じゃんけん
「あ、アグワさん。今日の清掃は、ソルさんの代わりにアグワさんが行ってくれと、主人から先程言われました」
朝、洗顔を終えて帰ってきたアグワにティエラは告げた。
「私が? 別にいいけれど……何でティエラがそれを聞いたの?」
「やったー、最近清掃担当回って来すぎてて飽き飽きしてたんだよ。それに今日は確か、"毎月恒例"の日でしょ? あれめんどくさいんだよホント……血の付いたやつは目に付かれたくないからか普通のごみ箱には捨てられないし」
ベッドに寝転がったソルは乗り気じゃなさそうに頭を掻く。
「あ、今日はその日じゃないですよ? 3日前に私が掃除した日が、その日でしたから」
「え、ほんと?」
ティエラの答えにソルは上体を起こしながら答えた。
「なんだ、じゃあ私が今日もやるよ。アグワ、洗濯好きでしょ?」
ころっと態度を変えたソルにアグワは息を吐きながら、
「飽き飽きしたって言ったばっかなのに……」
「飽き飽きしてるだけで楽なのには変わりないの! 汚れがこびりついたら即交換すればいいんだし」
「けれど主人がわざわざ人を変更しろと言ったんでしょ、ティエラ?」
「誰がやったって一緒だよこんなの、仕事さえ出来てれば文句は言われないって。今まで主人が私達の様子を見に来た事ある?」
「それはないけれど……」
語尾を濁すアグワを見ながらソルは話を進めていく。
「でしょ? ……けどまあ私がやりたいからやるってのも先輩の権力使ってるみたいで嫌だし、じゃんけんで決めましょ? 勝った人が部屋の清掃をするの。もちろんティエラも参加ね」
「えっ……」
一瞬、ティエラは固まった。
「だーって3人ともここにいるんだし、みんな公平にしようよ。たまには清掃しないと、覚えかけてた事もまた忘れちゃうよ?」
「は、はい……」
ティエラがちらりとアグワを見ると、アグワは諦めたかのようにため息をつき、手首をくるくると回して準備していた。主人に後から怒られないかと、ティエラは少しおどおどとしながら右手を出した。
「じゃあもしあいこになっても私が行く事でいい? 元々は私がやるべき仕事だから」
「はいはいいいよいいよ……私、チョキ出すからね!」
ソルが楽しそうに了承したのを聞いて、アグワは勝った、と思った。
「じゃあいくよ? 最初はグー、じゃんけん……」
アグワはソルがいつも手を振る時にその手をチョキの形にしている事を知っていた。最初の宣言とその手、何も考えずに相手にすると無意識のうちに『ソルはチョキを出す』と認識してしまい、ついつい握りやすいグーを出してしまう。しかしソルはその裏をかいて出す直前にパーに変える。無意識と駆け引きを混ぜ合わせた、ソルの"ちょっとだけ勝率の高いじゃんけん"。それを知らないティエラはその策にハマるはず。ならば自分はあいこにするためチョキを出せばいい。万が一ソルが手を変えなくともティエラが負けるだけで1対1の勝負ができる。
「……ぽん!」
アグワは躊躇なく、チョキを出した。
しかし、ティエラとソルはグーを出していた。
「まさかアグワが最初に負けるなんてなー」
ソルは驚いた顔のアグワを見ながら"思ってもない事"を言い、にやりと笑った。アグワは私のこの"ちょっとだけ勝率の高いじゃんけん"を理解している事をとっくの昔に知っていた。だからそれに負けまいと裏の裏をかいてチョキを出すはずで、ティエラは無意識に刷り込まれた『私がチョキを出す』という認識で自然とグーを出す。ならばまず"裏の裏の裏"をかいてグーを出してソルに勝てば、後はこのトリックを知らないティエラと一騎打ちが出来る。そうなればほぼほぼ勝利は確実だ。だから、チョキを出すと見せかけてパーではなくグーを出した。
「じゃ、決勝戦行きますか! 今度はパーでも出そうかな……?」
先程は言った物と違う手を出したから、ティエラはまたひっかかるはずだとソルは思う。ティエラは先程の勝負で自分と一緒に勝ったが、実際既に負けているようなものなのだ、と。
「最初はグー、じゃんけんぽん!」
ティエラはチョキを出し、ソルはグーを出した。
「やった! じゃあ私が清掃に行ってくるね?」
ソルは返事も聞かずに支度をして、あっという間に部屋を出て行った。
「全く……あれだけ素早く動けるのなら洗濯も押し付けたくなるくらいだ。ティエラ、今のは残念がる必要はないのよ。ソルはじゃんけんでも本気だから、心理戦を使って本気で勝とうと……」
「はい、"分かってました"」
「え?」
「私も小さい頃は、いじめられてきましたから。理不尽な事を要求してくるじゃんけんとかに負けたくなくて……私も使ってました」
ティエラは恥ずかしそうに答える。
「じゃあなんで、"わざと"負けたんだ? ソルはティエラがそれを知ってる事を知らなかったのに」
「だって私、本来今日の午前中仕事ほとんどなかったですから。たまには休みたかったんです」
「そういう事ね……」
「…………」
寝室で、戦場のように荒れた家具と、散る血液。
ベッドの上で赤く染まる、フクシア。
「……今日はアグワが来る日だと、ティエラが伝えてなかったか?」
――あ、今日はその日じゃないですよ? 3日前に私が掃除した日が、その日でしたから。
ソルの脳内で、ティエラの声がこだまする。
「ティエラ、あいつ……」
「清掃って大変だなって、私は思うんです」
ティエラはアグワに向かって、にっこりとほほ笑んだ。




