その10「昨日の敵は今日の友」
先週の日曜日とは別の意味で、この日も異様な雰囲気でした。
私と、彼と、イチコと、石生蔵千早さんの4人でテーブルを囲みますが、やっぱり和やかな雰囲気とは言えません。先週のような険悪な雰囲気ではないものの、今回のこれは沈痛という感じでしょうか。
私がこれまで抱いていた、向こう気が強く生意気という印象の石生蔵さんは、そこにはいませんでした。そこにいたのは、何か苦しいものを抱えてうなだれる小さな子供でした。その彼女の頭を、彼がよしよしという感じで撫でています。なのにこの時の私は、そんな光景を見ても不思議と落ち着いていました。もちろんいい気はしなかったのですが、だからと言って感情を乱される感じもなかったのです。
また、いつもならこういう時はイチコの出番だと思ったのですが、この時はなぜか口を開こうとはしませんでした。そこで私は、思い切って自分で声を掛けてみたのでした。
「石生蔵さん、もし何か辛いことがあったのなら、話してみませんか?。ヒロ坊くんもイチコお姉さんも、話を聞いてくれると思いますよ?。もし私がいたら話しにくい事だったら、私は席を外しますし」
私が石生蔵さんの様子がこれまでと違うことに戸惑っていたのと同じように、きっと石生蔵さんも私の変わりように驚いていたと思います。それどころか不信感を抱かれていてもおかしくないでしょう。だから話の内容に関わらず、私がここにいては話しにくいのであれば、今日のところはもう帰ってもいいとさえ思っていました。彼の顔が見られたからそれで十分と思えました。そこで私はお暇しようと立ち上がろうとしたのです。
でもその時、石生蔵さんが慌てた感じで顔を上げて、私を見たのです。しかもその目は、まるで助けを求めようとするような、すがるような、振り切ることをためらわせる視線でした。なぜ彼女が私にそんな視線を向けたのかこの時は分かりませんでしたけど、それを無視する気にもなれず、私は再び腰を下ろしたのでした。
すると、石生蔵さんが口を開きました。
「お姉ちゃんが…わたしがお小遣い盗ったって…わたし盗ってないのに、お姉ちゃんの財布から盗ったって…盗ってないって言ったら、嘘吐くなって叩かれて…わたし、盗ってないもん…本当に盗ってないもん……」
そこまで語ったところで、彼女の目からまたポロポロと大きな涙がこぼれ落ち、ひくっひくっとしゃくりあげ、それ以上しゃべれなくなってしまったようでした。
「石生蔵さんかわいそう…」
彼はそう言って、再び石生蔵さんの頭を撫でます。
私はイチコと顔を見合わせました。これは難しい話だと思いました。本来、家族内で金品を盗んだ云々は刑法上の犯罪にならないはずでした。だからあくまでそれぞれ家庭内で解決すべき問題だと言えるのでしょう。しかし、今回、石生蔵さんはお姉さんのお小遣いと盗ってはいないと言っています。しかもこの様子を見るとさすがに嘘を吐いているとも思えません。とは言え、盗んだことは物証があれば証明できますけど、盗んでないことを証明するのは容易ではありません。行為そのものが行われてないのですから、証拠自体が存在しえないわけですし。
物理的にそれを行うことが不可能であると証明できればいいのですが、同居している家族であればその機会はいくらでもありそうですし、それを立証するのは難しいでしょうか。けれど、証拠もなく石生蔵さんを叩いたということであれば、それは躾の範疇を逸脱していると私も考えます。家族であっても暴行傷害は成立しますから、もしそのようなことが日常的に行われているのであれば、司法が介入するべき案件の可能性さえあります。とすればこれは、子供同士の問題ではなく、子供同士で解決すべき問題でもなく、大人が介入しなければならないと私は考えました。
彼と石生蔵さんの時の問題とは違い、今私は自分でも分かるくらいとても冷静です。そして今日は、到底彼の勉強を見ていられるような空気でないことも感じます。私は、心を決めました。
彼に撫でられながら泣きじゃくる彼女に向かって、私は静かに語り掛けます。
「石生蔵さん、大丈夫です。私に任せてください。私がお姉さんの誤解を解いて差し上げます」
その私の言葉に、彼女は涙をぬぐいながら顔を上げ、
「本当…?」
と訊き返してきました。もちろん私は大きく頷き、「本当です」と答えさせていただきました。そんな私を見るイチコの表情が少し不安そうに見えましたので、イチコに対しても、
「大丈夫です。今の私はとても落ち着いていますよ。それに、私のライバルが傷付けられたのを黙って見過ごすこともできません。それに今回の件は、私だからこそできることがあります。お任せください」
そうして私は石生蔵さんを連れて、彼女の家に向かったのです。彼とイチコには、敢えて家で待っててもらいました。今回の件については、私一人の方がむしろ都合がよかったからです。その方が、私が私であることを最大限に活かせます。その下準備として、私はあるところに電話をかけていました。
「抜き打ちの訓練を、今から実施お願いします。タイミングはいつも通りアプリの方からお知らせします」
先方の承諾を確認し、いったん電話を切ります。
そんな私を不思議そうに見上げる石生蔵さんに向かって私は、
「ちょっとしたイベントですよ。女の子にとってはあまり興味がないかも知れませんけど」
とウインクをしてみせました。
そんなあれこれをしているうちに、石生蔵さんの家に着きました。私は躊躇なくチャイムを鳴らします。「はーい」と女性の声がして、ドアの向こうに人の気配がしました。すると石生蔵さんは怯えた様子で私の後ろに隠れます。どうやら石生蔵さんを叩いたお姉さんのようですね。
ドアが開けられ、中から姿を現したのは、いかにも品も知性もなさそうな下流の中学生を体現した女性でした。
「…誰?」
私の姿を見るなりその女性は明らかに面倒臭そうに聞いてきました。そんな女性に私は深々と頭を下げ、
「初めまして。私はあなたの妹さんの千早さんの友達をさせていただいてます、星谷と申します」
と言わせていただいた瞬間、その女性は私の後ろに隠れていた千早さんに気付いて、
「あ、お前!。仲間呼んだってか?。ふざけんな!」
といきなり凄んだのでした。私の体につかまり千早さんが身をすくませるのを感じながらも、彼女のお姉さんのその姿は、私にとってはいかにも陳腐で幼稚で冗談の様にしか見えませんでした。思わず笑ってしまいそうになるのを意識を逸らすことで何とか抑えます。
「何ですか、初対面の相手を前にしてその口のきき方は?。しかも私はあなたより年上ですよ?。礼儀がなっていないですね」
努めて冷静に、しかし毅然とした態度で私は諫めます。けれど彼女は不貞腐れた様子で、
「それで?、あの泥棒になに吹き込まれたか知らないけど、何の用?」
とますます珍妙な物言いをするのでした。これはいったい、何というコメディなのでしょう?。そんなことを頭の隅で考えながら、このような茶番にいつまでも時間をかける気はありませんでしたので、単刀直入に用件を申し上げさせていただきました。
「いえ、私はただ、あなたが失くされたというお小遣いはどこで見付かりましたか?とお聴きしに来ただけですよ」
私のその言葉に、それまで不貞腐れたような顔をしていた彼女の表情が一瞬、ぎょっとしたようなそれに変わるのを私は見逃しませんでした。
この瞬間、私はもう勝負がついたことを確信し、後はいかにして本当のことを認めさせるかだけだと思ったのでした。




