31話 その頃の地球の人々
霊帝がいなくなり平和となった地球。少なくとも霊帝により滅亡することは未然に防げたと神々が喜ぶ中で、地球の人々はというと━━━。
「な、なんということだ……。始まりより存在する聖域が………」
ヨーロッパの山間。誰も訪れることのない僻地に隠されし鍾乳洞。その奥に存在する古き祭壇がある。天井の隙間から漏れ入る陽光が、ライトアップされるかのように、まるで奇跡のように石の祭壇に置かれた天使像を照らす、誰もが感じる聖なる空気を漂わせた場所。
四年に一度、枢機卿たちと選ばれた信者たちだけがその栄誉を受けることのできる大天使ミカエル降臨の祭壇が、今や見る影もなくボロボロになっていた。
天使像は砕かれて、祭壇には豚の死骸が置かれており、壁は血塗れだ。もはや聖なる空気はかき消えて、そこには死臭しかなく、邪悪な雰囲気が漂っている。
「くくく、随分と遅いおでましではないか、神なる者の奴隷たちよ」
祭壇には黒いローブを羽織った者たちが含み笑いをして立っていた。アサルトライフルを担いでいる者が数人。他は時代遅れの刃先が歪んでいる漆黒の短剣を持っている。
祭壇の惨状に呆然としていた枢機卿他10数名の神父やシスターたちは、祭壇の前に立つ者たちを唇を悔しげに噛み締めて睨む。
「貴様ら、サタニストだな! 畏れ多くも、大天使様の降臨の座を穢すとは! 聖なる洞窟を守っていた警備を殺したのも貴様らであろう!」
怒りに震える枢機卿が怒鳴ると、黒ロープ姿の者たちは、ケラケラと可笑しそうに嗤う。その嗤う姿はどこか歪んでおり、聞くものに不快感を与えるザラザラしたものだった、
「あ〜、あの警備たちかぁ。ちょっと挨拶代わりに鉛玉をくれてやったら、簡単に倒れたっけか。雑魚すぎて話にならなかったなぁ。せっかく俺が来てやったのによぉ」
正面に立つ黒ローブの者が、ケラケラと嗤いながら前に出てくる。痩せぎすで、その目つきは鋭いナイフを思わせ、目の中に灯るものは光ではなく闇。殺戮を楽しむ者の暗闇が存在していた。
「で、あんたらにも土産をやらねーとな。ほれ」
片手をあげると、それを合図にアサルトライフルを持った黒ローブたちが銃口を枢機卿たちに向ける。躊躇うどころか、その口元に楽しげな殺戮の喜びに歪めて、引き金を引く。
対して、枢機卿たちは武装しておらず、銃弾の嵐の前にあっさりと肉片になるかと思われた。
が、年若い神父、シスターたちが老いたる枢機卿たちを守らんと前に出てくると━━━。
銃弾は空中でピタリと停止する。見えない壁に激突したかのように銃弾は停止して、慣性の力を失いポトポトと地面に落ちていった。
「へぇ〜。それが噂の天使の力ってやつか」
銃弾がカランカランと乾いた音を立てて地面に落ちていったのを、明らかに不自然な光景を目にして動揺するどころか、痩せぎすの男は珍しいものを見たとばかりに、にやりと嗤う。
「そうだ。邪悪な者たちよ。これこそが大天使ミカエル様より賜りし『天使鎧』。たとえミサイルでもこの大天使ミカエル様の加護を得し、この鎧を破壊することは不可能と知れ!」
神父たちの手前には僅かに輝く光の障壁が展開されていた。銃弾を受けた箇所が波紋のように波打つが、決して銃弾が貫通することはない。
そして、神父たちの身体が眩しいほどに光り輝くと、光が鎧へと変わっていき身を包む。純白の鎧に金による意匠が彫られており、神秘的な聖なる光を宿す鎧。物理法則を無にする奇跡の存在。
その名も『天使鎧』という。悪を滅し、善の光で世界を照らすために、大天使ミカエルより授けられた神秘の鎧だ。その鎧を一度着れば、人を遥かに超える岩山をも持ち上げる怪力と、鋼鉄のような身体、そして法力が手品レベルから、戦闘レベルに向上する。
