4話 側仕えが変わりました
「側仕えを代えるのですか?」
次の日の朝、いつもの悪意と泥水を持ってくる優しいメイドさんは来なかった。今日もお勤めありがとうとウキウキしながら笑顔でシーツを被り、起こされるのを待っていたのに、実家に帰ってしまったらしい。
安心できる実家で休むとなれば、あと数日で霊術は解かれてしまうだろう。あの霊術は安心できる家族とか恋人がいると、精神が安定し破られやすいものなのだ。
まぁ、仕方ないですねとがっかりしながら、初めて見る中年のおばさんメイドへと顔を向ける。朝の挨拶に来たのだ。さり気なく話を聞くに、メイド長らしい。
「はい、さようでございます。あの者は魔に汚染されたようで精神を病んでしまいました。なので、この娘を代わりに側付きとさせたいのですが、よろしいでしょうか?」
恭しく頭を下げてよろしいでしょうかとは口にするが、慇懃無礼、その目は硝子玉のように無感情にて無関心をその顔に映し、私の拒否権は無いようである。
そして、魔に汚染とは、辞めるときの常套句なのでしょうか。魔が差したとか、魔に汚染とか。まぁ、いなくなったのなら、残念ですがあれくらいで終わりにしても良いでしょう。
ふわぁと欠伸をしつつ、触り心地の良い銀髪をかきあげて、私はメイド長を見て、次いで深々と頭を下げている犬さんを見る。犬さんである。いや、犬娘ちゃんですね。
なんと二本足で立っており、メイド服ではなく、古ぼけたいわゆる女中服といった着物を身に着けていた。ますますこの世界の世界観がさっぱりわかりません。和洋折衷の世界観?
せめて本でもあれば良いのですが、私の部屋には一冊も本がなかったのだ。もちろん電子書籍もなかった。一応タブレットがあるかと探したのは秘密です。
私が見つめていると、ぷるぷると震える犬娘ちゃん。どうやらメイド長や昨日までのメイドとは少し違う模様。
メイド長までもが、レイ姫に態度が悪いのに、緊張しているということは、良い子だということです。
でも、ジッと私が眺めているのを、不満からだとでも勘違いしたのか、メイド長はまったく温かみを感じさせない声音で話し続ける。
「レイ姫様が愚かにも力を求めて瘴気の森に入り込もうとしたのを、助けに行き見つけたのがこの者なのです。姫様に挨拶をなさい」
愚かにもと、余計な修飾語を加えてくれる嫌味なメイド長さんだ。
「ひゃひ、私の名ひゃひゃ、ヒナギクと言います。今後は皇女様の側付きとして、命を懸けて仕えます!」
対照的にレイ姫を敬う少女ヒナギクちゃん。私を助けたという一言も気になります。
「新人なれど、この者は見所のある者。まさか姫様であれば、魔の姿を見て差別蔑視などはなされないと存じますので、この者を推薦いたします」
ヒナギクちゃんを指し示して、自分は蔑みの目を向けるメイド長。なかなか良くできた人だ。この人はどうやってメイド長になったのでしょうか。興味深いです。
それは置いておいても、リアルな獣人、ピンと生えた犬の耳がついている犬の頭に突き出した口には鋭い牙と長い舌。ベッタリとくっついている脂ぎった毛皮で、お尻からは雨に濡れたかのような細い尻尾。手足が辛うじて人間の手足だ。
口の形が人間と異なるため、喋るのも苦労するだろうリアルな獣人。蔑視はしないが人サイズの犬は少し怖い。
なぜ蔑視されているのかは、長年の知識から簡単にピックアップできます。この場合はあれですね。
人種差別というやつです。許すまじというやつです。獣人は蔑視されているということでしょう。
ふふふ、我ながら、深い知識と推理力があって怖いです。明日から名探偵レイちゃんが始まりますよ。この屋敷では毎週誰かが殺されるのです。死んだ人は生気と霊気をください。
まぁ、私は差別などしません。悪霊も地縛霊も守護霊も差別することなく友だちとなってました。肉球を触らせてくれないかも確認したいので、断る理由はまったくない。この娘は最低でも綺麗な洗面水を持ってきそうですし。飲んでも大丈夫そうな水をね。
なので、私も挨拶を返しましょう。インパクトのある挨拶を。第一印象は重要です。人は中身だとよく言われますが、中身を知ってもらうには、良き外見の方が遥かに有利となるのです。
立派な袈裟を着た浮浪者と、みすぼらしい服を着た高僧。どちらに最初に話しかけるかという感じですね。下手したら高僧には近寄りもしないでしょう。
たとえ、ちょっと古い寝間着を着ていても心は錦。中身を分かってもらえるチャンスは逃しません。なんか皇女とか言ってましたし。あだ名が皇女じゃないですよね? これから上品な所作を見せちゃいますよ。
大天使ミカエルの演技を四年ごとにしていた私の力を見せましょう。隠されし大聖堂では、大人気の公演でした。
無性である大天使、帯を体に巻きつけて、昨今は少し幼さを感じさせる美少女の姿で、鍾乳洞の奥にある古き良き隠されし祭壇で姿を現します。
口伝のみでえっちらおっちらやって来た選ばれし枢機卿たちは大興奮で大喜び。天使様と感動して、胸元や下半身辺りをチラ見して頬を紅膨させていたものです。結構どこを見られているかわかるものなんです。写真撮影は禁止にしておきました。
そこで一言「平和を祈りなさい」と呟くだけ。出演時間僅かに3分程度。代価は見物人の霊気を50%ほど。三日は動けない疲労度です。
でも、枢機卿たちは大天使に出会ったため、人間の魂は耐えられないのだとかなんとか理由をつけて、抵抗せずに霊気をくれました。
