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天を駆ける

 黄昏時の影が濃く、森は一層茂って見えた。泉まで真っ直ぐ歩いて、レンと握手をした。


「ありがとう。ベルとあんなに笑ったのは本当に久し振りだ」

「それは良かった」

「また来てくれ。歓迎するよ。何も無いけどな」

「うん。割とすぐに会うかもな。暫くこの辺でうろちょろするから。珍獣と間違えて撃たないでくれよ」

「弓はベルの方が得意なんだ」

「ベルにも言っといて」

「ははっわかった。じゃあな」

「そっちこそ、気を付けてな」


 親い友人のように挨拶して、レンが元来た道を行こうとした時にそれはやってきた。

 静かだった森が、にわかにざわついてきた。何が起きているのかはわから無いが鳥肌が立つ。

 梟がバサバサと羽ばたいてハルトのそばに降りた。動物の言葉はわから無い。ただ違和感はすぐにわかった。


「梟か。さっきのアフロくんかな……あれ、包帯?」

「包帯だな」

「な、なんか、血が付いてるんだけど……これって」


 ハルトがその包帯を受け取ると梟が飛び去る。二人の家の方角に。

 見るからに血相を変えて、レンが走り出した。家を目掛けて一目散に行ってしまった為、ハルトは声をかけそびれた。


「面倒事に巻き込まれそうね」

「ディーネ。俺も行かなきゃ」

「いってどうするの?」

「助けるに決まってじゃないか」

「……この森に住んでて、今更危険に巻き込まれるなんて事はないわ。

 彼女は自分の意志で森に入ったはずよ」

「止めるのは俺の意志だよ」

「そう……貴方は天使ね」


 切羽詰まった状態のはずなのに、わさわさと頭を撫でられている。


「あ、そうか! ディーネありがとう!」

「え?」


「そう言えば天使だった!」


 バッと、翼を広げた。純白の羽が、手を伸ばしたよりずっと大きな

 風を感じる。自分の身体はすぐに浮き上がってしまいそうなほどの強さの風が吹き荒れている。勿論羽が感じている風は実際に吹いているものではない。バサッと羽ばたいてみると身体は簡単に浮き上がった。そして何もしなければゆっくりと速度を上げながら落下する。世界に落ちた時、羽さえ広げていれば死ななかった事にはこの時には気づかなかった。

 三回程羽ばたけば、木の上にまで飛び上がれた。日は沈んで森は怪しく青白い輝きを見せている。前に進みたいが左右に何度かバランスを崩して、ふらふらとする。

 梟のようにうまく飛べない。目の端に映った梟は殆ど羽ばたいていない。

 そうだ。ある程度経ったら滑空だ。


 梟の見様見真似だけで飛び方を覚えていく。まるで野生児だけれど、飛び方の記憶は人には無いものだ。これは自分で経験して蓄積するしか無い。

 あの梟を追いかけて暮れなずむ空を必死で飛んだ。


 何度か木にぶつかって落ちかけて、服をボロボロにしながら森の中にも視線を向けていた。木の枝のしなりを利用して飛び上がると先程までいた場所に青白く光る狼が噛み付いていた。


「うわっ! アレがモンスター?

 ゴーストって感じだなぁ」


 しばらくハルトを追っていた狼が忽然と姿を消す。あんなのが徘徊してるのならさぞかし夜は人気のない世界なんだろう。

 むしろ人気のない場所にしか現れないもののように思う。それは天使の間であってなんの根拠もなかったが、彼の記憶にある幽霊も活躍場所は夜の人気のない場所である。

 それはそうとまだフクロウには追いつけない。飛んでいる方が圧倒的に早いはずなのだが、それでも鳥に追いつけるほど早く飛べない。時々旋回して待ってくれているのが救いである。

 影の濃い盆地に差し掛かったときに森は一気に神秘的な様子を見せた。森の木々か光って見える。至る所に先程のモンスターがいるのだろう。息を飲んで羽ばたく。それでもさっき言葉を交わして笑い合った友人を放っておけない。

