これがおれのクラスメイト
翌日。いつもと変わらない朝の風景。教室の中はいくつかのグループが出来上がっている。同じ部活動同士で集まるやつもいれば、クラスの中で気の合う友人を見つけてグループを作っている連中もいる。だが、おれの周囲にはそういう連中はいない。心なしか、荷車検査部に入部してから、おれとクラスの連中とのみえない境界線の半径が50センチほど広がったような気はする。まあ、気持ちはわからんでもない。
車検については校内でも謎多き存在だった。なにより、妙におっさんくさいイタリア人もどきの部長の奇行が目に付く。
登下校や校内の移動はすべて台車に乗って移動。本人曰く
「台車は友達! いつも一緒!」
だそうだ。これがサッカーボールなら多少は絵になるのかもしれない。いや、それもちょっと問題か?
それ以外にも、二、三人は始末してそうな三白眼のいかついおっさんもいる。もっとも、心の中は乙女チックな少女そのものなんだけどね。しゃべり方はおネェっぽいというかオカマっぽいけど。
ただし、長身の超イケメン先輩がいるという噂は女子の間にもまことしやかにささやかれているし、モデル級の美人マネージャーがいると吹聴する男子諸君もいるため、周りの反応は微妙でもある。
イケメンのコウバン先輩にお近づきになりたい女子たちがちらちらとおれの様子をうかがっている気もする。「加藤先輩」という名前がクラスの端のほうから聞こえてきたことが何度かある。もっとも、おれの思い込みかもしれないし、それがコウバン先輩のことかはわからない。
美人マネージャーの存在については輪をかけて謎につつまれていることだろう。なにせ、彼女は放課後にしか存在しないのだから。
おれの席は廊下側の一番後ろ。今まで新学期が始まってこの場所から動いたことはほとんどない。渡辺君とでもいっしょにならない限りは、ここがおれの指定席だ。
車検に入部したことで、おれはまともなというか、イロモノ的な存在になるだろうということはある程度覚悟していたし、これまでも別に積極的に誰かと仲良くなろうともしていなかったので、このクラスメイトとの距離感にはそれほど、悲哀を感じない。それどころか、昨日のレースの結果がことのほか重く心にのしかかっていて、台車乗りなんてと馬鹿にしていたハントラに、わずかに心を奪われていることに気付かされた。
そういう意味では、この日はいつもと違ってすこし冷静にクラスの様子を眺めることができたと思う。そして、それがある小さな気づきにもつながった。
窓際で一人、どのグループにも属さずに本を読んでいる小さな女子がいた。別にそれ自体はなんの不思議もないのだが、この時期におれみたいに誰とも交流を持っていないことに、ほんの少しだけ違和感を覚えた。
ただ、あまりじろじろとその横顔を観察していると、視線に気づかれそうな気がして、おれはすっと彼女の少し前方の窓の外を見遣った。馬鹿らしいほどの鮮やかな青空にぽつりぽつりと薄い雲が漂って、それはそれは平和な光景が広がっていた。
彼女の名前はなんだっただろうか? 窓の外の空をぼんやりと見ながらそんなことを思っていた。
放課後。部室に行くと、すでにカオル以外の全員がそろっていた。
「お疲れ様です」
おれが挨拶をすると、エンツォが
「何者だぁ、貴様ァ!」
とおれを指さして叫ぶ。二回目なので相手にせずに、おれは長テーブルに並んだパイプ椅子の一つに腰を掛けた。
「はいはい、パヤオですよ。大熊とのレースに負けたパヤオです」
ふてくされたようにそういうと、エンツォは人差し指を小さく振って「チチッ」と舌を鳴らした。
「そうじゃない。初めてのライドであれだけのハンドリング、バランス感覚。そして何より、あのスピードに対する恐怖を克服する強靭な精神力。貴様、いったい何者だ、といっているのだ」
「エンツォは褒めたんだよ。パヤオ君のことを」
コウバン先輩が微笑んだ。褒められたのか?
