始まりの出会い④
姫乃の転校初日は何も問題無く終わろうとしていた。むしろ玲奈のお陰でたくさんの繋がりができたし、何より楽しかった。星見会の勧誘も、実を言うとそんなに悪い気はしていない。ずっと憧れていた青春を、自分も楽しめるのかもしれないと期待に胸を躍らせていた。
玲奈はホームルームが終わるとその健脚で風のように帰ってしまった。玲奈はいろんな部活から声が掛かっているらしいが、そのどれも断っているという。
何か他に打ち込んでいることがあるのかもしれないと思った姫乃は、あまりその話には首を突っ込まないでいようと決めた。誰にだって、触れられたくない部分はある。
「お帰りなさいませお嬢様」
黒岩が駐車場の端の目立たないところで待っていた。しかし高級な黒い車は、目立つなという方が難しい。姫乃はサッと車に乗って、すぐに出すように黒岩に言った。
「何かありましたか?」
「……あのね、明日からは車の登下校をやめたいの」
「なぜです」
「あまり、こういう車で登校しているのを見られると、良くない噂も立つでしょう? 目立ってしまうし……」
「……確かにそうですね。では、なるべく一般的な車を用意していただけるよう、社長に話してみましょう。お嬢様をお一人で歩かせるわけにはいきませんから」
「……わかったわ」
これ以上の説得は難しいと判断した姫乃が折れた。姫乃の家なら車を1台も2台も買うくらい痛くも痒くもない。一般的な車と言っても、1番ハイグレードの物が用意されるんだろうなと、姫乃はまた静かにため息をついた。
郊外の山の中腹。少し開けた場所に豪華な家が建っていた。ぐるりと取り囲む塀の先に荘厳な門が見えてくる。その門を潜り、家の玄関のすぐ前に黒岩が車を停めた。姫乃が車を降りると、黒岩は車を走らせる。少し離れた車庫に向かったのだ。そこで車の点検と手入れをするまでが黒岩の送迎業務だ。
隠れる気の無い監視カメラが見張る玄関を入ると、今度は花野が出迎えてくれる。朗らかに笑うふくよかな顔は、心から姫乃を慕っている証拠だ。家の中には美味しそうな甘い匂いが漂っている。これは姫乃の大好物、花野特製の紅茶のパウンドケーキの匂いだ。
「ただいま。今日のデザートはパウンドケーキ?」
「はい。今日はお嬢様の転校初日。腕によりをかけて夕ご飯を作ります!」
「ふふ。花野さんのご飯はいつも美味しいのに。ありがとう」
「いえいえ。お嬢様の為ならなんでも作りますよ!」
「あ、お鍋が焦げちゃう」と言ってパタパタとキッチンに戻っていく花野。娘の転校初日という緊張する日でも、両親は居ない。1年のほとんどが海外での仕事で、日本に帰ってきても商談ばかり。家に帰ってくることなんて滅多に無い。
姫乃の父親はいつも姫乃が寝る前の時間に、外国からテレビ電話をかけてくる。内容は至って業務的。勉強はちゃんとしてるのかとか、家の恥になるようなことはするなとか、冷たい会話だ。母親はたまに画面に映ったと思ったら、すぐにどこかへ行ってしまう。
自室に戻り、小さく息を吐く。気持ちが落ち着かなかった姫乃は展望室へと向かった。あまりにも星に夢中になる幼い姫乃を見かねて、両親が家に作ってくれたと姫乃は記憶している。ここは姫乃が唯一両親からの愛を感じられる場所だった。両親はこれで大人しくなるなら安いと思ったのかもしれないが。それでも、郊外ということもあって晴れていれば町の中心より星がよく見える、姫乃のお気に入りの部屋だ。
そこに収められている星の本をいくつか部屋に持ち帰る。テーブルの上には家庭教師から出された山のような宿題がそびえているが、その全てを床に叩き落として、展望室から持ち帰った本を読む。もう何度も読んでいる本。それでも姫乃にとっては、心を静める唯一の薬だった。
夜、いつものように両親から国際電話がかかってきた。姫乃は笑顔を作って電話に出る。
『もしもし?』
『寝るところか』
『うん。そっちは?』
『これから商談だ。時間が無いから手短に話す。黒岩から連絡が来た。お前の言う普通の車とやらを用意させたからそれで登校するように』
どうやってこの父を黒岩は説得したのだろうと姫乃は驚いた。姫乃がいくら言っても聞かないのに黒岩から言われたらすぐに車を用意するなんて、2人は一体どんな関係なのか。
そんな簡単に説得できるのならもっと早くにそうしてくれたらよかったのにとも思ったことはおくびにも出さない。
『あ、ありがとうございます』
『これ以上のわがままは許さん。ただでさえ公立の学校に転校してこっちは面目の潰れる思いをしてるというのに。勉学には一層励むように』
『はい』
『家の恥にだけはなるな』
『はい』
『以上だ』
『はい。おやすみなさい』
電話を切ってから、姫乃は布団の仲に潜った。もっと寄り添ってくれてもいいのに。転校初日はどうだったのかとか、友だちはできたのかとか、困ったことは無いかとか、そんな他愛の無い会話をしたい。幼い頃から両親はこうだったとは言え、今の姫乃にはつらかった。
姫乃は布団から顔を出して、カバンに付けた星座のストラップに目をやる。ある天文台のイベント限定で販売されていた星座のストラップは、かなり傷んできていた。
最後に両親と出かけたのは小学3年生の時。学校から配られた天文台のファミリーイベントのチラシに書かれていた限定ストラップの写真を見て、姫乃はどうしてもそれが欲しくなった。家族での参加がイベント会場に入る為の条件だったので、何日も何日も両親に頼み込んだ。普段滅多に何かを欲しがることが無い姫乃からのお願いとあって、ようやっと折れた両親に連れて行ってもらったのだ。
もちろんSP付きでそれなりに目立ってしまったし、短時間しか居られなかったが、それでも姫乃にとってはとても楽しい思い出になった。それをきっかけにして姫乃は星を好きになったくらいだ。その後、あの展望室ができた。だから、姫乃にとってはこのストラップは宝物だ。
「星見会、入ってみようかな」
姫乃はそう呟いて静かに目を閉じた。




