バラモン婦人
サーヴァッティー市がゆかりの地、バラモン婦人が出歩いた、すると一人の子供に呼びかけられた。「ねえ、そこに落ちてる眼鏡拾ってよ」バラモン婦人は自分の息子しか見えないために拾うことは難しい。しかし声は聞こえたし、やけに困っているような口ぶりであったため、仕方なしにあちこち手探りしはじめた。案の定、五分ほど経っても彼女の手は眼鏡を捉えることがなかった。「何やってんだよ、すぐそこにあんじゃないか!」しびれを切らした子供が足をどしどし鳴らしている。それでもバラモン婦人にはどうしようもなかった、今も彼女の頭は解脱した息子のことでいっぱいだったので。今日はもう私たちの村にやって来てしまったから、明日にならないと会うことはないだろう、それまで待ちきれないのである。彼女は脳内でひたすら息子を想うことで彼に会いたいという欲望を満たしていた。欲望から最も離れた人間によってみずからの欲望を満足させるというのはおかしな話だが、バラモン婦人は気にしなかった。息子が〈敬わるべき人〉となろうが、息子は息子なのだ、腹を痛めて二十三年前に産んだ私の大切な一人息子なのだ。彼が産まれすくすくと成長していくのをバラモン婦人はすべて記憶に留めている。ある年のある日のある瞬時の息子を思いうかべてみてよと誰かに問いかけられたとしても、多少の手間はかかるだろうが、きちんと思いだせるだけの自信が彼女にはある。その自信は日々の訓練に支えられていた。息子が出家してから一度たりとも彼のことを頭に留めない日などなく、あまりに恋しいあまり、彼の誕生から出家する直前までを事細かに思いだすことが毎日の習慣になっていた。たびたび日記を見返して、この日にはこんなことがあったのだっけ、と再確認しなければならなかったものの、十一年もすれば慣れたもので、彼女の頭はもはや息子そのものだった。こういう事情だから、かの子供がどれほどじれったそうに地団太を踏んだとしても、バラモン婦人にとっては何のこともなかったのである。それでも彼女は探しつづけた、頭の片隅でではあったものの、子供が助けを必要としていることくらいはわかっていたから。でも――あるいは勘違いかもしれない、とバラモン婦人はここにきてふと思う。眼鏡がそんなに近くにあるのだとすれば、自分で拾えばいいのだ。この子には何か拾えない事情でもあるのかしら、両腕をだめにしているだとか? とすれば彼には必ず世話人がいるはずで、彼がその子の面倒を見ているわけだから、その人の力をもってすればこんな問題など数秒のうちに片づいてしまうはず。しかし現状からして解決しているとはとても思えず、つまるところこの場に世話人はいない。あの子は本当に、私に眼鏡を拾ってもらいたいと心から望んでいるのかしら、とバラモン婦人は訝ってしまう。私みたいな人間をただおちょくりたいがために、あの小悪魔はわざわざこんなことをしでかしているのかもしれない。であれば彼はきっとこの手の常習犯だ。親の愛情が足りなかったか知らないが、道端で幾度も誰かを呼び止めては、眼鏡拾ってよ、とあの可愛い声で頼みこむのだ、そうに違いない。そして呼び止めるのは常に私のような子持ちの女性に限るのだ、でなくては彼の愛情は満たされない、男を呼び止めたところでどうしようもない。また彼自身、自分がどうしてこんなことばかりしなくてはならないのかを本当のところわかっていないに違いない。親の愛情をうまく受けることができず、その腹いせとしてあんな七面倒な行為に及んでいるなどと彼自身どうして思うことがあろう。誰かの制止がなければ、あるいは親の愛情を誰かから取り戻すことができなければ、このさき数年は同じことを繰り返す。声からして八歳ほど、ちょうど私の大事な一人息子が七歳四ヵ月と二十二日のとき、あのよく晴れた美しい日のこと、大切に隠してあったおいしいマンゴーをお父さんに食べられて、つい怒りをあらわにした際のあの子の声によく似ているから、年齢はきっとそのくらい、でも私の息子はちょっと早熟なところもあったし、だったらこの子はもう少し上だろうということで一歳上である八歳、そこから数えて二、三年、つまりかの子供が十歳、十一歳くらいになるまで眼鏡を落としては拾ってくれるのを待ちつづけるのだろう、こんな憶測がバラモン婦人に成立する。