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100.彼女の行先

 

 

 椅子に深くもたれかかって、イェンデル・リネンは天井を見上げた。一つ息をつき、手にしていた紙束を投げ出すように机の上に置いた。


「厄介なことになりそうだな……」


 そう呟いて、自分のオフィスの窓から「ヤードリー商会」の敷地を見下す。


 フィオ・ダンケルスの一行も、クロエ・カームベルト親子も、このマッコイの街にはもういない。昨日、立て続けに街を発った。かたや街を救った英雄としての出発、かたや犯罪者としての護送という対照的な旅立ちではあったが。


「……俺も、とっととこんな仕事片付けたいんだがなぁ」


 本来ならばイェンデルも、交易のために船に乗り、遥かマグナ大陸への海路を辿っていたはずなのだが、ゲンティアン・アラウンズと秘密結社「オドネルの民」の関わりを調査するよう命じられ、こうしてオフィスにこもりきりなのだった。


 ゲンティアン暗殺の折に、フィオに化けていた「オドネルの民」がめぼしい証拠を持ち去ったのだろう、彼のオフィスの目につく棚や引き出しはほとんどが空だった。


 しかし、海千山千のあの大商人は、用心深く隠し金庫に秘密結社の資料を残していた。取引を記録した帳簿や、「オドネルの民」とのやり取りを記した日記や走り書きの類が、2シャト(※約60センチ)四方の金庫にぎっしり詰まっていた。


 ゲンティアンは「オドネルの民」を不気味がっていた。彼と共謀し国家転覆の計画を立てたセシル・カームベルトは、そう証言している。記録をわざわざ隠し持っていたのは、自分たちの計画がとん挫した時の保険にでもするつもりだったのかもしれない。


 それらの資料を精査し、「オドネルの民」の本拠地を突き止めるのが衛兵隊、ひいては王立騎士団から「ヤードリー商会」に課された任務であった。


「まあ、騎士団の脳筋どもには帳簿の類は読めないだろうしな」


 イェンデルは、ダイカムの衛兵隊隊長・ラディの顔を思い浮かべる。特徴的な口ひげがついたジャガイモのような顔のあの男は、気のいい人間ではあるのだろうが数字には弱そうに思えた。


 ここ四日ほどの調査で、イェンデルらはいくつかのことを掴んでいた。


 アラウンズ家と「オドネルの民」のつながりは、少なくとも100年以上に渡ること。


 スヴェン・エクセライが個人的に依頼してきた、あの「蒼鉛鉱(ビスマス)」の他にも、アラウンズ家の所有する「オーイッシュ鉱山」から魔法鉱物が「オドネルの民」に流れていること。


 そして、その「オーイッシュ鉱山」の位置する王国北東に広がるギーコット地方、その最大の都市である「ヤイマスト」の街での取引が、最も多いこと……。


「ヤイマストか……」


 イェンデルが渋い顔をするのにはわけがある。


 ヤイマストは、八柱神の一つ「健康の神」の神殿が建つ街だ。


 そして、「五大聖女」の一つ、「勇者の正妻」の末裔・ヴィーダー家のお膝元でもある。


 ヴィーダー家は、「五大聖女」の家柄の中で唯一権勢を保っている。それは、世間的には「戦の女神」への信仰を捨てなかったからだと目されていた。


 現実主義のイェンデルは、そんな理由ではなく栄養剤の「魔剤」の製法を独占しているためなのだと見ていた。だが、どちらも本当は違っていて、「オドネルの民」と通じているお陰だったら……?


 300年の時を経て、有力貴族に成り上がったヴィーダー家が相手では、王立騎士団もそうそう手出しできない。そこが「厄介だ」とイェンデルはほぞを噛む。


 「五大聖女」、やっぱり絡んでくるのか。フィオ・ダンケルス、スヴェン・エクセライ、そして今回の調査で名前が挙がったヴィーダー家……。すべての出来事は、300年前に帰結するのではないか、そう思えてならない。


 と、そこで音を立ててドアが開く。反射的にイェンデルは姿勢を正した。この部屋にノックもなしに入ってくるのは、妻であり厳しい秘書である彼女しかいないのだから。


「る、ルイーズ! べ、別にサボってないぞ! 個人的に休憩してただけで……」

「大変です、番頭」


 ルイーズはイェンデルの言い訳に取り合わずそう言った。秘書の顔だ、とイェンデルは平時と変わらないように見える愛妻の無表情を読み取った。


「どうした?」

「市中で死体が見つかりました」


 イェンデルは眉根を寄せた。


 巨大魔獣フェートスは、幸いにもマッコイの街を壊して回ることはなかった。とは言え、出現時の揺れで「戦の神殿」から近い家屋の中には倒壊したものもある。ここ四日は、そう言った家屋から逃げ遅れた人間の救助も行われていた。


