天使とガチャ
なんだかんだ詰んだことに気付いて天使はその役割を全うする事にした。
栗色の髪をかき上げて、天使は黙考する。
ひとまず彼女の五感と四肢を取り戻さねばならない。彼女が失くしたのは、触覚、味覚、視覚、嗅覚、右手、左手、右足、 左足。あとは自分に使われた肋骨一つと血である。壮絶な落とし物であるが、本人は大丈夫だと言い張るし百年ほどここで寝ていたという。
挙句、そんな状態の友人をみて慈悲とばかりに使えないガチャを置いていく友人をお持ちだ。いろんな意味で主犯はそいつだろう。絶対にぶん殴る。その為の肋骨だ。
哀れな女神さまを見ると日に当たって神々しく見える金色の髪が煌めいて、凄惨な事実を思わせないほど穏やかな笑みをたたえている。慈母女神であると言われても信じるであろうが、誰しもを虜にするのはその笑みをたたえたまま彼女は言う言葉だろう。
「天使、私はあなたの羽をもふもふするために先に触覚を取り戻して欲しいです」
一瞬で後悔して空を見上げた。
神の世界はいつ見上げても天気が良い。
彼女はおいしいパンが食べたい程度の感覚でそんなことを言っている。
「はいはい。バッサバッサ。もふもふですよー」
彼女にはわからないであろうが、彼は羽で覆うように被せた。布団の代わりぐらいにはなるだろうか。風を感じやすいのでこれをやるのはこんな丘の途中ではなくて家の中がいいのだけれど。そう考えながら頬杖をつく。
「ああっ! 今は何をされているのかサッパリ分かりません! 口惜しい! 覚えておいてください! 同じ事をまたやってもらいますからね! 私はこう見えて執念深いのです!」
「もっと自分の事に執念燃やしてくださいよ……」
ため息をついた。女神は気楽なものである。
現状は割と最悪に近い。世界知らずの新米天使と、楽観主義の天然女神。こんな二人でどうやって彼女を騙した人物に立ち向かえばいいのか。
何はともあれ現状把握に尽くすしか無い。残った謎を先に片付けてやれる事をやらなくてはいけない。
「クレイトアさまー」
「いけません。様はなりません」
「クレイトア……母さん?」
「だ、駄目です!」
「クレイ」
「あ。はい。ちょっと寂しいですがここは慣れですよね」
彼女が納得行ったようなので話を進める事にする。
「ガチャから出てくるものは?」
「私にとっては味方、得になる存在だそうです。
勘違いしているようですから言いますけれど私は何度か回した事がありますよ」
「え? その状態でどうやって?」
「もちろん……髪で! 神だけに!! うふふ!」
「あ。そう言えば」
混乱の最中で完全に忘れていたが彼女はさりげなくそんな事を言っていた。
「やはり、おっちょこちょいさんですねぇ。
産まれたてなのです」
クスッと髪で口元を抑える女神を見てイラッとする。が、くだら無い事に構うのは後にしようと感情を抑える。
「……では、神では逆効果、という事ですか? 勿論たまたま俺の運が良かったのもあるんでしょうけど。あ、いえ。あれ悪運かもしれませんけど」
脳裏に蘇る炎の揺らめく大惨事の光景に寒気を感じる。きっと二度目はないだろう。あれに出会うと死んでしまう。
「私は運に左右される事はありません。
天使であるハルトも本来はそうなのですが、貴方は少し人に近く作ってあります」
「具体的に天使と俺との差分は?」
「まず、不死ではありません。
そしてそれ故に運に左右されます。
しかし作り方が豪華なので私のあらゆる願いに耐えうるでしょう。
これからの研鑽次第では九階位を超える可能性も秘めています」
「俺は天使だけど死があると。
まだ力が得られる可能性があると」
「はい」
「ちなみにさっきみたいな炎の剣があるとして、俺はどうなったら死にます?」
「みじん切りにして丁寧に焼き払えばなんとか。親指程度の肉が有れば蘇生するでしょう」
「いっそ普通の人間と同じでいい!
