世界
昨日の事は色々、夢だと思った。
夢だから都合良く助けられる。だから人の暖かさを信じようという気になる。
温かい床だと思った。夏場はそれなりに涼しく感じて良いが、まだこの時期は寒い事が多い。珍しく温かいので擦り寄るが妙に生々しい温かさだと気付いた。
鳥の囀りに目を覚ます。いつもの朝よりも暖かい。春になったばかりで雪は積もらないものの、肌寒い日が続いていたが春が来たと思える。不思議な夢を見たものの、目覚めは良くすっと目を開けた。
男性の腕の中だ。二年前ここに来てすぐは情緒不安定だった事もあり、兄にくっ付いて寝る事もあった。しかしもう成人である。気恥ずかしさだってあるし、男女がどういう時にこうなるかも理解していた。
茶色い髪に同じ色の瞳。端正な顔は真顔だと何を考えてるかわからない猫のようだが、笑うと意外と愛嬌がある。
「おはよう」
「お、おは、よ、うわあああ!?」
彼の首元にしがみ付いて寝ていた事を今更ながらに思い出して、顔に焼かれた時よりも熱いものを感じながら背中合わせに寝ていた兄を反射的に叩き起こしてしまった。
「んが!?」
「ああああああああ! 顔洗ってくる!!」
「お、おう」
平和面で眠っていたレンが目をこすりながら起きた横を顔を押さえて走り抜ける。
人生で一番の混乱をしている。そうだ、ちゃんと名前を交わした。ハルトは実在する。
変な夢も見た。ハルトの母に会う変な夢。
「ああああああああ!」
恥ずかしい。恥ずかしい! 全身が燃えるようである。
顔を洗ったのに、収まらなくて思わず叫ぶ。朝からあんまりな醜態である。
夢であって欲しいような、そうじゃないような。頭が混乱して爆発しそうだ。
何事も無いように表に出たハルトが、文字通り大きく羽を伸ばした。
あまりにも呑気で平和な光景に手を唖然とする。
全部本当の事である。その肯定の羽は、何度か羽ばたいて満足したのかパァッと光になって消えて残滓が残る。
森で暮らしていたらある日、天使が迷い込んできました。
天使が舞い降りた。
この世界には天使はスピリットエンジェルという種族として存在する。お伽話では天界での役目を終え人の肉体と寿命を持つことになった神の使い。しかしスピリットエンジェルは五十年ほど前から見た人間が周りには誰もいない。
天空に浮かぶエルスカイピアに棲むと言わ
れる伝説の存在である。世界の終わりに現れる英雄譚。天使が率いた仲間たちと、世界を救う物語がある。子供の頃に聞いたお伽話。その存在はまさに伝説であった。
しかし、彼がそうなのだ。
一度仲間に合流すると言って朝食前に彼は去っていく。遅くても夕方にはもう一度戻ってくるそうだ。
鳥にまとわりつかれながら泉に出発した彼を見送って朝食をとることとなった。今日はベルの担当でレンは武器の手入れをしてそれを待った。
料理が出来上がる頃には落ち着いた様子になったベルを見て祈りを捧げた後にレンが話しかけた。
「落ち着いたか、ベル」
「……なんとかね……」
「夢は、夢じゃなかった……。
しかし、すごい人だったな」
「……う、うん。まるで聖母様だったね……。
わからないけど、神様だったのかも。威厳も凄かった」
「何にしても現実離れしてたな。見た目を気にしてるのはオレ達だけ。
逆に心配してくれたり、話を聞いてくれたり……ああ、まだまだガキだったってこと思い知らされるよ」
「うん……多分、あの状態の自分をしっかり受け入れているんだと思う。
あたしには……なれないかなぁ……」
「ま! 元の作りが違うからな。
あんな性格良くて包容力抜群ならあの程度のハンデはあってないようなもんだ。
いや、ほんと凄い人に会えたもんだ。
夢だけど」
「全く同じ夢じゃなきゃただの夢なんだけどね……」
兄妹で突き合わせた夢の内容は全く違わないものだった。故に真実だったと仮定する。信じても信じなくても一つ自分達の前に選択肢が現れた事は事実だ。
『一緒に世界を見てきなさい。
一緒に大きくなりなさい子供達ーー』
その瞳を見てはいないけれど金色の気配と共に夢に溶ける最中。そんな言葉が聞こえたのだ。それは母の言葉のようで頭の中で何度も繰り返されている。
ハルトについて行けば世界が変わる。その予感は二人に同じく感じることができていた。二人で生きてきたのだから思いの外身軽でいつでもこの小屋から出て旅に出ることは可能だろう。それを考えたことはなかった。
硬い干し肉の汁物を長い咀嚼の後に飲み込むと、レンが口を開く。
「お前は付いていきたいと思うか」
「あ、あたしは……ハルトは……スピリットエンジェルかもだし、あ、危なっかしいと思う」
「確かにな」
ベルが妙に歯切れ悪く言う。包帯が巻かれてい無い方の長い髪をクルクルと指先で弄んで視線を泳がせていた。
「わ、悪い奴じゃ無いし……」
「何にせよ助けてもらった礼は必要だな」
「そう! それがあるじゃない! うんうん」
「別に無理やり付いてく理由は探さなくて良いぞ。
……惚れたんだろ?」
明らかに、彼女がスープを口にした瞬間を狙って、レンが言う。その作略に見事にはまってベルが咳き込んだ。
「ぶふっ! ゴホッ! ち、ちが!
