波乱④
優紀はなるべく自分の中の不快感や嫌悪感を気取られないように笑顔を作る。「すごいじゃん」と声をかけてキッチンを見ると、なんと夕飯の用意も済ませてあった。オムライスが人数分用意されている。
「あの、みんなに聞いたらオムライスを食べたいって言うから……。優紀ちゃん、勉強も大変みたいだし……。迷惑だったかな」
「いえ。作ってくださってありがとうございます。妹たちの相手も。お陰で時間ができたので、少し勉強してきますね」
「あ、うん。あのね、遙人さん、今日は早く帰れるって連絡来たから、その……」
何かを言い淀む父の恋人は、チラチラと優紀の顔を窺う。本当はこのまま無視して部屋に行ってやりたいところだが、楽しい雰囲気を壊したくない優紀はまたにっこりと笑って女が期待する言葉を投げた。
「そうなんですね。それでしたら汐見さんも夕飯を一緒に」
「ありがとう! あんまり無理しないでね!」
嬉しそうに妹たちの中に戻って行く女を見て、舌打ちをしそうになる。オムライスの数は人数分あった。そう、汐見の分もしっかり作ってあったのだ。
「白々しい」
小さく吐き捨てると同時に、また妹たちの歓声が聞こえてきた。その歓声から逃げるように自室に入る。
今日の授業の宿題に復習、そして受験勉強をするための準備を整えてから、優紀は玲奈にメッセージを送った。それから締め切ったカーテンを雑に開ける。空は真っ赤に染まっていた。
「今日も星がよく見えそう」
実際にはここからではよく見えない。でもそう言って気持ちを落ち着かせるしかない優紀は、全ての音を遮断するように勉強に取り組み始める。
ちょうど数学の勉強が一段落したところで、父が帰ってきたらしい。楽しそうな声がより一層1階から溢れ出す。汐見の、「優紀ちゃーん。お父さん帰ってきたよー!」という声に隠せない不快感を噛み殺してリビングに行くと、スーツ姿の父がるりを抱き上げているところだった。
「おかえり」
「ただいま優紀。勉強は捗ったか?」
「汐見さんのお陰で」
「そうか。奈央もいつもありがとう」
「いいの、好きでやってることだから」
あっという間にできあがる2人の空間。正直吐きそうになる。妹たちはそんなことお構いなしにゲームの話をしているが、一瞬眉間にシワを寄せる妹も居た。奏汰だ。一見すると汐見を受け入れているようにも見えるが、奏汰も優紀同様汐見を本心では受け付けていない。
「あいつ、ボクらの輪を乱しといてよくのこのことうちに来れるよな。料理もねぇちゃんの方が美味いし」
1度奏汰はこっそりとそう優紀に言ったことがある。その時は、「あんまりお父さんの前では出すなよ奏汰。あとお父さんの前でボクを使うのも面倒だから控えた方がいい」と言って終わらせた。奏汰は、「わかってる」とだけ言ってまたゲームに意識を戻した。
奏汰にそうは言ったものの、優紀も奏汰と同じ気持ちだった。むしろもっとどす黒いだろう。汐見は優紀にとって最も迅速に排除するべき敵だ。
夕飯後、汐見は自分の家に帰っていった。汐見は1度も泊まったことが無い。父は何度か誘ったが、「家族の時間を邪魔しちゃ悪いから」と言って颯爽と帰って行く。今日も同じように帰って行った。
妹たちを寝室にやり、奏汰と少しゲームをして、もう少し勉強をしようと自室に戻りかけた時、お風呂から出てきた父に優紀は呼び止められた。とても嫌な予感がする。
「いつも悪いな。家のこと任せきりで」
「別にいいよ今更」
「優紀にはほんとに感謝してる。苦労をかけてることもわかってる。だからお父さんは……」
また、言い淀む。大人は言いにくいことがあるとすぐにこうだ。相手に、「言わなくてもわかってくれ」と言わんばかりの沈黙を持ってくる。汐見への苛立ちもあり、優紀は気を遣わないことにした。沈黙には沈黙で返す。
根負けしたのは父だった。長く息を吐いて、覚悟と共に言葉を繋げる。
「奈央さんと、結婚したいと思ってる」
言われなくてもわかっている。でなければ家に呼んだりしなかっただろう。それでも父が改めてそう言ったのは、子供らの反応を見て考えたかったからなのだということは容易に想像がつく。父は麦茶を一気に飲み干す。
「奏汰も、一応OKしてくれた」
一応というのは、「すきにすれば」とでも奏汰が答えたからだろう。奏汰の言いそうなことだ。子供に断る権利は無い。父の人生だ。優紀は最初からとやかく言うつもりも無い。納得できなくても。
「そう。いいんじゃない。みんなも仲良くしてるし。私も勉強に集中できるし」
精一杯の笑顔で答える。優紀の中で、何かが弾け飛びそうな気配がした。早く話を終わらせたい。
「お父さんの人生だし、好きにしたらいいと私も思うよ。じゃ、勉強があるから」
精一杯の嫌味を言って、返事を聞かずに部屋に戻った。扉を背にして、唇を強く噛みしめる。もう今日は勉強どころではない。星見会のこと、進路のこと、家のこと、すべてが優紀にのし掛かってくる。優紀は泣くまいと必死に唇を噛んで膝を抱えた。
——ここで泣いたらあの女の勝ちだ。そうだよねお母さん。
そう心の中で何度も唱え続けて、優紀は平静を取り戻す。気持ちを落ち着けたとて、勉強に身が入る状態ではないことは明白だった。優紀は携帯を取り出し、レオに送ったメッセージを確認する。
『今日はお昼に顔を見なかったが、何かあったか?』
既読は付いていなかった。玲奈はこの時、家事と介護に追われて携帯を見る余裕すら無かった。本当は星見会のメンバーに話したいことがたくさんあってうずうずとしていたのに。
次章『家出大作戦』へ続く




