家出大作戦⑧
姫乃は即答できなかった。これ以上親の意向に背き、親の思う人脈じゃない友人を作り、自分がやりたいことを好きにやり始めたら本当に筑比地家を追い出されるかもしれない。姫乃は自分の拳を握った。
それでも。それでもみんなと居たいと姫乃は思った。家を無くしても、お金を無くしても、今目の前に居るみんなとの関係はお金じゃ買えないものだ。まだ出会って日が浅くても秘密を共有できた友人たちに、姫乃は胸を張って答えた。
「入ります! 親がなんと言おうと、私はみなさんと過ごしたいです!」
「うん。私もだ。みんなはどうだ?」
「だーい賛成!」
「異議無ーし!」
「異議無ーし!」
「では満場一致で筑比地姫乃さんの入会を歓迎する!」
「みなさん……ありがとうございます!」
「あ、でも……」
急に玲奈が肩を落として小さくなる。4人が心配そうに玲奈を見た。
「あたしは無理かも。お祖母ちゃん放っておけないし……」
「それなんだが。ちょっと作戦を思いついたんだ。みんな聞いてくれるか?」
「なになにー?」
「秘密の作戦ー?」
「あぁそうだ。私たちが自由を獲得するための、反撃作戦だ」
月曜日。姫乃はいつも通り学校の駐車場に居た。私服を着た黒岩と一緒に、目立たない普通車の中で姫乃は緊張を隠せないでいる。川島たちと一悶着あって、それが黒岩と花野のお陰で解決したとしても、今のクラスの雰囲気は姫乃にはわからない。正直すぐにでも逃げ出したかった。
「お嬢様、ご不安ですか?」
「えぇ。でも、大丈夫」
「きっと大丈夫です。おや、ご到着なさったようですね」
姫乃の車をこんこんとノックしたのは玲奈だった。いつもよりかなり余裕のある登校をしてきた玲奈は、息も切らしていなければ汗もかいていない。とても真剣な顔をしていた。
姫乃も車から出て玲奈に挨拶をする。緊張しているのが玲奈に伝わったのだろう。玲奈が姫乃の肩に手を置いて、「大丈夫」と短く言った。姫乃は深呼吸をひとつして、「はい」と頷いた。
「作戦、開始!」
朝のチャイムが鳴る10分前。ほとんどの生徒が教室に集まっている。教室の扉が音を立てて開く。教室内の賑やかさは途端に消え、玲奈と姫乃が教室へ入ってきた。静かになった教室に2人の足音。2人は自分の机に荷物を置く。最初に言葉を発したのは姫乃だった。
「おはようございます。みなさんに、お話ししないといけないことがあります」
姫乃の声は震えている。しかし凜とした声だ。
「みなさんはもう知っていると思いますが、私は元々星蘭女学園に通っていました。親はT-コラボレーショングループの社長です。学園で私は、ある生徒に階段から突き落とされそうになりました。私は抵抗して、誤って相手を階段から落としてしまったんです」
姫乃の体が震えている。玲奈は心の中で姫乃を応援していた。応援しながらクラスメイトたちの様子を観察する。戸惑ったような顔をする者、疑っている者、あまり興味が無さそうな者、面白がっている者、罪悪感に溢れた顔の者。人がこれだけ集まれば価値観も考え方もバラバラだ。
それでも学級委員として、1年間このクラスをまとめていかなくちゃならない。いくら1年生から知った顔が多いと言っても、川島みたいな人間はどこにでも沸いてくる。玲奈も緊張が体を破って飛び出てきそうな気持ちだった。
「川島さんの言っていたことは確かに本当です。でもみなさんを騙すつもりも、見下しているつもりもありませんでした。私はその事故の時、『他言しない』という契約を相手と交わしていて、私からは何も話せなかっただけです。だから……」
姫乃が言葉を句切る。
「だから……」
姫乃の呼吸が荒くなる。玲奈がそっと姫乃の手に触れた。スカートをしわくちゃにするほど強く握られていた姫乃の拳がふっと緩む。
「黙っていて、すみませんでした」