 梟が何度も旋回している場所に向かう。森はざわめき出して、雰囲気が変わった。

 飛び過ぎた 方角で叫び声が聞こえる。レンのものだろう。其方にも光が集まり始めた。

 一刻も猶予はない。早く彼女を見つけてレンと共に家に戻さなければ二人とも死んでしまう。




 死ぬには、覚悟が無さ過ぎたのかもしれない。

 なまじ森で暮らして戦闘能力を鍛えた分、彼女は生半可なことでは死ななかった。

 まず入り口では殆どのモンスターが、相手にならない。狩りの基本の気配消しも完璧で、夜でも目の利く彼女が光る相手を見逃すはずもない。最後の腕試の為に、真摯に弓を引き、狩りを行った。

 弓の能力は兄にも狩人の父にもお墨付きを貰っている。死ぬ気になって狩った結果ーー森の深くに到着した。そこでは数の利を生かされて、腕に傷を負ってしまって包帯をひとつ失ってからは苦戦を強いられていた。彼女は森の深くでモンスターに囲まれ、この森の主と対峙している。

 不気味な食虫植物のように見えた。植物なのに目がある。ギョロリと彼女を見てツタを振り下ろした。

 ズン、と彼女を囲んでいたモンスターごと蹴散らして地面にツタの跡をつける。

 矢はもう無い。モンスターに刺さる毎に回収してはいたが、元々あまり本数が無かったものだ。

 姿を晒し簡単に攻撃を許してしまった彼女は呆気なく弓をへし折られた。強く弾き飛ばされたが、瞳は強く植物を見返す。


 彼女は元々気の強い性格で、色々な人に可愛げがあるのは表面だけだと言われていた。その表面がなくなった自分には価値がない。自分でも嫌悪感のする醜い姿は彼女を日に日に疲弊させた。それは元々の姿に自信があったからこそ感じる落差だ。

 どれだけ疲弊しても、元来の気の強さは変わらない。今日まで森で生き抜いたのはやはり死にたくはなかったからである。


 自分の周りにモンスターが集まってくる。

 今更怖いなんて思ったなんて、と自嘲する。


 植物が蔦を振り上げる。梟が飛んでいた。動物は何故かモンスターと共存している。その何故を知っている人は居ない。

 今更になって涙が出てきた。生きて来た16年は何だったんだろう。せめて兄の為にとは思うが。

 火事さえなければ。

 あそこで死ぬことができていれば。

 こんなに辛く無かった。

 運命を恨むことしか出来ないが、それでももう少し救いが欲しかった。


「誰か……」


 振り下ろされる蔦の影で消え入るように零す。


「助けてよぉ」


 自分で招いた事でも。不本意ならば不満が出る。世界の理不尽を飲み込もうとした彼女はその辛さに涙する。


「ベル!!」


 白い羽根を見た。時間が止まったように全てが見えていた中に、真っ白な光が現れた。

 樹々の間から落ちらように現れて、彼女を攫うように飛び上がる。突然起きた事に声を失って、唖然とする。思い切り抱えられる形で顔が近い。整った顔立ちは純粋さと意志の強さを感じさせる目をしている。濃い茶色の髪は闇に溶ける黒に見えた。

 その顔は、彼女を見て安堵の表情を浮かべた。


「ああ! よかった! 間に合った!」

「えっ、ちょっと、何、これ!?」

「わ、わ! 待って! 暴れないで! 落ちちゃうから!」

「どうなってるの!?」

「飛んでるんだよ!」

「ええ!?」

「だ、だから暴れちゃダメだって!」

「だ、だって、近いじゃない!」

「ごめん我慢して! レンも森に入ったみたいなんだ!

 助けに行かないと!

 首に手を回して掴まって!」


 顔を見て真剣に言う彼に押されて、おずおずと従う。自分の背中に回されている手も気になるし、つかまる事で全身押し付けしまっているのも気になる。

 それと同時に彼女も父や兄以外の男性に密着するのは初めてだった。首元に鼻を近づけると知らない男性の汗の匂いでクラクラする。彼が必死になっている理由は自分だった。その事実が何故かがん、と頭を打って思考が止まる。

