14
〈憐憫の魔女〉の家から帰宅し、睡眠をとって起きるともう午後を回っていた。
俺はあることを実行に移すために携帯で御影に電話をかける。
「どうしたんだい?」
「わりぃ。ちょっと相談したいことがあるから、中央公園で会えないか?」
「君からとは珍しいね。いいよ。一昨日の借りもあるし、相談に乗るよ」
通話が切れる。
俺は空きっ腹に適当なものを詰め込んでから、服を着替え、家を出て中央公園へと向かった。
そして中央公園へと着いた俺は、噴水の前のベンチに腰掛け、まだ来ていない御影を待つことにする。
休日の午後ということもあり、公園は家族連れやカップルなどで賑わっていた。しかし、山間から流れ込む乾いた風が吹き付けるためか、どこか寂しさのようなものも漂っていた。
年の瀬も近づいているためか、街のムードは忙しない。並木道に飾られたイベント用の電飾も、今の時間はまだ灯っておらず、枯れ木と足早に過ぎゆく人々が、寂寞とした冬景色を作り上げている。
俺はベンチに腰掛け、そんな光景を漫然と眺めていた。
すると、ふと込み上がってくる感情があった。
これは――あまり良くない感情だ。今までは何とか自分を騙すことで、誤魔化せていた感情だった。それが今頃になって堰を切ったように、己の内から溢れ出てくるのを俺は感じた。
俺は思わず、見えている景色から目を逸らした。そうでもしないと、俺は自分のことをみじめに感じてしまうだろうから。息が詰まってしまうだろうから。
しかし、そんな急場しのぎは何の役にも立たず、せり上がってくる感情は、どうしようもなく俺の胸を締め付けた。
これは魔法を使った代償。空っぽになった自分自身を埋めるために、魔女から背負わされた、俺の罪だ。
俯き、地面を見る。だが、もうそんなことをしても何の意味もない。溢れ出てくる感情は、もう抑えきれるものではないのだから。
俺は、普通に生活している人々が妬ましい。
彼らは、俺がいくら望んでも手に入らない物を持っている。どんなにあがいても手に入れられない物を、手にすることが出来る。
弱者である俺が、どうやっても手に入れられない物を、彼らは手にしているのだ。それが、たまらなく妬ましかった。
――家族
俺を突き放したもの。そして俺が突き放したもの。
――恋人
俺がどれだけ想っても手が届かないもの。決して遂げられず、報われることのないもの。
――幸福
俺が拒否し、手放したもの。そして俺には絶対に手に入れられないもの。
どれも今、目の前に見えている光景だというのに、遠い隔たりが感じられる。今そこで彼らが持っているものは、俺がどんな魔法を使っても手に入らないものだ。
俺は彼らが持っているそれが欲しい。しかし、奪うこともできなければ、手に入れることもできない。
だから、俺は込み上げてくる嫉妬心に、ただ身を委ねるしかなかった。
どうして彼らは何もしていないのに。のうのうと平然な顔をしてこの世界で生きていられる? 魔術も使えなければ魔法だって使えない。不成者と〈魔導士〉と言う脅威が存在しているというのに、素知らぬフリをして生きていられる?
俺は確かに弱者だ。しかし、〈眷属〉でもある。それで街を守る咲哉を守ってもいる。なのに、どうして俺はこんなにも報われない。弱者には、普通に幸福になる権利すら与えられていないというのか?
そこにいる彼らの中には、魔術を使えない者だって数多くいるだろう。そんな彼らを支えているのは誰だと思っている? 紛れもなくこの俺だ。それと〈魔術師〉たちだ。なのに、なぜ彼らは自分を脅かす存在に怯えない?
