合場所であったアドイックの馬車駅にも姿を見せ、いつもと変わらぬ様子であった。


 それが、急に現れた男に「坊ちゃん!」と声を掛けられ、二三言交わしたのちにみるみる顔を青くした。


(すみません、ガーダが……。行かねばならなくて……)


 珍しく取り乱した様子で、イーフェスはやってきた男と共に慌ただしく街へ戻っていったのだった。


 ガーダ、というのは女の愛称だ。恐らくはガートルードとかそういう名の子だろう、とグレースは想像する。もしかすると、異変があったのはイーフェスの実家ではなく許嫁の家なのかもしれない。


「クサンくん、イーフェスくんが心配なのはわかるが、今は『クエスト』のことだ」


 考えてもわからぬことに足を取られてはならない、とバジルは続ける。


「クサンくんは魔獣に詳しいだろう、今回の件をどう見る?」


 イーフェスの突然の離脱、それ自体がバジルに動揺をもたらすことはないようだ。憎らしいほどに自分の調子を崩さないのが、バジルが一流の戦士たる由縁だろう。わたしの休職中も大して動揺しなかったんだろうな、と思うとグレースは少し腹立たしく思う。


「そうだな……。サル型魔獣の発生が多いのは、ギーコット地方だ」


 ギーコット地方は王国の北東に位置し、300年前の勇者ヒロキ・ヤマダの「正妻」レナ・ヴィーダーを祖とするヴィーダー家が治めている。地方で最も大きなヤイマストの街には、「健康の神」をまつる神殿が建ち、「治癒士(ヒーラー)の総本山」とも称されている。


「ギーコット地方……。『ボクスルート山地』からは遠いように思うが……」

「そうでもねぇ。街道はぐるっと遠回りだが、『オーイッシュ山脈』と『ボクスルート山地』は繋がってるからな。山伝いに移動すりゃ大した距離じゃない」


 「オーイッシュ山脈」は、王国の北東に壁のように連なっている。山脈の名を冠す「オーイッシュ鉱山」は王国随一の鉱床として知られており、魔導鉛(プルムブム)魔導銅(クプルム)の産地として名高い。


 「オーイッシュ鉱山」に蓄積された魔素がサル型魔獣を生み出している、とクサンは言う。


「ギーコットの方で何かがあって、それで『ボクスルート山地』にサルどもが逃げてきてるんだろうよ。魔獣は魔素の多い方にやってくるからな。温泉郷の源泉には魔素が大量に含まれてるし、こっちの方が人も集まるからな」


 魔獣が人を襲うのは、人間の身体に含有する魔素を狙ってのことだ。温泉郷には人がたくさん集まるため、それを狙って魔獣がやってくるのだろう。


「まあ、ギーコットで実際何があったかなんて、調べてねぇからわからんけどよ」


 クサンが話しているのは、魔素の枯渇だ。そう言えば、とグレースは思い当たる。


 バックストリアの周辺も、一時期魔素が枯渇していた。その調査のための「クエスト」を、大学の使いでギルドに提出したのが他ならぬグレースだった。


 あの時の魔素枯渇の原因は、「オドネルの民」と名乗る秘密結社が「邪法」を用い造魔獣(キメラ)を製造したためだった。その後、造魔獣(キメラ)はバックストリアを襲い、大きな被害が出た。


 まさか、ヤイマストでも? グレースの想像をよそに、クサンは話を続ける。


「大方、無茶な採掘でもやってんだろうよ。『オーイッシュ鉱山』の採掘権を持ってんのは、『ヤードリー商会』の十二番頭ゲンティアン・アラウンズだ。あのジジイ、相当荒稼ぎしてるらしいぜ」


 魔素を含んだ鉱物が掘り出されれば、当然その分の魔素は目減りする。魔獣は魔素がなければ生きていけない。乱掘により魔獣が生息できない程に魔素が減っているのやも、というのがクサンの考えのようだ。