 こんな時に何だが人の匂い消しに使った香草の匂いがやけに自分の鼻についた。そんな女らしい事を考えたのはどのぐらいぶりだっただろうか。

 暫く混乱のままに飛んでいると、自分を呼ぶ声が聞こえ始める。この森では唯一の話し相手で、この世界で唯一の兄妹である。

 あの人の為に森に入った。書き置きもしてきた。それを見て急いで追ってきたのだろう。

 狩人としては彼女の方が上手だが、彼も森で生きる為に強くなった者である。

 無限に湧いて出るモンスターを相手に剣だけで応戦する。戦士としては一級の力を使って強引に歩みを進めていた。


 レンはかつての無力感を思い出す。遠くに行って自分が評価されたとしても守りたい人たちが守れないなら意味が無い。

 火事の時に生き残った家族を探して治療施設を駆け巡った時にそれに気付いた。

 あんな後悔をしない為に、妹の側いるのだ。あの姿になった途端、回るの皆は冷たくなった。妹の事は忘れて都会に出ろとまで言われた。

 あの時ほど憤りを感じた事は無い。

 街を追い出されても何も感じ無かった。もうあそこは自分達の故郷ではなかったのだろう。自分達の住んでいた場所の跡地には、やたらと大きな家が立つと聞いた。人の汚さに吐き気を覚えた。


 だから大きな街に行かず、森に入った。二人で生きる為に必死で色々な技術を覚えた。食べれる物を探すのにあまり困ら無いほど自然豊かな環境だった事が救いだった。後は森で暮らせるように必死に強くなったのだ。


「ベル!! 返事をしろ!! ベル!!」


 声が響くほど、モンスターを集める。知った事かと手前から順に切り裂いていく。手数が必要な時は剣を二つ持つ。大きな敵は両手で持って思い切り斬り捨てる。

 強い力を当てると、モンスターは霧となって消える。何故かは知ら無いが、森の奥ほど敵は多い。


 思いつめている事は知っていた。その上でかける言葉は、いつも気にするな、家族だろう? とそれに尽きた。妹は毒舌を発揮して、馬鹿みたいとしか言わ無かった。しかし兄にとってそれが本音だったのだ。だから屈託無く笑って誇らしげだった。その姿がどんどん彼女を追い込んだのだろう。

 向き合って話すべきだった、と後悔する。彼女が自分の事は放っておけといった事は何度かあった。その時に、自分の後悔を話しておくべきだったのだ。


「うおおお!! 邪魔だ!! 退けええ!!」


 振り上げ、斬りおろし、横一線。流れるように攻撃して辺りからモンスターを一掃する。

 森の奥に進もうとして不意に接近する気配に振り返った。

 そしてその姿に硬直する。今探している目的の人物と先程別れたはずの友人である。

 しかもその友人には、純白の鳥のようは羽が生えていて、結構なスピードでレンの元へ向かってきていた。


「うおおああ! レン掴まれぇぇ!」

「ぐっ!?」


 半ば体当たりで彼を捕まえて、再び空に飛び上がる。バザバサと頻繁に羽ばたくが、思ったように上がら無い。


「ふ、二人だとさすがに重い……!」

「うおお!? 落ちるなよ!?」

「落ちるのは嫌ああ!

 神様助けてええ!」

「失礼な! 落ちて無いだろ! 神様は療養中なの!