嫉妬が俺の頭を支配する。魔術にも、世の中の脅威にも無自覚で、世界のために犠牲になっている人間にも無関心なくせして、あたりまえのように幸福を受けて追っている人間がいることが、たまらなく許せない。
偽手の付け根が熱くなる。内から湧き上がってくるこの感情が、〈憐憫の偽手〉の養分になっているのか、次第に偽手が熱を帯び始めていた。
「俺は、どうしようもなく惨めだな」
〈憐憫の魔女〉から言われた言葉が脳裏をよぎる。俺はここで、嫉妬の炎に焼かれて死ぬのだろうか? だとしたら俺はとてつもなく惨めな人間だ。
俺は腕を抑え、呻きを漏らす。それから抑えきれない腕の痛みに、地面に倒れ伏し、天を仰いだ。
すると、今来たのか、御影が俺の顔の上に影を落とした。
「大丈夫かい?」
御影の魔術により、僅かながら偽手の熱が冷める。
「落ち着いた?」
俺は呼吸を落ち着かせ、早くなった鼓動を静める。そして、ベンチに凭れかかると、渦巻いていた嫉妬心が治まった。
「悪りぃ。面倒かけたな」
「相談ってもしかして、その腕に関連したことかい?」
「そうだ。ちょっと厄介なことになってな」
「それじゃあ、僕が持ってきた報せは聞かない方がいいかな」
「何だそれは?」
「聞きたいかい? 良い報せと悪い報せのどちらもあるけど」
「悪い報せから聞かせろ」
ここで避けたところで、後でどうせ関わることになるのだ。先に訊いておいた方がいいだろう。
「物好きだよね、君も。じゃあ話すよ」
俺が頷くと、御影は嘆息して話し始めた。
「睥睨坂さんに、婚約の話が来た」
まあ、睥睨坂は〈魔術師〉の名家だし、咲哉自身も魔術師連盟の支部長を務めるくらいだ。婚約の相手としては引く手数多だろう……
「って、誰とだよ!?」
一瞬聞き流しそうになったが、これは超重要事項だろ。危なかった。
「ベネディクト・千秋・クロムウェル。イギリスにある魔術の名門の長男で、連盟の支部長も務めているエリートだよ。そして、今回の件で睥睨坂さんが協力要請を出して、唯一好意的な態度を示した連盟の人間だね」
「そいつが、どうして咲哉に?」
「睥睨坂さんが本部に招集された時に出会って、一目惚れしたんだとか」
「それで、咲哉はその話を受けるつもりなのか?」
「まだ検討中。高校生で結婚を決めるっていうのもねえ」
「そりゃそうか……」
いくら咲哉が生き急いでいるからと言って、人生の重要事を即断即決するようなことはしないだろう。
「それで、良い報せっていうのは?」
「もしかしたら、その男が今回の件の黒幕かもしれないんだ」
確かに、咲哉を取ろうとする相手を、公然とぶちのめせるのならば、それは良い報せだ……ってそうじゃない!
「昨日、捕えた士道たちを、命を保証するという約束で尋問してみたんだ」
「そしたら?」
「君の思っている通り、〈偽典の魔術師〉が関与していたよ。彼らは魔術社会を維持する名目以外で、直接的な行動に出ることは出来ない。だから、裏で僕たちについての情報を流して、〈魔導士〉たちにやらせたんだろうね」
「でも、そいつは咲哉に婚約を申込みに来たんだろ? なのになぜあいつを陥れるような真似をするんだ?」
「彼の本当の目的はもっと別のところにあるみたいだ。婚約の話も、僕たちを混乱させるためだろうね」
もしかして咲哉の魔女因子が狙いだろうか? しかし、その情報をどこで入手したのだろう? あれは咲哉本人と魔女以外は知り得ない情報のはずだが。
「その目的が何なのかわからない以上、彼が〈魔導士〉であると断定はできない。だけど、〈偽典の魔術師〉を動かせる人物であり、このタイミングで睥睨坂さんを訪ねてきたことも考えると、現状一番怪しいのは彼だ」
御影はそう言って肩の力を抜くと、ベンチに深くもたれかかった。
「それで、君の相談って何だい?」
些末なことであるかのように、御影は俺に訊ねた。今の話の後では仕方ないのだが。
だが俺はそんな彼の態度に、塵芥程度の苛立ちを覚えつつも、打診をしてみることにする。
「〈偽典の魔術師〉の隠れ家で、しばらく人里から離れられる場所はないか?」
俺の一言に、御影は目を丸くした。