転生したらモブの王太子だった
俺は王太子。だが、王太子であるにもかかわらず、名前は知られていない。
先日は王宮の使用人に「モブ殿下」などと呼ばれてしまった。
敬意が180度回転して、同じ強度の侮辱に一瞬で変わるという恐ろしい体験だった。
そしてその使用人は悪びれるどころか、くすくす笑って去って行った。
王太子とは、婚約破棄や断罪の場以外ではこんな扱いなのか!?
もちろん、俺は「モブ」なんて名前ではない。念のため。
ちなみに前世では「ノブ」ってあだ名ではあったけれど。
昨今の「なろう」でも、常にざまぁされるしかない側の王太子に転生するなんてあんまりではないか。
しかも名前すらろくに呼ばれていないなんて……。
※
俺には婚約者がいる。
クローデリアという名の公爵令嬢だ。気品があり、美しい女性だったが、世間では冷酷だと言われていた。
もっとも、父上や大臣たちは彼女を妙に高く評価していて、いわゆる政略結婚がお膳立てされたわけだが、あまり話したこともないので、実際どんな女性なのかはよくわかっていない。
そんな俺が、ある日運命的な出会いをしてしまう。
その相手はリリアンナ・ベルフェールという名の伯爵令嬢だった。
王宮の定期夜会で、無愛想なクローデリアと並び、近寄ってくるモブ貴族たちとの退屈な会話をこなしていると、そこにリリアンナがやってきたのだった。
「王太子殿下、ご機嫌いかがですか?」
笑顔で俺に挨拶をしてきた。
その時点ですでに、俺はリリアンナに他のモブ貴族とは違う、特別な輝きを見ていた。
それから、内容はさっぱり覚えていないが、リリアンナは微笑みながら楽しげな話を繰り出し、俺はそれににこやかに応じていた。
リリアンナはとにかく明るくて話しやすい。
そしてめちゃくちゃかわいい。というか俺のタイプど真ん中。
楽しいおしゃべりが終わり、リリアンナが俺のもとを立ち去ろうとしたときに事件は起きた。
「きゃー!」
リリアンナが突然転倒したのだ。
「大丈夫ですか?」
その様子を見ていたクローデリアが、無表情にリリアンナへ手を差し出した。
リリアンナはその手を握り返したが、その手が震えているのを俺は見逃さなかった。
※
その夜会から、リリアンナのことが頭から離れず、俺はたびたびベルフェール伯爵家を訪れるようになった。
リリアンナはそのたびに笑顔を弾かせて俺を迎え入れてくれるので、俺はますます彼女に夢中になっていく。
そんなある日、リリアンナが言った。
「王太子殿下と婚約できたら、私はきっと幸せになれただろうな……」
「へっ!?」
俺は驚いて、つい素っ頓狂な声を出してしまった。
「申し訳ございません。何でもございません。私ったら、何を言っているのかしら。叶わぬことを……」
リリアンナ……。
なんていじらしいんだ……。
「実は俺、クローデリアは苦手なんだよな……」
「えっ?」
「君もクローデリアから嫌がらせを受けていないか?」
そう尋ねると、リリアンナは俯いて言った。
「実は先日の夜会でも足を掛けられて、転ばされて……。嘲るような目で見られて怖かったです……」
リリアンナは顔を上げて俺を見つめる。
「それに、あの方、気に食わない方を次々と社交界から消しているなんて噂もあって……怖くて仕方ないです」
その瞳が涙で潤んでいる。
「それに……もし王太子殿下があの方と一緒になって不幸になられるなら……私は耐えられません」
その言葉を聞いて、俺の心は決まった。
ここまで俺のことを想ってくれる女性を無碍にすることなどできようはずもない。
きっと、二人で力を合わせれば何とかなる。
そんな自信がみなぎってくる。
——これが真実の愛というやつか。
「リリアンナ、俺に任せてくれ。決して君を不幸にはしない」
※
そして次の夜会の日がやってきた。
俺はあえてリリアンナとともに夜会場に登場した。
会場の参加者たちの視線が、俺……の隣のリリアンナに集中する。
すでにクローデリアもそこにいて、少し驚いたようにこちらを見ていた。
俺はまっすぐクローデリアのほうへ進んでいく。
大きく深呼吸し、俺は宣言する。
「クローデリア・レーヴェンハイト! ここにおまえとの婚約を破棄する!」
言ってやった! 言ってやったぞ!