 あ、二人とも家が見えてきたぞ!」

「た、助かった!?」

「あ、ごめん! 降り方わかん無い。落ちる」

『えええええ!!』

「木に突っ込む!?」

「きゃあぁぁぁ!」


 バキバキと枝が折れる音がする。後の話では森の中よりも死を覚悟したと二人は言う。高見台に全員で落ちて何とか生き残った事を確認する。


「だ、大丈夫か二人共!」

「まあ、なんとかな……」


 レンがひっくり返ったような格好で声を上げる。


「大丈夫じゃないよバカぁ〜……ぐすっ」


 飛んでいる間必死につかまっていた彼女がぷるぷる震えながらそう言った。両目は涙ぐんでいて、つかまったまま震えが止まら無いようだ。


「あー、ごめんな。怖かったよなーよしよし」

「お。珍しい。とりあえず家に入ろう。

 ハルトも泊まっていけ」

「そうさせてもらおうかな」


 日はすっかりと落ちて、森は神秘的な輝きを放っていたが決して明るいとはいえない。

 いろいろ細かい事は後まわしにしてレンが家に入るように言う。先に梯子を下りて家の戸を開けた。

 羽を使って玄関に降り立ってさっと入れてもらう。何故そうしたかというと、ベルの震えが止まらずハルトが抱えておくしかなかったからだ。

 家に入って落ち着くまでその格好のままベルが治療を受ける。

 幸い、腕にモンスターに襲われた時の怪我がある以外は何もなかった。

 とにかく、ベルの震えが止まら無いのでそのまま三人で寝る事になった。

 外は静か。梟の鳴く声が遠くから響いてくる。波乱の1日が終わって、ひとまず三人で沼に沈むのように眠った。




 寝ることで、いろいろな情報を精査する。

 まずガチャだ。金色は天使。銀色は精霊。黒は建物。まだ情報が少ない。手に入れたメダルでもう一度回すべきだ。今のところ神様の敵はいないのだから。

 次に世界。環境は自分に与えられた知識の地球より遥かに大きな世界に来ているようだ。天使が実在するような世界で、得ておくべきものは何だろうか。

 今回下りてきて分かったことは、自分のことすら把握できていない阿呆であること。

 それは散々あっちの世界で神様に幼子だと指摘されていた。それに反発するように出てきてしまったのも子供の考えなのだろう。


『天使、天使ハルト……』

『神様ですか?』

『そうです……調子は、どうですか?』


 夢の中で声が響く。クレイトアの優しい声が心配そうにそう尋ねてきた。


『稚拙な考えで何も聞かずに飛び出したことを後悔しているところです』

『そうですか……反省を行うのは良いことです』

『寝ることを選択してよかったです。

 神様はお変わりありませんか?

 泡吹いて倒れたと聞きました。心配です』

『それは私のせいで一度死んだと聞いて……うう、ひどい仕打ちをしました。私を許してくれますか』

『そもそも怒ってはいませんよ。天使でなければ危うく心半ばで死んでしまうところでしたが、俺が選んだことです』

『私の天使は心が広い……貴方の成長が嬉しいです』

『明日には一度戻っていろいろ聞きたいと思います。

 あ、ミカエルさん一人でお二人に不便無いですか?』

『ミカエルはよくやってくれています……。

 ウンディーネも協力してくれていますよ……』

『ディーネも手伝ってくれてるんだ。お礼言わなきゃ。メダルがあるからこれでもう一人増やせると良いんだけど』

『随分と水精霊と仲良くなったのですね……』

『最初から味方だった例でとても助かってます。まぁ自分が一回死ぬことが前提だときついんですけど』

『そうですね……貴方の死について触れているものがいるかどうかは調べましょう……無理をせず帰ってくるのですよ……』

『一応聞いておくけど、そっちに人を招待することは?』

『やめておきなさい。人ではなくなってしまいますよ』

『やめておきます』


 さすがに普通の人を神様に会わせるのは至難の業ということだろう。ちなみに、ということでどうなるのかを聞いてみたところ、霊体になって世界に帰るかハルトと同じような存在になってしまうそうだ。

 うかつなことは出来ない。ため息をついて頭を掻く。夢の中だというのにやけに輪郭がはっきりとしてきた。


『おや。どうやら自分を意識することができてきているようですね』

「夢の中だと思ったのにとてもはっきりしてきた……」

『本来啓示は対話できる程度に自意識が必要なのです……。自らの姿も覚束ないようでは、夢は夢のままなのですよ……』

「遠回りに未熟者め、って言うのやめてくれませんかね。

 あとでちゃんと謝りますから」

『うふふ……怒ってなどいませんよ。

 それより、一緒に寝ている友人を紹介なさい』

「え? これ誘えるの?」

『ええ。貴方でいうところの、部屋づくりして招待して会話ということです』


 女神に言われると何となくショックを受ける言葉である。しかし確かに古来より使われる啓示は直通の電話である。システム化していつでもつなげるようにした人間のほうが便利なことこの上ない。魔法もあるし神も近いしでさぞ便利なんだろうと思っていたがそうでもなさそうである。

