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その12「ブレイクスルー」

「今後も経過を注意深く見守っていく必要はあると思いますが、まずは千早さんへの疑いは晴らせたと考えていいと思います」


千早さんと一緒に彼の家に戻った私は、彼とイチコにそう報告させていただきました。


「良かったね、石生蔵さん」


彼とイチコがそう声を掛けると、彼女は「うん」と頷きました。ただなぜか、彼女の家からこちらに戻るまでの間も今も、ずっと私の服の裾をつまんで離れようとなさらないのです。ですから、最初は私の左手にイチコ、右手に彼、そして正面に千早さんという形で座っていたものが、今は私の左側にぴったりと寄り添って座っているのです。これはいったい、どうしたことでしょう?。


もう3時になるところなのでいずれにしても今日は勉強はできません。そう思っているところに、「こんにちは~、おじゃましま~す」とフミとカナもやってきました。すると、私に寄り添う千早さんを見て二人は、


「あ、仲良くなったんだ?。すごいじゃん」


と声を上げたのです。


仲良くなった?。やはり他人からはそう見えるのでしょうか?。


「でもどうして急に仲良くなれたの?」


フミが尋ねてきます。しかし私としては冷静に対処できるようになっただけで仲良くなったつもりはないので、どうしてと言われましても説明できません。そこでイチコに助けを求めようと顔を向けたのですが、イチコはニコニコと笑顔を浮かべながら「さ~、どうしてだろ~」と曖昧な返事しかしてくれませんでした。


仕方がないので私は、これまでの大まかな経緯をフミとカナに対して説明したのでした。お姉さんからお小遣いを盗んだと疑いを掛けられた千早さんが泣きながら彼の家に向かう途中で私が乗っていたタクシーと危うく接触しそうになったこと。私が千早さんを連れて彼女の家に行き、お姉さんの誤解を解いたことなどについてです。


その話を聞いたフミとカナは、何かを察したように揃って「ふ~ん」と頷きました。今の説明で何が分かったというのでしょう?。


「そっか、千早ちゃん、ホントはピカお姉ちゃんみたいな優しいお姉ちゃんが欲しかったんだね?」


カナがそう尋ねました。すると千早さんが言ったのです。


「うん…だって私のお姉ちゃん、どっちもすぐ怒るし叩くし意地悪だし、大っ嫌い。だけどピカお姉ちゃんは、最初はちょっと怖くて変な人かと思ったけどすっごく優しいし、ピカお姉ちゃんが私のほんとのお姉ちゃんだったらよかった」


…怖くて変な人……?。やっぱりそう思われていたのですね。自分のみっともないところをそのように簡潔に的確に表現されて私は少し凹みました。そう言われても仕方なかったとは自分でも思いますけど、改めて言われると辛いです。けれどその時、千早さんがなぜ急に私に懐くような態度を取るようになったのかが、分かった気がしました。彼女は、フミとカナがイチコに求めたものを、私に求めているのですね。だからフミとカナにはすぐにそれが分かってしまったのですね。


まさか私が誰かからイチコのようなものを求められるとは思っていませんでしたので、正直戸惑いはあります。でも、不思議とそんなに嫌な気分でもありませんでした。そうなると、最初はあんなに小憎らしいと感じていた千早さんのことが可愛く思えてくるのですから、人間とはなんといい加減な生き物なのでしょう。


「ねえ、ピカお姉ちゃん。私、ピカお姉ちゃんのことほんとのお姉ちゃんみたいに思っていい?」


私の服の裾を掴みながら、すがるような目でそんなことを言ってくる彼女を見た瞬間、私はごく自然に彼女の体をそっと抱き締め、


「ええ、いいですよ。私も妹ができたみたいで嬉しいです」


と言ってしまっていました。本音を言うとその私の言葉には若干の社交辞令も含まれていたとは自分でも思いますが、悪い気がしなかったのは事実です。ただ、こう言ってくれるのが彼だったら本当に天にも昇るくらい嬉しかっただろうなとは、ついつい思ってしまいます。


するとその時、彼が言いました。


「やったねピカちゃん。家族が増えるよ」


どこかで聞いたようなフレーズではありましたが、満面の笑顔で彼にそう言われると、私も笑顔で応えるしかありませんでした。


「そうですね。千早さんも私の家族です」


けれど私は同時に、彼女に言っておかないといけないことがあると思いました。


「ですが、千早さん。私から一つお願いがあります」


そう話しかけた私の言葉に何かを感じたのか、彼女は姿勢を正して私を見上げました。


「今回のお小遣いのことは、お姉さんが間違っていたと思います。でも、今はまだ許せないとは思いますけど、お姉さんのことをあまり責めないであげてください」


そう言うと、彼女は少し不満そうな顔をしました。「どうして?」とも訊かれました。そうですね。それが正直な気持ちだと思います。それだけ酷いことを、千早さんのお姉さんは彼女に対してしたのですから。それでも、そう『それでも』です。自分が持っているものと私が持っているものとのあまりの圧倒的な差に気付いた時の、千早さんのお姉さんの姿は、とても小さくて、頼りなくて、みじめなものに見えました。そんな彼女も何年か前にはきっと、今の千早さんのような感じだったかもしれないと、今の私には思えます。


だけど、千早さんのお姉さんには、こういう出会いがなかったのでしょう。千早さんが私と出会ったのは単なる偶然のようなものです。本人の努力とかの問題ではないと思います。そう考えると、憐れにも思えてきます。しかも、私という後ろ盾を得た今の千早さんは、そういうものを持たないであろうお姉さんとは比べ物にならないくらいの大きな力を持っているのです。もしその力を笠に着てお姉さんに今までの仕返しをしようとすれば、千早さんはそういう、他人の力に頼った生き方しかできない人になってしまうかも知れません。それが好ましいとは私には思えません。


千早さんのお姉さんに対して言った、私が警察に言えば動いてくれるというのは、実は嘘でもはったりでもありません。今の警察署長は私の父とは昵懇の仲なので、少なくとも今なら本当に動いてくれるでしょう。けれど私はもう、個人的な都合でそういうことをしていいとは思っていません。だから、抜き打ち訓練という元々予定されてたものがあった警備会社の方を使わせていただいたわけですし。それでもまさかあれほどの絶妙のタイミングになるとは私も内心驚いていましたが。


千早さん。今はまだ納得できないかもしれませんけど、いつか分かっていただけるまで私は何度でもお話させていただきます。何しろ他ならない私自身が、まさか自分がこういう考え方をするようになるとはほんの数か月前までは思ってもいなかったという実例として、ここにいるのですから。


でも、もし…。


「でももしお姉さんがまた理不尽な意地悪をしてきた時には、私に相談してください。たぶんあのお姉さんについては大丈夫だとは思いますけど、もう一人のお姉さんのこともありますからね」


そう言ってウインクさせていただくと、千早さんは「うん」と大きく頷いたのでした。


その後はまたみんなでルーレットゲームをして遊んで、5時に解散となりました。千早さんを家まで送り届け、改めて私の存在をお姉さんに認識させてから、名残惜しそうにいつまでも手を振る千早さんに応えつつ姿が見えなくなったところでタクシーを手配したついでに、事故になりかけた件について説明させていただき、いつもの場所でタクシーを待つために歩きました。


しかしそれにしても今日は、いろんなことがあった気がします。昼過ぎからここまでだけで、何日も過ぎたような気さえします。特に、千早さんとの関係がこんな風になるなんて、全くの想定外でした。なのに今の私は、とても心地良い倦怠感を感じていたのです。自分が何か一つ壁のようなものを破れたように感じていたのでした。


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