12
銃声の数が減ってくる。水橋の部下たちと、〈偽典の魔術師〉との決着がつき始めているのだろう。部下たちがこちらに寄ってこないということは、〈偽典の魔術師〉が優勢である、ということに違いない。
だが御影がこちらに助っ人に来ないということは、意外と水橋に手をこまねいているのかもしれない。しかし、あいつのことだ。きっと勝利するだろう。
ゆえに、俺たちも早いところ決着をつけなければならない。
前方から、ゆらりと蜃気楼のように士道が姿を現す。闇に映える白のスーツに、金属製のフェイスマスクという異様なシルエットが、森の怪物めいた雰囲気を放っている。
その姿に気圧されつつも、俺は自分の方から彼に近付いていく。
「さっきの女はどうした?」
それと分かるくらいに濃厚な殺気を放ちながら、士道は正面に立った俺に訊ねた。
「まだその辺に潜んでいるかもな」
「私はあの女を追ってここまできた。貴様では役不足だ」
「俺の実力も知らないのに、大層な自身だな」
「貴様はただあの場で見ていただけではないか。そんな奴に今更何が出来る?」
「なら、試してみたらどうだ?」
士道の肩が震えた。
「ほう。では、お言葉に甘えさせてもらおうかっ!」
その直後、士道が前脚を踏んで飛び跳ねるように駆け、一瞬にしてこちらとの距離を詰めた。
〈憤怒〉の拳が繰り出される。俺はその拳を、咄嗟に出した右腕で受け止める。
破砕音が響き、腕から肩にかけての骨が砕けていく。あらぬ方向に腕が曲がり、鈍い痛みが神経を伝い、脳に痛みを感じる信号を送る。
のたうち回りたくなるほどの激痛が襲う。だが、これはあらかじめ想定していたこと。予定調和の筋書き通りだった。
俺が士道の拳を受け止めた隙を衝いて、クヌギの木の上に身を潜め、気配を消していた辻堂がワイヤーを放つ。
そして、ワイヤーを士道の腕に巻き付けると、〈怠惰〉の魔術により、彼の体力を一気に奪い取る。
しかしそれすらもただの時間稼ぎに過ぎない。
闘争本能が高ぶり、殺気との相乗効果で研ぎ澄まされた士道の魔力は、触れるものを全て破壊しつくす。辻堂のワイヤーも、その魔力によって朽ち果て、消滅する。
それでも彼女の魔術によりわずかな隙を作ることは出来た。辻堂がワイヤーを巻き付け、作り出した一瞬の隙を利用し、俺は魔法を使い粉砕された右腕を修復する。
魔法の力は対価を要求する。俺は片方の腕を修復した代わりに、もう片方の腕、つまり〈憐憫の偽手〉を使えなくなる。
だが、それで十分だった。魔法が使えなくなっても、準備は整ったのだから。
腕に巻き付いた辻堂のワイヤーを触れただけで破壊した士道は、瞬時に魔力を全快させると、殺意の滾る瞳で、拳を受け止めた俺を見据えた。
本能が理性を凌駕した彼は、まさに狂戦士。ただ目の前の敵を狩ることのみに執着している猛禽だった。
士道は唸りを上げた。そして最大出力の魔力を帯びた〈憤怒〉の拳を、俺に突き出した。
風圧が俺の身体を押す。痩身な彼の肉体が、何倍にも巨大に感じられた。しかし、ここで怖じ気づいてはいられない。俺は地面を足で踏みしめ、彼と相対する。
士道の拳が肉薄する。俺は先ほど修復した右腕を上げ、彼の拳を受け止めた。
腕の骨だけでなく、筋肉にも地割れのような亀裂が走る。士道の拳を受け止めた俺の腕は、今にも粉々に砕け散り、無くなってしまいそうだった。
痛覚が腕から、全身にまで達しそうだ。彼の拳から放たれる衝撃は、俺の身体を芯から揺さぶり、破壊しようとしてくる。
だが俺の右腕は壊れず、その手で士道の拳をしっかりと握りしめていた。
「……ありえない! 人間の拳が、私の魔術に耐えられるはずがない! こんなの嘘だ!」拳を受け止められ、狼狽した士道が、喚き散らすように言った。
「ああ、嘘だな。お前の魔術なんて、ただのまやかしだ」
俺は冷酷にそう言い放つと、彼の拳を手のひらで掴んだ。
俺が先ほど〈憐憫の偽手〉に願ったのは腕の修復。それも二回分だ。
一度目は左腕を、二度目は俺の〝過去〟を支払い発動した。そのため、俺の腕は士道に壊されてもすぐに治すことができた。
そして、それにより、士道の〝錨〟は引き抜かれた、というわけだ。
彼の〝錨〟のタイプは〈空想〉。現実を矮小化することで、魔術を発動している。ならば、士道の空想を上回るほどの現実を突き付けてやればいい。
そのために俺は、自分の腕を利用したのだ。
〝錨〟を失った士道は、混乱しながら辻堂が上っている木を殴りつける。しかし魔力を失った士道の拳は、打ちつける音を虚しく響かせるだけで、破壊の力を失っていた。