あ、あたしが変なのは一時的な気の迷いなの! 助けてくれたし優しくて面白いだけが取り柄のスピリットエンジェルってだけで、気があるとか無いとかそんなんじゃなくて!」
真顔でその様子を見ていたレンが微かに口の端を引きつらせる。ここで爆笑してはいけ無い。元々活発で自爆癖があるからかいがいのある妹だ。ここ数年で一番生き生きとした表情で否定している。全然隠せて無い。
「そうか? まあそれに関してはどっちでも良いけどなオレ的には」
「な、なによ! 人のことばっかりからかって楽しんで!」
「異性として意識できたなら上等だろ。
十分健全だ。
進むつもりがあるなら、行ってみようじゃねーの。
あいつが探してるものも気になるしな」
「……う、うん……ハルトはキャンプの仕方も知らなそうだし……」
「女として見てもらえると良いな。この肉も食え。胸の辺りの肉も増やそう」
飛んできた木サジを軽くかわして、ニヤリと笑う。この日、二年と少しぶりにくだら無い兄妹喧嘩をした。謝りながら終始笑顔でいたことで拗ねた妹の代わりに水汲みと狩りは変わることになったが、全く後悔はなかった。
朝日に輝く泉の水に、精霊の名を呼びながら飛び込むと直ぐに向こうの世界へと到着した。全く生まれた日なのに濃い一日だった。
家までの道のりを歩くと、家の前にクレイがいた。ミカエルが車椅子を押していて二人とも服も着替えている。ジーンズとニットセーターをモデルのように着こなすミカエルさんと、薄緑のレースのあるワンピースにカーディガンを着たクレイ。一気に現代化したが安心感がある。しっかりとお世話をしてくれているようだ。
「おかえりなさいハルト」
「おかえりなさい」
「ただいまクレイ、ミカエルさん。クレイは昨晩ぶり」
「わざわざ帰還を啓示なさったのですか」
驚いているのはミカエルさんの方である。そんな手を煩わせないために天使の存在があるのだ。
「夜間のモンスターと接触したようなので様子を見たのです。あと、呼ばれたような気がしたので」
「なるほど……つながりを確認なさったのですね」
「その通りです。貴方が見た物は私が見た物。貴方のおかげで下界の様子が少しわかりました。
併せて貴方が聞きに来た貴方の疑問にお答えしましょう」
「お願いします」
クレイに聞かないといけないことは沢山ある。順番に、と深呼吸をしてからぽつぽつ質問を始めた。
「まず、この世界は女神様の作った世界ですよね」
「そうですね。今いるここは私の為に用意した世界です。管理は私が行っており災害などはありません。そして私が許可していないものは入れません」
「大きなプライベートルームですね。クレイに欠けたものがあることで管理に不備があることは?」
「この世界についてはありませんね。権能はなくなりません。
ここにいる体を失ったとしても私が居なくなるわけではありません。
しかし体を失うとしばらくグロウラスタへの干渉が出来なくなってしまいます。私にとってはしばらくでも、グロウラスタは持たないでしょうね」
「グロウラスタがあの世界の名ですね」
「はい。そうです」
グロウラスタのことについてそのまま質問を進める。
その世界はここではグロウラスタと呼ばれている。海と陸の割合は七対三を守っているが陸地の面積は地球の二倍以上。最大規模の生物はドラゴンで、体調二十メートル以上。最小規模はレプラコーンで十センチ程度。どちらも知的生命体である。
人種は人間種の中でヒュノラ、ワービースト、グリフシフト、ウォルター、ドラグーン、スピリットエンジェル。全てヒュノラを基準にほぼ同じ生殖機能を持ち、最多個体であるヒュノラが最大人口都市を持つ。
ヒュノラは言わずと知れた神の原型から生まれた最も基本的な人間である。特殊な力はなく、種としては弱い種族とされるが、最大人数を生かしあい有事には助け合い現在に至る。
ワービーストは肉体に獣を宿す一族。ヒュノラからは獣付きと罵られ蛮族として扱いを受け虐げられる事が多かった。獣付状態となった彼等は身体能力が獣の様に高くなり恐るべき力を発揮する。
グリフシフトは森に棲む精霊から生まれた一族で長命で眉目秀麗な一族である。肌は浅黒く狩人が多い。森を大切にする狩人には敬意を払って接する他、知識欲に貪欲である。
ウォルターは魚の下半身を持つ水棲民族で他の民族とあまり交流が深くは無い。いわゆる人魚らしい。海運の要となっており港町では有名なそんざいだ。
ドラグーンはドラゴンに与する一族で奔放で豪快な種族だ。山に集落を作り家事を生業に財宝を集める種。竜と共生する種で、二本の大きなツノが生えている。
そしてスピリットエンジェル。翼を持ち天空に浮かぶ島エルスカイピアに棲む。肌は透き通るように白く、優位性からかプライドが高い。
ハルトはほかの人間からすればスピリットエンジェルに分類されてしまうだろうということだった。
「今行くと大変かもしれません」
「何処へ?」
「エルスカイピアです」
「何故?」
「なりません……なりませんよ天使!」
なんか難しい事考えてましたね?
