6話 サポート役に命じます
「瘴気の森でやはり魔に汚染されてしまったのですね、皇女様………」
「魔に汚染ですか。聞きたいことがあるのですが、私を見つけた時はどのような姿でした?」
深刻そうに顔を俯けるヒナギクさんに、私はきつい視線を向けて椅子に座って脚を組む。少し幼い身体つき、ちょっと背伸びしたスタイルに見えますが、私の美少女レベルは高いので問題はありません。色っぽいと思います。
椅子ごとひっくり返って、慌ててもう一回椅子に座りましたけど、見てみぬふりをしてください。
「気にはなっていたのです。体調を崩した元側仕えメイドさんは丸1日寝ていたことを非難しましたが、姿格好は虐めのネタには使いませんでした。これって少しおかしいなぁとは思っていたのです」
あの方はネタがあったら絶対に食いつくいじめっ子タイプです。そんな面白いことになっていたら、絶対に言ってきます。
「ひゃい………。服は着ておらず、お身体は血に染まっておりました。服の切れ端があちこちに散らばっていて……よくわからない肉片と血溜まりが……」
震える声には恐れがあり、私には聞かせたくないとの気遣いが犬の顔なのに感情が伝わってくる。やっぱり優しい娘です。
でも、よくわからない肉片はレイの物です。血もたぶんレイのです。レイを食べていた化け物リスたちは結構離れたところで殺しましたしね。
「瘴気の森の入口とはいえ、そんな姿でいた事にピンと来ました。魔に汚染されたのだと。強力な魔術を使ったのではと思いました。魔術で魔獣を倒したんですよね?」
次々と気になるワードが出てきます。瘴気の森? そこで私は倒れていたのですね。魔獣? 魔物とは違うのでしょうか。
「それでどうしたのですか?」
「はい………皇女様が魔に汚染されたとなったら、お立場が大変なことになると思い………勝手ながら、密かに身体をお拭きし、服をお着替えさせて頂いてから、メイド長へとお探しできたとお伝えしたのです………」
俯くヒナギクさんの肩は震えて、声もか細い。レイに優しい対応をしてくれたことに、憑依した身でありながらも嬉しく思う。
もしもその場で正直に報告されていたら、嫌われているレイはどうなったかわからない。まだまだ暴力に対抗する力はないのだから、危ないところでした。
正座するヒナギクさんの前に、ちょこんとしゃがみ込むと、私は肩に手を乗せる。
「ありがとうございます、ヒナギクさん。そんなに私に尽くしてくれて、感謝の言葉もありません」
「い、いえっ、畏れ多いこここです!」
「鶏になってまで助けてくれたのですね」
「ううっ……からかわないでください。でも、もう魔術はお使いにならないようにお願いいたします。これ程強力な魔術を使えると知ったら、他の者が皇女様に何をするのかわかりませんから」
軽いジョークに肩の力が抜けたのか、ヒナギクさんの肩の力は少し抜けて、それでも強張った顔で忠告しながら腕を見せてきた。その腕は先程私が使った命術の風が当たった場所だ。
濡れたような毛皮の先端が焦げてもじゃもじゃとなっている。あれ? 『命術:風』で傷を負ったようです。
(おかしいですね………『命術:風』はただの温風です。修験者が日銭を稼ぐ大道芸で使うか、滝行で濡れた服を乾かすために使っていただけのはず……)
毛皮をもじゃもじゃにする程度はできますが、焦がすことはできません。ドライヤーを強にしても髪は焦げないのと同じです。あ、蓋を外して電熱線で燃やすとか、サバイバル知識は無しで。
呪いが身体にへばりついているのはわかります。命術は呪いを浄化します。ですが、命術は基本的に弱いのです。その中でも第二命術は初級に毛が生えたような威力。
あ、ランク付けは私が昔に付けました。大昔に天狗の真似をして、ショタ義経さんにランク付けの概念を教えたら飛び上がって喜んでました。
「ちょっと毛皮をよく見せてもらえますか?」
「あ、はい、どうぞ」
気が落ち着いたヒナギクさんの焦げた毛先をよく見る。霊気を瞳に集めていきます。蘇生する前はデフォルトで使えたのですが、人間の身体となったために集中しないと使えない霊気を消費しない基本技です。
『霊視』
ヒナギクさんの幽体と魂が私の眼に映ります。人間らしい生気と霊気、そしてその中心にある光り輝く魂。最後に周りに絡みつく『呪い』。よーく観察してみます。アリさんが行進するのを眺めるようによーく観察です。
(………うん? 前は適当にしか見なかったから気づきませんでしたけど……これ、肉体を変容させてますね)
肉体と幽体を別々に見ていたから気づきませんでしたけど、信じられないことに呪いは肉体に侵食して変容させている。なぁるほど、わかってきました。
