40話 五里霧中
第13皇女結城レイのメイド長は魔の汚染がかなり進んでいた。既に自我は薄弱となり、意思は支離滅裂だ。もはや自分が何を考えているのかも、それが本当の自分の意思なのかも定かではない。
それでも、混乱する頭の中でも、煮えたぎる怒りを満たしていた。それはたった一つのことだ。
皇女が憎い。
今までは引き籠もっており、嘲笑っていた。テンナン子爵のお零れを貰い、それなりに贅沢をして人生を謳歌していた。魔に汚染されないように、できるだけ外には出ずに、横領した皇女の品位維持費で年に一度様々な贅沢品を買い込み、魔物への不安を紛らわせながら、暮らしていたのだ。
帝都からこの地獄の街に皇女の側仕えとして派遣された絶望も、札が貯まっていく貯金箱を見れば、いつかは帝都に戻れる賄賂を用意できると未来への期待に変わっていたのである。
「あおあんな、皇女クズガキがぁ、神聖術神聖術神聖術ふざけててててる」
しかし皇女が神聖術に目覚めたことで全てはひっくり返った。魔の汚染を浄化できるなど聞いたことはない。いや、高位貴族であれば知っている内容かもしれないが、下級貴族出の自分ではそんな秘匿された情報は手に入らなかった。
この話が伝われば、きっとこの街の領主から解かれて、レイ皇女は帝都に戻れるだろう。皇帝陛下のもと、本来の皇族の地位に相応しい扱いとなるはず。
帝都に戻れることはメイド長の夢であったが、その時はどのように自分が扱われていたかを皇帝陛下に奏上し、メイド長もテンナン子爵も執事長も処刑は免れない。
これは予想ではなく、確定された運命だ。きっと城門前に首を晒されて、自分は命を終えるだろう。
「そそ、はーはー………そんなことはさせないわ。お前ら、さっさと残骸を片付けなさい!」
深呼吸をして、心を落ち着けて魔の汚染からなんとか自我を取り戻すと、未だに雷蜘蛛の残骸を片付けている兵士たちを睨む。
こいつらも同じ境遇だ。帝都から皇女の近衛として派遣された兵士たちと執事たち。もちろん名ばかりで、貧乏貴族の四男とか、落ちぶれた侍騎士の息子たちであり、テンナン子爵と共に皇女の予算を横領して、一財産築こうとした者たちである。
名ばかりとはいえ、皇帝陛下は今も皇女のために結構な額の予算を送ってくれているのである。無論、皇帝陛下にとっては、気にすることもない少額であろうが、それでも街を運営する予算のために、自分たちにとっては充分な金額であったので砂糖に群がる蟻のようにメイド長たちは甘い汁を吸っていたのだ。
「あぁ、急がないと。………だが、お前は大丈夫なのか?」
小鬼の角を生やした兵士がメイド長を見て、不安げに眉を顰める。心配しているのではない。そんな優しさなどない。皇女を追っている途中でメイド長が魔物に堕ちて、自分たちを襲うことを心配しているのである。
「まだ大丈夫よ。クズ皇女を捕まえて殺す前に浄化をかけさせるから、そうすれば健康的な身体で帝都に戻れるわ。キヒヒヒ」
皇女は自殺してしまったと報告するつもりだとテンナン子爵は言っていた。それならば貯めたお金とともに帝都へと戻れる。身体も元に戻り良いことづくめだ。
自らに都合のよいことしか考えていないことに気づかずに、最悪の場合を想像することなく、キヒヒとメイド長は嘲笑う。
「おいっ、いつまでかかっておる! もう残骸を片付けるのは良い。俺が片付けておくから、奴らを追え! ダンジョンの地理に詳しい奴がついてるんだ、見失ったら事だぞ!」
「は、はいっ。貴方たち追いかけるわよっ!」
「りょ、了解です!」
苛立ったテンナン子爵の怒声に、すぐにメイド長は頭を切り替えると、兵士たちへと命じる。たしかに裏道などがあったらまずい。街に逃げられたらもはや手は出せない。街の人間全てを殺すなどしたら、確実に自分たちも責任を問われて処刑されてしまう。