頭をグリグリと押し付けてくるクレイにから笑いする。
「わ、わかりましたって。というか、他に行く場所はたくさんありますから」
「うふふ……流石私の天使! 堕天分岐した人間に拐かされてはなりませんよ!」
いったいそこで何が起きているのか。あまり掘り下げてもいい事は起きないだろうと他に気になる言葉を質問する。
「堕天分岐とは?」
それに答えたのはミカエルさんで、赤い瞳と向き合った。
「我々天使とは一線を画します。一度堕天し、地上に残る事を選択し、人となることを選んだ天使が始祖です。
彼らは第六のルシファーに巻き込まれた、部下に当たりますね
死産するはずだった子らをここに連れてきて育てらことになりました。吐き捨てられた世界樹の種が揺りかごになった様ですね……。
スピリットエンジェルとは言いますが要するに翼人種です。羽があるだけで天使ではありませんし、不死性もありません。
グリフシフトと混じる事が多かったので平均寿命は三百年以上と長めのようですね。
翼は貴方と同じ一対。しかし消すこともできず、結構重たいらしいです。
何より信仰があるようで全くありません。空の神を崇めているようですが、全く信仰心が無く自尊心を満たすことばかりを考えているようです……。如何しましょうかクレイトア様」
「短慮はいけません。まずは注意からです」
「天使からの予言など、彼等をのぼせ上らせるだけでしょうね……何か対策せねばなりません」
と、考えモードに入ったミカエルさんを見て苦笑いをして言う。クレイは残念そうに頷いた。
「じゃあ、俺は翼は使わない方がいいんですね」
「基本的には使わない方がいいかもしれません。
警備隊に空を飛んでいる事が見つかるとかなりやっかいです。空は我々のものと言って憚らない種族ですし」
「折角ですが制限ですね。
そうだ、ミカエルさんに空の飛び方も教わらないと。いいですか?」
「構いません。貴方が良い時に言ってください」
「私も付き合いますよハルト」
「最初は落ちちゃうからクレイは安定するまで待ってて」
「残念です」
ここに来ると時間を忘れがちだがそろそろ昼だろうか。まだヒュノラ種の詳しいところを聞いていない。
種のあり方においてはハルトの知識にある通りである。知識と技術を伝承して生きる種族で、寿命は長くて八十年程度。繁殖力は大型の生物としては群を抜いて高く、十年過ぎから交配可能である。
近代歴史としては、一番大きな国は現在の大陸で三ヶ国の併合がありメリアハという都市が首都の様だ。隣国のワービーストの国とは仲が悪く、十年以上小競り合いが続いている。
ヒュノラに関しては記述が多く、探すのが大変で時間がかかっていた。ミカエルさんに少し疲れが見えていたので休んで貰うことにする。
「辛そうです、大丈夫ですか? 少し休んで下さい」
「私は大丈夫ですが……すみません。情報の精査のために時間がかかります」
ふう、とため息をついたミカエルさんを労うために、お茶でも出そうと立ち上がる。
「何か飲めるものを持ってきますね」
「いえ、私は……」
断りそうになった所にクレイから援護がくる。
「戸棚の上にハーブティーが置いてありますよ」
「ホントだ。俺の知識でも淹れられそうなんでちょっと待っててください」
この世界でもシステムキッチンの光景が広がっているので火の回りも大丈夫そうだ。滞りなくキッチンを使って、良い香りのお茶が入った。ハーブティーに近いもののようだ。
「お口に合うといいですが。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「クレイは、もう少し冷めてから飲もう」
「そうします」
「……美味しい」
「それは良かった。クレイが選んだ知識が役立つのはこれが初めてかも」
「そんなことはないでしょう。
貴方はガチャを見て混乱しなかったはずです」
「確かに。これってどの程も意味があるんですか?」
「混乱を避けることと有用な運用方法があれば、と。あとは貴方の知識から実用備品が用意出来るようになっています」
「そんなことができるんですか……電子機器は?」
「家事に必要なものは一通りありますね。
更新されるコンテンツや通信機能は管理する人間が居なければ無理ですが」
「まぁ確かに……色々と人手が必要ですからね」
「あ、あの……ハルト」
「あっ、はい。なんですか?」
「わ、私にも、その、てんしきき? の使い方を教えて欲しいのですが……」
おや、とハルトは意外に思った。なんとなくだが彼女は知ってそうだと思っていた。そして少し遠慮気味な態度から何かしただろうかと不安になる。