「私の毛皮を焦がす程の威力の魔術なのです。もうお使いにならないようにお願いします」
懇願してくるヒナギクさんの目はうるうるしている。罪悪感というものを感じて……ごめんなさい、さっぱり感じません。まだまだ人間の感情には疎いのです。
悪意も善意も味の違う料理にしか感じません。良心も悪心もです。食べたり、寝たりするのは幸福感を覚えるのですが、他者への想いはいまいち持ちにくいのです。でも、かばってくれたことは嬉しかったので、自分に絡むとわかるかもです。
自己中心的と言わないでください。まだまだ今の私は赤ん坊なのです。バブー。この歳でバブーと言うのは少し恥ずかしいかもしれません。
ですが、相手の願う行動をとれるのが、長年暮らしてきた私の長所です。思いやるようにヒナギクさんの手を取ると優しく握ります。
「私の名前を言ってみてください。私がどのような立場かも」
少しだけ目に力を込めて威圧感を醸し出します。私を馬鹿にするなよ、この私の立場を思い出しなさいという意味を込めているんです。
私に手を握られて、わたわたと慌てるヒナギクさんは、おずおずと口を開きます。
「ひゃ、ひゃい。かつて大魔王を倒し、この地に平和を取り戻した勇者の末裔たる太陽たる結城皇帝のご息女たる第13皇女結城レイ様でございます」
なんか長々と安っぽい嘘臭い話を語ってくれましたが、これで名前と立場の情報ゲットです。こういう聞き方だと怪しまれないんですよ。
部下に「俺の名前を言ってみろ」とちょくちょく聞く人は、なんて名前で名乗ってたんだっけと、忘れているので確認してるんです。
「そうでしょう。その私が魔物に堕ちるとでも言うのですか? それは不敬というものです」
目と目を合わせて、皇族のカリスマ性を見せちゃいます。コツは相手を見つめながらも見下ろすようにキツめに睨むことですかね。
「ひゃ、ひゃい! そ、そのとおりです。で、ですが心配でして………す、すみません、すみません。魔物に堕ちる者は強大な力に溺れて、性格とか口調が変わるのが予兆なのでしてっ!」
「………」
やりました。なんか口調とか変わっても怪しまれなさそうな情報もゲットです。ヒナギクさんは私のサポート役にランクアップします。
そうですか、推測するにレイは弱気でおとなしい娘だったようです。それがのほほんとした可愛らしい態度に瘴気の森で救助されてから変わったのですから、魔物とやらに堕ちかけていると考えても無理はありませんか。
私が内心でやったぁと万歳して喜んでいると、黙っているのを怒っていると勘違いしたのか、あたふたと話を続けてきます。
「瘴気の森から帝国を守るため領主として就任してくださいました皇女様が魔物に堕ちるわけがありませんでした。も、もうしわけありまへぇん」
欲しい情報がだいたい手に入りました。細かいところは後で集めるとして、なるほどです。瘴気ってあれですよね? たぶん呪いです。呪われた地と言うやつですか。魔神王とか封印されているのでしょうか。でも、所詮瘴気は空気を澱ませる程度。咳が出る程度のはず。………いえ、ここは異世界、もしかしなくても強力なのかもしれません。
ですが、外の様子に興味が湧いてきました。ムクムクと好奇心が湧いてきました。にゃーん、猫は好奇心が殺すのです。でも、側仕えは犬娘ちゃんなので、問題はないでしょう。
「なら、良いのです。では、そろそろ体調も良くなったので、領主として行動を開始します。領地を視察に行きますのでついてきなさい」
ちょっと偉い口調にチェンジです。第13皇女とか後ろ盾とかなくて、弱そうな感じもしますが威厳をつけていきますよ。
「ひゃ、ひゃいっ。では、お着替えをさせていただきます」
「よしなに」
たしかこんなセリフで良いはずです。であるか、の方が良かったでしょうか。
───ともあれ、私は肉体を手に入れて初の着替えをするのでした。10日間同じ寝間着って皇女としてまずかったんではないでしょうか。お風呂にも入りたいです。お粥からも脱却したい。外も見たいしやることたくさんです。
◇
「ど、どうぞ、皇女様」
ドアを恭しく開けてくれるヒナギクさんに、軽く頷くと部屋から出る。遂に引きこもり脱却です。
「あん? 姫様、どこにお出かけで?」
ですが、廊下に出た途端に椅子に座って本を読んでるおっさんに呼び止められました。椅子に座っている、です。
「貴方は何をしているのですか? 警備ですよね?」
簡素な服装ですが、廊下に長剣と刀、そして短槍が立て掛けられてます。この人、まさか私の部屋を守っている兵士じゃないですよね? 椅子に座っているとか、この世界の警備兵はそれが普通なんでしょうか?