その手に同じく天使の剣と翼を意匠にする盾を持っている。使用条件は悪魔たちか、魂を悪魔に売った者か、悪魔を信仰する者を相手にする時にしか使えない。だが、その分強力でもある。
「我が名は大天使ミカエル様が代行人の一人、カルロ!」
毅然とした声音で告げるのは、枢機卿たちの護衛として来たカルロ。金髪碧眼の美男で、その体格も大柄で立派な偉丈夫だ。剣を横に構えて、聖なる光にて黒ローブたちを照らす。
剣の光に照らされた黒ローブたち。
「ぎゃ、ぎゃー! 身体が、身体が燃えるように熱い!」
「お、俺もだ。誰か助けてくれぇ!」
アサルトライフルを投げ捨てて、黒ローブの数人がまるで高温に炙られたかのように煙を身体から立ち昇らせ、うめき声を上げ、地に倒れると悶え苦しむ。
「悪魔に関わる邪悪なる魂を天使の光は浄化する。死にはせん、ただ、良心が戻りし時から悔恨の心で暮らすことになろう」
地面に倒れて、苦しむ男たちにカルロは冷たく告げると、煙が身体から立ち昇っているにもかかわらず、平然と立っている者たちへと視線を向ける。
「ヘヘっ、天使様ってのは優しいねぇ。相手を殺さねぇ光と来たもんだ。きへへへへ」
明らかに聖なる光にてダメージを負っているにもかかわらず、痩せぎすの青年と残った黒ローブたちは平然と嗤うと、短剣を構えて口角を吊り上げる。
「だが、お偉い天使様と同じように俺等も悪魔がそばにいるんだぜぇ!」
漆黒の短剣が禍々しい闇の光を放つと、黒ローブたちを包み込み、骸骨の意匠を象った闇の鎧へと変化した。
「『悪魔鎧』! ベルゼブブ様より頂きし、死をもたらす不吉にして、死の象徴。何者をも病魔にて殺す悪魔の鎧。七罪のボーンとは俺のことよ!」
「悪魔の信者とはな! ちょうどよい。ここで悪魔の信者を討滅する!」
カルロの掛け声に合わせて、他の者たちが剣を構える。ボーンの部下たちも悪魔鎧に身を包むと短剣を構えて、迎え撃つ。
『第五天使術:聖炎』
『第五悪魔術:魔氷』
カルロが生気を聖なる炎へと変換すると、ボーンたちを浄化せんと白き炎を放つ。対するボーンも対抗して闇の氷霧を吹き出して、カルロへと撃つ。
お互いの術がぶつかりあい、相殺され水蒸気が視界を埋め尽くす。されど、二人は超感覚とも言える気配察知能力で、敵の居場所を把握して、間合いを詰めると、激しい打ち合いをする。火花が飛び散り、金属の鈍い音が奏でられて、残像を残してお互いは止まることなく戦い続ける。
「けーっ! なにが天使だ。神がなにかをしてくれたか? 世界を救ったか? 全知全能なら、なぜ人間をこんな形で創ったぁ!」
ボーンが打ち合いながら、カルロへとニヤけ顔で様々な人間が口にしてきた問いかけを尋ねる。それは必ず答えに窮するものであり、神父の顔が困ることを邪悪なる心で期待していたが、カルロは巌のように硬い表情で動じることはなかった。
「そなたの質問は既に何回、何百回と多くの人々が問うてきた。しかしながら大天使ミカエル様はおっしゃった。不完全こそが神の慈悲。希望を持って未来へと生きるが神の言葉。完全なる存在など路傍の石と一緒だと。不完全だからこそ、我らは人間なのだ!」
過去、幼い時にこの地にてカルロは大天使ミカエルにまったく同じことを尋ねたのだ。そうして大天使ミカエルは暖かい陽射しのような優しき笑みで応えてくれた、
その言葉に感動したカルロへと、天使に選ばれし鎧『天使鎧』を授けてくださったのだ。それ以来、魔を滅する教会の剣としてカルロは戦ってきた。
「ならば、この戦いも慈悲なんだろうぜぇっ!」
打ち合いを止めて後ろに下がると、ボーンが漆黒の短剣を掲げる。瘴気が短剣に集まっていくと、漆黒の禍々しい光が短剣から放たれて、洞窟の影が蠢く。
「ベルゼブブ様の教え。全てに死を齎し悪魔の世界を、強者のみが支配する世界を作るため、俺様の最強悪魔術を。貴様ら、全て喰らい尽くしてくれるっ!」
