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連盟の集会は警備が強化されていたこともあり、特に何事もなく終わったようだった。
当初、咲哉は〝隔絶の被膜〟の修復のことについては告げずにいるつもりであったようだが、昨日の集会ではちゃんと説明し、いざというときは助力をするようにちゃんと言ったとのことだった。
その件に関して、もちろん異論が出なかったわけではないらしい。だが、咲哉は自分たちの〈魔術師〉としての実力を示せるチャンスでもあるということを説明し、実力主義である〈魔術師〉社会の趣旨には反しないとアピールすることで皆を言いくるめたという。
昨日の夜、そのことを辻堂から電話で聞かされた俺は胸を撫で下ろした。いくらか心配事が減ったため、俺は少しだけ穏やかな気分になった。
そして今日、学校が終わってから御影が仲間の〈偽典の魔術師〉を紹介したいというので、俺は彼から指定された場所へと向かっていた。
それはムロイ山にあるホテルの一室らしい。俺は地図を見て街中をうろつきながら、その場所を探す。
街では連盟の制服であるローブを着た〈魔術師〉たちが、そこら中を歩き回っている。
街の住人たちは、もう見慣れた光景だからなのか、特に気味悪がることもなく、普段通り忙しなく街を行きかっていた。もしかしたら、戦いに巻き込まれるともしれずに。
〈魔術師〉が相手にするのは、〈魔導士〉、不成者といった、知覚できない者にとって何ら縁のないモノたちだ。
故に、そのことが広く認知された今となっては、不気味なローブに身を包んだ連中が歩いていたところで、威圧感を感じるようなことはないのだろう。
自分とは関係ない。そんな認識が、一種異様な光景でさえも、日常的な風景として受け入れてしまったとも言える。
かくいう俺も、物心ついた頃にはこんな光景は日常茶飯事であったし、特に違和感を抱くこともなく日々を過ごしていたはずだった。
だが咲哉が両親と死別した一件があってからは、どこか違和感を覚えるようになっていた。
初めて魔術によって人が死ぬということを実感した俺は、どこかで頭のネジが飛んでしまったのだろう。
この世界を、少しだけおかしなものだと思うようになってしまった。
新しい言葉を知ると、急にその言葉が目につくようになるように、俺は日常の些細な違和感を鮮明に感じ取るようになってしまったのだ。
だから、今見えているこの光景でさえも、どこかで在ってはならないものなのではないかと思っている。しかし、在るべき世界など分からないし、何が悪いのかということを具体的に言葉にすることもできないので、俺自身、何がおかしいのかよくわかっていないのだが。
と、そんな物思いにふけりながら歩いていると、目的地であるホテルの前へとたどり着いていた。
一見すると少し高めのビジネスホテルと言ったところだろうか。20階ほどの高さの小奇麗な内装のホテルだった。
しかし、御影と〈偽典の魔術師〉が関与している場所だ。普通の建物ではあるまい、と試しに俺は偽手で、入口の自動ドアに触れてみた。
すると、ビル全体に、水面に雫を垂らしたような波紋が広がった。案の定、魔術的偽装が施された場所であるらしい。
俺は、そのまま左手を自動ドアへと押し込んだ。そしたら、左腕が引きずり込まれるように閉まりきった自動ドアを突き抜けた。
だが魔力を常日頃から知覚している俺にとって、これは驚くべき事態でもなんでもない。俺は、気にせずその自動ドアの先へと足を踏み入れた。
「やあ、待ってたよ」
入口こそ変わっていても、内装は外見とそれほど異ならないらしい。洒落たホテルのような建物内のエントランスで、御影たちが待っていた。
「抜かりないんだな」
「世界に影響を及ぼすべからず。それが僕たち〈偽典の魔術師〉たちの基本にして、目指すべき地平だからね」
どうやら、このホテルには人避けと空間歪曲の術式が施されているようだ。基本の7属性に加え、各種科学にも精通していないとできない高等魔術だ。それだけの厚いセキュリティに護られていることに、俺は驚く。これだけ守りが厚ければ、容易に敵の侵入を許すことは無いだろう。
「ここが、ムロイ山における〈偽典の魔術師〉たちの活動拠点さ。連盟の人たちや、一般人は決して入れないようにしているけど、君たちは特別だからね」
まあ、俺にしろ辻堂にしろ、〝一般〟という言葉からは縁遠いことは認めるが……こう、警戒心が無さすぎるというのも、何だか気の抜けた感じで不安になる。
「というわけで、今回一緒に戦ってくれる仲間たちを紹介するよ」
そう言って、御影はエレベーターへと向かう。俺はキョロキョロと内装を見回しながら、彼の後に続く。
