親の勉強しろは死ねではなく、強く生きろである。
勉強しなさーい、宿題やったのー?
うるさいなぁ、後でやるってばー。 あるあるですね。
思うところがあったので、一筆。
勉強しろは死ねではない。
虐待? 読み書き計算出来ない軟弱なのを育てても優しい虐待じゃない?
現代日本において勉強させないほう死亡フラグたっちゃうよって言いたい。
生活が歪むほど勉強をさせない限り虐待と勉強は分けて考えるべき。
今時中学卒業しただけではとても苦労する、生きていくのに苦労する。
できたら自分の望む進路が歩めるような子になってほしいって、幸せを願うはず。
勉強しろ!っていって、まだ勉強の仕方がわからない年齢の小学校や中学校のお子さんに
具体的に教えないで要求する場合は話が違ってくるだろうけど。
恐らく途方にくれる。
私個人の「勉強しろ」は、「強く生きて」だと思う。
ただ吐き捨てる無責任な勉強しろの場合は親が悪い。「うるせー、うぜぇ。」である。
そんなこと出来る達観した子ばかりじゃない。
勉強についてこんな統計がある。
某通信教育の統計によると、勉強を台所やリビングなどでする子供が低学年ほど多く、中学でも4割ほどだという。
家族がいる場所ですることで、サボっても声がけがなされたり勉強というものを習慣付けが出来ていないお子さんの場合の習慣付けを親子で取り組む事ができる。わからないとお母さんにすぐ聞けるといった理由がきかれた。親と一緒に触れ合って話をして勉強している家庭がこれだけあるということだ。過半数ですよ。
きちんと親が優しく声をかけたのにサボってゲームやマンガ見てゴロゴロしてたのなら
親は勉強しなさいと雷を落としても仕方がない。
でも、お手軽な娯楽に染まると苦労する勉強は苦痛になってしまう。勿体無い。
学ぶことは本来、子供にはとても刺激的で楽しいものになったりする。
テレビやゲームから離脱してリビングに本をドサっと置いたら小学校にあがったお子さんが校内読書量1位で表彰された家庭があった。活字や部首カードとか知育玩具やドリルさえ遊びになる。
小さなうちは親が娯楽を考えて与えれば、子供は勉強という感覚はなく娯楽として楽しめてしまう。
勉強は悪ではない。娯楽にさえなるのだから。
人間楽な方に流れてしまう。
なのでテレビゲームやアニメやネットの遊びみたいに脳が楽をしてしまう娯楽を幼年期から味わえば、子供は素直なので脳みそがテレビゲームの同じパターンを覚えて楽をするし、考えない訓練をする。
9歳の壁を超えない子供には特によろしくございませぬ。
漫画は絵が主体なので感情の変化はすぐわかる。活字は情景を脳が一生懸命想像する。機微を読みとる。
若いときの頃の苦労は買ってでもせよと言うではないか。
想像する翼を捥いではいけない。豊かな気持ちで沢山のことを楽しめれば虐待になんかならない。
勉強っていうから苦痛なのであって、小さな時って文字を覚えたい、色んな事が気になったり知りたいと思うキラキラした時期ってありますよね。そんな気持ちを台無しにする娯楽は選びたくない。
あらゆる意味で基礎体力がなければ勉強は苦痛でしかない。
子供に基本的な読み書き計算は、させないほうが残酷だ。
なので親も心を鬼にしなければいけない時もあるということ。
某○ます計算とか、1か月も頑張れば結果が出るんだし。いるんだよねー、子供ほったらかして勉強しろとか、子供が勉強しないのを学校のせいにして先生に宿題増やせとかいう親。親が習慣づけないと無理。
暗記科目とかも授業受けて、それは説明であって暗記は自分で反復じゃない?親の出番ですよ。
登校拒否とかも、小児精神科医とかから行動療法を勧められた友人がいた。登校しないで家でgdgdするのは人間楽なほうに流れるので、小さなハードルをもうけて親が守護霊のように一緒に頑張って治療に取り組むんだそうな。生きる為の逃げもあるけど、親と子供で乗り越えられることも沢山ある。
勉強が悪なのではなくネグレクトが悪だってこと。
きちんと面倒みずに心と向き合わずにいるのが悪だということ。
学ぶことは尊いです。
子供は沢山褒められたほうが自己肯定できて強くなるってよく言われるけど
最近では、厳しく教えられた子供が忍耐強くなるって某大学の統計もある。
現代は愛をもって、勉強しなさいと言って厳しく教えて出来たら褒めるまでがセットってことだ。
厳しく勉強しなさいと言って、
根気強く寄り添って
沢山褒めるまでがこの台詞の本当の意味。深い深い愛情なのだから。
親は小さなうちは寄り添って勉強させ、
そして子供は勉め、力を出してはげみなさい、そして強くなりなさい。
幸せに生きていくために必要です。
筆者はそうおもいます。
個人的には勉強しろって言えば皆東大入れるのかよ、そんな出来のいい子供のがレアだわw 黙れって思う派。
勉強しろーって投げっぱなしで放置する親が反面教師です。
勉強を推奨する親が悪いのではなく、むしろ勉強でも普通の生活面も含めてネグレクトが悪い。
勉強が虐待になるには夜までぶっ続けで勉強させたりよほど過酷な状況に追い込まれた場合ではないでしょうか。そんな極論ではないのなら虐待と勉強は区別すべきというのが私の考えです。
感情の赴くままに書きました。読んでいただきありがとうございました。