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まるで城砦を囲うような白く分厚い家の壁に視線を向けながら、俺は今日も〝彼女〟をつけ狙う存在がここに来ないか見張る。
正道を踏み外し、本来の役割を放棄した彼ら〈魔導士〉たちなら、〝彼女〟を手に入れるためにどんな手段も厭わない。
彼らの数は潜在的なものも含めれば未知数で、〝彼女〟一人では、とても処理しきれるものではない。
故に、俺がこうして〝彼女〟の家の前に居るのは、決して下心からではない。〝彼女〟を助け、彼ら〈魔導士〉たちを排除する、〈魔術師〉でも、〈魔導士〉でもない〈眷属〉である俺の仕事だからだ。
絶対に俺が〝彼女〟に対し報われない感情を抱いてしまったからでは、ない。
そうやって、いつものように俺が自分の心に言い聞かせていると、いつの間にかスーツを着た小柄な風体の男が一人、ぼんやりと壁の前に立ち尽くしていた。
くたびれた会社員のようなその男は、屋敷の塀に手を触れる。俺はその男の動向を注意深く観察した。
ああいう手合いは、間違いなく〈魔導士〉であるからだ。少なくとも、今まで俺が相手にしてきた奴らは、まず〝彼女〟の家を品定めする。それから軽く自分の実力を見積もり、屋敷への侵入を開始していた。
なので、男が次に取った行動には、何の驚きもなかったし、むしろ予想通り過ぎて拍子抜けしたくらいだった。
会社員風の男は、塀に手を触れると、ため息を吐き、肩を落とした。それから頭を塀に押し付けると、瞼を閉じて愚痴なのか念仏なのかわからない、意味不明の言葉を口にした。
そして、その言葉を言い終わり、顔を上げたかと思うと、その次の瞬間――――
男の上半身が大きく膨れ上がり、その威容を露わにした。
神話に出てくる巨人のように膨れ上がった会社員風の男は、その膨張した上半身を捻り、空手の正拳突きの構えを取った。
そして、右腕を大きく振りかぶると、真っ直ぐに拳を突き出し、〝彼女〟の家の塀をその巨体で粉砕しようとした。
なので、それを事前に予測していた俺は、その巨体を露わにした男の魔力を奪い取る。すると男は、元のくたびれた会社員の姿へと戻った。
「こんな夜中に、こんな屋敷にご用でもあるのかい?」
男が、こちらを振り向き、忌々しそうな表情を向ける。
「〈魔導士〉の間で噂になっている〈眷属〉とは、貴様のことか」
俺に魔力を奪われた男は、そう言って不敵に微笑んだ。
「だったら、どうなる?」
「私の魔力を奪ったようだな」
「ああ、生憎この家の令嬢と接触されちゃマズいんでね」
すると、会社員風の男は、クックッと押し殺したような笑いを浮かべた。
俺は男のそんな笑い顔に、気味の悪さを覚える。魔力を奪われたのだから、奴は今魔術を使えないはずなのに、余裕があるというのが奇妙だった。
すると、次の瞬間、突如として爆発音のような轟音が周囲一帯に響き渡った。
「ナニ、ソンナ事ヲシテモ無駄ダト言イタカッタダケダヨ」
上半身を魔術で膨れ上がらせた男は、潰れた声帯から発するかすれた声で、そう言い放った。
衝撃に煽られ、粉砕され粉々になったセメントが舞い上がり、視界を覆う。
「マジかよ……」
どうやら、俺は奴の魔力を侮っていたらしい。奪えたのは塀を壊すために必要な分だけで、全ての魔力ではなかったようだ。
「だったら、これならどうだ」
俺は男から掠め取った魔力を、自らのエネルギーへと変換した。
魔力が右腕に集中する。魔女から借り受けた俺の身体の一部、〈憐憫の偽手〉は、その特殊な作りゆえに、相手からただ魔力を奪い取るのみでなく、それを増幅し、解放する能力がある。
左腕に、薄く光を帯びた魔法陣が浮かび上がる。俺は、それを相手に見せつける。
「ソノ程度ノ攻撃デ私ヲ倒セルトデモ思ッタノカ?」
だが、男はまるで竦まず、正面から俺と対峙する。
左腕に溜めた魔力を放出する。一条の光弾が、稲光のような軌跡を描いて、男へと向かって行く。
