第3話 入浴シーンを覗いてしまう
……冷たい。
——という感覚で目が覚めた。
目の前にゴツゴツした岩肌が見える。
身体全体がひんやりとした地面に触れていた。
どうやら仰向けに倒れているらしい。
そうだ。
城の牢獄で濁流に飲み込まれたんだった——そこまでは覚えている。
身体は冷え切っているが、四肢の感覚はある。痛みもない。大きなケガはなさそうだ。
右手で地面を支え、ゆっくりと上半身を起こす。頭を左右に振って感覚を確かめた。
その時、大きな叫び声が上がった。
「ボスぅ、目が覚めたのですね! 良かったー!」
ブークが両手を大きく広げて勢いよく駆け寄ってきた。
そうか——たぶん彼女が助けてくれたんだろう。
勢いそのままに首元にぎゅっと抱きつかれる。
「ブーク、本当にありがとう。助かったよ」
ふわふわした短い髪をそっと撫でる。
「ほんとですよー。ボスは私たちがいなかったら、もう何度死んでるかわかんないくらいです。あんまり心配させないでください! まっ無事だったから、いいですけどぉー」
悪態まじりのブークの声に思わず苦笑いがこぼれる。
俺はあらためて周囲を見回した。
そこは天井の低い洞窟のような空間だった。
人がようやく一人歩けるほどの狭い通路が、左右へと細長く続いている。
天井には淡い光が灯っていた。魔法効果か、あるいは魔導具が仕込まれているのだろう。
通路の傍らには、同じくらいの幅の深い溝が掘られ、かすかな水音を立てていた。
……水路? いや、排水溝か?
「ブーク、そっちって——」
彼女の背後を指差す。
「ボスがお休みしてる間に、ちょっと見に行ったんですけど——途中で完全に水没してました。あと、結界も張られてるし……」
「結界?」
「そうなのです。結構ガチなヤツです。なので、こっちからは出れないです」
「じゃあ、こちらは?」
俺の背後を指差す。
「うーん、そっちは行けそうですけど、何があるか分からないので——そのお役目はブークじゃない方が良さそうです」
なるほど。
確かに、こういう時に頼りになるのはカルテだ。
カルテというのは妖精三姉妹の長女だ。風魔法をベースに、音や衝撃波、共鳴現象まで使いこなす技巧派。パーティのシーフ役として最も信頼できる存在だ。
「じゃあ、カルテを呼び出すから——」
そう告げると、ブークは両手を胸の前で合わせてそろそろと後ずさった。
「——ではっ! ブークはこのあたりで失礼しますー。お姉ちゃんによろしくーっ!」
次の瞬間、光が彼女を包み込みフッと霧散した。胸元のアミュレットがコトンと小さく揺れる。
使役妖精たちを呼び出すのには召喚が必要だが、帰るときはどうやら自分の意思で戻れるらしい。
だから、都合が悪くなるとよく勝手にいなくなる。ブークの場合、カルテを呼ぼうとすると必ず逃げ出すのが通例だ。
賑やかなのがいなくなったせいで、さっきまでの喧騒が嘘のように、辺り一帯がしんと静まり返った。
再びアミュレットに手を添え、静かに詠唱を口にする。
「カルテ、汝の身を此処に。天地の標となり我を導け」
アミュレットが淡く輝き始め、薄暗い空間に光が広がる。濡れた岩肌が金色に染まり、やがて何もなかった場所に長い金髪の少女がふわりと現れた。
「マスター、お呼びでしょうか?」
カルテは片膝をつき、右手を胸に当てて深々と頭を垂れる。
極めて優秀なカルテだが、あえて欠点を挙げるとすれば、ほかの姉妹と違ってとにかくお堅い。なので、召喚した俺の方がつい気をつかってしまう。
「なんかブーク、帰っちゃってさ……」
とりあえず、言い訳から入る。
「私と対面すると、色々うるさく言われるのがきっとイヤなんだと思います」
なるほど、うん。それは少し分かる気がする。
