これがおれの初勝利!?
スタートの準備をしていたおれたちのもとにカオルが駆け寄ってきて、コウバン先輩のリザルトを伝える。スタート前に見せていた余裕の表情はすっかり影をひそめ、声にも真剣味というか、悔しさが滲んでいた。
「さっきのレース、大熊が40.295秒、コウバンが41.125秒だった。最後少しは詰めたみたいだったけれど、届かなかったみたい」
「結果が出てしまったものは仕方ないわ。アタシたちがなんとかしなきゃ」
そういったテイブン先輩の言葉におれははっとした。そうだ、おれたちが負けたら、この場所は大熊高校のやつらにとられてしまう。そうしたら、おれたちは流浪の民になるのか? ていうか、よく考えたら公共の場所だよな。でも、とにかく、あいつらに大きな顔をされるのは、やはり気分が悪い。
つまり。
負けたくない。
ぎゅっと唇を引き結んでおれはテイブン先輩に真剣なまなざしを送ってうなずいた。
「とにかく、テーブンもパヤオ君も集中しよう。もうすぐエンツォが帰ってくるはずだから」
カオルがそういうや、坂道を台車を押しつつエンツォが登ってきた。
「やられたな」
開口一番、エンツォは大熊高校の連中に憎らし気な視線をむけた。
「やられたって?」カオルがエンツォに問いかける。
「あの大熊の金髪、恐ろしくコース取りがうまい。コーナリングスピードならコウバンのほうが上なんだろうが、コーナー進入直前にブロックを仕掛けて、コウバンのコース進入を遅らせていた」
ブロックというのはよくモータースポーツなんかでは耳にするテクニックだ。コーナーで後ろから抜きにかかろうとしている相手にたいして、わざとラインを外してオーバーテイクを防ぐテクニックだ。
しかし、それをきいたカオルが腑に落ちない、といった様子で
「でも、ブロックがうまい人くらいなら、コウバンならアウトから切り込んでクロスラインで抜けるはずじゃないの?」
と反論する。
クロスラインというのは、コーナリングで減速しきれずに外側に膨らんでしまった先行車両を、コーナー出口でインから抜く高等テクニックだ。MotoGPなどのバイクレースではテイル・トゥ・ノーズ、つまり先行車両と後続車両がぴったりくっついた状況では、コーナーのたびにこのクロスラインで抜きつ抜かれつの白熱のバトルを展開することも少なくない。
「そこがやつのうまさだ。ブロックのタイミングがやつのコーナー進入とほぼ同時なんだが、その時点で後続のコウバンはまだコーナーに入っていない」
「それだとどうしてコウバン先輩に不利なんですか?」エンツォの言葉におれが質問を重ねる。
「ハントラのルールの中に、加速制限というのがある。行き過ぎたスピード競争を規制するためにできたルールだが、コース内では加速していいゾーンが、スタート直後の10m、コーナー進入から出口、そしてコーナー出口から10mと決められている。それ以外での加速は0.5秒のペナルティタイムがゴールタイムに加算される」
「つまり、コウバンがコーナー進入前にブロックして減速させて、自分はコーナーに入っているから加速ができる。一方コウバンはコーナー進入前にスピードが落ちているから、加速するまでのタイムラグが発生する」
カオルが手をあごにやって呟くようにいうと、エンツォはうなずいた。
「しかも、これはオレが見た感じだからなんともいえないが、わずかに車体をコウバンに当てたんじゃないかと思っている。あからさまなものは、レース妨害とみなされるが、こつんと当たることくらいはよくある。それを意図的にやっているならば、かなりのマシンコントロールだ」
「どっちにしても、おれたちが大熊のやつらに勝たなきゃいけないってことですよね」
おれがいうと、背後から「そういうことだ」と不遜な声が聞こえた。そこには、ジョージと呼ばれた大熊高校のボスがレーシングスーツに身を包んで、仁王立ちしていた。
「次のレースはオレが相手してやる。覚悟するんだな」
ジョージは立てた親指を喉元で水平に引いて、がはは、と勝ち誇ったような笑いを置き土産にして、自分たちの台車をスタート地点へと運ぶ。荷台には五人いた選手のなかでは一番小さな男がちょこんと乗っていた。どうもこの緊張感にそぐわない絵面だ。
「アタシたちも行くわよ」テイブン先輩が台車の取っ手を手におれを呼ぶ。今しがた、おれの目の前をジョージに運ばれていった男と同じように、おれも荷台に乗せられてスタート地点に着いた。ちょっとだけ冷静になったら、とたんに恥ずかしくなる。
だけど、それも大熊高校のスターターの発する「スタート10秒前」の声とともに春風に乗って消し飛んだ。
そうだ、勝たなくちゃ。
「テイブン先輩、おれのことを気にしないで、本気でライドしてくださいよ」
そういうとおれはわずかに腰を浮かせ、両足に力を込めて踏ん張る。ハンドラーが荷台から落ちれば失格だといわれた。それだけは避けなければ。
「5秒前……4、3、2、1、ライドォォン!」
一気に台車が加速して、おれは後ろに転がりそうになる。が、それをなんとか耐える。身体を固定するものがない分、余計に自分の体が加速やら遠心力やら、とにかくいろんな見えない力に持っていかれそうになる。これは……思ったよりもキツイ。
そんなことを考える間もなく、最初のコーナーに差し掛かる。大きく右に湾曲したコーナーで、カオルとの練習では強く体重をかけすぎてくるんとスピンしてしまった。あのときの力加減を思い出し、荷重を右前にかける。しかし、思ったよりも曲がらない! なぜだ?!
