ペルセウス流星群の下で⑤
親の愛は知らない。でも祖父や黒岩、花野、みんなの愛情をたくさん注いでもらったお陰で、心を曲げずに済んだ。両親からの愛が無くても、必要以上に寂しいと思わずに生きてこられた。¬¬¬¬¬——だからこそ、自分も1歩踏み出さなくちゃいけない。
姫乃は池を眺めながらそんなことを考えていた。ここに来たのは、みんなにここを紹介したいという気持ちももちろんあったが、本当はここに来たら祖父に力を貸してもらえるかもしれないという祈りに似た期待が強かったからだ。お陰で姫乃の覚悟は決まった。
30分ほど庭を自由に散策し、熱中症になる前に家の中に退散した。夕飯の時間までは合宿らしく勉強をしようということになった。まずはそれぞれの宿題を広げる。
「レオの宿題、多いな」
「期末で赤点ギリギリ取っちゃって……」
「少し一緒に勉強もしたんですけど……不甲斐無いです」
「エアリーのせいじゃないよ! あたしが馬鹿なのがいけないんだよ」
「レオの場合は寝不足や疲労が原因ということもあるかもしれん。ここにいる間ゆっくり休めれば、きっと頭に入るさ」
「……うん」
また玲奈の顔に罪悪感が広がる。認知症の祖母のことが気になって勉強や授業に集中できないという理由もあるのだろうと、優紀は考えていた。今回の作戦でそれが解決すれば、玲奈は勉強も部活もできるようになるかもしれない。そうなれば、優紀は玲奈にあるお願いをしようと思っていた。その願いを託すかどうかの見極めの意味も、優紀は今回の作戦に込めていた。
まずは黙々とそれぞれの宿題を始めていく。美代と沙代は得意な化学の課題から始めて、2人であーでもないこーでもないと言い合っている。それを聞いて玲奈が、「そんなのやったっけ?」、「あれ、それ全然わかんない」と今にも泡を吹きそうになっていた。
双子が得意げになって玲奈にモル計算やら化学式やらを教える。と言っても双子の教え方はとても感覚頼りのもので、「ここがこうなってこう!」、「これはバラバラになってからこう!」というある種天才が凡人に教えるようなやり方だった。玲奈は突っ伏して降参の表明をせざるを得なかった。
「馬鹿でごめんなさい。ひとつもわかりませんー!」
「まぁまぁ。美代さんと沙代さんはこう言いたかったんですよ」
姫乃が双子の感覚的解説をひとつひとつ言葉にしていく。丁寧に図を描いたり、つまずきそうな部分はいろいろな例えを使いながら分解して説明したりする。すると玲奈も少しずつ理解していった。それを聞いた双子も、自分たちの説明を丁寧に言語化できる姫乃に拍手を送った。優紀も素直に姫乃を褒めた。
「エアリーは教えるのが上手いな」
「いえ、そんなことないですよ。レオさんの飲み込みが早いんです」
「でもうちらの説明よりわかりやすかった」
「うん。図が綺麗でわかりやすい」
「お2人の説明も短くまとまっていてわかりやすかったですよ。ただレオさんはたぶん1からお伝えした方が、混乱しないかなと思って」
「とーってもわかりやすかったです!! そっかそこがわかんないから化学の授業謎だったのかぁ」
「ここは基礎ですからね。これを踏まえて1年生の問題を解いてみましょうか。ピースさん、シーズさん、問題集を貸していただけますか?」
沙代が姫乃に問題集を貸し、玲奈に実際に解かせてみる。その間、沙代は美代と問題集を見て宿題を進めた。そして玲奈はたっぷり30分はかけて、基本のまとめ問題を解ききった。
玲奈が目を輝かせて、問題が解けたことを姫乃に報告する。姫乃は、「じゃあ丸付けをしてみましょうか」と言って問題集の解答を広げた。5問中4問を正解して、最後の問題だけ間違えていた。どこを間違えたのか確認していくと、単純な計算ミスだったことがわかった。どうやらそれ以外はきちんと理解できたようだと、姫乃はホッとした。
「あー。あたしいつもそうなんだよねー。どうも計算は苦手で」
「レオは少々せっかちというか、注意力に欠けるところは否めんかもしれないな」
「計算してる途中にどうも思考がこう、ふぁーって飛んでっちゃうというか。数学が一番嫌い」
