第3話 銀色の湖
§ § §
湖探しを急いではいないけど、流石に「ただ闇雲に探し回って一生見つけられない」なんていう状況を望んでいる訳ではない。
たとえば宝探しのように手がかりを伝って湖を見つけられれば、この土地での偶然の出会いを望みつつも、『黄金の湖に出会う』という目的を果たす事ができると僕は思った。
森の中をサクサクと踏み鳴らして歩きながら、湖について少し考えてみる。
どんな自然環境にも、それができるためには相応の条件が必要になる。
だから湖を探したいなら、湖とはどんな場所にできるものなのか。
どんな物が近くに存在するか。
そういうのを考えるのが、意外と一番の近道だったりする。
王城で働いていた頃は、現地視察よりもずっと遠隔地で地図との睨めっこをしていた事の方が、圧倒的に多かった僕だ。
一般的な湖の発生場所や周辺地域の状況などには、少なからず心当たりがある。
が、僕が今探している湖は、『何でも溶かしてしまう酸の湖』だ。
流石に普通の湖のように、「動物が水飲み場に使うから、周辺は彼らの生活区域になっていて、そうである以上相応の痕跡――すなわち食べ跡やフンがある」なんていう事はないだろう。
川のように流れている訳ではないから、水の音を頼りに方角を絞る事もできない。
定石では、この湖は探せない。
「そういえば」
ふいに気が付き、辺りの様子を見回しながら呟いた。
「段々食べ跡とかフンの数とか、減ってきたな」
たとえば近づけば、絶命するかもしれない場所。
自分にとって利よりも不利の方が多いような場所に、生物は本能的に近づきたがらない。
酸は魔物さえ、溶かしてしまう。
お陰でこの周辺には、大きな魔物や強い魔物は生息していない……っていうのはあくまでも王城に届いていた報告だから、事実かどうかは分からないけど。
「森の中を歩いている感じも、小動物の気配しか感じないもんな。脅威がいない森っていう感じがする」
肌で何となく感じる事だから、ここに根拠は皆無である。
しかしこの森では安全に狩猟ができる。
脅威が少ないから獣肉をよく獲り、町の中だけではなく町外にまで流通させる事ができる。
少なくとも報告上では、そういう町と森である。
この感覚も、完全な的外れではないのではないか。
「っていう事は、近づいてるのかな。湖に」
楽しみだ。
まだ見ぬ景色に対する期待に、胸が躍――。
「あ」
草木の向こう側が、ふいに開けた。
木もなければ、草も段々となくなっていく広場のような場所。
その中心に、大きく水のたまった場所があった。
「銀色の、湖」
思わずそう声を漏らしたのは、水面が――いや、おそらく色づいているのは水底だろうが――綺麗な銀色だったからだ。
ゆっくりと近づいていくと、如何に水の透明度が高いのかが、よく分かる。
ゴミ一つどころか、塵一つない水だ。
これが普通の湖なら、もしくはこの湖の真実を知らなければ、思わず触れに行っていたかもしれない。
しかし。
近くに石ころが落ちているのを見つけ、一つ手に取り、湖に投げた。
ポチャン、という音すら立たない。
代わりに鳴ったのは小さなジュッという音で、投げた筈の石ころは跡形もなく消えていた。
「おぉ……流石は、噂に名高い酸の湖。道理で透明度が高い訳だ」
思わず感心してしまう。
湖を避けるようにして周りに何も生えていないのも、きっと周りのものを湖の酸が溶かしてしまったのだろう。
まぁそれにしては、ちょっと範囲が広すぎるような気もするけど……まぁいいか。
湖のほとりでリュックを下ろし、中から木造りの折り畳みイスを出して開き、腰を下ろす。
他にも色々とリュックから出して、テキパキと長居の準備をする。
低いテーブルを組み立てて、一度リーベと一緒に森に戻る。
近くで大きな石を幾つか見繕ってきて、積み上げて簡易的な竈を作り、その辺の木の枝を幾つか拝借。
贔屓にしている商人から勧められて買った袋にそれらを入れて口を閉めると、袋が淡く発光した。
