第9話 ニディアを外へと誘う
それから数日、俺たちは探索を続けた。
以下、これまでに分かったことを列挙してみる。
1. ニディア邸があるこの空間は巨大な半球状の構造になっている。一見、森がどこまでも広がっているように見えるが、水平方向360度はすべて行き止まりになる。
2. 上空は空ではなく、光る石——魔導発光装置が埋め込まれ、昼夜が再現されている。
3. 湖の上、ちょうど半球の頂点部分に魔導発光装置のない箇所が存在し、そこから空の裏側へ侵入できる。
4. 空の裏側は、この半球状の空間の出入り口だったと推察される。ここからさらに階段を上がった先に上層階がある模様。
5. そこに至るためには、外で待ち構えているドラゴンをどうにかする必要がある。
「結界はあのドラゴンの向こう側に張られています」
何度目かの調査のあと、カルテはそう口にした。
「じゃあ、ドラゴンを倒せば結界も破れるってこと?」
答えはなんとなくわかっていたけれど、念のため訊ねる。
「五分五分でしょうか。結界を解除する仕掛けが別にある場合も考えられます。ただ、いずれにしても——」
カルテは珍しく言葉の先を濁した。
「どのみち、あのドラゴンをどうにかしないといけない、ってことだよね」
俺は苦笑いを浮かべ、重く息を吐いた。
***
リンタローとは、あの「ニディア映り込み事件」以降も何度かやりとりを重ねて、外部情報を提供してもらっていた。
「例のドラゴンだけどな——」
俺は覗き見した範囲で得た情報を、リンタローに流していた。
「お! 何かわかったのか?」
「ウチのメンバー限定のサブチャンネルに投げてみたら、幸いマニアがいてな」
あのドラゴン攻略が脱出のカギになるのは明らかだ。少しでも情報が得られるのはありがたい。
「大きさや形状、それに体を覆ってるウロコの感じからすると、たぶん火鉱竜じゃないかってさ」
「——火鉱竜!?」
「ああ」
「いや、アイツはもっと北のほうにいるものだろ!?」
火鉱竜は主に北方の火山地帯に生息する火属性のドラゴンだ。
口から吐く炎はとんでもなく凶悪で、その火焔に焼かれ、何人もの冒険者が灰になったという最強種のドラゴンのひとつだ。
「どうやったかは知らないが、多分連れて来たんだろう。守護の担い手として、いや、おまえたちの場合は脱出を阻むための監視役として、か——」
アイツは隙間から覗く俺たちの方向をじっと見据えていた。リンタローの言った通り、脱出を試みる者を葬り去るのが目的なのは間違いない。
「それに、ウロコの攻撃もヤバいらしいぞ。まるで雨のように降り注ぐそうだ。火焔に焼かれなくても、そのウロコで身体中ズタズタにされるって話だ」
これは相当慎重に計画を練る必要がありそうだ。
「ところで、アカツキ。ずっと気になっていることがあるんだけどな」
リンタローが改まった口調で訊ねてきた。
「おまえの目的は、とにかく外へ脱出すること、だよな?」
「ああ。何よりまず、閉じ込められたこの場所から解放されたい」
「もちろんおまえはそうだろう。だけど、俺が気になってるのは、彼女——ニディアちゃんのことだ。おまえ、彼女のことをどう考えてる?」
……彼女のこと。
リンタローの言うとおり、俺はとにかく外に出ることに躍起になって突き進んでしまっていた。
ニディアのことが俺のなかで完全に抜け落ちていた。
「俺の印象だけど、彼女は外に出たいって気持ちがすごく薄いように感じるんだ。
物心つく前からずっとそこにいて、幽閉場所とはいえ慣れ親しんだ家があるからなのか、 あるいは何か事情があるのか——その理由は俺には分からない」
リンタローが珍しく熱を込めて語る。
「ただ、もし本当に彼女が今すぐ外に出たがってるなら、おまえがそこにたどり着いた時点で、もっと積極的に動いてもおかしくないはずなんだ」
確かに、ニディアは不思議なくらい落ち着いている。
この閉鎖された空間で、ただ日々の生活をこなしている。
彼女のなかにある何かが、そうさせてしまっているのだろうか——。
「ちゃんと彼女のことも考えておく必要があるんじゃないかと、俺はそう思うんだけどな。——だっておまえ、同居人なんだろ?」
リンタローは一度にっと笑うと、すぐに表情を引き締めてこう続けた。
「ニディアの母親——女王の生死に関する情報がある」
——女王の、生死……!?