「電子機器ですね。家の中を色々変えてたようなので知っているものと思ってました」
「中を電化したのはクレイトア様です」
「そうだったんだ。まぁそれができる管理者ですもんね。良いですよ。教えます」
「すみません。私のことは苦手でしょう」
え? と俯く彼女を見る。そう言えば最初はかなり警戒していたが、真面目な彼女を見ていると全然苦手な感じはなくなっていた。
そう言うのは分かってしまうのか。
「あー今はそんな事無いですよ?」
「私は一度貴方を殺そうとしたのですよ?」
「それはそうなんですが」
かと言ってクレイの面倒を見てくれる貴重な人員である。
不安要素もあったと言えばあったが、帰ってきたときにはほぼ忘れていたし、彼女の生真面目さはそれを吹き飛ばしてくれていた。
初めにあったほの暗い思いは無く、考え直しても今は何も思い浮かばない。
「仲直りに何かしたほうがいいかなクレイ」
「なら頬にキスをなさい。ここに生まれた家族なのですから」
「クレイは突然無茶振りするなぁ」
「神様ですからね」
気恥ずかしいことをさせるものだ。
クレイが言うならばとソファの隣に移って来たミカエルさんが頬にキスをしてくるので同じ様に返す。見つめ合って変な空気になってしまう前にやりかえして笑って説明を始めることにした。顔が熱い。こちらの赤面に気付いた彼女も少し赤くなる。
「じゃぁ、説明しますね――」
「はい。よろしくお願いしますね」
「待ちなさい。もう一つ大事な事があります」
「な、なにさ」
「二人で私の頬に」
混ぜて欲しいらしい。どうせほぼ動けないのでされるがままであるが彼女がこちらの触り方に難を示した事はない。
「はいはい、ちゅー」
「愛と恥じらいが足りませんよハルト!」
「そんな事ないよー。ちょー女神様大好きだよー」
「ふふふ。まぁ心の広い私はあなたの照れ隠しに免じて許してあげる事にします」
「心が広いって自分で言う人は大体猫の額だよね」
「貴方は調子に乗りすぎです。可愛いので動ける様になったら全身くまなくキスしてあげますからね」
「勘弁してください」
そんなやりとりに何かに安心した様にミカエルさんは笑う。
打ち解けた後は炊事洗濯掃除に必要なものを順番に説明する。掃除機はかなり感心を買ったようで気に入っていた。テレビやラジオやエアコンはあっても仕方ないので付いていない。その代わりキッチンを周りが充実いている。一般家庭で作れる料理は全て作れるだろう。掃除洗濯に関しては魔法の方が有能だ。調理も理論を知っていれば魔法で同じことができるが、わざわざ魔法でするよりも楽である。冷蔵庫、オーブンレンジ、コンロと台所周りと、ジェットバス、シャワーが関心の的である。
これらのものはハルトに合わせてクレイが用意したものだと聞いて一つ思いついたので聞いてみる。
「タブレット端末を一つ用意出来ませんか?
内臓された情報でも料理のレシピや辞書の情報があれば掃除しながらでも読めますし。説明書を入れられれば詳細な使い方もわかりますし」
「はい。用意できますよ」
クレイに言ってみると、コト、と。机の上に真っ白な箱が現れる。流石女神様である。
今度は初めてのタブレット端末。指先で動かせる情報に釘付けになってしまった。暫くするとハッとみられていることに気づいて、変なボタンを押して慌てていた。完全に電子機器に弱いお姉さんである。チャレンジ精神があるのでやはりちゃんと教えてあげれば使い方を覚えていくのは簡単な様だった。
「す、凄いですねこれ、便利です」
「たてかけのスタンドを持って行って料理本として立てておくこともできますよ。水と火に弱いので注意が必要ですが」
「なるほど……前菜、主食……お菓子類までページがありますね」
「そのページには誘惑の悪魔が住んでいますよ……うふふ」
「邪気は感じませんが……」
「クレイは百年動かなかったし、ぷにぷにだから気を付けないとグフッ!」
再びハルトを女神の頭突きが襲う。彼女は意外と石頭だ。
「ぷにぷにしてません」
「く、クレイはバランス取れてるからね。これを保たないと」
「そうです。この飽食の知識を間違って使うとあっという間に体型が維持できなくなります。気をつけましょう」
「そもそも、我々は食事は要らないのですが……クレイトア様が要るというならばお作りします」
「簡単なもので構わないのです。皆とたまに楽しみたいですね」
「わかりました。練習しておきます」
そんな会話を終え、皆でお茶を飲み干す。洗い物は任せることになった。
さて、と俺は席を立つ。
