シュガー&スパイス ―ひまわりの空の下で―
カット面から散乱する光は部屋の天井にイロトリドリの金平糖をばら撒いてくれる。とりわけ白の天井に映える色は赤だ。
情熱の赤―。可視光でもっとも長い波長をもつそれは、ゆっくりと全てに染み込む。煮物をつくるときに、最初に入れないとならない砂糖のようなものだ。
女の子は何でできてるか知ってる?
大さじ一杯、すりきりじゃなく山盛りのお砂糖!それに、ひとつまみのスパイスでできてるの。
スパイス?
それを当てられたら、付き合ってあげてもいいよ?
それが、半年前、あの娘に初めて告白したときにいわれたナゾナゾ兼お断りの台詞だった。
たしかに知り合ってから2ヶ月で告白しちゃうような男はどうかと思う。自分でもそう思う。
だけど僕は本気だったから、白旗を挙げるつもりはない。
それから僕はスパイスを探す旅にでた―。
持ち物はマイルドセブンの6mだけ。コバルトブルーのシガレットケースと、ディープブルーのココロだけ。旅のお供はその2つでいい。
大さじ山盛りの砂糖と、ひとつまみのスパイス。それを見つけるために、小さじ一杯の幸運と、ありったけの勇気があればいいと思った―。
頬を撫でる風は、生暖かい。橙色の太陽が水平線に沈む瞬間をただながめていた。だけど、掴みたい。あの夕陽を掴み取りたい。あの娘の手を握って砂浜を走りたい。その衝動が僕の脚に電気信号を送った。
いつのまにか水位は下半身を完全に捉えるまでになっていた。重く重くなってゆく身体を必死に動かし、沖へと向かう。いつのまにか汗だくになっていた。頬を流れる潮水は、塩辛さの中にほんの少しの苦味を湛えていた。
海の水とおんなじなのか―。
塩化ナトリウムは電解質である。水に溶かすと、すぐにイオンに電離する。浸透圧が高いから、とても具材に染み込み易い。それは、恋愛の疼痛と似ている……。
だけれど、蒸発するとすぐに2つのイオンは結びつく。
あふれる大海の中で出会うイオンは1対なんだ。60億人の中で出会った僕らも1対なんだ。かけがえのない出会いを、汗の塩辛さを感じながら思った。
ファーストキスはどんな味??
きっとそれは、レモン味―。酸性の味。酸味は蒸発しやすいから、お料理でも最後の方にいれなきゃならない。
あの娘の残り香を探して、またここに戻ってきた。東の空に輝く立ち待ち月。黄白色の光で満ち溢れた空から目を背けるのは、夜のひまわり。この部屋の無機質な窓枠は、時間すら切り取る魔術師だ―。そう、この部屋は彼女が僕に呪いをかけた場所。
僕は一人で制御PCを操作する。二人で作業する時は、二人ともPCを見るから、顔を横に向けて会話することになる。何気なくマウスを動かすとあの日の情景がリフレインする―。
――たわいのないおしゃべりを続けたかと思えば、突然黙って手もとのメモ帳にペンを走らせる。はずかしそうに隠すメモを覗きこむと、そこには意味のない落書きの草原が広がっていた。毛糸の玉を雪原に転がすかのように笑う。どんどん大きくなる毛玉が、いつもそこで騒がしく踊り回っていて……。
その横顔を見つめていたい―。正面からだと2秒も目を合わせられないけど、横からならいつまでも眺められる。そんなこの位置関係が大好きでかけがえのないものだと気づいた時には、もう解除不能だった。――
残り香は揮発して虚空へと霧散したけど、”残り河”は記憶の中に確かに築かれていて―。
嗅覚は大脳辺縁系で処理をうける。高度に発達した大脳新皮質を経由することがない、原始的感覚である。そして記憶を司る海馬の横に存在し、連携している。
だからあの娘を思い出すだけで、レモン風味が残り香として蘇るのだ。
あの横顔を見つめていたい―。あの娘を間近に感じてしたい。いつまでも黄色い声を聞いていたい。ひまわりのような女の子を。
キスではなく、ファーストコンタクトが、砂糖の中に酸味を味付けしていた。
――視界を埋め尽くすのはシロー。周りはそれに埋め尽くされ、息をするのも苦しくなる。
白って不思議だと思う。可視光をまったく吸収しないくせに、乱反射する。あの日伝えた想いは真っ白な砂糖の中に埋もれて息苦しい。想いも栄養をあげないと成長しない。維持することも難しいと僕は思う。栄養をあげるために、僕はケーキ作りをやめなかった。だけど、作るたびに砂糖の山に窒息しかけていたのかもしれない。――
日本の発酵食品の代表に醤油がある。大豆と小麦を麹で発酵、熟成させ、絞りとると茶色の液体が生成する。独特の味わいを僕は風味付に利用する。だから、料理の最後に入れるのが普通だ。最初っから熟成しているから余計な操作が不要だからである。
恋心―。
熟成が必要?:風味付けしだい。
じゃあ、恋愛を味付するのはなに?:甘いだけじゃ物足りない。だから、涙の塩、初恋の酸味が必要。風味付けに、一滴のお醤油。すれ違いの哀しみも大事な風味になるし……。あと、結婚したらお味噌汁。
スパイス?:
一種類だけじゃない。むしろ、調合してハーモナイズしてこそなのだ。だったら僕は……。
夜が明けて辺りが薄明るくなってきた。窓枠から見えるのは、ひまわり。朝の陽まわり。一日が始まる時間に揺れていたのは、太く成長した茎にぶら下がる深い緑の大きな葉っぱだった。
ふいに風が吹いた。窓枠からみえる風景は既に一枚絵ではなくなった。魔法は解け、止まってた時計の針が、また動きだす―。
晴天の空には抜けるようなスカイブルーが広がっていた。僕は立ち上がり、心のスケッチブックに思い切り水色の絵の具を塗りたくった。その中に一滴の黄色を落とす。境界線は緑で滲んで一枚の葉っぱに変異する。涙を堪えることができない。こぼれた雫で空に雲が浮かんだ。出来上がったのは、ひまわりが咲き誇るあの夏の空。
あの娘の左手に輝くダイヤモンドが陽光を回折して、空に七色の虹を架けた。そんな空の下で、僕らは手を繋ぎいつまでも続く道を歩き出す―。