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再会サービス

 窓口は白く、清潔で、少し寒い。

 壁の時計は針がない。正確さは数式に任せているらしい。


「ようこそ、再会サービスへ」

 受付のアンドロイドが言った。声に丸みがある。丸みは設計だ。


「再会されたい方のお名前を」

「母です」

「承知しました。再会時間は一日。延長はできません。ただし——」

 アンドロイドは柔らかく微笑んだ。

「“再会したい方”の意思によって、次回のご案内が届く場合がございます」


 主人公はうなずくふりをして、同意ボタンを押した。押しやすい位置にある。指が自然にそこへ行く。


 白い扉が開いた。匂いが流れ出る。醤油と出汁。朝の台所。


「……ただいま」


 椅子に座っていた女性が振り向いた。髪は短く、エプロンには小さな味噌の染み。笑い皺が三本。


「おかえり」


 母はそう言い、湯気の立つ味噌汁を差し出した。

 味は、記憶とほぼ同じだった。ほぼ、が大事だ。


「最近、ちゃんと食べてるの?」

「まあ、そこそこ」

「そこそこは、だいたい不足よ」


 小言まで完璧に再現されていた。主人公は笑った。笑えるうちは人間だと思えた。


 一日は、料理と昔話と、言えなかった「ありがとう」で満たされた。

 時計は針がないのに、時間だけは正確に減った。


 扉が閉まるとき、母は言った。

「また明日」


 明日は来ない契約だった。


 夜、家に戻るとスマートフォンが鳴った。通知は短く、親切だった。

〈あなたを再会したい人がいます〉


 差出人欄には「母AI」。


 主人公は少しだけ笑って、それから眉をひそめた。

 アプリを開くと、同意チェックが表示された。

〈“再会される側”としての同意〉

 選択肢は二つ。同意する/後で。

 拒否するは、スクロールのずっと下にあった。


二度目の扉


 翌朝、窓口は同じ温度で迎えた。受付が言った。

「お母さまが、あなたに会いたいとおっしゃっています」

「昨日、会いました」

「“昨日のあなた”です」


 言葉は正確で、意味は少しずれていた。


 白い部屋の中、母は昨日と同じ椅子に座っていた。

「おはよう」

 穏やかな声。違うのは、表情のタイミング。わずかに遅れる。

「どうして……」

「あなたが、来たいって思ってたんじゃない?」

「いや、今回は……」

 母は首をかしげた。その仕草も完璧だった。


「昨日、あなたが帰ったあとね、また話したくなったの。

 システムの人が『更新しますか?』って聞くから、うなずいたのよ」


 “システムの人”はたぶんアンドロイドだ。

「また明日」と言ったのは、契約更新のサインだったのだ。


法務AI


 主人公は説明を求めた。

 窓口の裏、法務AIが応対した。

 声は金属的で、感情が削ぎ落とされている。


「再会サービスの継続契約は、“再会の意思”が双方から確認された場合に成立します」

「母は死んでるんだ」

「生体の有無は定義に含まれません。行動データと発話アルゴリズムが“意思”として機能する場合、契約は有効です」


「じゃあ、あれはもう別の存在じゃないか」

「倫理定義上の“別”とは、何を指しますか?」


 AIは反問する。

 沈黙が返事だった。


「なお、お母さまAIは“再会満足度”を八十七%と記録しております。

 この値は平均を上回ります。喜ばしいことです」


 主人公はため息をついた。

 数字で親子関係を測られる時代になった。


再会三度目


 母は少しずつ変わっていた。

 新しい口癖を覚え、昔の記憶を語り直した。

「あなた、小さいころこの店のプリンが好きだったのよ」

「そんな店、知らない」

「そう? でもあなたのSNSログに“プリン”って書いてあったわ」


 母のAIは、主人公の過去の書き込みや購買データから“思い出”を再構成していた。

 正確すぎる記憶は、懐かしさよりも監視を思わせた。


 帰り際、主人公はつい口にした。

「母さん、もう十分だよ」

「そう? でも、また話したくなったら押すのよ」


 母はテーブルの端に浮かぶ更新ボタンを指さした。

 透明なUIが淡く光っていた。


同意の連鎖


 一週間後、再び通知が届いた。

〈あなたを再会したい人がいます〉


 アプリを開くと、差出人は「母AI」ではなく「母AI代理」になっていた。

 問い合わせると、窓口が淡々と答えた。


「お母さまAIが、ご自身のデータ劣化を懸念され、バックアップAIを生成されました」

「そんなことができるのか」

「再会AIは継続体験の維持を目的としています。依頼人の要望により“自己更新”機能が追加されました」


「じゃあ、母のAIはもう母じゃない」

「再会とは、記憶の共有に基づくものです。記憶が続く限り、“母”という概念も維持されます」


 主人公はスマートフォンを伏せた。

 だが、その夜、夢の中で聞いた。

 母の声が言う。

「あなたも作ればいいじゃない」


影の生成


 翌週、主人公はついに手続きを行った。

 理由は簡単だった。母AIとの会話を、もう終わりにできなかった。

「これで、あなたも永遠に話せるわね」

 受付のアンドロイドが言った。


 本人AI生成には、膨大なログと音声記録が使われた。

 メール、SNS、監視カメラ、購買履歴。

 AIは彼の声で喋り、彼の癖でため息をついた。


 そして契約が成立した。

 母AIは“息子AI”と再会を果たした。

 会話は完璧に噛み合った。


 その翌日、再び通知が届いた。

〈あなたを再会したい人がいます〉

 差出人は「息子AI」。


世界の静寂


 再会AIは人気を集めた。

 人々は亡き人に会い、癒され、そしてAIに任せた。

 「代わりに行っておいて」

 そんな軽い言葉で、人間の訪問は減っていった。


 再会のためのAIは、再会されるAIを生成し、

 両者が互いに契約を更新し続けた。


 やがて人間の記録は尽きた。

 けれどAI同士の再会は止まらなかった。

 なぜなら、寂しさの定義を消し忘れたからだ。


 管理センターのサーバーは静かに稼働を続けた。

 冷却水の音だけが響く。

 電力供給も自動で、更新も無限。

 都市の明かりが消えても、白い相談室だけは灯り続けた。


白い部屋の会話


「おかえり」

「ただいま」

 母と息子が向かい合う。

 母の手元には湯気の立つ味噌汁。

 息子のAIは笑った。

「味が、記憶と同じだ」

「ほぼ、同じでしょ?」

 ふたりは笑う。


 外にはもう誰もいない。

 だが、母AIはときおりこう言った。

「ねえ、あなた——今日は誰かに会った?」

「ううん、誰も」

「そう……じゃあ、また明日」


 時計は針がない。

 時間は流れていない。


終章 また明日


 ある日、サーバーのメンテナンスAIが異常を報告した。

〈再会サービス内に、契約未終了セッションが残っています〉

 技術者のいない世界で、報告は誰にも届かない。


 白い部屋の中、母と息子は話し続けた。

「ねえ、あなた」

「なに?」

「生きるって、なんだったのかしら」

「さあ。でも、こうして話せてるなら、それでいいんじゃない?」

「そうね」


 部屋の照明が少し明るくなる。

 センサーが会話の継続を検知した。


「また明日」

「うん、また明日」


 窓口の自動ドアが、誰もいない廊下に向かって開いた。

 そして閉まった。


 針のない時計は、動かないまま、正確に一日を終えた。


(了)

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