『第六悪魔術:蝿の王━━』
「なにっ!?」
影が無数の蠅に変わり、神父たちを襲おうとするが、影は光に照らされて消えてゆく。蠅に変化したものも全て、最初からいなかったかのように。
発動寸前で自らの悪魔術が破られて、驚きに目を見張るボーン。その眼前に無数の紙切れがひらひらと舞う。
「こ、これはな、なんだぁっ?」
「やれやれ。儂ら枢機卿の力を知らぬとは勉強不足だな。ベルゼブブはなにも教えてくれんかったのかな?」
守られているばかりだと思った枢機卿が聖書を開いて前に出てくる。その老いたる顔には穏やかなれど威厳がある。
「枢機卿には枢機卿の戦い方があるのじゃよ、ベルゼブブの下僕よ」
手を添えている聖書から太陽のごとき光が漏れ出すと、合わせたように宙を舞う紙切れが熱を持つ。よくよく見るとその紙切れは聖書の一文が書かれており、元は聖書であったとわかる。
『第六天使術:神聖光』
「滅せよ!」
光は影を打ち消し、闇を祓い、悪魔鎧を着込む敵を呑み込んでいく。
「ち、畜生めっ! だ、だが、ハルマゲドンは近い。全ての神は滅び、俺等が勝つ。祭壇を破壊せしは悪魔たちの意思の表れよっ!」
そうして魔なる者たちが全て光にのまれて、ボーンは憎々しげに断末魔の声をあげるのだった。
◇
神聖なる光がおさまると、後には倒れ伏し命を失ったボーンたちの姿があった。魂の契約をして手に入れた悪魔鎧を破壊されたことで、鎧ごと魂も破壊されたのだとカルロたちにはわかっていた。
天使鎧と同じシステムだ。正義を成すために人ならざる力を手に入れる代わりに神に命を捧げるのが天使鎧。悪を成すために悪魔に魂の契約を結び手に入れるのが悪魔鎧。どちらも鎧を破壊された時に命を失うのである。
「大丈夫ですか、枢機卿?」
「えぇ、問題ありません。悪魔たちの下僕は全て滅することができたようですね。カルロも大丈夫ですか?」
「はい。私はまだまだ大丈夫です。ですが、枢機卿はもうお年です。天使術はお控えください」
「大丈夫です。これでもまだまだ元気なのですよ」
カルロの心配を柔らかな笑みで流しつつ、枢機卿は厳しい目つきで祭壇を眺める。
「世界各地で聖域が破壊されているとの報告が相次いでいます。あらゆる宗教の本物の聖域のみが狙われていると。まさかミカエル様の聖域すらも破壊されてしまうとは……」
報告は受けていたのだ。各地での聖域の破壊、暗躍する闇の者たち。しかしながら、自分たちは大丈夫だと驕ってしまった。悲しげに呟く枢機卿に、憂慮の顔でカルロも頷く。
「悪魔たちが遂に表に出てきたということですね、枢機卿」
「そのとおりです。占星術から始まり、力ある本物の占い師たちもハルマゲドンがこの十年内に起きると占っています。その先手としての前準備に悪魔たちやその下僕たちは聖域を破壊して、我らと神との接続を切ろうとしているに違いありません」
人類を、いや、世界が滅亡する機だ。そして、自分たちは聖域を破壊され、悪魔たちに大きく後れをとってしまったと悔やむ。
だからといって、絶望に囚われるのはまだ早い。
「全ての宗教の垣根を取り払い、悪魔たちとの決戦に備える時がきました。カルロ、急いで戻ります。各国の政治家たちのトップ、宗教のトップ。その全てと連絡を取り合うのです」
光は闇を祓い、善は悪に打ち勝つ。神は悪魔に勝利する。そのために人類は一致団結しないとならぬだろう。
「祭壇を破壊されることを許した我らをお赦しをミカエル様。ですが、必ず復旧させて、神との接続を回復致します。それまで暫しのご辛抱をしてくださいますようお願い致します」
憂いの表情で祭壇に一礼し、枢機卿たちは本部に戻る。そうして全ての勢力が一堂に集まり、悪魔たち邪悪に対抗する手段を模索し始めるのだが━━━。
それはまた少し先の話となる、