手にはメダルが一枚。本日のメインイベントのガチャである。ガチャは玄関に再設置されていて、異様な景観になっている。入りづらい駄菓子屋さんみたいだ。
今度も気性の大人しい人だと助かるなあ。
そんなこと。考えながらガコガコと回していく。がこん、と現れたのは銀色。
一旦報告かな、と少しホッとしながら家に戻る。
「銀色だったよクレイ」
「あら。また精霊の子ですかね」
「そんな感じだよね。ディーネと同じぐらいの人は出てくるんじゃない?」
見た目重視の為に言葉のレアリティが落ちてよりレアリティの高い言葉を作る羽目になっていた。稀少という言葉が稀少でもなんでもない、溢れかえった世界。文化とはなんとも不思議なものである。変な感想を言っているうちにミカエルさんもやってきて、銀のカプセルに眉を顰めた。
「取り敢えず、三人で開けに行きませんか。
家からは少し離れたほうがいいと思うので、丘の下まで」
「わかりました。この間の失態を雪ぐチャンスをください」
「頼りにしていますよミカエル」
「唯一の戦力ですからね……。
じゃ行きましょう」
「はい」
外に出て、二人が出るのを待つ。車椅子を使い上機嫌なクレイと少し緊張感のあるミカエルさんが出てくる。
戸を閉めてからウンディーネを呼べないかなあと漠然と考えてみる。
「ディーネの所に行くとちょっと時間かかっちゃうなあ」
「あらぁ。呼んでくれれば何時でも行くのに〜」
「えっ! うわ!」
唐突に現れてのしかかってくるのに驚いてよろめく。なんとか踏みとどまると、頭の上に柔らかい重みがあった。
「ディーネ!? 水場がないとダメなんじゃ……!?」
「こっちは別よ。水精に限りはないもの。
歩けないから運んで貰おうかしら」
くるん、と首に手を回して前側にぶら下がるように回り込む。それを慌てて抱えるとお姫様抱っことなった。ウロコ部分がひんやりしていて不思議な感覚だ。あとあまり重さを感じない。
「なにやら羨ましい気配がします」
「ハルトが、ウンディーネをお姫様抱っこしていますね」
「ハルト。私も!」
「はい? ええと。帰りなどで良ければ」
「それで構いません」
「ふふっ、ゴメンなさいクレイトア様。ハルト君はいい天使ね」
「うふふ。やはりわかりますか。
貴女とは良い関係が作れそうです」
和やかな笑いが交わされている。手があったら握手していただろうか。まあ、好きに言わせておくべきだろう。この二人は波長が似てるし。
丘の麓に降りて、早速カプセルに手をかける。ディーネは降りて自分で作った水の塊の中に座っている。微妙に動いているので多分彼女は運ば無くても付いてこれたのだ。
焦らしてもいいことはない。一気にそのカプセルを開け放った。閃光のような光りに包まれてまたこの世界に何かが解き放たれる。
そう見えていたのは二人だけでハルトには別のものが見えた。黒い毒々しいものに突如襲われる。
塊はハルトを包み、瞬く間にハルトに吸い込まれるように消えると彼の頭に激痛を与えた。
「がアアァァァ!?」
「ハルト!? 如何しましたか!」
「ハルト!!」
景色が見える。刀が見える。
力自慢の男が、最後の時を迎えて笑う。
傷を負う。卑怯だとは思うが弱点を突く事はなにも悪くはない。戦略においての敗北の味は新鮮だった。自らが認めた負けに心が躍った。こんな奴もいるのかと腹の底から笑った。仲間に誘われ、更に気に入った。仕えるべき主に出逢ったのだ。
苦難を乗り越え、更に苦境に立って尚楽しいと思っていた。後悔はなかった。
膝を屈する事はこの方以外ではあり得ない。どんな苦境に立っても、飄々と乗り越える。それだけの努力をする人だと知っている。だからこの人の先を疑った事はない。
故に。ただおかしく思えて笑った。あの時以来戦において膝は付かず、その生涯を終えても同じだった。
そのまま息絶えた事に誰もが畏怖した。
自分の知識が知っている話に酷似している。意識の中で泣いているのか怒っているのか。渦巻く感情の激しさに苦しむ。
この感覚はなんだろう。まるで自分の視点であるかの様に記憶が再生される。全ての人生を五感の全てで感じて終える。
遠のく意識の中で誰かに嗤われる声を聞いた。
やはり悪意だ。このガチャには味方がいる? 敵が居ないとは言っていないってか。
手元に置かれたメダルは、悪意からのチップだろう。あの世界と天界は今圧倒的に神と天使の手が足りていない。進む為には、ガチャを引かなければならない。引くと、致命的な何かが溜まっていく。そういうシステムだ。
その予感を感じきる前に、意識が完全に途切れる。死の冷たい感触だけが彼を支配していた。