 しかしなんで女神はこの記憶を自分に集めたのだろうか、と一瞬疑問に思う。急いでいる風ではなかった。現代知識に限定したのは人の頭に合わせたからだろうか。


『貴方は私に会わせたい人がいるということですね』

「あ、そう。今日友人になった二人にあってほしいんだ。特に女の子」

『ほう……母に、仲の良い娘を会わせたいと……!』

「今一緒に寝ているんだけど」

『会って一日で同衾……! なりません……なりませんよ天使……!』

「兄と妹と一緒にね?」

『さん、にん、で……!』

「クレイ? クレイー? 昨日はみんなで動きまくって疲れてるんだ。いろいろ初めてなこともあったし」

『はぁ……はぁ……! なりません……なりませんよ天使!』

「いえ、本当に初めて飛んで……ってクレイ。ちゃんと聞いてる?」

『なるほど……達したのですね……』

「すみませんが別の情報を得てるつもりではないですかね?」

『そんなことはありません。初めての空はどうでしたか』

「……羽がなければ、初日から気持ち悪い思いをすることになった。だからありがとうクレイ」

『うふふ。それは僥倖です』


 女神の姿を思い描くうちに、初めて会った丘の上にその姿が現れる。

 出会った時のままの姿である。

 それでも彼女からは悲壮感を感じない。穏やかなままである。

 柔らかな笑顔をたたえて、ハルトに語りかける。


「それでは貴方の友人と、会いましょう」

「お願いします」


 世界に対して後ろ向きになってしまっている。

 救いはないのだと思い込んでしまっている。

 ほんの少しでも前を向けるように、手助けになれれば。


 急に冷たくなった世間を嫌い、森に棲む兄。

 自分と兄の行く末を憂い、心折れた妹。


 お互い他人の為に優しい人間であるのに、報われない道を歩もうとする。最後の最後にお互いに大きな傷を残す方法でそのせいを終えようとしている。

 それは間違いだ。取り返しがつかなくなる前に正しい言葉をかけてあげれる人に合わせてあげたかった。


「初めまして。あなた達がハルトの友人ですね」

「あ……え……?」

「こ、ここは……?」


 世界を見て、唖然とする。

 彩の鮮やかさに驚いただろうか。

 あの森も綺麗だったけれど、花畑になっているここは色の数が違う。

 そして驚くのは目の前の女神の姿だろうか。

 金色の流れるような髪。目を閉じたまま端整な顔に柔らかい笑みを浮かべるクレイトア。

 彼女の着ているドレスの手先足先は見えず、ハルトに抱えられた状態でそこに居る。

 彼女の表に一切の憂いはなく、二人を見る表情は和やかですらある。


「あ、あなたは……」

「この人が俺の母です」


 言葉を失った様子の二人が息を飲む。

 きっと彼女と出会った時と同じような感想を抱いているだろう。


「……ちょっと失礼」


 見た目にショックを受けてしまう。視覚からの印象を和らげるために、自分の羽で手の部分は覆い隠すことにした。


「お見苦しいところをお見せしましたね。大丈夫ですか?」

「そんな……私たちこそ。失礼な振る舞いでした。

 初めまして。私はベル。こっちは、兄のレンです」

「初めまして。レンです。ハルトから話は聞いていました。すみません」

「いいえ。お二人とも精気の強い声をしていますね。

 成人して間も無い歳の頃でしょう」

「はい。オレは二年前に、ベルは今年成人しています」

「そうですか。体は健やかな様ですね。

 人と離れたせいで心が少し育たなかった様に聞こえます。

 如何な失礼も問いません。何か聞きたいことがあるなら母だと思って貴方たちの言葉で素直に聞いてみなさい」


 やはり母と言うより聖母様の様になっている。懺悔のようだがこの際どちらでも構わない。後光でごまかされているがクレイを抱え上げているのはハルトである。二人の顔が見えないのでなぜか盗み聞きしているかのようである。


