41話 テンナン子爵
「遅い、遅すぎる……」
イライラと苛立ちを隠すことなく爪を噛みながら、テンナン子爵は部下たちの報告を今か今かと装甲車内で待っていた。黒いダウンジャケットと綿の入ったようなぶかぶかのズボンを着込んでおり、貧乏ゆすりをして金属の床をコツコツと蹴る。
皇女の護衛兵とは違い魔物の特性を持つものたちだ。負けることはありえない。あるとしたら逃げられてしまったとの最悪の報告だ。
「おいっ、あいつらいつまでかかってるんだ? 遅いと思わんか?」
「は、はい。たしかに遅いですな……もう皇女を殺したとの報告があってもよいかと思うのですが」
ハンドルを握る執事長へと怒鳴ると萎縮してこわごわと応えてくる。メイド長すら、この危機に際して命の危険を感じ、兵士たちと一緒に皇女を追い掛けていったのに、こいつはアイアンビートルを操縦しなければならないと言い訳をして残った。気の弱い男だと、内心で侮蔑する。
ようはダンジョンが怖いのだ。雷蜘蛛の残骸を片付ける際も急いで片付けて、さっさと装甲車内に戻った。その小心ぶりに呆れたものだ。
装甲車の前面モニターには外の様子が映し出されている。霧がやけに深くなり、外の様子を見るのも難しい。
「動体反応レーダーはどうだ? まだ皇女たちはいるか?」
「は、はい。この扉の向こう、少し先で反応が消えましたが、恐らく動くことを止めて、伏せているのでしょう」
執事長が懸命にモニターを見ながら報告をしてくるが、その顔には焦りがある。報告に来ない兵士たちを不安に思っているのだ。
このアイアンビートルに搭載されている動体反応レーダーは、敵が移動していなければわからない。微細な動きでは風に舞う埃でも感知してしまうためだ。しかも表示が平面図なので、上下にいても気付けない。無い無い尽くしの欠陥レーダーだが、敵が動いておらずとも、その場所にいることがわかれば、そこそこ役に立つ代物だ。
「味方が中に入って……? おかしいですね、味方の動きが止まりました」
「止まった? なんだ、皇女たちを見つけたのか?」
「いえ………皇女たちの立ち止まった位置はまだまだ先です。彼らは入り口付近で何をしているのでしょう……」
眼の前にはアイアンビートルが侵入できない細道。さすがに壁を破壊しながら突進することはできないので、そこで停車している。そのすぐ先で兵士たちを表す光点は停止していた。
「あっ! 一人だけ移動してます。こちらへと向かってきておりますぞ、テンナン様」
「ん? 皇女を見つけたのか? それとも見つからないと弱音を吐くつもりか?」
「そ、それはわかりかねますが、とにかく状況に変化があったのではないかと愚考致します。こちらに……お、おかしいな? やけに速い。まるで飛んてくるような速さです」
「それならばメイド長であろう。あやつは空を飛べるレベルにまで魔物として堕ちている。もしかしたら、皇女を見つけた報告かもしれん」
ニヤリとほくそ笑み、テンナン子爵は前面モニターを注視する。霧の中でぼんやりと見える建物に挟まれた道路。人が一人歩ける程度の細さだ。
「おい、もしも皇女の首でも持ってきたら………わかっているな?」
「は、はい。もちろんでございます」
執事長はコクコクと水飲み鳥の玩具のように首を縦に振り、震える手でハンドルを握りしめる。強く握りしめるせいて手が白くなっても気にせずに、唇を戦慄かせて。
もしも皇女を殺したと報告があれば……メイド長はアイアンビートルが轢き殺す予定だ。いや、全ての兵士たちを殺すつもりだった。
執事長だけは残ったので命を助ける代わりに轢き殺せと命令しているが、もちろん事が終わったら殺すつもりである。
敢え無く皇女様はダンジョンにて討ち死に。多くの兵士とメイドたちとともに勇敢に戦い、その命を散らしましたと報告するつもりである。