目が覚めたのは数時間を要した。ミカエルの時と違い肉体からの痛みに意識が途切れたのだから再生が早くても意識が戻るまでには時間がかかる。
服まで綺麗に治るのは正直ありがたいところではある。大人の事情ではなくちゃんと自分の正装として服があり、それを認識しているため自己再生と言う魔法が服まできっちり再生してくれる。自己に含まれているのか、とクレイに感心の言葉を返した覚えがある。
しかし一体なんなんだろうか。誰かの感情と記憶が一気に通り過ぎた。あの人を定義付けたもの全てのようで、通り過ぎた後はどこかへ消えてしまった。全身の痛みは彼が受けた傷の痛みだろう。あれを開けるたびにそうなるともたないかもしれない。
思考だけが寝ている間に進んで意識が覚醒して行く。
ベッドで目を覚まして、何だか柔らかな感触に首を傾げた。
「起きましたか、ハルト」
「クレイ……膝枕してくれてたの?」
「今は膝はないですから太ももまくらなのですかね」
「ありがとう……そろそろ下界に行かないと。二人にも、説明しなきゃ……」
「ハルト、貴方はあの時何を見たのです?」
「何って……黒って言うか、濃い紫色の液体がクレイに何かしようとしたから」
「ふむ……貴方と精霊以外には見えてないようなのです」
それは厄介だ。どれだけ強くてもみえなければ力が振るえない。
「ディーネには、見えてた……?」
「ええ。貴方と同じく、邪悪な液体が見えたと」
「人間だから見えるんじゃないとしたら……、あちらの世界関係かな」
「悪魔類は登ってこれない上に、存在することもできません」
「それはガチャみたいに抜道があるんでしょうね」
「どんな抜け道でしょうか」
「俺にはまだ見抜けません。
ただ、ガチャは味方と敵が一緒に入ってるんだと思います」
「そうなのでしょうか」
「クレイはまだあのガチャを設置してくれた神を疑ってないんだろ?」
「ハルト、どうしても疑う必要がありますか?」
「うーん……ありませんよね。クレイは気にしなくて良いか」
「どうしてそう思うのです」
「クレイはまだ確かに被害を受けてない。
襲われかけたのも……あれ。
クレイは、嘘を言ってるわけじゃない。とすると……」
感知できないのではなく、クレイからすれば何もないとすると――。もし、あの液体の様な何か。あれを食らって影響が出るのは天使以下とかではなく条件が違う? しかし、天使の部分か人間の部分か、俺はそれを危機と感じた。
「ええと、霊力でいいんだっけ? 霊力が高いと効かなくて、霊力が低いと効くものってありますか」
「どうでしょうか。試したことはありません」
「いえ。反応できたのが半分でも人間だからなのかなぁって」
「わかりました」
「えっ」
「貴方は私を庇わないで下さい」
「それは駄目です。天使の役割を否定するんですか?」
「その度にハルトが苦しむのは嫌です」
「だけど、もしクレイに何かあったら俺が死ぬ程後悔するから。役割を否定しないでほしいよ」
「ハルト……」
それを言うとやれとも、やらなくていいとも彼女は言わないようだった。どちらでも良いと言われるなら正しいと思う事をやる。
彼女は俺に対して何も強制していない。自分が育つ様を楽しんでいるようである。彼女が微笑ましいと思っているうちに全て終わる事が出来ればよいのだが。
ログハウスは最初よりずいぶんと拡張されている。一応十人分ぐらいの居住環境となっている。このまま広げられるし、整備も特にいらないらしい。すごいな神様。
ひとまずリビングにミカエルさんがいるということで約束通り彼女を抱きかかえて移動する。他愛もない話をしている間、歩いている廊下が妙に長かったのはきっと気のせいだろう。
リビングではミカエルさんがしょんぼりしていた。気まずい空気である。
大丈夫だと言い含めて持ち直してもらうのにまた少し時間がかかった。
彼女が落ち着いてから体を揺すってクレイが俺に言う。
「では、貴方に行動指針を授けます」
「無計画さを叱られている気がする」
「うふふ。偵察までは良かったですが無茶が過ぎたと思います。
友を想う貴方の心意気は大好きですよ」
「……気をつけます」
「よろしい。
では貴方がなすべき事をお伝えすると――」
神からのお告げ。啓示。そう呼ばれるものの中で明確な指示を与えるのは大きな役割がある時だ。息を飲んで彼女の言葉を待つ。
「あの植物モンスターを倒しなさい」
「あれ。そんな感じでいいんですか?」
「いいのです。貴方のやった事が良い方向に働いています。様子を見ますがここは貴方にお任せします」
クレイの様子に反発する意見を出したのはハルトではなくミカエルだった。