「あ、あたしは……顔に、火傷を負いました。頭の半分が焼け爛れています。

 正直に言うと、こんな事になった原因の人達が死ぬほど憎いです……。

 復讐を、とも思って腕を磨いた時期もあります……でも、それは正しく無い」


 彼女の目には正義がある。それは揺るがず、彼女が最後の時を迎えるまでそこに居座るものだ。

 だからハルトは、彼女の目を綺麗だと言った。陰鬱さなど映さない綺麗な色の瞳なのだ。


「だから森で暮らす選択をしました。

 それは間違ってないと思います。

 ……私の罪は兄に甘え過ぎた事だと思います」

「レン、貴方は妹が貴方に頼り過ぎたと思いますか」

「思いません。オレは俺がなすべき事をしているまでです。父も母も他界して、怪我を負った程度で疎まれ者。

 こんな世界なんて、と先に街を嫌ったのはオレなんです。森にいさせてしまっているのも、そのせいで森から出なくなってしまったのもオレのせいだ。


 守りたいと思ったエゴで、森に閉じ込めたのはオレなんです。

 その結果、誰も信じられなくなって自分達じゃ飛び越えられないと壁を作ったんです」

「レンは! 悪く無いよ……。

 あたしがいるから此処から出られ無いだけでしょ」

「あの時からお前よりオレの方が、世界が嫌いなんだ。ベル。

 強引にでも別の街の片隅で生きる選択だってあった。

 それをしないのは、ベルの存在を理由に逃げているオレの方なんだ」

「そんな……じゃあ、あたしはどうしたら良いんですか……?

 生きていても死んでいても……なんの役にも立た無いんですか……?」


 兄の告白に血の気を失って涙を流すベル。彼女が死ねば彼は一生自分を許さ無いまま、森で暮らしただろう。生きていても死んでいても呪縛は変わら無い。


「良い兄妹ですね。泣く必要はありませんよベル。貴女の涙をぬぐってあげられなくてごめんなさい」

「……い、いえ」

「レン、ベル。あなた達は人を恨んでいる。

 でも、憎むことができない。人故の仕方ない事を理解して、自分の正義のためにその手を血に染める事はなかった」

「……勇気がないだけなんです」

「モンスターに囲まれて暮らす事を選べる人間を勇気がないなどとは言いませんよ。

 よく憎しみに飲まれず、恐怖を乗り越え、今日まで生きてくれました。

 あなた達のご両親の代わりに私にその事を喜ばせてください」


 二人は自分達が涙を流している事に気付いているだろうか。

 二人とも食い入るようにクレイを見る。彼女からは嘘偽りの気配を感じない。


「話が変わるのですが、ハルトを助けてあげてくれませんか」


 唐突さに面食らったのはハルトも同じでぎょっとして女神を見た。女神は暖かい笑みを浮かべて嬉々として話し出す。


「彼は私の天使です。私の為に世界を巡っています。

 長い道のりとなるでしょう。ですが、この子ならば成してくれると信じています」


「この子を信じてみてはくれませんか。

 この子はまだまだ直情的です。

 レンと似ていますね。それに初めて使う羽であなた達を助けに飛びました。

 あなた達に情がうつったのです。この子はあなた達の鏡。

 この子はあなた達を共に笑った友人だと言ってはばかりません。


 この子は、あなた達を信じる事にしたのです。


 この子の羽は、あなた達が作った壁を軽く飛び越えるでしょう。


 でもこの子は世界を知らなすぎる。あなた達のような友人が必要な事があるでしょう。


 一緒に世界を見てきなさい。一緒に大きくなりなさい子供達」


 ふわり、と世界が消えた。目覚めの時が近いのだろう。初めて寝てみたが、こんな事もできるんだなあと感心する。他人の夢にあまり干渉し過ぎるのも良くはないが。

 やはり天使といえど彼女からすれば普通の人間と同列。あの暖かさを感じて二人も少しは前向きになってくれると良いけれど。


 目を覚ますと目の前はベルだった。バッチリ同時に目が覚めて、二人でしばらく見つめあった。


「おはよう」

「お、おは、よ、うわあああ!?」


 羽のついた人形のように起き上がってレンの横腹を何度も叩いた。


「んが!?」

「ああああああああ! 顔洗ってくる!!」

「お、おう」


 いきなり起き出して真っ赤な顔で叫んだかと思うと、家から飛び出した。行ったのは水場だろう。ついでに叩き起こされたレンが何なんだとため息をつく。


「ああああああああ!」


 またもや悲鳴が上がって、レンが寝ぼけ眼をこすりながら小鳥の囀る朝日の昇る世界に出る。不思議な夢のあとで何だか気分が良かった。

 後から出てきたハルトが適当な広さのところで伸びをしている。バサッと羽を広げて、全身を伸ばした。それを兄妹二人で唖然と見る。まるで夢の続きを見てしまったかのようだ。

 天使、朝日に羽を伸ばす。

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