これがおれの初恋!?
おれの股間の愚息を人質にして(ちなみに握ったのは絶世の美少女のカオルだったけれど)入部を迫った極悪非道、人面獣心のエンツォこと、笛鳴円造。入舟高校の三年生にして、荷車検査部という謎の部活の部長。背はひょろっと高く、体の線は細い。面長でほりが深く、顔の各パーツはどれも主張が激しい。おまけに癖の強いパーマネントヘアで、えらのはったあごにうっすらとひげが生えている。見てくれは美術館にある古代ローマ人の彫刻像で、少なくとも高校生には見えない。
その荷車検査部、通称車検の部員は現在エンツォをいれて、四名いる。
そのうちの一人、二年生の平貞文。ニックネームはテイブン。
ガッチリ型の体系で、野球のホームベースを逆さにしたような逆五角形の顔面。眉は薄く、目は顔にできた裂け目程度に細く、その隙間から除く黒目は異様な程小さくて、ほとんど白目ばかりの見事な三白眼。三日月型の口ひげをたくわえており、その姿はどう考えてもカタギさんではなく、二、三人ほどむこうの世界へ送っているに違いないと思わせる。ただし、声は甲高い。
そして、なぜかおれは今、荷車検査部の部室でテイブン先輩と二人きりだ。
数分前、授業が終わり、重い足を引きずってこの車検の部室を覗くと、すでにテイブン先輩が部室の真ん中にある長机に座って、本を読んでいた。
あ、無理。
このまま引き返そうとしたとき、おれの気配に気づいたのか、ドアの隙間から先輩と目が合ってしまった。野獣の目だ。
先輩は、無表情のまま座っている机の前を指先でトントンと叩いた。こっちに来て座れ、という合図らしい。
おれは猛獣の檻の中に放り込まれた小鹿のように、肩を縮こませてそろそろと歩き、先輩の座っている斜め前の椅子に腰を下ろした。真正面はさすがにキツい。
ところが、先輩はその三白眼でおれをにらむとふたたびトントンと机の前をたたいた。あ、おれ死んだ。これは死んだよ、確実に。
引きつった笑みを浮かべながら
「し、失礼します……」
と先輩の前の椅子に座ると、先輩はおれを睨みつけていた視線を手元の本に戻した。い、生き長らえた……
しかし、テイブン先輩はそれっきりひと声も発することなく、おれなど存在してないかのように、本を読みふけっていた。
この部室は縦に長く、そこそこ広い。手前の六畳分ぐらいのスペースにはおれとテイブン先輩が座る長机。奥にはパテーションが置いてあって完全には見えないが、おそらくロッカーになっていると思える。昨日先輩たちが来ていたオレンジ色の車検のツナギがハンガーに吊り下げられていた。
よくよく見てみると、部室の中はきれいに整頓されていて、男ばかりのクラブの部室とは思えない。テーブルの上には小さな造花の花瓶が飾られているし、壁には刺繍っぽい額が掛けられていた。もしかしたらマネージャーのカオルがしつらえたのかも。美少女で女子力高くてきれい好きいなんて、最強じゃん! あ、実際に怪力という点でも最強なんだった。けど、それを差し引いてもあんな美少女は他じゃお目にかかれない。おれは車検に入部して、虹色の高校ライフを手放したのだ。それならばせめて、この部活を通じてカオルといい仲に……
またも妄想が先行しすぎて、むふふと気持ち悪い声がこぼれそうになる。あぶねぇ。
目の前には野獣が一匹いたんだった。おれが妄想していたところを見られていたんじゃないかと、ちらりと視線を送ってみるが、テイブン先輩は相変わらず読書にふけっているようで、おれはすこし安心した。
ただ、その妙な無言の間に耐え切れなくなり、
「あ、あの」
とテイブン先輩に声をかけてしまった。正直やめときゃよかった。案の定、テイブン先輩は砲塔の照準をあわすが如く、ギロリとその小さな黒目をおれのほうへとむける。怖い。
「な、なんの本を呼んでいるのかなあ、と、思いまして……」
へらへらと愛想笑いを取り繕ってみる。しかし、テイブン先輩は引き結んだ口元を緩めることはない。自分の手元をちらりとみると、そのほんの表紙をおれのほうへと差し向けた。A4のノートよりも一回りほど小さいその本の表紙には、『かわいいパッチワークキルト』と書かれていた。
パッチワークキルト!?
まて。どういう意味だ! この人がパッチワークをするのか? それとも、裏の世界ではパッチワークが必須スキルなのか?
混乱して一人で勝手にあたふたしていると、
「おっつかれさまでーす!」
と妙に呑気で明るい声が部室内に響いた。
その声に驚いて顔をあげたおれは、さらにもう一度驚いた。テイブン先輩の目が歓喜の表情に細まり、その口元を船型にして笑っていたのだ!