「危険です。モンスターは戦う能力の低いハルトでは辛いと思われます」
「確かにひとりで大丈夫、と言えないので森に住む兄妹に協力を仰ごうかと思います」
ハルトの天使的な勘があの二人の協力を仰げと言っている。それにはクレイも満足げに頷いた。クレイの言うぶんにはあれを倒すと周囲のモンスターは減るだろうとの事だ。協力を仰ぐにはちょうどいい理由である。
しかし何か煮え切らない様子のミカエルさんが視線を下げて首をかしげる。
「しかし……」
「あら。すっかりお姉さんになっていまいましたね」
「えっ、あ、ち、違いますっ、いえ、違わ無いのかもしれませんけど、とにかく心配で!」
「ありがとうミカエルさん。でも、俺の役目だから。頑張るよ」
「ハルト……」
「じゃあ、行ってきます」
ひとまず彼女の事は任せて、再び二人の所へ行ってみる事にする。
二人には感謝するべきだ。
泉ではディーネがしょんぼりしていた。被せてくるのは卑怯だ。ミカエルさんに続いてだが笑みが溢れてくる。
「さっきは助けられなくてごめんなさい……」
「俺は大丈夫だよ。ディーネはなんとも無い?」
「ええ」
「じゃあ、問題無いよ」
「……貴方も、クレイトア様と同じなのね。
親に似ちゃうのは仕方ないとはいえ。
ダメよ、自己犠牲だけじゃあっちは生きられ無いわ」
「知ってるよ。大丈夫だって。
所であっちに送ってくれる?」
「丁度、あの子達が迎えに来てるわ」
「お願いするよ」
差し出された彼女の手を取ると水に包まれる。俺は再び、グロウラスタへと旅立った。
時刻は夕刻の近い昼である。
あまり遅くなると危険では、という事で少し早めにハルトが向かった場所へと赴いた。
実際には一日千秋と言わんばかりに焦れ始めたベルを見兼ねて、しょうがなくレンが迎えを提案した形である。
見落とすまいと狩人の目を使って泉の周りを散策したがそれらしい姿も無い。人ぐらいの大きさのものが通れば新たに道ができ、彼等にはそこから探すことも可能だった。しかし、泉の周りはいつも通りの獣道しか存在しない。
諦めて家で待つか、という話が出かけた時に泉に大きな水玉が出現した。
それはみるみるうちに人の形になって中から人魚と人が一人現れる。
「貴方達が落としたのは金のハルト? 銀のハルト?」
割と森に住む人間や狩人の間では有名な童話を演じるウンディーネに横向きに抱えられながら二人と再会した。
「い、いえ、普通のハルトです、あ! 落としてません!」
「正直な良い子たちに天使のハルトを授けましょう!」
「俺をモノ扱いするのやめてくれませんかね」
「あ、あの、ハルト、この方は?」
「この方は……水の大精霊、ウンディーネ様です」
「貴方達がハルト君の面倒を見てくれた二人ね」
「い、いえ、助けられたのはあたしたちの方で! け、今朝も、ご迷惑を……!」
謎の混乱を見せながらペコペコと頭を下げるベル。レンが笑いをこらえていて何かあったのだなと他人事のように手を打つ。
それがベルからすると、朝のことを思い出されたような姿に見えて赤面が進んだ。
「ふふふ。正直ね。お嬢さんに良いモノをあげるわ。毎日お顔にぬりこみなさいね」
唐突に取り出したキラキラと綺麗な光を放つ瓶を手渡される。面食らったような表情で丁寧にそれを受け取るベル。
「ディーネ、それなに?」
「化粧水よ〜。美容にいいの」
ああ、女の人はいっぱいつけるよねそう言うの。納得しと頷くとにっこりとディーネが微笑んだ。
「乙女のたしなみだもの。それじゃハルト君またね」
「ありがとうございました」
ばしゃん、と水に戻った精霊を二人が唖然と見送って顔を見合わせる。
「こ、こんな高そうなもの貰っちゃったけど、本当に良いの!?」
キラキラと手の中で輝く贈り物。ベルの両手がプルプル震え始める。
「貰ったんだから良いんじゃない? 化粧水とかって高いの?」
「わ、わかんないよ、もう瓶が高そうなんだもん!」
「確かにな……だが。まあ、お前にくれたんだ。精霊様は気まぐれって言うから、貰えるうちに貰っとけ。
で、今の美人さんとどういう関係なんだ?」
「どういうって。うーん。
……よく面倒見てくれる近所のお姉さんだよ」
「精霊様が近所に居てたまるか!」
ペシッとレンが太腿を叩く。
精霊は神出鬼没である。百年に一度会えるかどうからしい。
しかし、呼べば出てくれる程度に気さくで気軽な関係は実にそれがぴったりだと思った。
「くっ。兎に角、あの美人さんの胸が当たり放題だったのが羨ましい!」
「レン最低!」
「仕方ないんだ! 男という生物は!
