これがおれのライドネーム
「全員そろっているな!」
最後にドアを蹴破ってエンツォが部室にやってきた。いや、普通に開けろよ。エンツォは部室内をぐるりと見渡し、最後におれの姿を目に留めると、
「……だれだ! 貴様ァっ!」
「だれだって、あんたが強引に入れたんでしょうが!」
おれがすかさず反論すると、エンツォはやれやれといわんばかりに肩をすくめて首を振った。
「違う違う。来道シュン。そうじゃないんだ」
じゃあ、なんだというのだ……ていうか、おれの名前知ってるじゃねえか。
「メンバーにはやはりかっこいいライドネームが必要だろう?」
「ライドネーム?」
「レースのときに使う名前ってことさ」
コウバン先輩が口をはさむ。あ、なるほど。円造がエンツォになるみたいなやつね。だったら初めからそういえよ。しかし、この場にいる全員に目をやっておれはふとした疑問を口にする。
「あれ、でもカオルさんはそのままカオルでしたよね?」
「カオルはマネージャーで普段はライドしないからな。だが、来道シュンには選手としてライドしてもらうつもりだから、ライドネームが必要になるだろ。よし、ここはひとつおれがかっこいい名前を考えてやろう」
そういうとエンツォは戸口に立ったまま腕組みをした。嫌な予感がする。
「ライドウ、ライドウ……ライポウ……ワイポウ、ワイポン……」
エンツォは腕組みの姿勢のまま目を閉じてまるで呪文か読経のようにぶつぶつと口の中でつぶやく。どうやったらライドウからワイポンに変化するのかわからん。というか、まともな名前つけるつもりゼロじゃなかろうか。
そんな心配をしていると、突如カッと目を見開いてエンツォが吼えた。
「モブ男!」
「なぜっ!?」
「いや、だってさ。空気みたいでなんの特徴もないからな。だからモブ男だ」
「い、嫌ですよ! ただでさえこんな部に入って変人扱いされそうなのに、モブ男とか最悪じゃないですか!」
「えー? じゃあ『来ドーテーシュン平』でいいや」
いいやじゃねぇよ! しかも若干悪意感じるわ! なに口とがらせてふてくされてるんだよ。
「もっとまじめに考えてあげようよ」
そういったのはカオルだった。ああ、あなたが女神様のように輝いて見えます! 男だけど。
「そういえばシュンくんってどういう漢字なの?」
「えっと馬って書いてカタカナのムとハとタみたいなやつです」
「じゃあ、ウマハムタ」
投げやりにエンツォがいう。もう黙っててください。
はっと気づいたようにコウバン先輩が手を打つ。
「あ、それってあの有名なアニメ映画監督と同じ名前?」
「あ、そうですそうです!」
「じゃあ。ハヤオでどう? なんだか速そうだし」
ああ、やはりあなたはこの部の唯一の良心だ! もうそれなら文句ありません! ただエンツォは納得しかねるといったように、渋い顔を作っていた。
「ハヤオ、か。悪くはないが……個性に欠けるな」
「そう? 僕はいいと思うけれどね。みんなはどう?」
コウバン先輩はおおげさに腕を広げてみんなに意見を求めた。
「いいんじゃない?」とカオルさん。
「アタシもいいと思う~」とテイブン先輩。
え? アタシ? 今アタシっていった!?
「うむ。みながそういうならば仕方ないな」
エンツォはそういうと腕組みをほどいておれのほうをビシっと指さして、宣告をするように大声をあげた。
「今日からお前は『パヤオ』だぁッ!」
おれのまわりで小さな拍手の渦がわいた
つうか、なんか「゜」が勝手に追加されているんですけれど……
それよりも、テイブン先輩、さっきアタシっていいませんでした?
「よし、それでは今日も練習だ。皆着替えて尾上山にむかう。パヤオはとりあえずレーススーツがまだないから、体操服かなにかに着替えてくれ」
ぱんぱんと両手をうってエンツォがいうのを合図に、テイブン先輩とコウバン先輩は奥のロッカースペースで例のオレンジ色のツナギに着替え始めた。
おれはエンツォから「コウバンの隣のロッカーを使ってくれ」といわれて、そこで体操服に着替える。着替えが終わると、部室内に置いてあった台車を押して、十五分ほどかけて、昨日行った尾上山の展望台まで軽めのハイキングとなった。
部活動とはいえ、毎日この山を登っていれば、それなりに健康的ではありそうだ。ただし、下りは台車に乗ってだけど。
おれたち五人はほどなくして頂上に到着し、おれは何気なく山肌にせり出すように設けられた展望台に立った。頬をなでる春の風が青葉を揺らし、野鳥がキョロロとさえずっている。展望台に設置された柵のすぐ下の斜面にはソテツの木がはじけた花火のように放射状の葉を広げている。実に長閑で平和な時間だ。
「なにをぼうっとしている、パヤオ!」
怒られた。
おれは展望台を降りてエンツォのもとにむかう。三人は準備体操でからだをほぐしているところだった。
「さっそく今日からライドの練習をするが、パヤオはまだ初心者だからな。まずは基本的な動作から覚えてもらう」
「はい。ところで、基本動作ってどういうことですか?」
「もちろん、ライドに必要な感覚を身につけてもらうってことだ」
ひとしきりストレッチ運動をおえたエンツォは押してきた台車のところにおれを呼んだ。
「よし、乗れ」
「え? 乗るの?」
「当たり前だ。乗らんと始まらん」
それはそうだけど、まだ乗り方もなにも教わってないし、ていうか、これに乗るとかマジで恥ずかしい。
「ただ乗っていればいい。さあ、乗れ!」
エンツォはおれの腕を引いて強引に荷台におれを座らせると、カオルさんを呼んだ。