クローデリアは目を丸くして俺を見ているが、俺は畳み掛ける。
「おまえはリリアンナに嫌がらせをした上、気に食わない者を社交界から消しているそうではないか。そんな女は王太子妃にふさわしくない!」
クローデリアはしばらく呆然として俺を見ていたが、やがて口を開いた。
「殿下、あんまりですわ。そんな根も葉もない噂を信じて婚約破棄だなんて……」
「根も葉もない噂などではない。リリアンナが実際に嫌がらせを受け、他にもたくさんの人から被害の話を聞いているんだ」
俺はリリアンナを見る。
すると彼女も俺を見て頷く。
「たった一人の証言で決めつけるなんて……」
クローデリアが言い訳しようとするのを、俺は遮った。
「リリアンナを疑うことは許さん。こんな誠実な女性は王国中どこを探してもおらん」
再びリリアンナを見る。
彼女は恥ずかしそうに微笑んでいた。
かわいい。
「ちょっとお待ちください、殿下」
そこに一人の若い男が割って入ってきた。
どこぞの貴族か、派手な夜会服を身にまとった美青年だった。
それだけでも腹が立つのに、邪魔をしてくるとは。
「何だ、貴様は」
俺はその男を睨む。
すると男も睨み返してくる。
「隣国からお招きにあずかりました、アレクシオン・グランツハイムでございます。お見知りおきを、殿下」
夜会場がなぜかざわついた。
「アレクシオンとやら、王国の問題に口を出さないでいただきたい」
「そうはいきません。クローデリア様はグランツハイム帝国との外交においても極めて重要な役割を果たしてくださっております。王国内でも多くの慈善事業を手がける、大変慈悲深い優れた方ではないですか。そんな方を瑣末なことで責めるなど、みっともない。見ていられません」
「何だと……? 俺のリリアンナに苦痛を与えたことが瑣末なことだと? 隣国の貴族か何だか知らんが、王国の王太子に向かって何たる無礼」
「あなたが正規の婚約者よりも、その方に好意を持っているのだということはよくわかりました」
「そうだ。リリアンナはとても朗らかで優しい。よほど王太子妃にふさわしい」
そう言ってリリアンナを見ると、彼女は顔を赤らめて微笑んだ。
プロポーズしてしまった!
彼女もまんざらでもなさそうだな!
「王太子が私情で婚約者を決めるとは……この王国も終わりだな」
「ことごとく失礼なやつだな。リリアンナのほうが王国民にも愛される。王国は安泰だ!」
隣国の青年はバカにしたように鼻で笑った。
「私のことすら知らないとはな……。帝国も舐められたものだ」
うん?
自分が有名人だとでも言いたいのか?
そこでクローデリアが口を開いた。
「王太子殿下……。その方はグランツハイム帝国の皇太子殿下です……」
え? そうなの?
なんか偉そうだな、とは思っていたけれど。
「王太子殿下はご存知かと思いますが、この王国はグランツハイム帝国の属国です」
それくらいは知っている。
まあ、つまり、こいつは俺より偉いということだな。
「も、申し訳ございません……」
俺の口から自然とそんな言葉がこぼれた。
「何がですか?」
皇太子は相変わらず見下したような目で俺を見て言った。
「いえ、何か失礼なことを言ってしまったようで……」
「そうですね。ただ、私ではなく、クローデリア様に謝罪してください」
くっ……。
あそこまでボロクソに言っておいて謝罪を求められるとは、何というか屈辱。
「申し訳ございません……」
俺は下を向いたまま、小さな声で虚空に謝罪した。
「ちゃんと相手の目を見て。『クローデリア様、申し訳ございません。私がすべて間違っておりました』でお願いします」
くそっ。
皇太子だからって調子に乗りやがって。
「今、『皇太子だと思って調子に乗りやがって』って思いました? それを言うなら、王太子だからって調子に乗っていたのはあなたですからね」
くっ。
これがブーメランというやつか。
俺は諦めてクローデリアに体を向けた。
「クローデリア様、申し訳ございません。私がすべて間違っておりました」
俯きながら上目遣いでクローデリアを見て謝罪した。
クローデリアは小さく息を吐いた。
「もういいです」
何だか呆れている感じだな。
「クローデリア様がよろしければ、私はもちろん構いません」
皇太子が言った。
何とか窮地は脱したようだな。
安堵してリリアンナのほうを見ると、その顔から微笑みは完全に消え、蔑むような目で俺を見ていた。
心なしか距離も遠くなっている。
「お待ちください、皇太子殿下」
背後からまた別の声がした。
それはよく知っている声だった。
振り返ると、国王フリードリヒ——俺の父がいた。
「ち、父上……」
国王は俺を無視し、まっすぐ皇太子のほうに歩み寄る。
「愚息の非礼、まことに申し訳ございません。王国として責任をもって、しっかりと処罰いたします」
しょ、処罰!?
国王が俺に向き直る。
「おまえは廃嫡だ。あと……処刑だ」
「しょ、処刑!?」
そんな雑な……。
「まあ、陛下。廃嫡はともかく、何も命まで奪うほどのことはしていないではありませんか」
廃嫡するほどのことはしたんだ、俺……。
「いえ、帝国の皇太子に歯向かうなど、死罪がふさわしいです」
「……王国に叛意がないことはよく理解しました。王太子殿下のご様子を見て、もしやとは思っていたのですが、勘違いだったようですね」
そんな大ごとになりかけてたの!?
