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学校に向かう途中、咲哉の乗っているリムジンとすれ違った。
リムジンは俺から数メートル前の路肩に停車すると、ひとりでに後部座席のドアを開けた。そして座席から咲哉のことを下ろした
「送っていくぞ?」
すっかりお嬢様生活が板についた咲哉は、昨夜と変わらぬ威風堂々とした出立ちで、俺のことを誘う。
学校には急がなくても間に合うが、このまま通学路をダラダラと歩いていくというのもダルい。
「ああ、悪いな」
「気にするな。捧と私の仲だろう」
なので、ここは大人しく、お嬢様のご相伴に預かることにして、俺は車の後部座席に乗り込んだ。
先に車に乗った俺の隣に、咲哉が腰を下ろす。俺は彼女のそんな距離の近さにドギマギしながらも、努めて冷静なフリをする。
「最近、腕の調子はどうだ?」
車が発進するなり、咲哉はいきなりそんなことを訊いてきた。
「特に異常はないよ。それどころか、余計な筋力を使わなくなった分、前より楽かもな」
咲哉は一年前にした自分の失敗によって、俺が左腕を失くしたことについて、未だに気に病んでいた。なので、俺は彼女に、いたって健全であることをアピールしているのだが、それほど効果はないようだ。俺の前にすると、咲哉は毎回腕の調子について訊ねてきた。
「私が失敗しなければ、君が片腕を失くさずに済んだ。だから、私は君に恨まれても仕方がないと思っている」
「一年も前のことなんて、俺はもうどうとも思ってないよ。それにいつも言ってるだろ? これは名誉の負傷だったって」
それに、俺が負傷したのは彼女のせいばかりではない。俺の実力が至らなかったせいでもある。咲哉ばかりを責めるのは筋違いと言うものだ。
「だけど、それで君は〈魔術師〉になるための道を断たれたのだろう?」
「そうだけど、別に構わない。俺はもう二度と不成者なんかと戦いたくないからな。かえって気が楽になったくらいだよ」
これは本当だ。『魔術の素養を持つ者は、〈魔術師〉として世界の平和を守るべきである』なんて、世間の通念に則った行動をとらずとも良くなっただけで、俺はいくらか身が軽くなったような気がしていた。
「でもそれ、義手なんだろう? 時々付け根が痛んだりとかはしないのか?」
「親父の知り合いの技師が、俺の身体にピッタリ合ったものを作ってくれたから別に痛まないよ。余計な心配はしなくていい」
失くした腕は、不成者の攻撃を受けた際に復元不可能なほど壊されたので、再び繋ぎ合わせるということは出来なかった。
なので咲哉には、魔女から偽手を借りているということを隠し、俺の父親の技師が作った義手を着けているということにしていた。
「すまない……余計な詮索をするものではないな」
「だから別に良いって。俺はもう気にしてないし、お前を責める気はないんだから。変に気を遣われても、こっちが困る」
それに、咲哉に対して余計なものを背負わせている自分に不甲斐なくなってくる。
「そんなことより、最近、連盟の方はどうなんだ? 何か変わったこととかないのか?」
俺の腕なんかよりも、今はそちらの方がよほど重要だ。〈憐憫の魔女〉の話では、〝シード〟としての咲哉は既に魔女の因子を〝発芽〟させつつあるようなので、彼女の周囲でも変化が生じていたとしてもおかしくはない。
「そうだな……一般人である君にこちら側の事情を話すというのも気が引けるが、もとはと言えば君が〈魔術師〉への道を断たれたのは私のせいだ。だから話しても差し支えはないか」
咲哉は口元に指をあてがい自問自答するように、一人で呟く。
「最近、どうにも〝隔絶の被膜〟の調子がおかしい。そしてそれに伴ってか、街に居る〈魔導士〉たちの数も増えてきたような気がする」
「被膜に異常が起きているのか?」
「そうだ。それに不成者たちも、以前と比べると手ごわくなってきている。今はまだ私と連盟の〈魔術師〉たちで対処できるレベルだが、このままいけばじきに手が付けられなくなるだろう」