そしてエレベーターに乗り、しばらく上昇し続けることで、たどり着いたのは最上階のスイートルームだった。
部屋の中には、着崩したスーツ姿の辻堂がおり、ベッドの上で飛び跳ねていた。
「たはー、フカフカ。マジたまんねえぜコレ!」
ベッドの上で跳ねながら、彼女がこちらに目を向ける。
「おう、来たのか。マジこのベッド弾力が凄まじいぜ。ちょっと触ってみろよ」
「何しとるんじゃお前は……」
どうやらこの部屋のベッドが相当気に入ったらしい辻堂は、戦いの前だというのに緊張感を欠片も感じさせなかった。
「えーと……それじゃあ、始めていいかな?」
そう言って御影が咳払いをすると、辻堂が一旦、跳び跳ねるのをやめた。
「あたしはいつでもオッケーさ」
「じゃあ、まず皆落ち着こうか」
御影が部屋の隅にある籐椅子に腰を下ろす。俺も適当に部屋のソファに腰掛け、御影の話を聞くことにした。
〈魔術師〉は、7つの魔術属性の内、自分の適性に合った属性を一つだけ持ち、その系統に沿った魔術を使用することが出来る。
その魔術系統と言うのは、魔女が大罪の名を冠していた時に使用していた魔法の一部を人間に与えたことが起源なので、魔女が冠していた罪の名前で分類されている。
そして魔術は、割り当てられた罪の名ごとに、その力を異にする。
具体的には、
傲慢――万物を隷従させる力
憤怒――万物を破壊する力
嫉妬――万物を奪い取る力
怠惰――万物の働きを緩める力
暴食――万物の力を吸収し別の力へと変換する力
強欲――万物の力を増幅させる力
色情――万物を惹きつける力
といった具合だ。
これらは基本、魔術の素養のある者一人に一つずつ割り当てられ、〈魔術師〉はその割り当てられた罪の属性の魔術を極めていく。
割り当てられる魔術属性が、どのような条件のもとに決まっているのかは不明だ。性格とも遺伝とも言われているが、共通したパターンは今まで見つかっていないらしい。
だが、例外な属性が一つだけある。
それは〈傲慢〉属性の魔術で、この属性だけは、使える者が極端に少なく、選ばれた者にしか使用できないとされている。
俺の周囲にいるその魔術属性の使い手は、睥睨坂咲哉のみだ。
故に、他の〈魔術師〉は滅多に持ち得ない力であり、それは〈偽典の魔術師〉であっても例外ではないらしい。
「……とまあ、彼らが使用する魔術はこんなところかな。とは言っても、いずれもスペシャリストで、他の魔術師たちよりもよほど上手く魔術を使いこなせるから、人数の少なさには目を瞑ってね」
と、仲間の魔術師たちを紹介し終えた御影は息をついた。
〈偽典の魔術師〉たちは、〈勤勉の魔女〉の直属部隊だ。しかし、別に〈怠惰〉の属性の〈魔術師〉のみで構成されているというわけではないようだ。というか、目の前の御影がいい例だった。彼は〈暴食〉の属性を持つ〈魔術師〉だ。
「ムロイ山だけじゃなく、他にも〈偽典の魔術師〉は居るんだろ?」
「そうみたいだね」
「みたいだねって……よくわからないのか?」
「僕たちは、独立したグループが集まって構成されているからね。その方が動かしやすいんだってさ」
〈奉仕の魔女〉以外の魔女は、基本的に世界のどこにいるのか、所在が分からず、何を目的として動いているのかもわからない。
〈勤勉の魔女〉も例外ではなく、どこで何をしているのかは杳として知れない。
ただ、こうして〈偽典の魔術師〉を動かしているということは、今の魔術社会に対して何らかの干渉をしたいのであろうことはわかる。だが、如何せん何を考えているのかまではよくわからないし、そのため彼女の部下である〈偽典の魔術師〉たちについても不明な点が多かった。
「だけど、今回の作戦は〈勤勉の魔女〉も認めてくれているから安心していいよ。決して僕の独断というわけじゃない」
「そんなことわかってる。誰がお前の下でなんか働くか」
「口車には乗せられてたクセに」
からかうような口調で辻堂が横から口をはさむ。
「うっせえ。まあとにかく、今夜このメンバーで奇襲をかけるんだろ?」
「街の〈魔導士〉たちも連盟のおかげで鳴りを潜めているようだしね。きっと上手くいくよ」
「お嬢のためにも負けるわけにはいかねーぜ!」
辻堂が脇を締める。俺も、それに倣って気を引き締めた。
「それじゃあ、時間が来るまで、皆ゆっくりと身体を休めるといいよ。ここの設備は万全だからね」
と、御影がそう言って、藤の椅子に深くもたれかかったその矢先。
部屋の全体が大きく斜めに傾いた。
「設備は万全なんじゃなかったのか?」
嫌な汗が首筋を伝う。置いてある調度品が、部屋の隅に転がっていく。
「少し、僕たちは奴らのことを見くびりすぎていたのかもしれないね」