一本道だが、早くも皇女たちの姿は遠い。しかし、自分たちは魔物の特性と強靭なる肉体を持っている。
「すぅぐぅにおいついてぇえ、殺してあげるぅ〜」
背中からメリメリと音がして蝙蝠の羽が生えてきたが気にせずに駆ける。こんなものは浄化をすればよいだけだ。命乞いをする皇女に命を助けると騙して浄化をさせればよい。
兵士たちが駆け出し、メイド長も飛ぶように走る。いや、実際に蝙蝠の羽を広げて、地面すれすれを飛んでいた。
「キヒヒヒ、クズ皇女ぉぉぉ〜」
どんなに逃げても、所詮人間たちの肉体。メイド長たちが本気で追いかければ、すぐに追いつける。通路を通り抜けて、中庭へと入り………。
「あんなところに道が!?」
後ろを気にしつつ、皇女たちは建物の裏側に走り、小さな扉を潜り抜けていた。霧がやけに深くなっていて、ギリギリぼんやりとした視界で発見したのだ。
「ちっ、テンナン子爵の言うとおりだわ。追いかけないと危ないところだった! 逃がすところだった、あのクソガキッ! 貴方たち追いかけなさい!」
「し、しかしあの細道では伏兵があるかもしれません」
「その肉体は飾りではないのでしょう? すぐにテンナン子爵も追いつくわ。その時に同じ言い訳をするつもり?」
「わ、わかりました。おいっ、お前ら追いかけるぞ!」
牙を剥いて睨むと、慌てて兵士たちは扉を潜り抜ける。メイド長も追いかけて━━━。
「な!? なに、この霧?」
扉の先は深き霧の世界となっていた。目を凝らして、ようやくなにか金属製の壁があるのがわかる。なぜか背筋がゾッとする。霧のために身体が冷えたのだろうと、首を振ると、兵士たちへと指示を出す。
「さあ、これだけ霧が深いんじゃ、あっちも伏兵なんて無理よ。散開して、皇女を探し出しなさい!」
「あぁ、だがこの霧の深さだと」
横にいる兵士が困った顔のまま━━。首が落ちた。ドサリと音を立てて地面に倒れ伏すと血溜まりが広がっていく。
「は? なにが」
現実感のない死の様子に他の兵士たちが戸惑い━━声を上げた兵士の首がポロリと落ちた。切られた箇所は綺麗に断面が見えており、まるで外科手術をしたかのようだ。噴水のように血が噴き出して、周りの兵士たちはようやく現実だと青褪める。
「て、敵し」
ポロリとまた首が落ちた。
「ひ、ど、魔術?」
怯えて顔を引き攣らせる兵士の首も落ちる。
「ぐ、敵だ! や、野郎!」
『皮膚硬質化』
肉体を鉄のように高い硬度へと変える魔術を使い━━ポロリと首が落ちた。金属のような硬さなどまるでないかのように。
「あぁぁ、ななんだ? どこから攻撃が!?」
「円陣を組め! 背中合わせになり、対抗するんだ!」
「魔術? 神聖術とかいうやつか?」
サボっていたとはいえ、皇女付きの兵士たち。恐怖の相貌となりながらも、どこから敵が現れても良いように死角がないように、槍を構えて円陣を組む。
と、どこからかコツコツと足音が響く。
「こんにちは、皆さん。今日は霧深く良い天気ですね?」
鈴を転がしたような可愛らしい声で、霧の中から人が現れる。成人していないだろう背丈の低さ。そして声からも皇女だとはわかるのだが……。
「き、着替えたのか? その姿はいったい?」
兵士たちは戸惑いを隠せなかった。さっきまではたしかに乗馬服だったのだ。しかし、今の皇女の服装は違った。
黒い丸帽子を被り、タキシードを着込み、その手は白い手袋をつけている。どこかの紳士にしか見えない。
帽子からサラリと流れるように背中まで伸びている銀髪と、あどけないか弱そうな少女の顔立ちが服装とミスマッチだが、だからこそ不気味であった。
「この服装ですか? あぁ、こういった天気ではこの服装で散歩をしたくなりまして。どうです、似合ってますか?」