士道を打ち負かし、拘束した俺たちは、その後御影と合流した。
御影は御影で水橋との戦いに勝利していたので、士道と二人、揃って連盟に引き渡すことになった。
だが、その前に、誰に〈偽典の魔術師〉の拠点を教わったかについて二人に聞き出さなければならない。
「それは私たちの口からは言えないな」
「何故だい? 口止めされているのか?」
「言えば、私たちは始末される。それは貴様たちも望むところではないだろう」
「言えば罪が軽くなるとしてもか?」
「大人しく連盟の下した裁きを受けるよ。そうすれば、少なくとも刑の執行まで私たちの命は保障される。そちらの方がずっとマシだ」
思いのほか潔い士道の態度に、俺は違和感を覚えた。
「なあ士道」
「何だ?」
「お前はどうして、連盟と戦おうなんて思ったんだ?」
士道は、廃墟を壊した時も、「弱き者を救済する」と気になることを言っていた。なので、俺は彼に個人的な質問を投げかけてみることにした。
「奴らのやり方では、私たちが救われることはない。そう思っただけだ」
「だから街を乗っ取るつもりでいたのか?」
「そうだ。このまま声を上げなければ、やがて私たちの居場所は連盟に消されてしまうだろう。だから、戦うしかなかった」
「例えそれが、罪であるとわかっていてもか?」
「私が継承した力は、今の時代では何の役にも立たない。人の敵は人ではなく、余所の世界からやってきた化け物だ。ゆえに、暗殺拳など使えたところで、私はただの木偶の棒の役立たずに過ぎない」
士道は吐き捨てるように言った。
「でも〈魔術師〉になったんだったら、不成者との戦いに尽力すれば良かったじゃないか」
「それが出来れば苦労はしない。〈魔術師〉になった私は、この異様な技術のおかげで、周囲から疎まれ、出る杭は打たれるとばかりに敵が増えて行ったよ」
「実力主義ゆえに、君の力を恐れる輩が多かったってことだね」
「しかし、そんな世界では私がしたかったようなことは出来ない。だから、自らの手で自分たちの世界を作ろうと思った。それだけのことだよ」
士道は憂鬱そうにつぶやいた。
「それが、弱者の救済なのか?」
「実力主義の〈魔術師〉社会では、弱者などのし上がるための踏み台に過ぎない。連盟の〈魔術師〉共は、自らの手柄を確保するために、手ずから不成者を逃し、弱者を食わせ肥大化させた後、己の実力を誇示するためだけに始末をつける。そんな場所にいたのでは、弱者の救済などあり得ない」
実力主義とは、わかりやすい弱肉強食の不等号で成り立つものだ。ゆえに、魔術を使える強者であるところの〈魔術師〉が弱者を食い物にすることなど、珍しくもない。
「でも君は、地下闘技場なんてものを経営したり、いわゆる社会のはぐれ者ばかりを部下としてきたよね?」
「彼らこそ真の弱者であるからだ。居場所を追われ、常識的な手段では人と心を通わせることが出来なかった彼らこそ、この世界での弱者だ。だからこそ救われるべきなんだ――」
「それは違うな」
士道の主張に違和感を覚えた俺は、彼の言葉を遮り、横槍を入れる。
「弱者が弱者で在り続ける限り、救済なんて望んじゃいけない。なぜなら、この世界に弱い奴を救えるほどの余裕なんてないからだ。救われたければ、強者になるしかない」
強者が作り、強者が支えるこの世界に、弱者が救われる場所なんてものはどこにもない。弱者はただ食い物にされることのみに居場所を求め、醜い生にしがみつくしかない。
なので、残酷ではあるが、救われるためには強者になるしかないのだ。
「ふん。貴様も実力主義に毒された一介の〈魔術師〉に過ぎない、というわけか」
「ああ、そうだ。だから、お前みたいな奴は放っておくわけにはいかない」
俺は士道を魔術を発動するよう、辻堂に視線を送る。
「冴木、お前……」
「いいから早く。頼む……」
俺がそう言って、辻堂が魔術を発動する。すると、敵意をむき出しにしていたはずの士道は、眠るように意識を失った。
「それでいいのかい?」
地面に倒れている水橋を担ぎ上げながら、御影が訊く。
「ああ。俺は救われたいだなんて思っていない」
どの道救われることのない俺は、弱者であろうと強者であろうと変わらない。
ただ醜く生きて、咲哉の理想が達成されるための礎となれれば、それでいい。
「全く頑固なんだから、君は」
連盟の〈魔術師〉たちが、森の中から駆けつけてくる。
俺たちは彼らに倒した敵の集団を引き渡すと、解散し、各自帰るべき場所へと帰ることにした。