またこういったことを考えている間にも彼女は、自分の一人息子が今どんな修行をしているのかに思いを馳せないことはなかった。息子のその実影像と、現在すぐそばにいるはずの子供の影実像とが重なっていき、いったい自分は何を見ているのだろうということがわからなくなるほどであった。ようやく眼鏡が手に触れて、「はい、これでしょ」と相手に渡すことのできた際にも、私は今誰に面と向かっているのか、さっきの子供か、それとも私の一人息子なのか、そうであるならば今はもう明日の朝であるはずで、私がいるのはちょうど家の真正面、日が昇り玄関掃除をしているところ、そこへ托鉢を持った息子と彼の属する団体とがぞろぞろやってきて、私や他の住人のところで一列になり総勢で神妙な顔つきになる、そうして順番に、たとえば私からは少しばかりのカブを受けとっていき、じきに一人息子の番がやってくる、向こうはとっくに出家して今では正式な坊さんとして国から認められているわけだから、私ばかりを特別視できないわけだけれど、こちらはそうはいかなくてつい声をかけてあげたくなる、ちゃんと食事はとれているか、病気はしていないか、仲間たちとうまくやっているか、勉強ははかどっているのか、それから、あとどのくらい偉くなれそうなの、なんてこともついでに聞きたくなってしまう、息子のあの目を閉じて一切を卓越しきった顔を見ていると、わけもわからず泣きたい気持ちになる、決して悲しくはないのだけれど、むしろ誇りに思ってもいいくらいなのだけれど、それでも我慢ができず何もかもをかなぐり捨てて両腕を空に突き出して大声で叫びたくなる、そういった感情をぎゅっと抑えつけながら、カブをたっぷり積んだ籠の横で箒を片手に佇んでいる私、そんな毎朝の私が今の私であるのだろうかという錯覚にバラモン婦人はこの時、陥ってしまった。そうするともう、止まらない。眼鏡を渡しおえてもバラモン婦人は彼を離さなかった、両手を掴んで絶対にほどこうとしなかった。自分が何をしているのかを彼女は実際にはわかっていない、ただそうしなくてはならないと信じられたからそうしているまでのこと。息子が出家してから十一年五ヵ月と十八日、これまでずっと彼の手を握るのを我慢してきた。それもここにきて限界に達したのである。バラモン婦人の目のまえには間違いなく彼女の一人息子が立っていた、彼はかの子供と重なったかたちで彼女のもとに現前していた、よって彼女は、息子に対する自分の愛情の至らなさをひしひしと感じとることができた、そうして罪の意識にさいなまれた。これまでできる限りのことはやってきたつもりだけれど、それでもあの子は何かに飢えていたのだわ、それで出家を決意した。あの子はそれ以上の何に飢えていたのかしら? 私にはわからない、だからこうすることしかできない、今それが許されないことであるのは百も承知だけれど、こうして彼の飢えのすべてを滅ぼしてしまえるほどの愛を証明してみせてやることしか私にはできない。どこかから「離してよ!」という声がする、その声はバラモン婦人の耳に真摯に響く。けれどもその言葉の真に意味するところのものを直感してしまった彼女の手にはさらなる力が込められる。そのうちに何者かが走ってきて、「私の息子に何してるんだ!」とまっさきに殴られる、繋いでいた手を無理やり引き剥がされ、子供が父親に連行されていくのを最後まで見送ったあとは、その場で脱力し、ではあれは私の大事な一人息子ではなかったのかということを自覚する、いやでもあの時に感じたことはみんな事実に違いない、あの子はみずからの飢えに苦しめられている、私が何とかしてあげなくてはあの子には破滅しか待っていない、そうなる前に今すぐ行動しなければ! といったことがバラモン婦人の脳内に次々と展開されていく。一部始終を眺めていた梵天界の主は、譬えば力ある男が伸ばした腕を屈し屈した腕を伸ばすようにして彼女の前に姿を現し、彼女を励ましてやりたくなったものの、直前でそうするのをやめ、梵天界に留まることに決めたのであった。
「かきあげ!」第5回イベントにて提出したものとなります。