49話 檜野辺境伯嫡男
草原の間に通っている街道を百人ほどの兵士たちの一団が移動していた。鉄の板を巧みに重ね合わせて、凝った装飾の武者鎧を着込み、朱塗りの鞘に収めた刀を腰に下げている兵士たちは、一目で普通の兵団ではないとわかる。
牙を生やした騎馬に乗り、歩兵は誰一人としていない。騎馬隊だけで兵団が構成されていることから、金のかけられている精鋭だと推測できる。金がかけられる余裕があるということは、即ち充分な訓練をしてきたとも連想できるからだ。
その後ろには馬車が続くが、後ろを気にせずに、前方を進む様子から、配置を見るに、護衛ではないことも想像できる。
騎馬隊が掲げている戦旗は緑の旗に檜が描かれており、檜野辺境伯の軍だということを表していた。その武者鎧の集団の中で、一人だけ武者鎧にしては変わった形の鎧を着込んだ青年がいた。
造形は基本的に戦国時代の武将が着込む武者鎧だ。だが近寄ると、ただの鉄の鎧ではなく、滑らかな革にも見える合金製である。合金に複雑な幾何学模様の意匠が施されており、普通に見ると見事な武者鎧だ。
しかし、その幾何学模様の意匠は、コンピュータチップの回路図であった。よくよく見ないとわからない程の光度の薄く鈍い光が回路を流れており、篭手や胸当てなどにはオーブが嵌め込められている。
その武者鎧だけが戦国時代の武者軍にて、近未来的な鎧であり、異彩を放っていた。
青年は兜をつけていたように見えるが、継ぎ目のない透明なヘルメットをかぶっており、完全に密閉されており、外気が肌に触れることを防いでいる。
「爺や、本当にこのままヘルメットを脱がないで訪問するのかい?」
青年。いや、青年と呼ぶにはまだまだ幼い。青年は今年15歳となる。少年から青年へと移り変わるところである。
「はい、キオ若様。ラショウの土地は魔に汚染された土地の中でも第一級の危険地域。近寄る者は全て少なからず魔に汚染されてしまいます。若様が強化服を外で脱ぐことは許されません。領主様からも厳命されておりますれば」
隣で騎馬に乗る老齢の男がキオと呼ぶ少年の名前は檜野キオ。檜野辺境伯の嫡男であり、早くも領地の経営を手伝っている才ある少年だ。
少年らしく無邪気なところもあるが、既に戦士としての鋭い空気を纏わせる整った顔立ちは、女性が見れば思わず見惚れてしまう。体格はほっそりとしているが、ガッチリとして鍛えられており、180センチ程の背丈である。
「我が領地にも瘴気の森はあるだろう? そこまで用心深くしなくても良いと思うんだが」
「駄目です、若様。あの地は本当に危険なのです。たしかに瘴気の森は檜野領地にもありますが、その大きさは小さな村程度、周りも生気あふれる草原であり、魔獣もほとんど出てきません。ですが、あの地は全てが魔に汚染されている土地なのです」
まだまだ少年であることを示すように、口を尖らせるキオに、爺やと呼ばれた男は、その顔を厳しく引き締めて真剣な声音となる。ここで苦笑で受け流すと、まだまだ年若いキオが興味半分に外で強化服を脱ぐ可能性があるからだ。
「我らの土地では魔に汚染されている者は、ダンジョンに潜り金を稼ぐ冒険者か、身体能力を高めて戦う強化服を持たない我らのような侍騎士だけです」
爺やが周りを見渡すと、武者の兵団は小鬼の角を生やしていたり、肌の一部が鱗であったりしている。魔物に堕ちかければ、その特性と高い身体能力、そして魔術が使えるからだ。貴族のように魔獣と戦うための強化服を持たない者たちは、危険な方法ではあるが、わざと魔に汚染されていた。
「そうだね。だから魔に汚染されている者なんて珍しくもなんともない。荒くれ者だと思われるくらいだろう?」
魔に汚染されている者たちは、戦いに身を置く者たち。それがキオの常識であり、一般的な者たちが思うことであった。気をつけていれば、魔物に堕ちることはない。そこまで堕ちる前に大体引退するし、使い所を知っている侍騎士であれば、爺やのように年老いても現役でいられることも多いのだ。
だが、それが常識だろうとキオがキョトンとした顔で答えると、やはりわかってはいなかったと、爺やは辛そうにかぶりを振る。
ラショウの街に訪れることのない者たちは、知識では知っていても、現実感がないためにいまいちピンとこないのだ。その常識は、自身の身の回りの環境を基準にしているのだから当たり前だろう。爺やは数度街に訪れる機会があったので、あの地獄のような土地のことを知っていた。
普通は魔に汚染されてしまった一般人も、重病や重傷を負い回復魔術を受けた者がほとんどだからわからないのだ。
魔に汚染されていても、しっかりと管理をしていれば問題はない。それが一般的な考えなのである。
「あの地は………外では常に微々たるものですが瘴気の灰が舞っております。領民は全て魔に汚染されていて、明日には魔物に堕ちる者が出てしまう危険すぎる場所なのです。ですから、絶対にヘルメットを脱いではなりませぬ。領主様が魔物に堕ちそうな現在、嫡男たるキオ様に毛筋ほどの魔にも晒されてほしくはないのです」
「……それほどなのか。街の全てが魔に……父上のように………」
真剣な表情で忠告してくる爺やに冗談を言っている様子が欠片もないことから、キオは重々しく頷く。