姫乃は静かに頭を下げた。ゆっくりと姫乃が顔を上げても誰も何も言わない。次に玲奈が話し出す。
「あたしの家、あたしが家事とお祖母ちゃんの介護やってんの。母親も父親も何もしない。あたしがやらなきゃご飯も無い。お祖母ちゃんは認知症で放っておくと死んじゃうかもしれない。あたしは夜も眠れない。だから、パパ活なんてしてない。そんな暇、あたしには無い」
玲奈は1人1人の顔を見ながら静かにそう言い切った。元気でムードメーカーな玲奈のいつもと違う様子に、明らかに動揺しているクラスメイト。沈黙が玲奈と姫乃に刺さる。
ガタッと大きな音を出して立ち上がったのは、玲奈をゴリラ女と呼んでいた佐々木だった。何を考えているのかわからない表情で玲奈の前に立つ。玲奈も佐々木をじっと見返す。佐々木は急に姫乃の方を向いて、姫乃に話し掛けた。
「俺は自分が見てきたこと、感じてきたことを信じる。川島たちが言ってたことより、筑比地さんが言ってることの方が真実だと俺は思った。だから筑比地さんの方を信じる」
「え……ほんとですか?」
「俺は嘘は言わない」
「……ありがとう」
姫乃は今にも膝から崩れ落ちそうだった。こういう時に1人でも自分の言葉を信じてくれる人が居る。それはこんなに嬉しいことなのだと、姫乃は心の底から安堵した。
佐々木は次に玲奈を見る。佐々木の顔にはなんて言おうか悩んでいる表情が浮かんでいた。玲奈は怯まずに沈黙を終わらせた。
「何。あたしにもなんか言いたいことあんの?」
「木崎のことは……」
「何?」
「木崎のことは最初から信じてた」
「……は?」
さっきとは違う意味の沈黙がクラスを満たす。空気が一瞬緩んだのが全員にわかった。
「お、俺は! 1年からお前と同じクラスで、お前にしょっちゅう追いかけられてて」
「それはあんたがゴリラ女ってしょっちゅう言うからでしょ!」
「だから! パパ活する暇あるならお前は部活やってるだろうなって思ったんだよ!」
「へ?」
「そんなに運動神経いいのに、なんも部活やらないなんてよっぽどの理由だろ? お前の正義感の強さを考えりゃ、パパ活なんて一番ねぇし。だから、最初から川島の言うことなんて信じてねぇ!」
「嘘……」
「俺は嘘は言わねぇ! 大体ゴリラ女がそんなことそもそも無理だろ!」
玲奈の中で堪えていた何かが弾けた。次から次へと涙が溢れて止まらなくなる。玲奈は嗚咽を漏らして泣き出した。
「れ、玲奈さん!」
「佐々木お前女子泣かすなよー」
「は!?」
「佐々木君っていつも玲奈のことゴリラって言うよねぇ」
「ほんとありえない」
「て、てめぇらの方がありえねぇだろうが! 証拠も無いのに2人を傷つけといてごめんなさいもできねぇのかよ!」
うろたえた佐々木のその言葉に、クラスメイトたちは黙った。そして1人、また1人と、「ごめんなさい」、「疑ってごめん」、「2人ともごめんね」という謝罪の波が広がった。玲奈は堪えきれない嗚咽の中でそれを聞いていた。姫乃も、「大丈夫、大丈夫ですよ。よく頑張ってきましたね」と玲奈の背中を撫でながらもらい泣きをした。さらにそれを見て、女子の数人ももらい泣きする。
佐々木がポケットティッシュを制服から取り出してぶっきらぼうに玲奈に差し出した。
「ほら。これで鼻水拭けよ。ブスになってんぞ」
「……と」
「あ?」
「ありがと。しんじてくれてぇ」
玲奈はもう我慢できなくなって大声で泣き始める。さすがに佐々木も激しく動揺して、「お、おい。そんなに泣くなよ」と意味も無くキョロキョロとする。クラスメイトが玲奈と姫乃を取り囲み、玲奈を励ましたり、佐々木を弄ったり、改めて2人に謝罪したりと、賑やかなひとときになる。
突然前方の扉が開き、またクラスが静まりかえる。玲奈が鼻をすする音だけが教室に響く。
玲奈ちゃん、苦しかったね……。(作者)




