プロローグ
こんな話は今更するまでもないのだが、一応話しておこうと思う。
それは30年前の話。異界と現世の隔たりが崩れ去った時のことだ。
人ならざる異形の者どもが、この現世へと流れ込んできた。
彼らは神話や伝説の中で伝えられてきた存在で、こちらへと流れ込んでくるまで、幻とされてきたものだった。
そんな彼らが、ある日突然、隔たりを超えて、こちらの世界へと押し寄せたのだ。
瞬く間に世界は混乱の渦にのまれ、一日にして現世は滅びの窮地へと立たされた。
世の法則は乱れ、秩序は崩壊し、築き上げられた物は崩れ去った、
だが、そんな破滅の淵に立つ世界に救いの女神が現れた。
それが彼女たち、大罪の魔女だ。
傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色情。人を罪へと導く七つの欲をその名に冠した魔女たちは、隔たりを失い、混沌としたこの世界を、七日間で再び平坦なものに戻した。
――――傲慢は法を
――――嫉妬は力を
――――憤怒は土壌を
――――怠惰は存在を
――――強欲は器を
――――暴食は循環を
――――色情は心を
己が魔法を用いて、大罪の魔女たちは異界と現世の間に、〝隔絶の被膜〟を作り上げた。
そして、世界がもう一度あるべき姿へと戻りかけた頃、彼女たちはその名を変える。
――――傲慢は奉仕へ
――――嫉妬は憐憫へ
――――憤怒は清閑へ
――――怠惰は勤勉へ
――――強欲は無欲へ
――――暴食は飢餓へ
――――色情は禁欲へ
それぞれが身体の一部を差出し、その罪を贖うと宣言した。
そして大罪の魔女は、その日から贖罪の魔女へと呼称を変え、世界における役割を切り替える。
彼女たちは自らの持つ魔法の一部を人間へと授けたのだ。
被膜の隙間から、未だ少量ながら流れ込んでくる異界の者たちと戦う術である魔術を、人間に与えた。
その魔法の一部を受け取り、魔を御する力を持った人間たちは、〈魔術師〉と呼ばれた。
〈魔術師〉たちは、〈奉仕の魔女〉が作り上げた法の下に魔術を振るい、人の身でありながら異界からの脅威に対抗した。
自らの力を人間へ捧げた魔女たちは、稚児を見守る母のように、人間が脅威に立ち向かう姿を見届けた。
そして、次第に世界が人間の手により元の姿に戻り、母の手を離れて自分の足で歩き始めるようになると、魔女たちは各々、自らの望む場所へと散り、人々への干渉の殆どをやめたという。
これが俺たちの世界に起きたことの、大まかなあらすじだ。
だけどこれは、とっくの昔に終わった話。これから始まるのは、一人の弱い男の物語だ。