みじん切りまでは生きてんのかー! いっそ殺せよー!」
壮絶な耐久度に頭を抱える。後何回この動作をすればいいだろうか。
「……天使ハルト。貴方は成長出来ます。
従来の天使ならばここでもう私の枕になりたがっておりますので」
「そんな鍛えられた奴隷みたいな感じなの天使って。引くんだけど」
「貴方には選択権が存在している。やはり過去の文献を参考に作ってみて良かったです」
「過去の文献とは?」
「勿論、エデンに関する書物です。
かつての創造神の日記なんですよ。これがもう……うふふ」
「なんか口語で書いてありそうな日記ですね」
「毎日の夕飯のメモ書きが残ってるんです!」
「ツボがわから無いよ…」
何故こんなくだら無い話に、と項垂れる。勿論この女神の力に他ならないのだが。
「クレイ。ガチャを設置した神物は?」
ニコニコと満面の笑みが零れる。この女神のやり口が分かってきた。はぐらかされるものかと少し強い口調になる。
「クレイ。一番怪しい奴なんだぞ」
「友をそんな風に言う人には話しません」
「騙されていたとしても?」
「だとしても友なのです」
「クレイ……貴方の天使的に考えて、俺は貴女を守る必要が有ります」
「ハルトは神に背く事の末路を知らないから言うのです」
「確かに死んでしまってはクレイを助けられませんしね」
「分かっていただけましたか」
「ええ。長く居られるように頑張ります」
「ずっと居ないと駄目です」
「え。でも俺は死ぬんですよね」
「天使に寿命はありません。死因となるのはそれ以外です。
もっとも可能性が高いのはーー」
「ははぁ。神々の怒りに触れる事。ですかね」
「……残念ながらその通りです」
「別に死亡願望はありませんよ。
他の神々と会う際に注意する事があるなら守ります」
「決して口を開かないでください」
「俺口悪いですからね」
「そんな事はありません。私は今すぐ撫で回したいほど好きですよ」
「……分かりました。必要とされた時だけにしときます。対話は大事ですからね」
「はい。そうなさってください」
「女神様は愛がでっかいなあ」
「褒めると愛でますよ」
「はいはい」
適当に対応すると不満気に頬を膨らませる女神様を羽で包みつつガチャに目をやる。
あれは彼女の味方なのか。確かに女神に対して擁護的な発言をしていた。話さえできれば心強い味方と成り得るだろう。
「女神様。今後戦闘が必要になることはあるでしょうか」
「何と戦うのですか?」
「貴女を騙した者です。特に人なのか悪魔なのか分からない方ですね」
「それは……ハルトの性格上、避けられない気がします。
あとはガチャの中身が必ずしも貴方には友好的ではないことが分かっています」
彼女も不安気に言う。
彼のことを気遣っているのだろう。
「仲間を増やしたいなら回す必要があると。
因みに俺と同じ方法で増やすことは?」
「出来ません。貴方の骨を使うことで、貴方の眷属を増やせます」
「うーん。まぁ、いいか。
正直に言うとお世話出来る女性が居ると良いんですけどね」
「何故です?」
「俺が人間由来の感性をもってるからです。
……まぁ、あては無くもないです」
「それをまた開くのですか?」
「天使的に考えて、部下同士の争いはとっとと終わらせるべきだと思うんです。
昔から、長引く喧嘩はろくな結果にならないって決まってますしね……」
はあ、と不安気に溜息をついてまた女神を撫でる。
意を決して、彼は立ち上がる。その際に女神の頭をそっと置いて、よし、と声を上げた。
その意図を汲み取れなかった女神が首を傾げた。
「どうしたのです」
何も言わず、ガチャにメダルを入れる。がこん、と音を立てて出てきたのは銀色。
人間の知識でなんと無くガッカリ感。きっとレア度に囚われたあの世界のルールがそう感じさせたんだろう。
しかしこれなら、と女神のそばに置いておく。
それから軽く八重歯を肌に突き立てて血を流す。暫く血が垂れてから、ピタリと流血が止んでまるで逆再生するかのように傷が消えていった。血を拭いて仕舞えば怪我をした事すら分からない。めちゃくちゃな体だ。
勇気を振り絞って指の内側を噛み切って吐き捨てる。あからさまにヤバい血が溢れたが、それも直ぐに止まって元通り治癒した。
今できる体の検証も終わった。だから、質問を投げ続ける女神を振り返る。
「……もう一度金のカプセルを空けてきます。少し離れますね。もしアレが危険ならこの銀のカプセルを開けてください」
「ま、待って下さい! 貴方ではあの剣を受けきれません!」
「剣はそもそも受けるかどうか。
最悪の結果でも彼女は味方でしょ?