しかし男は、立っていた場所から逃げるどころか、躱す素振りすら見せず、正面から俺の放った魔力の塊を受け止めた。
「所詮、何モ持タヌ貴様デハ、私ヲ倒スコトナド出来ハシナイ!」
――――〝錨〟を読み違えたか
俺は攻撃を受け止められたことより、目論見が外れたことに苛立ち、舌打ちする。
「所詮ハ、貴様ナド、魔女ニ見初メラレタダケノ、タダノ人間。私ノヨウニ特別ナ存在ニ、敵ウ道理ナド無イノダヨ」
男は再び潰れた声で、不気味な笑い声を上げる。
「なら、どうして〝彼女〟を狙う。特別な才能があるというのなら、自分の力で世界を変えればいいじゃねーか」
「知レタコト。彼女ハ、救イダ。〈奉仕ノ魔女〉ノ作リ上ゲタ、コノ下卑タ世界カラ私達ヲ、解放スルタメニハ、カノジョノ力ガ要ル」
「とどのつまり、自分の能力が認められなくて燻ってる状況を、他人に変えてもらおうってだけじゃねーか。救えねーな」
まるで狂ってしまった原因が他人にあるとでも言いたげな物言いに、俺は腹を立てる。
弱者はいつもそうだ。世界の方に変わることばかりを要求して、自分自身を変えようとはしない。
奴のそんな態度に、俺は同族嫌悪を覚え、むかっ腹が立ってくる。
「ホザケ。魔女二力ヲ借リルコトデシカ、生キラレナイ貴様ニ、私ノ何ガワカル!」
「ああ、全くだな!」
今の会話で俺は察する。おそらく、この〈魔導士〉が魔術を発動する際に〝錨〟を打ち込んでいるのは、〝現実〟だ。
故に、そこを衝き崩してやればいい、というわけだ。
巨人のような男は、今ある魔力を全て注ぎ込んだのか、上半身のみでなく身体全体を膨らませる。
そして、全長三メートルは越えようかという巨体へと変じると、巨大化した右手の人差し指を立てて、俺のことを挑発した。
「ドウシタ〈眷属〉。恐レヲナシタカ?」
おかしさが込み上げてくる。弱者であるヤツが、世界を変えるために作り上げたイメージが、所詮強くなった自分だということに。
「こちとら、猿を手なずける術は知らないんでね」
男の拳が俺に向けられる。岩石のように無骨で巨大なその拳は、見るだけで人を圧倒する。
俺は即座に後ろに退いて、その拳を避けると、先ほど破壊された塀の破片を拾い上げた。
相手の〝錨〟、つまり魔術を発動するための力の源は〝現実〟だ。目の前の現実を認識し、それを魔術によって変えられると思うことこそが、彼にとって魔術発動のためのトリガーとなっている。
だから、この男から魔術を奪うためには、そのトリガーとなる〝錨〟を引き抜いてやればいい。
俺は先ほどと同じく、男から魔力を奪い取る。だが、全てではない。
半分だけ魔力を奪われた男の身体が縮小する。
「ハハハ、ドウシタ? モウ限界カ?」
男はさっき魔力を奪い取られた時の感覚を覚えていたのか、特に戸惑うことなく、俺に対する攻撃を続行する。
俺は左腕の付け根から、鈍い疼痛を感じた。先ほど、男の魔力を倍にして解放した反動だろう。いつもより〈憐憫の偽手〉の能力を引き出したためか、早くも限界が迫っているようだった。
気付けば俺の息遣いは荒くなっていた。戦闘を長引かせれば、俺にとって不利になることは否めない。なので、早々に勝負を着けなくてはと思い、自然と焦りが生まれていたのだ。
男が俺ににじり寄る。膨張した肢は、幅の広い歩みで、一気に俺との距離を縮めてくる。
俺は、後ろに退いて、なるべく男から一定の距離を保つように逃げ回った。
「小僧、私ノコトヲ愚弄シテイルノカ?」
頭に血が上り、盲目的になっている男は、真っ直ぐに俺のことを追いかけてくる。
「貴様ハ今ココデ私ガ殺ス!」
巨体が近づいてくる。奇妙な重心の移動のさせ方のため、特徴的なその足音は、怪獣が迫るようで軽い恐怖を覚える。
俺は、逃げ回っている時に拾い上げた塀の欠片を握りしめ、タイミングを見計らう。
「ハハハ、小僧、貴様私ヲ罠ニハメヨウトシテイルナ?」
膨れ上がった男が、正体見たりと笑い声を上げる。
「ダガ、貴様ノ浅知恵ナド、私ノ力ノ前ニハ無力ダ!」
――今だ!