「お話は伺いました。私が先導いたしましょう」
カルテは即座に答え、ブークが「行けそう」と言っていた方向へすっと腕を伸ばした。
その手のひらが空気をなぞると、かすかな振動音が奥の空間へと広がっていった。耳を澄ますと、暗闇の向こうから何かが共鳴するような音が返ってくる。
「こちらの通路は進めますが、少し先で行き止まりになります。ただ、その先に大きな空間が広がっているようです。どうなさいますか?」
音の反響や空気の揺らぎを利用して、周囲の構造を探ったのだろう。
さすがカルテと心の中で感心する。
「分かった。じゃあ、行ってみよう」
濡れた岩場で足を滑らせないよう、カルテの後ろを慎重に進む。
俺たちの動きに合わせて、壁や天井に灯る淡い明かりも、ゆっくりと進行方向を照らしてくれる。
カルテの言った通り、通路はすぐに岩壁にぶつかり行き止まりとなった。
壁に手を当てていたカルテがこちらを振り返った。俺に次の指示を求めているように見えるが、彼女にしては珍しくちょっと戸惑った様子にも感じられた。
場所を入れ替わり、突き当たりの壁を注意深く調べてみる。表面はしっとりと濡れているが、特に隠し扉や仕掛けらしきものは見当たらない。
ふと足元に目をやると——通路と並行して伸びていた側溝が、壁の向こうへと続いていた。しかも、溝には今も絶え間なく水が流れ込んでいる。
「カルテ、ここ……?」
振り返ると、カルテがさらに困った顔をした。
「……はい、この先進めなくはありませんが——」
その言葉の歯切れもいつものカルテらしくない。
側溝は、人ひとりが四つ這いになればギリギリ通れそうな広さだ。
俺は膝をつき側溝を覗き込んだ。
「あっ!」
ほんの少し先の上部からかすかな光が差し込んでいるのが見えた。
さらに耳を澄ますと、遠くから人の声らしきものも聞こえてくる。
——これは行くしかない。
俺は一度顔を引っ込め、カルテの方を振り返った。
彼女はやや視線を逸らしながら、ゆっくりと言った。
「……マスター。どうしても行かれるのであれば、お止めしませんが——いろいろ、お気をつけください……」
ん? いろいろって何だ?
——とは思ったものの、ほかに道もないし、ここを進むしかなさそうだ。
俺は「ありがとう」とカルテに伝えると、側溝に身体を沈め四つ這いで前進する。
進むにつれて、水の流れが心なしか多くなった。しかもほんのりと温かい。
水音もどんどん大きくなり、それに混じって人の声もはっきりしてきた。
——なんだ、これ?
ふんふ♪ ふんふ♪ ふーん♪
鼻歌混じりの声が聞こえてくる。
側溝の行き止まりに行き着くと、今度は左右に溝が延びていた。
その上部には格子状の金属がはまっている。
光、水の流れ、そして声も、すべてこの上からだ。
俺はそっと格子に手をかけ、力を込めてみた。すると拍子抜けするほどあっさりと外れた。
慎重に顔を外へ出す。
湯気が立ちこめる先に少女がひとり、無防備にこちらへ背を向けて立っていた。
腰まで届く銀色の長い髪が、細い肩からなめらかな背筋に沿って流れている。くびれた腰のラインが湯気越しにもはっきりと分かった。
——あ、これ、マズいやつだ。
慌てて引っ込もうとした、その瞬間——少女がくるりと振り返った。
首から上だけ排水口から突き出した俺と、それを見下ろす少女。
湯気に邪魔されることなく、二人の視線がばっちり交差した。
首元のアミュレットがコトンと音を立てる。
さすが長女、引き際は的確だ。
「ちょっと、待って!」
「わぁー、すごーい! 大胆ーーーんっ!!」
バシャーーーーーーーン!
俺の冷えきった身体に、熱いお湯がじんわりと染み渡った。