「叛意など、滅相もございません。死罪でもよいですし、死んで楽になるのが許せなければ、地下牢に投獄して定期的に拷問いたします」
あんた息子にそんなことして心は痛まないのか……。
国王が俺を見る。
「王国の命運がかかっているのだ。王太子ひとりの命や苦痛で済むのだ。甘んじて刑を受けよ」
嫌だよ。
「クローデリア様、いかがですか? 死罪か投獄か」
二択は確定か……。
「処罰については陛下のご判断にお任せいたします。私としては、もうこの方に興味ございません」
おまえも雑だな!
「では死罪にいたします」
死罪、決まっちゃったよ。
リリアンナもショックを受けているのではないかと気になり、俺はちらりと彼女のほうを見る。
が、すでに姿かたちもそこにはなかった。
逃げられたか……。
「では、そういうことで」
国王が皇太子に笑顔を向けた。
息子を死罪にしたのに笑顔。
死ぬのか……。
俺の異世界転生、クソだったな。
「ところで、クローデリア様。王太子はこんなでしたが、第二王子はいかがでしょう? ぜひ婚約いただけると嬉しいのですが」
国王が再びクローデリアに向き直り、そんな提案を切り出した。
帝国に気に入られている彼女と、どうしても懇意にしたいらしい。
「もう王家の都合に振り回されるのは嫌ですわ。お断りします」
国王が頭を下げているというのに……。
なんてやつだ。
いや、そんなことはどうでもいい。
死罪は嫌だなー。
「クローデリア様、王国を見限るのであれば、ぜひ帝国にお越しくださいませんか? あなたのような優れた方は帝国にこそふさわしい」
皇太子が割って入ってきた。
「それに……実は、以前からずっとあなたのことが気になっておりまして……」
「えっ……」
クローデリアが顔を赤らめた。
「あ、はい。私も皇太子殿下のことは、ずっと……」
何だそれ。
「王国から皇太子妃が誕生するかもしれないぞ!」
夜会場がにわかに活気づき、拍手喝采が起こった。
「しかし、王国からクローデリア様がいなくなって、本当に大丈夫なのか?」
そんな声も聞こえた。
そのとき、今さらながら気がつく。
俺は完全にテンプレをなぞってしまっていたのでは……。
あれだけ「なろう」でバカにしてきたざまぁ王太子に、俺はなってしまっていたというのか……。
それもこれも、あのリリアンナに魅了されてしまったことがすべての原因だ。
だが、もう彼女は姿を消しているので、怒りの矛先をどこにも向けられない。
というか、自分が愚かだったということはわかっている。
俺はがっくりと膝をつき、呆然とした。
が、そのとき俺は気づいた。
——もう誰も俺のことなんて気にしていない。
誰もがクローデリアと皇太子に注目して、俺への興味は完全に失っているのだ。
だって俺は、ただのやられ役のモブ王太子だから。
もう役目を終えたから。
処刑と言われたけれど、衛兵すら俺に興味がなくて、連行すらしない。
——いける。
俺は立ち上がった。
もちろん誰も俺を見ない。
俺は歩き出す。
誰も気にも留めない。
そのまま夜会場の出口へ。
衛兵すら、俺が出て行こうとしていることに気づかない。
そこまでどうでもいい存在なのかと思うと、ちょっと傷つく。
廃嫡された時点で、モブ王太子はただのモブになったのだから、当然といえば当然か……。
俺は夜会場を出て、王宮を去る。
——生き延びた……。
俺は生きている。
生きているんだ!
思わずガッツポーズする。
そんな俺を誰も気に留めない。
王都の大通りで、元王太子が夜会用のタキシード姿で大きくガッツポーズしたのに、誰も気にしない。
俺は王都の真ん中で、再び膝から崩れ落ちる。
——こんなんなら、生きてても死んでも一緒なのでは……?
そうしてうなだれていると、突然、目の前に小さな花が差し出された。
顔を上げると、一人の少女がいた。
少女は俺を見てにっこりする。
「雑草がお似合いね」
そう言って、去っていった。
——どういうこと……?
雑草……踏まれても、抜かれても、また生えてくる。
確かに今の俺にはぴったりかもしれない。
いや、やっぱりおかしいだろ……。だってついさっきまで王太子で、こんな立派なタキシードを着ているのに、雑草?
次第に怒りが込み上げてくる。
なぜ俺がこんな目に遭わないとならないんだ。
ただちょっと、かわいい伯爵令嬢にうつつを抜かしただけなのに……。
いや、それがだめだったのか。
俺はモブリウス・ヴァレンシュタイン。元王太子だ。「モブ殿下」なんて呼ばれることもあったけれど、「モブ」なんて名前ではない。
俺は悔しさに涙を流しながら、再起を誓った。
——雑草を舐めるなよ……。
そんな、夜会用のタキシード姿で泣く元王太子を、やはり誰も見ていなかった。
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