「私も数学は少し苦手なので気持ちはわかります。でもそれ以外は正解してましたから、見直しをする癖をつけておくといいかもしれませんね」
「見直し?」
「今までしてなかったんですか?」
玲奈が真顔で頷く。それに便乗して双子も、「見直しなんてしたことない」、「テスト終わったらすぐ寝ちゃう」とキョトンとしている。それで学年順位上位に食い込むのだから、もしかしたら双子は本当に天才肌なのかもしれないと姫乃は心の中で思った。
いくら勉強しても前の学園では上位成績者に入れなかったことを姫乃は思い出す。一定数脳みそのスペックの高い人は居る。それはしょうがない。その中で凡人の自分はどれだけ努力ができるのか。それだけを考えて勉強してきた。そんな高スペック脳を持った後輩が実際に目の前に居る。それが姫乃のトラウマをちょっとだけ刺激した。
しかし、ここで卑屈になっている暇は無い。高校生という時間はたったの3年しか無いのだ。その後は大人として扱われるし、大人としての時間の方が長い。仕事をしている時に、相手がすごいからと卑屈になっていては利益は生まれない。筑比地家に求められるのは、いかに効率的に頭脳戦を制して最大限の利益をもたらすかの1点のみ。姫乃は膨らみ始めたネガティブな感情をそっと潰した。もう慣れたものだ。
「しっかりと見直すことで凡ミスは防げます。ピースさんとシーズさんも、きっともっと点数が上がりますよ」
優紀もそれに同意した。美代と沙代は試しに今解き終わった問題を見直してみる。美代は1問、沙代は3問凡ミスしていることがわかった。やり直して答え合わせをすると、2人とも全問正解だった。
双子はとても感動したようで、どんどん宿題を進めていく。優紀は玲奈に、間違えた問題をもう一度解いてみるように助言した。間違えた問題にこそ、価値があるのだと言う。
「テストや問題集で大事なのは丸の数じゃない。何がわかってて何をわかってないかの炙り出しが大事なんだ。その方が効率的に勉強を絞れる」
「なるほど。たしかにそうですね。手当たり次第勉強するよりは、一旦問題を解いてわからないところを探す……さすがアクア先輩です」
「いやいや。私は教えるのは得意じゃないからまだまだ勉強が足りないんだ」
「あのー……全部間違えるあたしみたいな人はどうしたら……」
「そうだな。まずは基本問題を100問解くところからだな」
「ひゃ、ひゃく……!!」
玲奈は頭を抱えて天を仰いだ。半泣きだ。とりあえず2年の宿題も進めてみようと姫乃に慰められ、玲奈は一番苦手な数学の宿題を芋虫の如くゆっくりと、ゆっくりと解いていく。わからなくなると姫乃を呼ぶ。その繰り返しだ。
姫乃も玲奈に呼ばれるまでの間に数学の宿題を進めていた。解けずに詰まったら優紀に質問する。教えるのが苦手だと言っていた割に優紀は教えるのが上手く、いろいろな例え話を挟む姫乃とは違って、端的に、しかしわかりやすい言葉を使って説明するタイプだった。
「アクア先輩の説明わかりやすいです」
「いや、ここはもう理解してる範囲だからな。説明が楽なだけだ」
「正直、学園の先生たちよりわかりやすかったですよ。アクア先輩は先生も向いているのかもしれませんね」
優紀は少し考えて、「先生か……考えてもみなかった」と呟いた。
そばに杉本という生の教師が近くに居たせいか、今まで優紀の将来の選択肢には入っていなかった。杉本を見ていれば教師をいうのがどれだけ大変な仕事なのかはよくわかる。優紀はそれ以上の言及は避け、また自分の宿題に取りかかる。しかし頭の中には進路のことや将来のことがグルグルと渦巻き、集中できそうになかった。
「あ、そろそろみんなのケータイ、電源切った方がいいのではー?」
「ほんとだー。もうこんな時間だー」
双子に言われて全員で時間を確認すると、17時にもうじきなろうというところだった。まだ誰の携帯にも着信やメッセージは入っていないことを確認して、全員で安堵する。一斉に携帯の電源を落とし、それぞれがカバンの奥底に携帯をしまった。それぞれの親がメモを確認するであろう時間の前に、携帯の電源を切っておこうと予め決めていたのだ。姫乃にはその必要が無かったが、一応みんなの和を乱さぬよう自分の携帯の電源も落とした。