無精髭も生やしていて、目は酒でも飲んでいるかのように澱んでます。やる気がないと全身で表してますよ、この人。でも、額に小粒ほどの角が生えてます。むむむ、どういうことでしょうか。
「あぁ〜、そりゃ、皇女様が泣いて引き篭もってばかりでしたからねぇ。この3年、お出掛けしたのはこの間の脱走だけじゃないですか。座っているくらいお目溢しをくださいってね」
がりがりと頭をかいて、面倒くさそうに答える警備兵。フケがパラパラと散ってとても汚いです。
舐めた口を叩く警備兵ですね。フンと鼻を鳴らすと、私は馬鹿にして見下します。
「そうですか、貴方はクビです。その椅子には明日からウサギの縫いぐるみを置いておくこととしましょう。可愛げがあるので、小汚い貴方よりは警備として役に立つでしょうよ。少なくともフケはばら撒きませんし」
行きますよとヒナギクさんを伴って歩き出そうとすると、警備兵は意外と素早く立ち上がって腕を伸ばしてきました。
「お待ちを、姫様。面倒くさいんで、そういう脅しはやめてくれませんかね? どうせあんたには人事権はないんだ。さっさと部屋に戻ってイテテテ」
肩を掴んできたので、手首を押さえて少し力をこめてあげます。
「ぐっ、こ、こいつ!」
「ふふっ、私のような少女に力負けする程度なのですか? やはり貴方はクビです。そこらへんで遊んでいる子供を警備兵として雇いましょう。飴玉を給料にすれば人件費大幅カットです」
鼻で笑って、さらに力を込めます。右足を半歩踏み込み、警備兵の手首を僅かに捻り梃子の原理で押さえていきます。
「ガッ、ぐっ、な、なんて力だ、て、てめえっ! は、離せ、離せよっ!」
身体を押し出すように懐に入り脚を蹴ってカット、転ばして相手を床に押し付けると肩を極めます。力を込めなくても、これくらいできちゃうのです。
歯を食いしばり、なんとか解き離れようと力を込めていく警備兵。ふむ、人間を超えた筋力を持っているようです。
ですが、梃子の原理は優秀です。地球をも動かせるアルキメデスの発明です。ここまで完璧に極めれば、外すことはできません。外すことはできません………?
「ぬぉぉ、この、カス皇女のくせにぃぃ」
警備兵士の身体が筋肉が膨張していきます。
『筋力向上』
一瞬漆黒のオーラが警備兵を覆う。そして、床に手をつけると、グググと力を込めていき、無理矢理立ち上がろうとしてきます。私ごと身体を持ち上げてきました。
「ふんっ!」
そうして身体を振って、関節を極めていた私を強引に振り払うのでした。さすがにこんな力を前には破られてしまいました。
私は受け身をとって、素早く立ち上がります。
「もしかして今この人は魔術を使いましたか、ヒナギクさん?」
「ひゃ、ひゃいっ、ちょっと皇女様ですよ、止めてください! 不敬です。不敬罪と騎士団長に伝えまふ!」
ヒナギクさんは私と警備兵との間に入ると、両手を広げて守ってくれる。身体をぷるぷると震わせているのに勇敢です。
「う、うっせえ! 喧嘩をふっかけてきたのは皇女様だ! 部屋へお戻りになって頂くためでもある。あぁ、おとなしく部屋に戻りやがれ、皇女様」
自分でも今の行動はまずいと思っているのなら、僅かに顔をひきつらせて慌てるが、警備兵は無理矢理に理由を作る。
「仕方ありませんね。第一バトルは小鬼と相場が決まっていますので、喜んでその喧嘩を買いましょう。ヒナギクさん、そこを退いてください。ゴングを鳴らす準備は良いですか?」
この身体に慣れるためにも、準備体操は必要でしょうと、両手を広げて構える警備兵へと嘲笑ってみせるのであった。