自分も罰せられる可能性はあるが、これまで横領で貯めた金で根回しすれば、状況からみてなんとか罪は免れると予想していた。
現に、先代領主が亡くなった際に生き残った兵士たちは許されており、罪には問われていない。それだけ、皇族とはいえ、私生児は軽い扱いを受けている。
神聖術? そんなものは見て見ぬふり。皇女が死ねば、後は金で口封じすれば良い。ダンジョンが現れたのは驚いたが、それも金でどうにでもなる。なにせたった五千人の街だ。誤魔化す方法などいくらでもあるというものだ。
(いや………ダンジョンへの道が切り開かれた今、後釜の領主代行に着いても良いかもしれぬ。ダンジョンは金の成る木。上手く今ある金を使えば……またここに任地できるやも……危険ならば、このダンジョン情報を高位貴族に売れば良い。どちらにしても順風満帆の未来だ)
「来ました! もうすぐ近くです」
含み笑いをして、殺す予定の愚かな執事長の弾んだ声に気を取り直す。が、絶叫をあげて、執事長は飛び跳ねて椅子から転げ落ちた。
「あ、そろそろ見えてきますぞ。め、うわーーーー!」
ドチャリと音がした。
━━━そして、メイド長の生首が前面モニターに映り込む。カメラにぶつかったメイド長の生首は目を大きく見開き、恐怖で顔を歪ませて血だらけでズルズルとカメラから剥がれて落ちる。
「めめめ、メイド長、あ、あれはメイド長の」
「黙れっ! 敵の姿は見れんのかっ!」
口から泡を吹き、気絶しそうな程に慄き恐怖する執事長へと怒鳴り、べっとりと血のついたカメラを見て顔を険しくする。
と、コツコツと足音がして、細道に皇女が歩み出てきていた。先程とは違い、何故か服装が丸帽子とタキシードだ。コメディアンにも見え、また、どこか古めかしい紳士にも見える男装の姿であった。
「こんにちは、テンナン子爵。そこの方は私の歓迎を受けて頂きました。殺意をお持ちになられた方へのほんの少しの死のプレゼント。メイド長は冥土で喜んでいるでしょう。メイドだけにと戯けるとおっさんみたいで口にはできないですかね?」
野花のような可憐なる微笑みで、小さく頭を下げてサラリと銀髪が流れる。状況を知らなければ、深窓のご令嬢の歓迎の挨拶に見えて、微笑ましくもあり、愛らしいと思うことだろう。
しかし、その光景は横に転がるメイド長の生首が台無しにしていた。ただ一点、生首があるにもかかわらず、気にせずに上品に挨拶をしてくる少女は、絶世の美しさも相まって、酷く歪で怖気を齎してくる。
「こ、殺せえっ! 轢き殺すのだっ!」
「は、はっ!」
本能の齎す恐怖に顔を背けて、テンナン子爵は怒鳴り、執事長は全力でアクセルを踏む。
急加速にてアイアンビートルが前に傾き、皇女目指して突進するが、少女は軽くステップを踏むと細道へと消えていく。
敵を逃したアイアンビートルはそのまま通路に突進し、壁に挟まれて激突した。激しい衝撃が車体を揺らし、二人はつんのめるが、距離が近いこともあって軽く車体にぶつかるだけですむ。
「く、くそっ! おい、すぐに追いかけるぞ!」
「へ? へえっ!? あ、あの敵が兵士たちを全滅させたなら、いえ、私はこのアイアンビートルをお守りするためにのこ」
保身をはかる執事長の首を掴み、テンナン子爵は頭突きをして凄む。
「おい、どんなに敵が多くとも、所詮は平民たちの集団。儂は貴族だ。あの程度は簡単に殺し尽くせるわっ! それともここで一人残って、回り込んできた奴らに殺されるか? んん?」
「は、はい。わ、わかりました。わかりました。テンナン様がおられるのであれば、安心でございます。わかりました、わかりました。つ、ついていきます」
「なら、さっさと行け! お前の持つ鎖帷子は飾りか、なにかか?」
「はい、わかりました!」