「噂レベルだがおまえには伝えておくよ。その話を——」
ニディアが“ここから出たくない、出られない”理由。
その根底にあるのが、母親の生死に関わることなのであれば——。
一度、きちんと話さなきゃいけない。
リンタローの話を聞き終えた俺は——ニディアと正面から向き合う決意を固めた。
***
朝・昼・夜。空の明るさが、天井の光る石のおかげでゆるやかに移り変わる。そのリズムに合わせて食事を取るのにも、もう慣れてしまった。
その日の夕食を終えたところで、俺は思い切ってニディアに声をかけた。
「ちょっとだけ時間を貰えないかな?」
普段のニディアなら「えー、なんですかー? なんだかドキドキしますー」とふざけてくるところなのに、今日は「はい、分かりました」とだけ、素直に返ってきた。
俺の声に混じった微かな緊張に、気づいたのかもしれない。
ダイニングテーブルのいつもの場所に座る。
まだここに来てほんの数日のはずだが、ずっと二人きりだったせいか、もっと長い期間いる感じがした。
口の上手いリンタローならうまく切り出せるのかもしれないが、俺にはそんな技量はない。
仕方ないので、単刀直入に話をすることにした。
「この場所から外に出られそうなんだ」
俺の言葉に、ニディアは口元をきゅっと結び、ぽつりと答えた。
「そうですか……よかった、です」
やはりというか、彼女の声色に喜びの響きはなかった。
俺はしばらくニディアの様子をじっと見つめていた。
「——外に出られるかもしれないって話なのに、あまり嬉しそうに見えない。そこがずっと気になってるんだ」
俺は静かに後を続けた。
「もし、外に出たくない、出られない理由があるのなら、話してくれないかな?」
ニディアが顔を伏せ、目を閉じたのが見えた。
「ニディアにとって俺はいまも、突然現れた素性のよくわからない人のままかもしれない。だけど君が、“同居人”と呼んでくれた以上は、俺は君をここに置いてはいけない」
彼女の身体がわずかに震えているのがわかった。
言うべきかどうか最後まで迷ったひとことを、俺は口にした。
「お母さんの生死に関する噂を聞いた」
ニディアがはっと顔を上げた。
その表情をみて俺は、ああ、やっぱりそこだったのか——と思う。
「もしかしたら君は、自分のせいで母親が捕まって、自分のせいで母親を死に追いやってしまった、そう思っているかもしれない……」
ニディアが服の胸元をぐっと掴む。身体の震えはさらに大きくなっていた。
「君の母親は生きているって話だった!」
そう告げた瞬間、彼女の震えは収まり、瞳がぱっと大きく開かれて俺を見つめた。
「その理由も教えてもらった」
俺はテーブルの反対側にいた彼女のもとへゆっくりと歩み寄り、右手を差し出した。
あの日、ニディアが「同居人になりましょう」と言って、俺に手を差し出した——あのときと同じように。
「俺と……一緒に外に出よう!」
ニディアは座ったまま、じっと俺を見上げている。
「君の母親の行方を探す手助けくらいなら、この俺にもできるかもしれない」
——ニディアはしばらく黙って俺を見つめていたが、やがてふっと静かに微笑んだ。
「何だか少し眠くなってしまいました……。今晩よく眠って、また明日お返事してもいいですか?」
「……うん、それはもちろん」
ニディアは立ち上がり、自室へと向かう。
「おやすみなさい」と、いつものように言ったけれど、今日はもう振り返らなかった。
どんな答えが返ってくるのか。
いろんな光景が頭をよぎり、俺はその日、遅い時間まで全く寝付けなかった。




