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贖罪の魔女と憐れみの眷属  作者: 畳駆
プロローグ
17/36

16

この屋敷での生活を始めてから、二週間が経とうとしていた。そろそろ、嫉妬も和らいできたかな、と俺は左腕の偽手を触って確認する。

 触れられた左腕は、皮膚から神経を通じて、僅かな触覚を俺に伝えた。それでもまだ完全な同化には至っていないのか、触れてから感覚が伝わるまで、いくばくかのタイムラグがあった。

 以前は、腕に触れたところで感覚など無かったし、動かせるとは言っても、自分の腕と言うより、他人の腕を借りているような感覚だった。

 ゆえに借り物の腕を付けていても、自分は自分、他人は他人、といったような隔たりのようなものが、俺と〈憐憫の偽手〉の間にはあったのだと思う。

 しかし、今やその隔たりはなくなりかけ、俺は他者が自分の中に入り込んでくるかのような気持ち悪さを感じていた。

 自らの体を、左腕から乗っ取られていくかのような違和感。そして、乗っ取ろうとしているのは、嫉妬に駆られ、今の自分を不甲斐なく思っている、もう一人の俺。そんな感覚が、俺のことを蝕み続けていた。

 しかし、そうして自らの内に在る他人を抱えながらも、俺は生きていくのだろう。そう、今、この屋敷で一緒に暮らしている不成者のように。

 というようなことを考えながら、俺はテーブルの上に鎮座している不成者を見た。

 餌を待っているのだろう。冷蔵庫の中に入っていることはわかっているはずなので、勝手に食べればいいものを、律儀に俺のことを待っている辺り、俺を自分の仲間であると認め始めているのかもしれない。

 俺は冷蔵庫から人参を取り出し、スティック状に切って不成者に与える。

 いつもは肉ばかり与えていたので、見慣れない食べ物に不成者は警戒していたが、俺が直接手で与えてやると、コイツは喜んで人参を口に入れた。

 その様子を見て俺は満足気に頷いてから、さらに何本かの人参スティックを不成者に食べさせた。

 そんな感じで、俺と不成者は概ね良好な信頼関係を築けていた。

 しかし、それでもやはり分かり合えないのだな、と思うこともあった。

 一昨日の夜のことだった。

 ふと深夜に目が覚めてしまい、俺は水を飲むために台所へと向かった。

 台所へ行くには居間を経由する必要がある。なので必然的に、居間のテーブルの上に住み着いてしまった不成者とは鉢合わせることになる。普段は不成者は眠っているため、鉢合わせたところでどうなるというわけでも無い。

 しかし、その日は少し様子が違った。

 深夜だというのに、真っ暗な部屋の中で、不成者は目を開けていた。そして光を帯びた瞳で、暗闇の虚空の一点を見ながら、小さな体を痙攣させていた。

 不成者の生態と言うものを、俺はよく知らない。まず完全な形になる前に大抵の不成者は駆除されるので知る機会が無いし、魔術学院でも特に習ったことはない。ゆえに、彼らの行動については知る由もなかった。

 だから、少しだけ興味があった。暗くて、不成者は近くにいる俺のことに気付いていなかったのをいいことに、俺はしばらく不成者のことを観察してみることにした。

 しばらくは身体を震わせているだけで、特に変化らしい変化は起こらなかった。だが、それからもう数分ほど、じっと息を潜めて、小さな怪物のことを眺めていると、急に不成者が小さな鳴き声のような音を発し始めた。

 不成者のそんな声を聴いたのは、これまで彼らと関わってきて、初めてのことだった。不完全体である不成者が、そのような鳴き声を上げたという話も、聞いたことが無かった。

 なので、俺は初めて聞くその声を聞き漏らすまいと、耳をそばだてた。

 不成者の鳴き声は、そのおぞましげな見た目とは裏腹に、木の葉から零れ落ちた朝露の一滴が透き通った湖畔の水に落ちた時に立てる音のような、幻想的な波長だった。

 しかし、どこか切なげなその声は、耳に感じる心地よい感覚とは打って変わって、寂しげでもあった。

 おそらく、はぐれた仲間に対して発したシグナルか何かなのだろう。寂寞を感じさせるその声は、冬の夜の山の麓に、虚しくこだまする。

 そしてその声を聞きながら、俺はこの不成者の仲間に思いを馳せた。

 コイツの仲間は、今どうしているのだろう? 順当に考えれば、時間を置いてこちらの世界の別の場所にやってくるのかもしれない。

 だが、それならどうしてコイツ一人だけを先にこの世界にやって来させた? こんな弱弱しい奴一匹を群れから突き放して、一体どうするというのだ?

 となると、もしかしたらコイツはあちらの世界で完全に群れからはぐれてしまったのかもしれない。あるいは、既にコイツの仲間たちは、こちらの世界にやってきて、〈魔術師〉たちに駆除されたのかもしれない。

 どちらにしても、この小さな不成者の声が、仲間たちに聞き届けられることはなさそうだった。

 そう思ったら、俺は急にその声が、不成者の痛切な叫びであるかのように聞こえてきた。群れからはぐれ、孤独のただなかで声を上げるしかない弱き者の、痛み。そんな響きが、コイツの発する波長の中から、感じられた。

 そして気付けば、俺はこの小さき怪物のことを、その腕で抱きしめていた。

 この世界に一人でも、分かり合える存在が居れば、少しだけでも孤独が癒せるのではないか。辛くないのではないか。だから俺は不成者に寄り添った。

 だが、そんな人間が憐れみから向ける善意など、コイツにとっては大きなお世話だったようだ。その後不成者は一晩中声を上げ続けた。

 その時俺は、やはり異界の生き物同士、決して分かり合うことはないと、痛感した。

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