大きいと関心を持ってしまう仕方ない生き物なんだ!」
レンの力説にベルがドスドス背中を殴る。痛そうな音がしているのに平気そうである。伊達に鍛えてはいないという事だろう。
「確かにディーネさんは人の頭を乳置き場にするからね」
「けしからん! 羨ましい!」
「もうバカ! エッチ!」
「あははは。二人共ゴメンね、遅くなっちゃって。やる事が決まってごちゃごちゃしてた」
「やる事?」
「森のモンスターの主を倒すよ」
「え!? あの、森の奥の? なんで?」
「昨日、ベルが見たって奴か」
「そんなの倒してどうするんだ。モンスターなんか戦うだけ損するぞ」
「その親玉が居なくなればこの辺のモンスターも減るって」
「そんな話、一体誰が?」
「昨日夢で会った人だよ」
「あの人は一体……?」
「今は秘密。でも、凄い人なんだよ」
神様です。とはまだ言わ無い。現状突然現れた自分がさらに怪しい事を言うと混乱が深くなるかもしれないし。とはいえ、近いうちに言ってしまおうとは思う。
「で、どうやって倒すんだ?」
「正直まだ全然考えてない」
「ダメじゃない」
「だから森で暮らす二人に知恵を借りようかなって」
「あ、あなた一人でやる気なの!?」
「そりゃあ、あの人はああ言ったけど。二人を危険な目には合わせられないよ」
「いや、お前が一番危ないっつの。
まぁいいか。とりあえずハルトお前、今日もウチに泊まっていけよ。色々話がある」
「わかった。お邪魔するよ」
ベルが驚きの表情でレンとハルトを見るが、レンはまた笑いをこらえるために視線を空に向けて口元を押さえた。
ハルトはその様子を見て微笑むとベルに言う。
「今日も一緒に寝る?」
「ば、ばっかじゃ無いの!! 寝無いわよ!!」
「今日は大丈夫そうだね」
うんうん、とそのやり取りに笑う。ハルト的にも冗談である。空から落ちるのは人としてはかなり怖い出来事だ。夢に出ると必ず落ちる夢は眼が覚める。酷いことをしたのだという自覚はあった。必要だと言われれば応えたが、彼女の様子を見る限り大丈夫そうであることに安堵して歩き出す。
後ろで何か小競り合いをした兄妹にどうしたかを尋ねたが、レンが楽しそうに笑うだけだった。
「まず、はっきりさせたいんだけど!」
「うん?」
「ハルトはスピリットエンジェルなの!?」
予習でやったところだ! と言わんばかりに心でガッツポーズしたが危うくこれを彼等に尋ねる羽目になっていた。完全にアホの子扱いされることを免れて、ホッとする。
「いや。天使だよ」
この二人に対しては正直にやっていこうと決めているので、正直に答える。
「何が違うんだ?」
「翼が収められる。二人以上抱えて飛べる。
コレは本物の天使の翼なんだ。多分普通の人じゃ触れ無いし」
羽を出して二人の手が素通りするのを確認する。あとほぼ不死身で寿命もないらしいが寿命に関してはとりあえず黙っとく。
なかなか、不思議そうな面持ちの二人である。
「あと、死に難いのと、寝ない事ができるぐらい」
「死に辛いって?」
「前、首が折れたんだけど、治った」
「それ凄いな……」
言葉を失う二人に小さく手を振って言う。
「まぁ、なんか若干人じゃ無いんだ生まれつき。あ、こわい?」
「そんな事ないけど……信じられない」
「やってみせてもいいけど、痛いものは痛いからなあ」
ふるふる首を振ってベルが言う。腕を組んでいたレンが眉を顰める。
「お前本当に何なんだ?」
嘘はつかない。本当の事も言わないんじゃいつまでたっても怪しいまま。自分については全部本物の事を言ってもいいだろうと思うし、真剣にレンを見て言う。
「本物の天使だよ」
「嘘じゃないよな?」
「俺がわざわざ嘘つきに戻ってきたと思う?
それならもっとましな事言うよ。
因みに俺が生まれたの昨日だ。この世界の事はまだ不勉強なんだ」
「昨日!? 生まれた!?」
「神様に作られたばっかりの天使なんだ。
でも、この世界に降りられるぐらい人間なんだよ」
ここまで言ってかなり真剣な顔になった兄妹。だんだんわかってきてしまったようで、拳を強く握ってハルトに訊いた。
「神様は降りられないのか?」
「降りられるだろうけど、降りる為の身体が無いんだ」
「……取り返しに行くってそういう事か!!」
だん、と床を叩いて憤るレンに、ハルトが驚いて身体を跳ねさせる。
「うお。びっくりした」
「《あの人》は、神なのか!!」
この世界では思ったより神様の存在は近しいものなのかもしれない。レンの思考の早さに感心しながら色々と考えを改めて、肩を掴んできたレンにゆっくり頷いた。
「……そうだよ」
「な、なんてこった……人がやったのか……?」
「この世界の人間に頼まれて、自分を代償に力をあげたんだって言ってた。
力は帰らず百年あのままで独りきり。
俺はあの人を救いたいんだ。
だから、モンスターに挑む。
そう決めた」
二人は痛々しいと思ったあの人を思い浮かべているのだろう。
そしてそんな事に微塵も気にかけず、自分達に言葉をくれた事にベルは涙が出てきた。
目の端でその姿を見て、レンがハルトに向き直る。
「……手伝わせて貰えるか」
「手伝ってくれるなら歓迎だよ。
でも俺には何も出せないよ。二人にはここでの生活がある。無理はしなくていい」
森で生活するのも楽じゃ無い。簡易な菜園でも手はかかるし、狩りは数日かけて行う事だってある。水汲みやこの季節ごとの仕事だってあるかもしれ無い。
だから期限の無いハルトと違って有限な二人の人生にとって今生きる為に行う行為は価値がある。
「オレがやるべきだって思ったんだ。
あの人は何も言わなかった。オレたちを心配して、言葉をくれたのに何も返せないのはオレたちの方だ」
「あたしも。あたしで役に立てるなら。
……この森でただ無為な時間を過ごすよりは。少しでも役に立ちたいと思う」
その申し出はハルトにとっては有難い。
だからすぐに笑って、宜しく頼むと握手を交わした。
夜は深くなり始めたばかりだ。