キオの父親、現在の檜野伯爵は、先日ダンジョンの魔王を無理して倒した結果、強化服が破損して魔に汚染された。昔からたびたび魔に晒される機会が多かった父親は、魔王の生み出す膨大な瘴気に晒されて、今や顔はイカのようになっており、髭はイカの足のように変わってしまった。体つきもガリガリに痩せて、意識も朧気になっている。極めて危険な状態であった。
「だからこそ、キオ様はお気をつけを。万が一のことがあってはいけないのです」
「わかった。忠告ありがとう。絶対に外ではヘルメットを脱がないよ」
素直に頷くキオを見て、この才ある少年が部下の意見を馬鹿にすることなく受け入れてくれることに爺やは安堵の息を吐く。苦労をしたことがない次男とかであれば、きっと話を聞かずにヘルメットを脱いでいただろう。
「おわかりになっていただければ問題はありませぬ。とはいえ、このタイミング……悪いことは重なるものです」
「仕方ないよ。第十三皇女様の話はまったく聞かないからね。確認するように勅命が来たのも無理はない」
「テンナン子爵では信用できないのでしょう。帝都で会ったことがありますが、あのデブは出世と金のことしか考えぬ小物。皇女様がお隠れになっても存命だと嘘をつき、使者を買収する可能性もありますしな」
苦々しい顔で、爺やが忌々しそうに愚痴を吐く。ラショウの街は皇族が領主とならなければならない。それは初期の皇都がラショウであったという言い伝えからだ。大事にしないと、皇帝は祖霊をいい加減に扱っていると、無駄に貴族の突き上げを受けるから仕方なく皇族を向かわせていた。
昨今は僅か8歳の皇女が領主となったので、皇帝としてはどうでも良いと考えてはいるのだろう。貴族も同じ考えであるが、予算会議などで思い出したように皇女は無事なのかと口に出して、予算会議を少しでも有利にしようとするこすっからい貴族たちの追及を逃れるために、勅命が檜野辺境伯に来た。
内容的にはたいしたことはない。ただ無事を確認すればよいだけだ。そこが魔に汚染された土地で、証人として貴族が求められるのを抜かせば。
平民の使者が無事でしたと告げても、なんの信頼もないために、仕方なくキオがラショウの街に訪れることとなったのである。
「戻ってきた先触れの使者も、やけに空気が臭く、どこか恐ろしい感じのする街だと言っておりました。あの土地は異形の者たちだらけであり、心をしっかりとお持ちにならなければ辛いところです。お気をつけあれ」
使者は身体を震わせて戻ってきた。その時見た酒造りの光景は口にしなかった。自身も信じられない思いだったし、信じてもらえるとは考えなかったからだ。
「了解だ。ところで皇女様の顔はこれでよいの?」
「えぇ、引きこもっていると噂なので、姿は変わってはおらぬでしょう」
「そうか……可哀想に。8歳でそんな街に領主となるなんてね」
気の毒そうに懐から取りました覚書を見てため息をつくキオ。雑であるが「銀髪の紅い瞳」と書かれていた。特徴としてはわかりすぎる程目立つので問題はないが、私生児であり、実家の力もない哀れな姫に同情する。
その後は世間話をしながら一行は進み━━━。
「収穫は終わっているようだね」
草原が終わり、見たことがない木々に覆われている石壁、そしてその向こうで閑散としている何も無い田畑を見下ろす位置に辿り着くのであった。その向こうには高い外壁と街が見渡せる。
「ですな。まぁ、この地の収穫はたいしたことはありません。ほんの少しの収穫量ですよ」
馬から降りて、キオがラショウの街を見ていると共にやってきた行商人が揉み手をしながら話しかけてくる。少しでも辺境伯と繋がりを持ちたいと、その顔はあからさまに作り笑いだ。この街に毎年訪れるために、その身体は少し魔に汚染されており、体格は二メートル半くらいの大男だ。
「米もほとんど採れませんし、ラショウの街の作物など売れませんからな。それでも私は慈悲の心で毎年訪れる次第でして」
ウヘヘと持ち手をして、自分の善人さをアピールしているが、キオはこの商人がラショウの街の米を他の街のものだと誤魔化して売っているのを調べて知っている。魔に汚染された米とはいうが、見た目もわからないし、少し食べたくらいでは、姿形は変わらない。それを逆手にとって、小銭を稼いでいるらしい。
「一応酒なども用意しておりますが、今年もテンナン子爵が買ってくれる程度でしょう。ここまで運んでくるのも大変ではありますが、私は義にあついために、ラショウの街を見捨てることができないのです」
「それは大変であったな。だがラショウの街は貴殿頼りなのだ。今後とも頑張ってくれ」
数十倍の金額でぼったくっているのに、よく言うなと呆れつつ、キオは愛想笑いで答えておく。
そうして、移動を再開し、門の前に辿り着くと━━━。
「あいうえお、かきくけこ、隣の客はよくかきくうきゃくだ」
なぜか老婆が発生練習をしていた。キオたちに気づくと、コホンと咳ばらいをしつつ、杖をついて近寄ってくる。ボロボロのローブを着込み、髪はざんばら、皺のある顔が顰めっつらとなっており、不気味さを見せていた。
キオたちの前に立つと、しっかりと深呼吸をしながら、大きく目を見開く。
「お若いの、ここで引き返すのが良いじゃろう。この街は呪われておる!」
耳が痛くなる大きさで、オババは叫ぶのであった。