ゆっくり三秒ほどで収まった発光を確認してから、中から木を出してみる。
「うん、よく乾いてる」
職人系スキルを取った人が制作した、中に入れた物を乾燥させるという特殊効果の付与がされた道具だ。
薪だけではなく濡れた物を乾かすためにも使う事ができる代物なのだけど、これだけでも既に買って正解だった。
「別に楽がしたい訳じゃないけど、不便をしたい訳でもないからな、僕の場合は」
結局のところ、こうして外で快適な場所を作るためのこういった試みをするにおいて、どの程度の不便さと便利さを求めているかというのは、人による。
こういった出先でも、どこまでも楽さと快適さを追求する人もいれば、本当に最低限の物だけを持ったサバイバル生活を好む人もいるのだ。
その点どちらでもない、適度にいい所取りをしたい僕みたいなのは、自分で色々と考えたり試したりして、いい塩梅を探すしかない。
そういう意味で言えば、この商品は僕向きだ。
火おこしに必要な薪を用意するのに、持ち運んで荷物が多くなるのは避けたいし、集める作業くらいはしたい。
しかし数ある落ちている枝の中から乾いた木を探したり、湿っている森でそういったものが見つけられなかった時に我慢したりまでは、したくない。
そんなある種の我儘が両立する商品を、彼は正に勧めてくれたという事だ。
「凄腕の商人は、相手の需要を推し量るのが上手い、か」
言いながら、即席の竈の下に薪を入れる。
改めて、あの商人の手腕に感心しながら、リュックから出したのは、ある巾着。
前の目的地にいた時に「よく燃えるから」といって譲ってもらった木くずを一つまみ出して、火起こし用の金属で着火させ、薪に火がちゃんと移るまで見守る。
火が安定してから、竈の中に持ってきていた軽い鉄板を置いた。
その上にやかんを置き、水を入れる。
中の水が沸くまでに、テーブルの上にコップと、手回しミルと巾着を取り出す。
巾着の中にあるのは、黒い種のような、実のようなものだ。
実際にどちらなのかは僕もよく知らないけど、これが大人の美味しい飲み物になる。
巾着の中の粒をミルに入れて取っ手を回せば、カリカリ、カリカリと早速それを潰す音が聞こえ始めた。
チリチリという手応えと共に、特有の甘い香りがし始める。
この時間は、かなり好きだ。
手に伝わる感覚も、香りも、音も、流れるゆっくりとした時間も。
すべてが僕の心に沁み込むようで、自分でも気づかぬうちに呼吸が深く、穏やかな気持ちになってくる。
「キュッ!」
「あぁ、いつもありがとう」
僕より早く水の沸騰を感じ取り頬を鼻で突いてくれたリーベに感謝しながら、僕はミルを引く手を止めた。
コップの上の小さな布を乗せ、その上に引き立てのものを皿に乗せる。
上からお湯を注ぎ布を取ると、こげ茶色の液体がお目見えした。
準備ができたところでその隣に、彼が先程収穫してきた木の実の袋を開けてやる。
「いいよ、食べても」
「キュー♡」
リーベが嬉しそうに赤い木の実で一杯の袋に顔を突っ込んだのを見てから、僕もその飲み物『コーヒー』に口を付けた。
甘い香りとは対照的に、口内に広がったのは香ばしさと苦み。
少なくとも砂糖やはちみつのような甘さはないけど、僕にとっては馴染みの味でもある。
「……うん、上出来」
コーヒーに関して僕の記憶の大半を占めるのは、王城勤めのメイドが淹れる極上の味のものだった筈だ。
なんせ公爵であり、国の要たる宰相・ルブレンブルグ様に提供されていたのと同じものである。
未完成の味である筈もない。
それでも何の訓練も積んでいない自分の拙い淹れ方で僕が「上出来だ」と思えるのは、僕の舌がそれ程繊細ではないか、もしくは。
「当時は仕事が忙しかったからなぁ」
そんな呟きと共に、コーヒーを味わうなどいう暇もなければ、つもりもなかった。
日々の仕事に忙殺されて、気付かぬ間に心を失いつつあった時の事を思い出す。