 助かった者もいるし、間に合わなかった者もいる。だが、それはいちいち俺に報告することだろうか。イェンデルが疑問を口にする前に、ルイーズは続ける。


「死体は『戦の神殿』近くの時計塔、その傍の物入れに入れられていたそうです。付近の住人が、物入れから掃除道具を取り出そうとした時に発見されたとのことです」

「物入れ……? 建物の下敷きじゃないのか?」

「はい。そして、その死体というのが……」


 落ち着いて聞いてくださいね、とルイーズは前置きしてその名を告げた。


「なんだと……!?」


 思わず立ち上がった彼を見つめながら、ルイーズは更に言った。


「遺体は鎧や鎧下(ギャベンソン)が脱がされておりました。覚えておいでと思いますが、あの夜ダンケルス卿は……」

「ッッ! そういうことか……! ダイカムに馬を走らせろ! 移送を中止させるんだ!」

「手配しております」


 間に合うか、とイェンデルは窓の外を振り返った。



 ◆ ◇ ◆



 ダイカムの街から、王立騎士団の馬車が出たのは、その日の朝のことだった。


 六頭立ての装甲馬車が四台、連なって街の城門から街道へと発って行った。


 先頭と最後尾の馬車に六名、護送対象を乗せた間の二台に四名の衛兵が乗り込み、厳重な警護を敷いていた。


 とりわけ、先頭から二台目の馬車、セシル・カームベルトを乗せたこの車両には、ダイカム衛兵隊隊長のラディが直々に乗り込んでいる。


 本来ならば衛兵隊の隊長は先頭に乗るべきなのだが、「罪状が罪状なので自分がじかに見張ろう」と直前になってラディが言い出し、先頭車両には副隊長が乗っている。仕事熱心なこの隊長の言に異を唱える者は誰もいなかった。


 そのラディの隣で、手錠を掛けられて座るセシルは、物憂げに鉄格子の向こうに流れていく景色を見つめていた。


 アドイックまでは7日近くかかると言われていた。それまでに何とか、クロエだけでも処刑を免れる方法を考え出さねば。


 老い先短い自分はいい。自分の企みであるし、その報いを受けるのは当然のことだ。だが娘は、クロエは違う。自分の言うことを聞いて行動したにすぎない。確かに彼女には行きすぎもあった。けれど、それもすべて自分の不徳の致すところ、彼女が首を切られる必要はない。セシルはそう考えている。


 馬車は開けた街道から、やがて森の中の道へと入っていく。荒れた道に馬の歩調が緩んだ。先ほどまでより緩慢な調子で揺られていると、鉄格子の向こうの景色が白くかすみ始めた。


「この辺りは、霧がよく出るのです」


 ぽつりとラディが言った。セシルは窓から目を移し、隣に座る口ひげの男を見やる。


「森を抜け、マタ谷の底を行きます。街道から逸れますが、近道ですので」


 少し訝しんだが、セシルはまた視線を窓の方に移した。


 森の景色もしばらくすると過ぎ去って、馬車は岩肌の目につくマタ谷に差しかかる。


 霧は随分と濃くなってきている。まるで、車内に入ってきているようだった。


 いや、まるで、ではない――。セシルは突然、激しく咳き込んだ。


「いかがなされました?」


 身体を折って荒い息を吐く老人に、ラディはそう声をかける。


「大祭司様の口には合いませぬかな? この魔法の霧は……」


 セシルはラディの顔を見上げた。そして、その目を見開く。


 口ひげの大男の体が、毛糸玉のように解けていく。身に着けていた鎧が音を立てて足元に落ちた。沈む三日月のような笑みを見せてそこに座っていたのは、白い髪に灰色の肌をした小柄な女だった。


 どういうことだ? セシルは混乱していた。化けていた? 本物のラディ殿は? もしや、これがフィオラーナ・ダンケルスに暗殺の罪を着せたという――。


「なにも……!?」


 みなまで言わせずに、白い髪の女――ベギーアデはセシルの口を乱暴に左手でふさいだ。


 それを止める者はいない。馬車に乗り組んでいた他の三人の衛兵たちは既に事切れていた。


「よう、大祭司様。お会いできて光栄ですよ。何せ、あたしがベルタとかいうのに化けて神殿にいた時は、あんた地下で臥せってて顔も見られなかったんだから」


 その右手には鋭い短剣が握られている。


 最早これまでか。しかし、神よ、どうか……。


 セシルが心中でつぶやくのと同時に、短剣は彼の左胸に刺し込まれていた。




 急激な揺れに、クロエは目を開いた。


 「殺魔石」の手錠をかけられ、先頭より三台目の馬車の後部座席に座った彼女は、両側を衛兵に固められ、静かにここまで瞑目していた。


 どういうことだ? クロエは目だけを動かして左右を確認する。馬車は急な揺れと共に動かなくなった。脱輪だろうか……?