「その根本の原因が〝被膜〟の異常にあると考えているわけだな?」
「ああ。本部に居る〈奉仕の魔女〉様とも連絡を取ったが、あの方の力が衰えたりはしていないようだ。なので、この街の〝被膜〟のみが、どこかに異常をきたしていて、そのせいで強力な不成者が流れ込んできているのだろう」
俺は〝隔絶の被膜〟の仕組みなどについてはほとんど何も知らない。なので、咲哉の言っていることはきっと正しいのだろう。
「そちらの方は近々、他の都市の連盟支部長を呼んで共に調査を行うつもりだ。本当に私の頭を悩ませているのは、もう一つの方だ」
「〈魔導士〉たちのことか」
「昨日も私の家を襲撃し、塀を破壊していった。幸い、それ以上の被害はなかったが、治安の悪化を実感して頭が痛いよ」
言われて、俺はギクリとする。
「それに、〈魔導士〉なのか〈魔術師〉なのかわからない御仁も現れるし、もうどうしたらいいのかわからなくなる。調査しようにも街の〈魔術師〉は皆、不成者と戦いで疲弊しているので、無理に働かせるわけにもいかないしな」
咲哉は短くため息を吐いて、こめかみを抑えた。
俺は胸を押さえながら、咲哉に悟られないよう必死に無難な表情を作る。
「どうした?」
「いや、何でもない。気にしなくていい」
俺は咲哉に〈眷属〉であることを言っていない。
魔女からは俺が〈眷属〉であることを、他人にカミングアウトしても構わないという旨のことを言われてはいる。だが、そもそも俺が魔女の〈眷属〉になったのは、戦いによって左腕を失ったからだ。それを、俺が左腕を失くしたことに対して責任を感じている咲哉が、俺の〈眷属〉の仕事のことを知れば、間違いなく辞めさせようとするだろう。
それに、〈奉仕の魔女〉や〈勤勉の魔女〉と違い、〈憐憫の魔女〉は人間に対してかなりわがままで身勝手な振る舞いをする魔女だ。咲哉が彼女の性格を知り、娯楽として俺が戦わさせられているとわかれば、およそ想像する限り最悪の事態となるだろう。
だから俺は、咲哉にだけは何があっても〈眷属〉であることを知られないようにしていた。
「その御仁が敵でないのならばいいのだがな。何度か助けてもらった身の上として、その方に武力を行使するのは、心苦しい」
敵になるわけがない。俺が咲哉を敵とするなんてありえない。
「目先の問題はこんなところだな。何よりもまず優先すべきは〝隔絶の被膜〟の調査だ。〈魔導士〉たちには、何か彼らを牽制するための策を講じるつもりだ。正体不明の御仁は、あちらから手出しされない限りは無視を決め込む」
魔導士連盟の支部長となった少女は、よもや慣れた様子でそう俺に語る。
「〈魔術師〉ではない君に、こんな話をしても無意味なのだろうがね」
「いや、一般市民だって魔術関係の事故や事件に巻き込まれることは珍しくないんだ。知っておいて損はないよ」
「そうか。本来ならば、君のような弱者を魔術的障害から守るのが私たち〈魔術師〉の仕事なのだがな……こんなことを話して、徒に不安をあおるような真似をして、私は一体何をしたいのだろうな」
弱者。咲哉が今しがた口にしたその言葉から、俺は越えようのない隔たりを感じる。
「だから気にするなって。むしろ、咲哉が話してくれたおかげで、俺はいざというときも危険を回避できるんだからさ」
俺は声にわずかな苛立ちを滲ませて言う。彼女のいつも毅然として、凛とした立ち居い振る舞いには尊敬を覚えているが、だからこそ俺を前にしたときだけに見せる自信の無さには、納得がいかない。
「……すまない。君にはいつも叱咤されてばかりだな。支部長がこんなことではいけない」
しかし、俺が咲哉の何に苛立っているのかを伝えられないうちに、車が校門の前へと停車した。まだ朝の早い時刻なので、学校を出入りする人通りはまばらだった。
「じゃあ、俺はこれで」
俺は咲哉に先だって車から降りる。もし彼女と一緒に登校している姿を同級生にでも見られたりしたら、よからぬ噂を立てられかねない。
「また今度。縁があれば、な」
咲哉はそう、気の抜けたような挨拶をして、先に教室へ向かう俺へと手を振った。