「荒稼ぎとは穏当ではないな」

「ああ。イーフェスが言ってたんだよ。何を隠そう、あいつの許嫁ちゃんの親父がゲンティアンだからな」


 宝飾品の材料をゲンティアンから買い付けているのだろう。グレースの想像通り、政略結婚のようだ。


「許嫁ちゃんのことは好きだけど、親父の方は見た目も言動もカネ、カネ、カネって感じで、とても好きになれないって愚痴ってたぜ」


 ガーダというのが許嫁のことだとすれば、そのゲンティアン・アラウンズに何か大事があったのかもしれない。


 会ったこともない他人だが何故だろう、グレースは妙な胸騒ぎを覚えていた。


「ふむ……。では魔獣の対策はどうなるだろうか?」


 バジルはあくまで「クエスト」のことしか頭にないらしい。


「同種の魔獣って言ってんだから、前の時のが参考になんだろうよ」


 前回、サル型魔獣が発生した際の「クエスト」の詳細は、今回の参加冒険者にも資料として共有されていた。


 読んだか、と聞かれてバジルは珍しくバツの悪そうな表情を浮かべる。庶民の出である彼は、読み書きが苦手であった。まったくできないわけではないが、スラスラ読むには程遠い。だからこそ、口頭で説明してもらおうとクサンにこの話題を振ったのだろう。


 やれやれ、とクサンは講釈を始めた。


「センシマシラとマドウマシラが、ボスのカシラマシラの周りを固める。この構成は変わらねぇだろう」


 雑兵二種の内、センシの方は接近戦が得意で魔法に弱く、マドウの方は遠距離から土属性魔法を使うが体がぜい弱だ。したがって、センシマシラは遠くから魔道士が、マドウマシラは接近して戦士が相手をするのが定石となる。


「で、ボスのカシラマシラだが、こっちは大勢であたるべきだな。デカいし、腕も四本ある。緑の毛皮で覆われていて、その辺の数打ちじゃ逆に刃こぼれするし、中級魔法でも効きが悪いらしい」


 そこまで説明して、クサンはちらりとバジルの顔を仰いだ。


「ま、あんた程の腕なら一人でも相手どれるだろうが……」

「うむ、機会があれば狙ってみよう。ザゴスくんも、カシラマシラを単独で倒したと聞く」


 出たよ、とクサンは露骨に表情を歪めた。これに関しては、グレースもクサンと同じ意見だった。


 バジルが準優勝した「天神武闘祭」、そこで優勝したのがザゴスだった。正確に言えば、ザゴスとヤーマディスの冒険者フィオ・ダンケルスのコンビだ。


 これまで無名だったザゴスの躍進に、バジルは感じ入るところがあったようだ。直接対決で負けたことも影響しているのだろう。「天神武闘祭」以降、事あるごとに「ザゴスくんを超えねばならない」と口にしている。


 クサンらとパーティを組んだのもその一環だ。ザゴスはかつて、クサンやイーフェスとパーティを組んでおり、直接ザゴスをよく知る彼らと関わることで、その強さの秘訣を見出そうと考えているのだ。


 ただ、バックストリアや「マーガン前哨跡」での戦いで、ザゴスやフィオと一緒に戦ったグレースの見立てでは、バジルはザゴスよりも一段上の使い手だった。「天神武闘祭」での結果は、フィオ・ダンケルスがそれだけ強いということの証左に他ならない。


「あんまり前のめりにならないでよ。あんたが突出したら、後衛が危ないんだから」


 下手にザゴスを意識してバジルが単騎で突撃しては、後続の冒険者たちが危険に陥る。「クエスト」とは助け合いであり、一人の英雄の力で達成されてしまうものでは決してないのである。冒険者にとっては基本中の基本であるが、そうであるが故にグレースは改めて口にする。


「勿論だとも。パーティのことを考えられないようでは、たとえ戦いに勝ったとしても真の強者とは呼べないからな」


「ならいいけど……。私情に引っ張られちゃダメよ」


 うなずくバジルに、グレースは自戒の意味も込めて念を押した。


 できればクサンなどとは口を聞きたくないが、さりとて探索士(スカウト)の言を無視できるような易しい戦いにはなるまい。バジルは人の機微がわからないので仲介役には向かないし……。


 グレースはクサンの顔を見やる。「お?」といつもより温度の高い視線に、若干クサンは戸惑った様子だった。


「へへへ、なんだよ? 俺の顔に見惚れちゃった?」

「なんと、そうなのかグレース!?」


 やっぱりダメかも……。一気に氷点下にまで下がった視線を男二人に投げかけて、グレースは真っ白な息を吐いた。

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