第16話 幾年ぶりの邂逅
もう一方の魔法陣が輝きを増し、光の中心に淡い人影がゆらりと浮かび上がってきた——が、その影はひとりきりで、甲冑姿でもなかった。
……兵士じゃない?
背後から、鎧の打ち合う硬い音、そしてケルチスの「よく来た!」という弾んだ声が聞こえた。目を向けると、近衛兵が次々と魔法陣の輪から抜け出している。
俺は両手を上げたままニディアを背に庇い、どちらの魔法陣からも距離を保てる位置へ静かに後ずさった。
——光が静まり、魔法陣からひとりの人物が姿を現した。
その男は落ち着いた足取りで、光の残滓を踏みしめるように輪の外へ進み出る。
兵士とは明らかに異なる立ち姿——場違いなほど整った漆黒の燕尾服が目を引いた。
両手には、文様の施された真新しい白手袋をはめている。その白が魔法陣の残光を反射し、やけに鮮やかに映った。
指先まで神経の行き届いた所作で、男は深く一礼した。
「ご無沙汰しております、姫様——」
背後からニディアの息を呑む声がした。
「マ、マルセル!!!」
マルセル!?
耳にしたことのある名——そうだ、ニディアの執事の名前だ!
「積もるお話は後ほど。まずはこちらへ」
その言葉に、ケルチスのうわずった声が割って入った。
「マルセル! お、おまえ……まだ生きておったのか! 牢で朽ち果てたとばかり——」
「先日、天からの恵みがございまして——」
「さてはおまえも、あのとき牢から!」
背後で控える近衛兵たちが剣を手に取り、王子の指示を伺っている。
「姫様、少々お待ちを——」
マルセルは胸元から、白いカードの束をゆっくりと取り出した。
数枚を指先でつまみ上げ、ふっと息を吐くような仕草で上方へ解き放つ。
カードはふわりと宙に舞い、次の瞬間、鋭い風に押し出されるように一直線に兵たちへ襲いかかった。
それらは甲冑の隙間や、露出した手首・膝裏を正確無比に撃ち抜いていく。
「ぐあぁ!」
「ぎゃあ!」
白い閃光が走るたび兵たちの悲鳴が響き、よろめいた身体が膝を折る。
剣が次々と床に落ち、床を弾く甲高い金属音が乱れ飛んだ。
「アカツキさん! こっちへ!」
背後にいたニディアがいつの間にか俺の前に飛び出し、こちらへ手を差し出していた。
俺はその手を掴み、彼女とともに執事マルセルのもとへ駆け出す。
「待てーーー!」
背後からケルチスの怒声が響き渡る。
——が、兵たちは膝をついたまま、甲冑を軋ませてもがいていた。
誰ひとり、こちらへ踏み出せない。
促されるまま、俺はニディアと並んで魔法陣の中へ飛び込む。
マルセルがその手を静かに転移魔法陣へかざす。
白手袋に刻まれた文様が淡く光を帯び、その輝きが瞬く間に魔法陣全体へと駆け巡った。
「——では、参りましょう」
床に描かれた紋様が、目を焼くほどの眩さで光を放つ。
そこへ、ケルチスの叫び声が轟く。
「このまま逃げ切れると思うな! 国中に手配を回してやる!」
——しかしその姿は白い奔流の向こうに飲み込まれ、視界からふっと消え去った。
***
閃光が収まり、足元に固い石の感触が戻った。
息を整える間もなく、マルセルがこちらを振り返る。
「追っ手をまくため何度か転移を重ねます。しばらくご辛抱ください」
マルセルは再び転移魔法陣へ手をかざす。次の閃光がほとばしった。
足元の感覚がふっと途切れ、次の瞬間には別の石床に着地している。
光と浮遊感だけが連続し、間に挟まる景色は一瞬の残像として消えていった。
幾度かの転移の後——
「到着いたしました」
マルセルの低く響く声が耳に届いた。
そこは、冷たい石壁に囲まれた一室だった。
視線を上げた瞬間、天井に浮かぶ巨石——青白い輝きを放つ魔石が目に飛び込んできた。低く唸るような音が空気を震わせ、部屋全体からわずかな振動が伝わってくる。
魔石の放つ光が、壁面に刻まれた古びた紋様をなぞり、部屋全体を淡く照らしていた。
「ここは時計塔の上層——その動力室。女王陛下に仕えた者のみが知る、秘密の空間です」
マルセルはわずかに表情を引き締め、静かに告げた。
時計塔? あの王宮の時計塔の上?
ふと足元に目をやると、俺たちが降り立った魔法陣を中心に、複数の転移魔法陣が円を描くように床一面を覆っていた。文様はところどころ掠れているが、ひとつひとつに異なる尖塔をかたどったモチーフが添えられている。
「それらは、今はもう機能しておりません」
憂いを帯びた声でそう口にすると、マルセルはゆっくりとニディアへ向き直った。
二人の視線が静かに絡み合う。
ニディアが小さく息を呑んだ。
マルセルは背筋を伸ばし、胸に手を添える。
そして——改まった口調で言葉を紡いだ。
「姫様——。長年、執事としての務めを果たせなかったこと、どうかお許しください」
「な、なにを言うのです!」
ニディアの声は震え、顔は真っ赤に染まっていた。
大きな瞳には、大粒の涙が今にもこぼれ落ちそうに揺れている。
「マ……マルセ……マルセル……」
かすれた声を絞り出すと、彼女はそのまま駆け出しマルセルの胸へと飛び込んだ。
顔を深く埋め、まるで幼い日の記憶をなぞるかのように泣きじゃくった。
ずっと明るく、元気いっぱいで、いつも笑顔を絶やさないニディア。
そんな彼女が子どものように泣く姿を、俺は初めて見た。
マルセルは一言も発せず、静かに彼女を抱きしめていた。
やがて、ニディアが少し落ち着いたのを見計らい、彼は低く口を開いた。
「あれは——ちょうど25年前。最後にお仕えしたその日。私は突如拘束され、魔法を封じられたまま収監されました」
ニディアはわずかに残った涙を拭くと、顔を上げ、まっすぐマルセルの顔を見つめた。
「それが、先日の災害で牢が崩れ、私は解き放たれました。
すぐに姫様をお助けするため、城内に残っていた旧知の者に連絡をつけ準備を進めておりましたが——まさかご自身で脱出なさるとは……」
マルセルの視線がふいに、ニディアの腰の剣へと向かった。
「その魔導剣をお使いでしたか……」
ニディアはそっと腰に手を添え、伺うようにマルセルを見上げた。
「この後、私の知るすべてをお話ししましょう。
あなた様の母君——女王陛下のこと。
——そして、その剣の作り手である、お父上のことを……」




