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咲き誇る

 その後時間があまりない事に気付いた2人はそれ以上話を続ける事なく店を後にした。

 フクシアが「用事がある」と言って向かった建物は町から少し離れて喧噪も消えた、静かな裏路地に立つプレハブのような建物だった。即日融資という言葉がドアに貼ってある。行きかう人もほとんどおらず、その不自然的な静けさは何となくティエラに心地悪さを感じさせた。「あたし、ここに用事があるの。30分くらいしたら呼びに来て」と言いながら、そのプレハブに入っていった。

 ティエラは、わざわざフクシアがこんな所で何をするのだろうと、とにかく不思議に思った。まだフクシアと接してたったの数日程度だが、それだけでも十分、彼女が丁重に扱われている事が分かるくらいだった。そうでもなければ、自分達のような侍従なんて付けるはずがない。けれど、何故きちんと教育を受けた人でなく孤児院で育ってきた自分達を侍従にしているのかは、ティエラにはよく分からなかった。

 ティエラは、プレハブからどたどたと音がしたのを感じた気がした。なんだか面倒な事にフクシアが巻き込まれていないかティエラは不安に思ったが、まだ入って数分も立ってないからには自分は入ってはいけないと、そう思っていた。しかし中で何が行われているのかが気になり、ティエラはプレハブの入り口にこっそりと近付き、その扉に耳をあてた。何かが聞こえるような、男の人の、声……?

 その瞬間だあんと大きな音を立てて扉が内側から激しく叩かれたかのように響いた。ティエラは思わず小さい悲鳴を上げながらその場で飛び上がるように扉から離れた。その拍子に舌を噛んでしまったのか、ティエラは舌の先がびりびり痺れるのを感じる。心臓が跳ねている。ティエラは突然の物音が嫌いだった。孤児院にいた頃の悪い記憶が蘇る。頭に走る衝撃はまるで本当に叩かれたかのように錯覚する程鮮明な、あの時の記憶。ティエラはその場にしゃがみ込んでしまう。罵倒されてる気になってしまう。震えてしまう、涙が出てきてしまう、壊れてしまいそうになってしまう、

 だあん、ともう一度、プレハブから鳴った大きな音にティエラは救われた。はっと我に帰り、頬がすっかり濡れている事にやっと気付き、拭う。動いてないのに息が弾んでいた。どれくらい時間が経ったのだろう、と時間を確認すると、丁度30分を過ぎた所だった。

 私がなかなか来ない事に怒って、大きな音を立てたのだろうかとティエラは少しどきどきしながらも、プレハブの扉に再び近付き、そしてノックした。返事はない。耳を押し当てると、何かごそごそと音はするが、それだけだ。開けていいものか一瞬、悩んだがティエラはドアノブを回して扉を開けた。

 充満していた血の匂いが一気に溢れ出る。

 血まみれの人間、らしきものが開いた扉から外へ、倒れ込むようにずるりと出てきた。

 生温かくて湿ったそれが自分の足に当たり、しかしティエラは、その光景に息すら出来ない。

 インクを、それも真っ赤なインクを、それも大量に、それも乱雑にぶちまけたかのような、そんな、プレハブの中だった。床はもはや赤くない部分を探せという方が無理な程、"浸っている"。端に置かれた机も同様で、そこに置かれたパソコンも同様で、壁に付いた窓も同様で、天井にすらまばらにスプレーをかけたかのような有様、古めの蛍光灯にもそれはふりかかり、プレハブの中に仄かな赤みを帯びさせ、照らしていた。

 死体は、3人。

 1人はティエラの足元、1人は机のそば、そしてもう1人は、そのプレハブの中央で、フクシアに跨られている。フクシアはティエラから背を向けて、胴体に顔を埋めているように見えた。

 じゃくっ、じゃくっと、湿って濡れて水気のある、そんな、そんな……貪る音。それが何を表しているのか、ティエラには分からない……いや、分かりたくないのかもしれない。けれど、むせ返る生々しい匂いがティエラに現実を突きつける。


 ――私達に命の保証はなくて、


 アグワの言葉が意図せずとも頭でこだましていく。命の保証はなくて……それは多分クビになったり、屋敷を追い出されたりだったりそんなものなんだろうかと、ティエラは思っていた。それでも十分、帰る所のないティエラにとっては大きすぎる措置だった。

 しかし、


 ――そしていつ命が奪われるかもしれないかも分からないのよ。


 それがそのままの意味だなんて、ティエラは思ってもいなかった。

「もう30分経ったの? 時間が経つのは早いねえ」

 フクシアは顔を横に向けながら、瞳孔の開いたいつもより小さい瞳だけをティエラに向けて答えた。手も、足も、ブーツも、ワンピースも、コルセットも、ティエラが整えたツインテールも、血だらけだ。血だらけ。しかしフクシアはそんな事を気にする素振りもなく、再び"それ"に顔を埋めて、ぶぢぶぢと、あの尖った歯で噛み、そして引き千切る。ティエラの目の前で。その姿は獣よりももっと凶悪で、綺麗で、醜悪で、ティエラはその感情を言葉にする事ができなかった。

 代わりに、酸っぱいものがこみ上げて、むせこみながら口を手で押さえた。

「ああ、あんたは見るの初めてだったっけ。みんなそうなるの、なんで? "食べた事ないの?"」

 フクシアの声はいつも通りで、だからこそティエラは恐ろしく感じた。アイスを食べるのと変わらないような気持ちで、フクシアは今、食べている、のだろうか。状況が今頃一気に飲み込めてきたティエラは血の気がざあっと引いていくのを感じた。口を押えた手が震える。頭がくらみ、大地が揺れる。

「やっぱりあたしだけなんだね、何もかも」

 フクシアの言葉がどこか遠くから聞こえ、ティエラは身体が崩れ落ちるのを何となく感じながらふらりと意識を飛ばしていく。ティエラが最後に目にした景色は、真っ赤な血の海でゆらりと立ち上がった、白と赤の花弁が鮮やかに咲き誇るフクシアの花だった。

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