舌をぺろりと出して戯ける皇女の姿は可愛らしかったが、兵士たちはなぜかその笑顔に怖気を覚える。嫌な予感、虫の知らせ、会ってはいけないものに遭った感覚。
だが、兵士たちは気のせいだとかぶりをふる。それよりも今は命がかかっているのだ。
「殺せっ! いや、死なない程度に痛めつけろ。手足の一本や二本切っても構わん!」
兵士たちの隊長がなぜか震える身体を叱咤して、命令を出す。
と、ニコニコと無邪気な笑顔で皇女は手を突き出す。
「首の一本でも構いませんよね?」
その手には……生首があった。パクパクと口を動かして、まだ生きている。生きていた。兵士たちの隣に立っている者だ。信じられないことに、生首はこちらを見てきた。
「あ、あれ? なんか、俺の身体が? 首ない」
そして、何事もなかったかのように喋ると、白目を剥いて動かなくなった。そして、隣にいたはずの仲間が首を失って倒れ込む。
「ふふ、首だと一本しかないですからやりすぎました?」
その顔は無邪気そのもので、飽きたかのように、ゴミでも捨てるかのように皇女は首を投げ捨てる。テンテンと音がして、首が転がりコツンと兵士の足にぶつかって止まる。
「あ、あぁぁ! かかれぇっ! 殺すんだ、こいつを殺せっ!」
「う、うぉぉ!」
「化け物がっ!」
恐怖から兵士たちは絶叫し、皇女へと向かって走り出し、槍を突き出す。が、皇女の身体を貫いたと感じたときには、その場に皇女はおらず、手応えもない。
「皇女は」
「ころ」
「皆の身体」
そして霧が揺らめくと白刃がキラリと奔り、兵士たちの身体はまるで解体されたかのようにバラバラとなって、達磨落としのように崩れて肉塊となっていくのであった。
一瞬のうちに血の臭いと静寂が支配する世界となり、メイド長は身体を震わす。
『自然同化』
(ひ、ひいっ! な、なに? なにが起きてるの? お、おぞましい、あれはなに? あ、あれはなに?)
魔物に堕ちることでパワーアップした自分の魔術にて気配も姿もかき消して、メイド長はガタガタと歯の根が合わないほどに鳴らす。
息を潜めて、自分がどこにもいないと、皇女の目に止まらぬようにと、魔術の精度を高めていく。魔に汚染されていこうが構わない。なにか、ナニカ、魔に汚染されるよりも恐ろしいものを感じるのだ。
(テンナン子爵なら殺せるわ。それまでじっと身を潜めて……ア?)
万が一にも声をあげないようにと、口元を手で押さえようとして━━━その手がないことに気づく。手首の断面だけが目に入り、己の手はどこにもない。ぽたりぽたりと断面から血が流れていく。
「あ、アヒャァ〜、い、痛い、いえ、痛くない。手がないのに痛くない!」
目を剥き、絶叫してしまう。姿隠しが解けて、己の身体が現れても、それだけではなかった。手がないのだ!
「あぁ、霧深き中で紳士に会うのは要注意ですよ、メイド長?」
「あ、あわぁぁ!」
『崩壊音波』
いつの間にか眼の前に立っている皇女へと、大きく口を開くと切り札を放つ。全てを強力な音波にて砕く魔の叫びは霧を吹き飛ばし、皇女を崩壊させ━━。
「残念でしたね、遅すぎました」
その視界がずれていく。手足が絶たれて地面に転がっていく。自身の体が細切れになって崩れるのを首だけとなったメイド長は恐怖の眼差しで見ていた。自らの首が地面に落ちていたことにようやく気づく。
「霧深き中で外を出歩くのはご用心。もしかしたら悪いモノが出歩いているかもしれませんから」
可笑しそうに告げる皇女。その眼窩は暗闇だった。底の見えない深淵で、触れてはいけない禁忌のモノ。
(皇女じゃない……こんな化け物が神聖なモノのはずが)
そうして皇女へと殺意を向けたメイド長は、霧深き中で命尽きるのであった。