クレイがちゃんと話せばなんとかなるよ」
そう言って駆け出して、彼女の言葉は聞かないことにした。恐らく止められるしそれでは進まない。
早いか遅いかだ。死にづらいという確認は取った。軽い様子を見せる女神だが嘘は言っていない。世界記憶の一部が確信させる。
丘の麓まで走って、一気にカプセルを地面に叩きつけた。また仰々しい光とともに、三対の羽をもつ天使が現れる鋭い眼光を彼に向けて、再び剣を握った。
「話を聞いてくださーー」
「問答無用」
灼けるような紅い瞳に睨まれて身体が発火する。美しさに高揚を覚えたからではない。本当に真っ赤な火が彼を燃やしている。
すぐに最初に火を付けられた肩口が灰になって腕ごと崩れ落ちる。
腹は括った。それでも死んでゆく様を見るのは怖い。焼ける激痛はじわじわと自分を侵食して来る。
人ならば或いは叫び出しただろうか。天使の身では死への恐怖の感覚が少し薄い。
「……女神の話を聞いてください」
最後にその言葉を残して身体が支える為の力を失う。
クレイの天使としての役割を果たせただろうか。
どうせ死ぬと割り切ったつもりで、役割の全てを受け入れていても、死ぬのはやはり恐怖がある。
指先まで塵となり、人型の灰の山がそこにできた。
「ハルト! 返事をしなさいハルト!」
女神は彼が去ってからずっと叫んでいた。山々にこだまする彼を呼ぶ声はずっと止まない。
その声の元に金色の羽の女性が近づいた。傅いて誇らしげに報告する。
「女神様。悪漢は退治しました」
「ハルト! 私のハルト!」
「女神様……?」
「貴方はまだ産まれたばかりなのです! ハルト!
ハルト……!」
「女神様! 話を聞いて下さい!」
「貴女はどうでしたか天使。貴女はたった一度でもハルトの言葉を聞きましたか?」
「あれは貴女を苦しめた悪漢だ!」
「私の傷は何一つあの子に付けられたものではありません!」
「では、私がやったことは……」
「ハルト! ハルっゴホッ! ハルト!!」
悲壮感すら漂うかの天使を呼ぶ声。
彼女は自分がやったことを知らない。
「あれ?」
私は一体何をやっていたのだ?
火事の中で子を呼ぶ母のように、懸命に叫ぶ女神の姿がある。
目の前にいたのは微弱だったが天使だった。燃えるような正義感と何かに阻まれて自分を制御できなかった。
それをかつてできなかった兄弟がどうなったか。
転がり落ちるように坂を走り降りる。灰になった盛り上がりを前に盛大に躓いて転けた。羽があっても気が動転していれば無様なものである。そして彼女の目の前で灰は風に吹かれて無くなっていった。
虚空に手を伸ばすが、どうにもできない。
絶望に襲われた。
「あ、あっ! ま、まって、あれは私じゃない! 私じゃ、ないんだ!