「パヤオ君! もっと体重をかけなさい! アタシはカオルよりも重いの!」
テイブン先輩が甲高い声を張り上げた。そうか、テイブン先輩とカオルじゃ倍近く体重が違う。ならばこっちも倍の力をかけなきゃダメってことか!
両足を踏ん張って、右に大きく体を傾ける。なんとか台車は勢いを殺さずにギリギリカーブを曲がり切った。しかし、おれがもたもたする間に、大熊のジョージたちは台車一つ分も先行していた。
コーナーの出口で、テイブンが左足で地面を蹴ってぐんと加速をした。一回、二回、三回。姿勢を低くしてその加速にバランスを崩さないよう耐える。テイブン先輩の脚力は相当なもので、あっという間に先行するジョージたちとの差を詰めた。
「連続ヘアピン! 死ぬ気で曲がるわよ!」
「はいっ!」
テイブン先輩の合図でおれはブレーキに備えてハンドルを握り、同時にコーナーの内側に体を傾けて体重をかける。しかし、おれたちの台車は理想とされるライン、コーナーのど真ん中のギリギリインのクリッピングポイントを大きく外して外側に膨らむ。スピードに対して、ハンドリングができていない。
くそっ、と小さく口の中で吐き出すも、テイブン先輩は構わず、再びコーナー出口にむけて加速する。
相手との差はまだ縮まった感じはない。が、大きく引き離されてもいない。
「次っ! 右に目一杯攻めるわよ!」
「はいっ!」
先行するジョージの台車の後方にピタリとつけて、ブレーキング勝負だ。テイブン先輩の合図とともに今度はさっきと反対、右向きに体を倒す。わずかに台車の外側が浮き上がりそうになるのを、テイブン先輩が強引に押さえつけた。さっきのコーナリングよりもずっといいラインだ。それを証拠に、まだ完全に抜いてはいないものの、ジョージの台車にピタリとつけている。
それに、どうもジョージはコーナリングが大きめな気がしていた。
「そうか」
気づいたぞ。ジョージは大柄でパワーがある分、加速力はテイブンと引けを取らないが、操縦士が小柄なため、荷重不足でそのパワーを扱い切れていないのだ。おそらく、エンツォが最初に驚異的なライドをしたため、本来のオーダーとは違う順番で乗ったに違いない。もしかしたら、本来はあの金髪がハンドラーだったのか?
とにかく。
次のコーナー、わずかでもジョージたちが大回りしたら、インをつく。
「次で勝負しましょう!」
そう叫んでおれはハンドサインを出す。人差し指と中指をピストルを打つポーズのように伸ばし、すっと前方へむける。
オーバーテイク。抜きにかかるサインだ。
「了解! 行くわよ!」
コーナー進入と同時にテイブン先輩のブレーキング。そのタイミングに合わせて体重を左に移動させて台車の向きを強引に内側にむける。あとは、テイブン先輩の加速にすべてをかける。一回、二回、三回、四回。
大きく地面を蹴って加速したおれたちの台車は、外にふれたジョージたちのラインとクロスするように、コースの谷側のギリギリいっぱいのところでついに追い抜いた。
最後のヘアピンコーナーを抜ければ、あとは大きく曲がるS字コーナー。テイブン先輩の加速力があれば、そこでパスされる可能性はぐっと低くなる。つまり、ここを抑えれば、おれたちの勝利は目前だ!
「うおおおぉぉぉ!!」
渾身の力を込めておれは猛スピードで坂を下る台車をねじ伏せるように、台車を大きく傾けた。
「曲がれええぇぇ!!」
そんなおれの叫びが天に届いたのかどうか、それはわからない。
ただ、最後のヘアピンコーナーを抜けたとき、おれたちの前にジョージの台車は走っていなかった。
「いける、勝てる!」
だが、そう思ったおれの耳にアスファルトを転がるキャスターの音のが迫るように大きく聞こえ、おれは思わず視線を右にやる。なんと、ジョージたちはおれたちのすぐ右後方に並んでいた。
勝負はまだ終わっていない!
テイブンは少しもブレーキすることなく、最後のS字コーナーに突っ込む。そのスピードに振り落とされないように、必死にハンドルと荷台の端をつかみながら、おれはタイミングを合わせて台車の動きをコントロールする。コーナーを抜けたら最後は立ち上がりの加速勝負だった。
テイブン先輩は野獣のように咆哮すると、持てる力すべてを注いで最終コーナー出口で加速する。ここが最後の勝負所だった。
ジョージたちの台車はおれたちよりわずかに後方を必死に食らいついている。ゴールまで残りは5mもない。
「届けえぇ!」
おれの叫びとともに、風のような速さでおれたちの台車はゴールラインを通過した。先にゴールしたのはおれたちだった。