入口に立っていたのは、小柄で細身の男子生徒だった。右の手のひらをこめかみにあてて敬礼のポーズだった。なぜ敬礼? こざっぱりとした短髪で、ごく自然な茶色にカラーされている。見た目はごく普通の高校生……いや、キャラクターの濃すぎるここの面々を見た後だから、おれの目がおかしいな。確実に美少年だ。このままティーンズアイドルグループにだって入れそうなほどに見目麗しい。街角であやしいスカウトマンに「キミ、いいね! すごくいいよ! ウチからデビューしちゃおうよ!」っていわれてそう。
彼はテイブンと目が合うと、にこやかに手を振った。
「あ、テーブン! おつかれー!」
「お疲れ様ぁ」
甲高い! テイブンの声やっぱり甲高いよ! しかもちょっと口調が微妙に甘ったい! おネェみたいだよ!
頭の中の整理が追い付かずに、何度もテーブンとその男子生徒の間で視線を往復させていると、突然その男子生徒がおれを指さした。
「あー、シュンくんだ! ちゃんと来てくれたんだ!」
入口から駆け寄ってきておれの肩を抱き込んだ。そして、けらけらと声をあげて笑っているけれど、
「あ、あの……誰でしたっけ?」
とおれがいうと、急にきょとんと目をまるくした。そしてすぐに、あはは、と笑うと
「そうか、ごめんごめん」
といっておれから離れ、
「ボク、先に着替えてくるね」
といって、ロッカースペースのパテーションの奥へと消えていった。何だったんだ?
無意識に、テイブン先輩のほうへと視線をやると先輩が不敵な笑みを浮かべていた。まって、やっぱり二、三人やってるし、次のターゲット、確実におれじゃん……
がくがくと震えていると、立て続けに部室の入口が押し開けられた。
「やあ、みんな遅れてごめん」
もう一人の二年生部員の加藤高伴だ。ニックネームはコウバン。
エンツォと同じぐらい背が高いが、彼ほどは細くなく、おそらく性格的にはこの部のメンバーの中ではもっとも人間に近いだろう。良識も備わっていそうだが、それならばなぜこんな馬鹿みたいなクラブに在籍しているのか、という理由はわからない。
コウバン先輩は少し長めの緩いウェーブかかった前髪をアップにして、横に流している。毛先は整髪料ですこし跳ね上げられていて、髪の手入れにも気を遣っている様子がよくわかる。
きりっと整ったへの字の眉と、すこしたれ目気味の甘いマスク。なにより、このよく響く低音ボイス。とにかくイケメンだということは間違いない。こんな部に入っていなければ、きっとモテモテなんだろう。
「シュンくんも来てくれてありがとう。君が入部してくれたおかげで車検は四人になった。これであと一人部員が入れば、この部は今年も存続だよ」
コウバン先輩はそういいながらおれの隣の椅子に腰を掛けた。あと一人か。たしかこの学校は正式に部として認められるためには五人の正部員が必要になる。四名以下だと同好会扱いとなり、部室は与えられるものの、割り当てられる年間予算がほぼゼロになってしまう。つまり、四名と五名、この一人の差は天と地ほども違うということだ。
あれ? でもそうすると。
「コーバン先輩。今、部員っておれをいれて四人だっていいましたけど、カオルさんは?」
「ああ、彼女は兼部だし、マネージャーをしてくれてはいるけれど、正部員じゃないからね」
「でもそうすると、エンツォ先輩、テイブン先輩、コウバン先輩、そしておれ。あと、さっきもう一人男子生徒が来てましたよ? 今着替えに行きましたけれど」
「ああ、もう彼にあったのか?」
コウバン先輩はそういって笑いながらテイブン先輩を一瞥する。テイブンはまだあの不気味な薄い笑いを口元に張り付けたままだ。おれ、逃げたほうがよくねぇ?
「彼は、まあ。あれだ」
そういってコウバン先輩が口ごもる。もしかして、コウバン先輩でも口にすることをためらう理由があるってこと?
胸の中に新たな動揺を覚えたとき、おれは背後からぎゅっと強く抱きしめられていた。
「シューン君っ!」
耳元に聞き覚えのある声が響いて、おれは振り返る。濡羽色の長い黒髪に、オリーブグレーの瞳をしたエキゾチックな顔立ちの美少女の顔がすぐそばにあった。昨日、おれの股間を握りつぶしかけた怪力美少女ことカオルだった。おれはかっと頬が熱くなるのがわかった。なにせ、昨日、彼女を見たおれは、カオルに一目惚れしてしまっていたのだ。
「か、カオル……さん? あれ、いつの間に?」
「ふふ、驚いた?」
そういって彼女が一歩その身を引いた時、おれは驚愕のあまり目を見開いていた。
カオルはこの学校の男子の制服を着ていた。
ということは……おれは壊れた機械仕掛けの人形のようにぎこちない動きでテイブン先輩を見る。その薄いにやにや笑いは相変わらずだった。
「まったく、カオルも人が悪いな」
ため息をついて呆れたようにそういったのはコウバン先輩だった。
「さっき、ここに来た男子生徒っていうのが、カオルだよ」
「ごめんねー。シュンくん。じゃあ、改めて、ボクは二年H組の名足馨。ちなみに、お・と・こ・の・こ! よろしくね!」
そういってキラリンと音がしそうなウィンクをおれにむけて飛ばした。その姿を目に焼き付けたのを最後に、おれの初恋の記憶は遠い遠い海のむこうへと、翼を広げて飛び立っていったのだった。