「おい、おかしいぞ……。ここはマタ谷じゃないか。こんな場所を通る予定だったか?」


 左に座っていた衛兵は、窓の外を確認して右の衛兵にそう尋ねかける。


「それ以前に見ろ、後ろの馬車がついてきていない」


 右の衛兵は背後を確認してそう告げる。


「霧で見失ったのか……? おい、どうなって……」


 左の衛兵が前の座席をのぞきこみ、悲鳴を上げた。


「どうした!?」

「し、死んでる……、前の二人が……!」


 震えながら指差した先には、首をあらぬ方向に曲げ、眠るように横たわる二人の衛兵の姿があった。更にその向こう、御者台には大きな血だまりだけが残されており、綱を解かれた馬たちが、霧の中へと走っていく様が見えた。


「おい、なんだ、何があったんだ!?」

「て、敵襲か!?」


 左右の衛兵が慌てふためく中、クロエは不意に頭上気配を感じた。咄嗟に身を伏せた次の瞬間、馬車の天井が破られ、後部座席に短剣が雨のように降り注いだ。


「ガッ!?」

「ビャッ!?」


 逃げ遅れた左右の衛兵が、血しぶきと悲鳴を上げて倒れ伏す。クロエは二人の血を浴びながらも、馬車の戸に体当たりする。


 二度、三度、四度目に肩をぶつけた時、扉の鍵が緩みクロエは馬車の外に転がり出た。


 すぐさま身を起こし、馬車の上を見上げる。霧の中、天井に人影が立っていた。


 白い髪と灰の肌の女、その色にクロエは見覚えがあった。


「『オドネルの民』、か……!」

「ベギーアデだよ。よろしくな、クロエ大祭司代理殿」


 裂けんばかりに口角を上げて、ベギーアデは左手に提げていた何かをクロエに投げてよこした。足元に転がったそれを見て、クロエは奥歯を噛みしめた。


「おとう、さま……!」

「斬り落としてやったよ。どうせ処刑されんだから、遅いか早いかの違いでしょ?」


 恐怖に歪んだ父の生首から、せせら笑うベギーアデにクロエは視線を移す。


「この、化物が……!」

「黙りなァ! 自分だけが怒ってるなんて思ってんじゃねェよ、クソアマァ!」


 霧の谷間にベギーアデの怒声がこだました。


「こっちだってなァ、せっかくあたしが選んだ勇者を、タクトを好きにされてトサカに来てんだよォ! テメェもそこのジジイと、あの無能なアネキみたいに首落として殺してやんなきゃ、気がすまねェんだよォ!」


 ベギーアデの両手の指の間に、細くも鋭い投剣が現れる。


「まずは全身穴だらけにして、ちょっとずつ首を斬ってやる……」


 嗜虐的な視線に見下され、クロエは自らの運命を呪った。



 ◆ ◇ ◆



 囚人護送中の馬車、襲撃される。


 警護の衛兵七名と御者二名、および国家転覆の罪で捕縛されし「戦の神殿」の元大祭司とその娘である大祭司代理が死亡。


 同日、マッコイにてダイカム衛兵隊隊長ラディ・スレッジの遺体を発見。同衛兵隊は死亡した囚人の護送を担当していた。関連を調査中。


 犯行は、バックストリア襲撃及び十二番頭暗殺の「秘密結社」によるものか――。



 この「ニュース」をザゴスたちが知ったのは、フォーク地方を向かう前に一度ヤーマディスに立ち寄った日のことだった。


「まずはお疲れさん、と言おうと思ってんだがな……」


 「ニュース」を畳み、ヤーマディスの領主・ドルフは深々とため息をついた。


 領主拝謁の間で、ドルフの前で平伏したザゴスは「クソッ!」と思わず床を殴りつける。


「ザゴス……」


 さすがのエッタも動揺を隠せない様子であった。フィオも唇を噛んでいる。心中は複雑であろう。


 処刑されるのは仕方がない。本人も、多分納得していた。だけど、こうやって無残に殺されるなんてこと、あってたまるかよ。ザゴスは拳を握りしめる。


「セシル聖の首は落とされ、クロエの遺体には数えきれないほどの刺し傷があったという」


 護送の先頭を走っていた馬車が、後続の二台がついてきていないこと、最後尾の馬車が追い付いてきたことなどから異変に気づき、引き返した時には既に手遅れであった。「ニュース」には書かれなかった詳細を、ドルフは語った。


「だが、悪い知らせばかりではない」


 ドルフは元気づけるように三人を見渡した。


「『ヤードリー商会』が、『オドネルの民』の本拠地を特定しつつあるそうだ。ヤイマストのヴィーダー家が関わりを持っているのではないか、という見解も聞いている」

「ヴィーダー家……。まさか、『五大聖女』の家が……」


 信じられない、と言うようにフィオは何度もかぶりを振った。


「既にヴィーダー家の現当主を呼び出し、王都で聴取を行っている。場合によっては、戦いもあるかもしれんが……」

「そうなったら、是非呼んでほしいです」


 ザゴスは顔を上げて、ドルフの顔を仰いだ。


「このまんまじゃ終われねェ。連中に、俺が落とし前をつけさせんだ……!」

「その通りだ。ドルフ様、ボクも剣を取ります」

「わたくしも。サイラス先生……お義父様の借りも返さなくては」


 もちろんだ、とドルフは重々しく応じた。


「ただ、戦いになるとしてもまだ先の話。今は、フォーク候の依頼を片付けるといい。その時が来れば、必ずお前たちを呼ぼう」


 三人は強くうなずいて、領主館を後にした。

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