うわあああああ!!」
ミカエルの中で何か良くないものが膨らむ。かつて彼の兄弟が抱えて、堕ちていったもの。
じわじわと、羽が何かに侵食される。
意識が何かに沈んでいく。
「……ちがうんだ……ああ、そうか……お前も……」
話を聞かず自分が燃やした。彼からすれば、訳がわからないまま殺された。己の行いの報いを受けるのだ。堕天して悪虐の限りを尽くすだろう。耐えきれないが、天使は死なない。自らを殺す術はないのだ。
彼女を嘲笑う声がした。それは彼女の中に響く悪の声である。惨めだと、不出来であると、赤子にも劣るのだと、彼女を罵倒する。
気持ち悪い。病に罹ることは生来なかったが、こんなにも苦しいのだろうか。ドブに漬けられたような重苦しい気持ちで何とか身体を持ち上げる。
黒ずんできた自分の存在に落胆する。
フラつくように振り返って、広がる光景に目を見開いた。
「話を聞いてくれる状態になったって聞いたけど」
其処には、無傷で女神を抱える茶色い髪の男が立っていた。
女神は泣き腫らした嗚咽が止まらないようで彼の胸で呻いている。
「なぜ、生きている……?
私は同族までなら、殺せるんだぞ……」
「……神に似た力というやつですね」
グスッと、鼻をすすりながら女神がいうが彼には何のことか分からない。
「俺は確かに死んだんだろうけど、再生能力のテストのときに肉をちょっと噛み捨ててた所から生き返ったみたい。すげーな」
完全に他人ごとなのは人間の感性だろう。ありえない事が起きると自分と切り離して考えるのがそれらしい行動である。
「成る程……全てを灰にしてしまった訳ではなかったのですね」
「所で、さっきと様子が違うみたいだけど、何があったんだ」
「私は君を殺した。
理由も聞かず、感情のままに。
これはその報いだ」
「その報いは、正しいの?」
「……なんだと?」
「だって貴女のせいではないんでしょう?
感情の暴走?
カプセルから出てきてすぐ?
あれは貴女を封印できるくらいの檻なんでしょ?
じゃあ、あんたを閉じ込めてそうしたのは誰だ?」
彼の言葉に記憶を逡巡してミカエルは首を振る。
「分かりません……私は大戦後の記憶から造られた天使だということは分かります」
「そうか……なんにせよ、よかった」
「よかった、ですか?」
「だって、会話が出来てる。もう大丈夫なんだよね?」
「……分かりません。この呪いのような感覚がある限り私はそうなってしまうのかもしれません」
「そうか」
「そうなったときは神よ、私を消して下さい。これ以上の恥を重ねる前に」
「嫌です」
女神ははっきりと否定した。彼にはそれが分かりきっていたようで、露骨に疲れたような顔をする。
「し、しかし! このままでは!」
「貴女の罪を答えなさい」
「理性を無くし彼を殺そうとした事、です」
「ハルト、貴方はそれを恨みますか」
「まぁ、ほどほどには」
恨むというよりは普通に怖い。
「彼女を憎いと思いますか」
「それはないかなぁ。俺たちは被害者じゃないですか。憐れだな、とは思うかもしれません」
「ハルトはミカエルの事を許せますか?」
「……反省してるみたいだし、許すよ。幸い産まれたてで誰かを信用したい年頃で俺はまだまだ甘ちゃんなんだ」
「ならば私は全てを許しましょう」
後光がさすかのような寛大さの前に、ミカエルが跪く。
「天使ミカエル。貴方の罪は赦されました。
これからは私に仕え、私達の為にその力を使っていただけませんか」
「こ、このような私を、赦してくださるのですか……!?
私は愚かにも悪魔を宿してしまっているのに……!」
「それを制するのです。
貴女にはそれができる力があります」
「……はい!」
再び自分を信じてくれる神に巡り会えた。それがどれほどの奇跡だったか。
内側から光が溢れる思いであった。
すぅ、と彼女の色が元に戻っていく。憑き物が落ちたのだ。
どろりと影のような物が足元に溜まっていたがそれはすぅと大地に消えていく。
その様子に心からの安堵のため息をついて、最初のガチャ騒動が終わった。
天使、もう暫くガチャは見たくない。