「でも、レースには負けてしまいました」
「それなら僕だって負けたよ」とコウバン先輩が笑う。
「だいたい、負けたのはアタシのミスでしょ?」
テイブン先輩がいう。きっと加速ゾーンをはみ出して加速したことで、ペナルティをくらったことをいっているんだろう。しかし、エンツォはまたも舌を鳴らしてそれを否定する。
「ミスなもんか。あそこで一回分の加速をするかしないかで、次のコーナーで先行するか、後塵を拝すことになるのかの分かれ目だった。0.5秒のタイムと引き換えに、コーナーを先行することを選んだテイブンは、加速手としてベストな判断だった。結果的に、その差よりも大熊の連中のほうが早かっただけだ」
「でも、アタシがもっとうまく加速していれば、ペナルティを受けずに相手を抑えられたかも。せっかくいいハンドリングをしてくれたパヤオ君に申し訳ないわ」
昨日一緒にライドしたことで、なんとなくだけどテイブン先輩との距離感が近づいた気はする。テイブン先輩も自分のキャラクターを隠す必要がないと思っているのだろう。
「いいじゃないか。一度負けたくらい屁でもないね」
「それにしても」おれが口をはさむ。「初めから勝負に関係なくカオルさんをぶつけるつもりだったでしょう?」
「当たり前だ」
エンツォは胸を張る。おれはうわぁ、と隠すことなく苦い顔を作る。
「連中がおれたちと約束を反故にすることなんて造作もないさそうだしな。カオルでダメなら顔面に台車をぶち込むつもりだったさ」
ははは、とアメリカンジョークで笑う外人のような軽い笑い声をあげた。顔面に台車をぶち込むって……まあ、でもおれもゴール直後のジョージの言動には腹が立ったのは事実だ。スポーツマンらしくなかったし。
そんな話をしていると、部室のドアが押し開けられて「おーまーたせー!」とストロベリーパフェのような甘々な声が響く。すでにメイクとウィッグでばっちり女の子と化していたカオルが飛び跳ねるように部室内に入ってきた。
「パヤオ君、昨日はお疲れ様。はい、これ! ボクからのプレゼント!」
隅にリボンのバラのついたA3サイズよりも一回りほども大きな包装紙に包まれたナニモノかを、おれに押し付ける。
「プレゼント? でも、おれ別になにか記念日でもないけど……」
「いいから開けてみてよ!」
嬉しそうなカオルの様子におれは包装紙を丁寧に広げる。中からはパリッとしたビニール袋に包まれたオレンジ色の布地が出てきた。
これってまさか。
袋を開ける。出てきたのはおれの予想通り「車検と背中に大きく刺しゅうされたツナギ、つまりおれたちのレーシングスーツだった。
「さあ、パヤオもさっさとそれに着替えてこい! 今日もやることは山のようにあるぞ!」
嬉しいのか嬉しくないのか。そのツナギをじっと見つめていたけれど……うん、やっぱりちょっと嬉しい。早速ロッカーでそのレーシングスーツに着替える。多少袖が余る気はするけれど、高校生活の三年間のうちには体も大きくなるだろう。
そう思って、おれって三年間、この部活動を続けるつもりか!? と自分自身に笑いそうになる。でも、それも悪くないのかもしれない。
「さあ、パヤオを正式にメンバーとして迎え入れたところで、さっそく行こうか!」
「行くって、練習ですか?」
はっはっは。とエンツォは大げさに笑う。
「相変わらず馬鹿だな。パヤオ。君はまだ車検が存続の危機にあることをわかっていないようだね」
存続の危機……?
あっと短い声をあげた。来週までにあと一人、正式な部員を入れなければ、荷車検査部は「部活動」として認めてもらえなくなるんだった。
おれの新たな船出は、いつもいつもどうしてこう妙な問題ばかりが起きるのだろうか……おれは両手で額を覆った。