ウハウハのドル箱公演で毎年やりたかったのですが、希少性が大事なのでオリンピックと同じ年にだけ行っていたのは良い思い出です。私がいなくなったらどうなるかは少しわかりません。神に見捨てられたとか騒ぎになってなければ良いのですが。
ゆっくりとベッドから降りて、か弱さを感じさせる細い脚を爪先からツツッと床につけます。ヨイショなどとは言葉にせずに、あくまでも優雅さを忘れずに立ち上がると、素早く窓をチェック。朝の陽射しが入り込んでいて、ちょうど良いですね。
ゆっくりとですが、妖精が舞うように可愛らしく愛らしく窓のそばに立つと、薄っすらと唇を笑みにして、銀糸のような髪の毛を両手でかきあげます。
ふわりと銀髪が浮いて陽射しが照らし、キラキラと幻想的に輝くと、神秘的な紅い瞳で犬娘ちゃんに白魚のような手を差し伸べて挨拶です。
完璧な挨拶です。近寄りがたい高貴な存在。記憶があやふやでも誤魔化せるというものです。
バッサン
前髪にかきあげた髪がかかっちゃいました……。
少し力をいれすぎて、バッサンと勢いよく髪が前髪にかかって、古典的な幽霊みたいになっちゃいましたけど、不動の精神たる私は気にしません。
ちょっと庶民的な部分も追加しておきます。
「………」
「………」
「………」
メイド長は困惑した顔で、どういうリアクションをとれば良いか迷ってます。先程の無関心な冷たい表情よりはマシでしょう。
そしてヒナギクさんは、真摯的な顔で持ち上げてゴクリとつばを飲み込み、私と目を合わす。
「あのっ、髪を梳かしましょうか?」
───どうやら良い子であるようです。
◇
メイド長はなぜかチラチラと私を見ながら去っていき、ヒナギクさんは私の髪を梳かしてくれていた。
「わひゃ〜。皇女様の髪の毛、全然つっ掛かりがありません。なんでこんなに滑らかなんですか? それにとても綺麗です!」
ヒナギクさんは私の流れるような銀髪の一房を撫でて、キラキラと瞳を輝かしている。
「ふふっ、そこまで褒められるものではありません。でも、もっと褒めて良いですよ」
なにしろ一週間前に創り上げた私の自慢の肉体なのです。褒めちぎってくれていいんですよ。
曇った姿見の前に座って、私はヒナギクに髪の毛を梳かされていた。やはり物は良いらしい櫛で、ガツガツと梳かされていた。
サラサラとかではありません。ガツガツとです。ちょっと痛い。痛さもまた人間となった証なので良いのですが、そろそろレイの頭皮が心配です。ちょっと力を入れ過ぎじゃないですかね?
これが普通の人ならば、髪の毛がブチブチと引きちぎられていた可能性があります。天上から流れる清流のごとき滑らかさを持つ私の銀髪だからこそ大丈夫なのです。えっへん。
パタパタと足を振ってご機嫌な様子を見せますが、それでもそろそろ痛いと訴えましょうか。損害賠償金は今日の夕飯のおかずを求めます。
私が顔を顰めて、むぅと唇を尖らせたことに気づいて、ヒナギクはあわわと慌てて謝ってきた。
「す、すいません。痛かったですよね。さ、最近力加減がわからなくなってきて………」
私が痛かったことに気づいて、謝ってくるが、悪意を感じないので、心の底からの謝罪なのだろう。やはり良い子です。
とはいえ、変なことを口にしました。力加減がわからない? どういうことでしょうか。まるで急にパワーアップしてしまったようなセリフです。
「修行でもしたのですか? それとも、悪魔と契約して力を手に入れました? 悪魔の力は大体気のせいなので、気をつけた方が良いですよ。右腕に包帯とか巻いてませんよね?」
心配です。良い子なので、側仕えとして末永く働いてほしいのです。まぁ、悪意を向けてくる側仕えでも良いのですが、人間として暮らすからには、良い子も側には必要でしょう。
私の紅い瞳が心配げな様子を見せるのに姿見越しに気づくと、ヒナギクは顔を俯ける。
「私……段々魔の汚染が進んでるんです……。もしかしたら、今年で私は……それと、厨二病ではないです」
なんと厨二病の概念がある様子。驚いちゃいます。え、本当にこの世界はどんな世界観!? 私はどんな異世界に来てしまったのでしょうか。
「魔汚染ですか………そんなに進んでいるのですか? そろそろ右目がうずきます? 闇の炎が手のひらから出せるような気になります?」
小さな声で心配の感情を乗せてヒナギクへと言う。
魔汚染はメイド長も口にしていましたが、さっぱりわかりません。ですが、だいたい心配げに問いかけを繰り返すと答えてくれるものです。魔汚染ってなぁに? 病気かなにかですかね?
あと、犬の顔で悲しそうにすると頭を撫でたくなります。地球では犬には嫌われていたので、ナデナデしたいのです。
「だ、大丈夫でふ! わ、わたひ、魔物に堕ちる前に皇女様からは離れますから!」
「………」
涙まじりの声で悲愴な覚悟を口にするヒナギクさん。えっと、初日からそーゆー重い話はしないでほしいんですけど。同僚ならば第一印象最悪の厨二病だと思われちゃいますよ。私は面白そうだと思っちゃいますけど。
でも、まぁ、しばらくは様子を見ますか。他の情報も集めたいです。
もしかしてベッタリと体に巻きつくように憑いている靄が関係しているかもしれませんし。
私のルビー色の瞳には、ヒナギクさんは真っ黒な靄に覆われているように見えるので。
あれって、呪いですよね?