男が一気に俺との距離を詰める。そして、丸太のような腕をゆっくりと振り上げた。
俺は男の拳が、俺の身体に触れるタイミングを見計らって、先ほど奪った魔力を〈憐憫の偽手〉により増幅した。
そして、ポケットに持っていた塀の欠片に魔力を込めて、振り下ろされた巨漢の拳と衝突させる。
すると膨張していた男の体が徐々に縮んでいった。
「な……どういうことだこれは!」
元のくたびれた会社員風の姿に戻った男が、訝しむような声を上げた。
疑問に思うのも無理はない。なぜなら、分厚い塀すら打ち壊すその拳が、一片の欠片によって砕け散ったのだから。
男の拳が壊れる鈍い音が響く。魔術を発動するためのトリガーを失い、元の姿に戻った男は、目の前の現実を受け入れられないでいるようだった。
そう、彼が魔術を発動するためには、まず現実を変えられると思わなくてはならない。
だから、俺はそれを否定した。
男から奪った魔力と、〈憐憫の偽手〉によって欠片を補強し、彼の膂力と同じだけの硬さにしたのだ。
それにより、一時的にでも魔力によって変えられない現実があることを突き付けられた男は、魔術を発動するための〝錨〟を失い、魔術を発動できなくなったのだ。
「まだだ! 私はこんなところで終わるつもりはない!」
しかし、男は魔術を発動できなくなってしまったにもかかわらず、諦めてはいないようだった。懐に持っていたナイフを取り出し、俺に突きつける。
「やれやれ、今宵も屋敷にネズミが入り込んだようだな」
が、次の瞬間、男は透明な巨人にでも引っ張られたかのように、後方――先ほど男が開けた塀の穴の前――へと背中から吸い寄せられていった。
「ヒッ――」
穴から、屋敷の令嬢が出てきて、〈魔導士〉に、手にしている杖を突き付けた。〈魔導士〉が怯えたような声を上げる
「貴様の身柄は、魔術師連盟に引き渡す。場合によっては〈グリモワール〉からの除名の墓に罰則もあるだろうが、当然の措置だ。せいぜい、覚悟しておくといい」
「やめろ……私はただ、世界を変えたかっただけなんだ!」
あからさまに狼狽したような喋り方で、男が反論する。
「ならば、まずは自分が変わることだな」
だが、男のそんな反論を、屋敷の令嬢は冷たく一蹴した。
「ミサ、後のことは頼んだ」
「承知いたしました」
屋敷の令嬢が指を鳴らすと、ミサと呼ばれたスーツを着た若い女が塀の穴から出てきて、地べたに這いずる男の身柄を拘束する。
女は俺の方を見ると、ニヤニヤと含みのある笑みを浮かべて、〈魔導士〉を屋敷へと連行していった。
そうして一仕事終えたことを確認した俺は、屋敷に対し背を向けた。
「そこに居るんだろう? ネズミ捕りくん」
俺は声がした方を振り向く。〝彼女〟が、距離を置いて俺の後ろに立っていた。
だが、あちらから俺の姿はよく見えていないらしい。俺の正体がわかっているのなら、彼女は警戒を解いているはずだからだ。
しかし、〝ネズミ捕り〟の正体がわからず警戒している彼女の姿は、月明かりに照らされており、俺の方からは良く見えた。
女性にしては高い身長に、ストレートで艶のある黒髪。目が大きく、細い輪郭をした整った顔。それに程よく引き締まった体型。それらのパーツはまさに完璧を象徴しているかのようだった。
そう、一言で雰囲気を表すならば〝完璧〟。その人物こそ、俺が陰ながらサポートしている〝彼女〟――この屋敷の主人にして、魔術師連盟ムロイ山支部長である、睥睨坂咲哉その人なのであった。
咲哉は、手に持っていた樫の杖を短く振った。
すると、壊され、バラバラになっていた塀の破片たちが、自ら寄り集まり、また元の形へと戻っていく。
「貴方が何者なのか、どんな目的を持っているのかはわからないが、いつも影ながら私のことを助けてくれているようだな」
俺は言葉を出さず、右手を上にあげることで、咲哉からの感謝に応じる。
「しかし、私は若輩者ながら、このムロイ山の平和を預かる身だ。貴方がもし、街の平和を脅かす存在になった時は、今宵の恩のことを忘れることは理解していただきたい」
俺は右手を下げ、頷くことで彼女に応じる。
「だが、とにかく今日は助かった。このご恩に免じて、貴方の正体は追及しないでおこう。そちらにも色々と事情があるのだろうからな」
そう言って、咲哉は屋敷の方へと戻っていく。
そして、そのことを確認して安心したので、俺は屋敷を後にした。