横においてある鉄の槍を掴むと、転がるように蒼白の顔で執事長は外に出ていく。その様子を見ながら、テンナン子爵は忌々しそうに舌打ちしながら、席の横に置いておいた魔石を掴むと、着込んでいる服に差し込む。
そうして、貴族でも、選ばれた者たち。この地に赴任することとなり特別に下賜された鎧を使用することとし、誰にも聞かれないように注意しながら小さく囁く。
「手動認証Y4972Pjj1」
ピピッと鎧から電子音がすると、機械音声が耳元に囁く。
『認証をできました。ご命令をどうぞ』
「起動せよ」
『起動開始………起動完了しました』
「コンバットモード」
『コンバットモード起動』
テンナン子爵の首元からカチャカチャと小さな六角形の装甲が登ってきて、頭を覆う。真っ暗となるがすぐに装甲は透明となり、まるで覆われているようには見えなくなる。そして地球の絵柄が目の前に浮くとくるくると回転し始めると機械音声が響く。
『ようこそソルジャー。UNZK1戦闘支援強化服をご使用していただきありがとうございます。ヘルプをご覧になりますか?』
プシューと空気が抜ける音がして、ダウンジャケットに見えたものが、縮まって肌に張り付くようにぴったりとサイズが合わせられると、金属のように硬質化する。
「ノーだ。毎回このやり取りをするのは面倒くさいが、なんとかできんものか」
愚痴りながらも慣れたように手足を振り、身体が軽くなったことに、顔を歪めて暗い笑みを浮かべる。
コキコキと首を鳴らしながら、装甲車からゆっくりと出ると、執事長へと顎で先に進むように示す。
執事長は断ろうとするが、視線で黙らせる。これ以上、無駄なことをするつもりはない。
「さっさと行け。儂が後ろにおるのだ。なにかあったら助けてやる。ほら、行け!」
「は、はい。テンナン様を信じております。本当に信じておりますからね?」
まったく信じていない顔で、恐る恐る執事長は先に進み、狭い通路を抜けるとつきあたりの小さな扉を開ける。
そこは先程よりも深き霧の世界であった。前方は積み重なるコンテナ群が薄っすらと確認できる程度。隣に誰かがいてもわからない程に霧は濃かった。
執事長は息を呑み、震える手足で中へと入っていき━━。歩く途中で崩れおちるように倒れ込む。
転んだのかと一見すると思う光景であったが、テンナン子爵はすぐに身構えて、目を細める。モニターに映る光景で、倒れ込んだ執事長が『死亡』と表示されていたからだ。
『フィールド展開』
そして機械音声が鳴り、空間にバチリとハニカム構造のガラス細工のような障壁が浮かぶと、皇女が空中でナイフを突き出しており、障壁に阻まれていた。
「むっ! 皇女か!」
拳を握りしめると、テンナン子爵は足を踏み込む。コンクリート床が陥没し、猛牛のようにテンナン子爵は皇女目掛けて高速の拳を繰り出す。
僅かに驚いた顔の少女は、拳が命中する寸前にかき消えて、空振った拳はコンテナに命中すると、ベコリと鉄の箱をへこませて、紙細工のように貫いた。
「これはまた面白いものを持っていますね、テンナン子爵。その強化服も蟲の名前をつけているのですか?」
ありえない速さで回避した皇女が、面白そうな顔で聞いてくるので、金属壁を引きちぎって、テンナン子爵は拳を構えると告げる。
「ふふん、『豪殻のテンナン』とは儂のことよ! すまぬが皇女よ。ここで貴様の命を貰い受ける! 私生児などとは比べ物にならぬ真の貴族の力を思い知って死ぬが良い!」
「それはそれは。では霧の世界の住人『ジャック・ザ・リッパー』がお相手しましょう。どうか、この恐怖のお話、地獄の鬼に話のネタにしてくださいね?」
パンプアップをして凄むテンナン子爵を恐れるどころか、楽しそうな笑みで皇女は返す。
そうして二人の戦闘は開始するのであった。