「カオル、パヤオを乗せた台車を押して坂を下ってくれ。おれたちが先行してライドするから、後ろからついてきて、ライドテクを教えてやるんだ」
「りょーかい」
「コウバンは下でコース確保してくれ」
コウバン先輩はうなずくと小走りにさっき登ってきた遊歩道を駆け下りていった。
「じゃあ、パヤオ君行こうか」
そういうとカオルさんは荷物のように荷台に座り込んでいるおれを乗せたまま、ゆっくりと台車を押していく。
「ハントラには基本的な二つの乗り方があるんだよ。一つは台車の取っ手をコース後方にして乗る『フロントフォワード』、もう一つは取っ手を前にした『リアフォワード』。FFやRFという略称で呼んだりもするよ」
「その乗り方に違いはあるの?」
「うん。基本に車両にはコマが四つついていて、そのうちの二つがコマ方向が変わる自在コマ、残りはコマのむきが変わらない固定コマになっているんだ。FFはフロントが自在コマになっていて、RFは逆、後ろが自在コマになるの。これはコーナリング時の荷重のかけ方の違いに現れるんだよ。FFは自動車と同じで前のコマをまげてコーナーを曲がっていくから、進行方向は安定しやすいけれど、やや大回りになるの。一方でRFはお尻を出して強引に曲げていけるから、コーナースピードを殺さずに小さなコーナリングでカーブをクリアできるんだよ。ただし、直進安定性が悪く、体重移動がシビアというデメリットもあるけどね」
なるほど、とカオルさんの説明にうなずいた。車でいえばFFはグリップ型のマシンで、RFはドリフト型のマシンということか。おれの車好きから蓄えた知識がまったく生かせないというわけでもないのか。
「それじゃあ、さっそく一つ目のカーブをゆっくり曲がってみようか。台車の右前に体重をかけるイメージで踏ん張ってみて」
おれは体育座りしていた姿勢から、中腰になり、左後方と右前方に軽く足を開く。両手てバランスを取りながら、ゆっくりと体重を右前方にかけると台車はゆっくりとハナ先を右へとむけていく。
「わあ、上手上手! パヤオ君、素質あるね!」
褒められた。悪い気はしない。
「このまま次の左もいこう。今度はちょっと急なカーブだから気を付けて!」
カオルはスピードが出すぎないよう、台車をコントロールして押しながらいう。すかさずおれは前後の足の位置を入れ替えて、今度はさっきよりも少し強めに、左前方に体重をかけた。
突如、台車がコントロールを失ったように大きく方向をコーナーの内側にむいてスピンし、そのまま遊歩道の山側の斜面に突っ込んだ。おれは勢い余って台車から放り出され、空中で一回転したあと、背中をしたたかに打ちつけた。
「だ、大丈夫!?」
上下が逆さまになった世界でカオルが覗き込んでいた。おれは強打した背中に鈍い痛みを感じつつ、
「大丈夫です」
と、体を返してうつ伏せになると、彼女(?)の差し出した手を取って起き上がった。
「ごめん、ブレーキが間に合わなかった」
「ううん、平気」
「突っ込んだのが山側でよかったよ。谷側だったら大怪我じゃ済まないからね」
あっ、とおれは短い悲鳴をあげる。今はゆっくりと乗っているけれど、あれがエンツォたちみたいな猛スピードになれば、コースアウトはそれこそ命とりだ。
「一応、ライドのときは台車とレーシングスーツをワイヤで結ぶんだけど……」
「大丈夫です。ゆっくりだったらちゃんと逃げられると思います。さっきは突然だったので」
「オッケー。じゃあ、続けて乗ってみよう」
どういうわけか、おれはすこしやる気みたいなものが湧いてきていた。もちろん、台車に乗って坂道を下るという行為自体の馬鹿らしさは変わらないけれど、自分の体を使ってなにかをコントロールする、というのは案外夢中になる。それがテレビゲームなのか、台車なのかの違いだけだ。
その後、何度かカオルさんの押す台車に乗っているうちに、体重移動のしかたや荷重のかけ方のコツをつかんできて、ゆっくりならばコーナーをスムーズにクリアできるようになってきていた。
「すごいね! パヤオ君! まさか一日でここまでコントロールできるようになるなんて思わなかったよ! もしかしてスノボーとかサーフィンとかやったことあるの!?」
「いえ。そういったアウトドアスポーツはさっぱりなんですけど、おれ車のレースとかが好きで、テレビゲームなんかではよくレースゲームをするんです。だから理論みたいなのはなんとなくわかるというか……」
「へぇ、でもやっぱり素質があるんだよ、パヤオ君。きっとエンツォさんもその素質を見抜いていたのかもね」
エンツォ。あの変人イタリア人。そういえば、なぜ彼らはこんな台車レースなんてものを始めたんだろう。それに、二年生の二人もどうしてこんな馬鹿げたクラブに在籍しているのか、謎だ。テイブン先輩にいたっては「青春をかけている」とまでいい切っていたいたし……
「あ」
おれは短く声をあげる。
「どうしたの?」
「いや、さっき部室でテイブン先輩がおネェっぽかったなって気になってたんですよ」
「ああ。彼、めちゃくちゃシャイだからね。なかなか地の性格を見せたりしないんだけど」
そうなの!? シャイとは別次元の風貌だけど。ていうか、地がおネェなの……?
「ボクとテーブンは実は同じ中学の同級生だったんだよ。このハントラに出会うまでは二人ともいろいろとあってとても苦労したんだ。でも、エンツォさんに助けられたっていうのかな」
そういって昔を振り返るようにカオルさんは話を始めた。